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2012
2. 14

◎朝から私の住む団地の棟入り口で、タイルの修理工事が行われていました。大震災でひび割れ、持ち上がってしまい、歩きづらくずっと気になっていた場所でした。これでひとまず安心ですが、その気になって見回すとタイルの損傷の他にも、小さなヒビやずれのようなものが見つかり気になりました。

 『北総の自然』
◎先日簡単にお知らせをしました里山写真パネル展が2月14日から始まります。詳細は次のようですので、ついでの際がございましたらご覧ください。
・「北総の自然アルバム」
・日時 2月14日 15:00~2月27日 15:00
・場所 北総線千葉ニュータウン中央駅コンコース
・パネルボード等 ガラスケース3台、
 パネルボード13枚、机1台
・主催 印西ウエットランドガイド
・内容 パネル展出品者 9人
 主なテーマは、駅南側の池に飛来している数羽の
 白鳥の写真、野鳥の写真、里山をテーマにした写真、
 里山自然に関するイラスト、野草、樹木、昆虫、クモ
 の写真などバラエティに富んだものです。
※パネルの設置場所は、駅構内ですが改札口でパネル展を見たいと断れば無料で入れます。
・その他 パネル展を見ていただいた折に気の付いたことなど(質問のほか、写真のはがれとか、誤字などで何でももいいです)ありましたら、ご連絡いただけると幸いです。




   



◆北総…下総(しもうさ)国の別称。
 下総国は、かつて日本の地方行政区分だった律令制国の一つ。東海道に位置する。
 上総国とあわせて、または単独で総州(そうしゅう)。
特に下総国のみを指して北総と呼ばれることもある。

☆戸神川防災調整池白鳥情報…このところ、少し増え、11羽。だが、日によって変動があります。
 そろそろ、北帰行が近く動きがありそうです。
池をまたぐ大橋の北側にいることもあるので注意して下さい。


2012
2. 20

◎新聞に「宇宙ゴミ清掃計画」という記事が出ていました。ロケットや人工衛星を打ち上げるたびにそれらの破片が宇宙空間に飛び散り、時速何万キロの超高速で漂っているといいます。宇宙ステーションですら、耐えられるのは直径1センチ未満といいます。まさに使用後の処理の仕方が解らぬままスタートした原発と同じで、今頃になって「宇宙ゴミ」を回収する試みを始めるというのですから、びっくりです。
 さて、今回の話題は宇宙ではなく地上のゴミ、要するに「生活のゴミ」の話です。

 『みんなでリサイクル』
先日、印西市松崎台工業団地内にある印西リサイクルセンターと古新聞・古雑誌を古紙パルプにへ再生し板紙を作っている市川市の北越紀州製紙株式会社へ見学に行ってきました。

・印西リサイクルセンターは、段ボール古紙・新聞・雑誌古紙の受け入れと、ペットボトル・プラスチックゴミを扱っており、異物や汚れたものの取り除き、仕分け、圧縮などの作業を行うゴミリサイクルの中間処理施設です。センター職員の案内で施設内を見学させていただきました。見学した作業は、ベルトで運ばれた山のようなプラスチックゴミを手作業で異物や汚れたものを仕分けるものなどでした。ゴミの中に混じっている金属片や全く洗っていない汚れたパック、中身が入ったままの調味料のチューブなどを取り除くものでした。これらの作業は、夏場など臭いがきつく大変な作業だと思われました。黙々と作業している方々に頭が下がる思いがしました。
・また職員の説明の話の中に、新聞紙をゴミに出す時、雑誌や封筒類などが混入していて困っているとの話がありました。混入物を手作業で一つ一つ取り除いているとのことでした。古紙として出せるのは、新聞紙と一緒に入ってくるチラシ類だけだそうです。私たちも、ちょっと気をつければできることが沢山あるのですね。

・その後、市川市大洲にある古紙パルプ工場に移動し、工場見学とリサイクルの工程などの解説を受けました。(工場の内容は略します)
ずっとバスで移動しましたが、バスの中でゴミを減らす活動をしている団体と温暖化防止の活動をしている団体の方からクイズやイラストを基に分かりやすいゴミ減量作戦についての話を聞きました。
・丸一日かかった行事でしたが、勉強になりました。後は、家で実際にどこまでやれるかこれが課題です。頑張ろうと思います。見学して一番感じたことは、実際に工場やセンターを見学し、生の声を聞くことがごみ減量の意識を高めることにつながると思いました。





   

   


◆容器包装リサイクル法…容器包装物の排出量を減らし、分別収集による容器包装廃棄物の再商品化を促進し、廃棄物全体の減量と有効活用、環境保全を図るために定められた法律。(参考 Yahoo辞書)

☆戸神川防災調整池白鳥情報…相変わらず11羽です。ただ、昼間数が減ったりしているようですので、やはりそろそろ北帰行の用意でしょうか。さて2月いっぱい見られるでしょうか?
 (参考 昨年は、3月6日が北帰行)

●パネル展「北総の自然アルバム」…千葉ニュータウン中央駅で2月27日までです。お時間がございましたら見て下さい。(ガラスケース内の白鳥パネル展の「今日の白鳥数」の情報提供は、戸神池白鳥見守り隊のUさんです)

2012
2. 27

◎2月の第一回目の散策会はお天気に恵まれました。東武野田線運河駅前に集合した後、利根川と江戸川をつないだ明治期の主要水路「利根運河」を散策しました。
 数年前と比べると野鳥の種も数も減っていましたが、それでもクイナやトモエガモ、カシラダカなどが見られ参加者は満足なされておりました。

・利根運河は通水120年記念事業を一昨年に行い、記念事業の一環として小説「えんぴつ心中」窪田寅雄著を発刊したのです。本小説は、副題「利根運河開さく史異聞」のとおり、運河開削にまつわる話を地元に住む少年と運河会社を設立した広瀬誠一郎(実名)の関わりと裏話を取り上げたものです。
 少年の名は安藤清太郎、茨城中学校受験にまつわる話の中で安藤少年が運河の案を出し、広瀬に夢を委託するという物語でした。
 少年と酌婦の少女との悲話もある話でしたが、物語全般としては、開削中心人物広瀬と当時の茨城県令人見寧(実名)が出ており、開削史異聞としての資料性が随所にあると思いました。
 著者の窪田寅雄は、運河のある西深井に大正3年に生まれ、戦後町会議員になり2年ほどで辞職した後、本小説を書いたのではとのことです。
 この小説は最初、利根運河通水100年記念の後、故窪田寅雄の夫人から出版の依頼があったのですが、発刊はそれから20年後やっと日の目を見たのでした。

・運河沿いにある河川事務所の1階に運河交流館がありました。ここでは、運河の歴史がわかる写真や資料が見られますし、もちろん小説「えんぴつ心中」も置いてあります。一度出かけて下さい。


 交流館を後に江戸川方面に1キロほど歩くと青空を背景に「天晴(あっぱれ)」の大文字が書かれた円柱形のタンクが見えてきます。この辺りは、「万丈みりん」と「天晴みりん」という日本を代表する二大みりん工場があったところでしたが、今は窪田味噌と窪田酒造の工場があるそうです。時間の関係で見学できませんでしたが、酒蔵は見学(要予約)できるそうです。会社名からして、おそらく前述の小説の著者窪田家と関連のある工場だと推測しましたが、真偽のほどは分かりません。
   
 写真は、窪田酒造のお酒「勝鹿(かつしか)」のワンカップの写真。
 たまたま家の近くのスーパーで見つけ、購入しましたがまだ飲んでいません。

◆利根運河…利根川と江戸川を結び、東北からの物資を船で東京へ早く安全に運ぶ目的で、民間資本で開削した運河。明治23(1890)年通水。現在は運河の役目は終了している。

2012
3. 4

◎渡辺謙主演の映画「はやぶさ 遥かなる帰還」を見てきました。
 2003年5月に打ち上げてから7年を超え、奇跡的に帰還した小惑星探査機はやぶさをドキュメント風にとらえた作品で、一見の価値はありました。また、映画のバックに流れる音楽は、盲目のピアニスト辻井伸行によるもので、映像を盛り上げる音楽が素晴らしかったです。

 『六面石憧(ろくめんせきどう)六地蔵』
◎本HPで何度も紹介しています印西市の里山にある奈良時代初期創建されたと伝えられている真言宗の古刹「結縁寺(けちえんじ)」に行ってきました。松崎工業団地の端に作られている小さな公園に集合し、斜面林に作られた急な階段を下りると、そこには冬枯れの谷津田が広がっていました。谷津のへりを流れる小川を覗いたり、田の畔に早くも小さな花をつけているタネツケバナやホトケノザを探しながら歩くと手前に池を配し、赤い屋根の山門を持った古刹結縁寺に到着しました。
 ・寺の境内には秋に沢山銀杏を落とす立派なイチョウの木がありました。ここ結縁寺は、江戸末期に発刊された地誌「利根川図志」に絵図が載ってます。寺や神社、池、御堂、イチョウの大木などの位置は、現在とほとんど同じで、図を基に歩くと時代を遡ったように感じました。
 ・絵図には、山門に進む道の入り口に小さな笠付の石塔が一つ描かれていました。これは六地蔵塔と呼ばれ、笠つきの六角柱の石塔で、側面に6体の地蔵が彫られていました。六道のどこにいても救いの手を差し伸べるという六道救済の地蔵だそうです。六面石憧(せきどう)六地蔵とも呼ばれています。

   


 絵図には1基しか描かれていませんでしたが、実際には左右に2基ありました。この塔も絵図と比べながら観察すると面白いですね。

   
 
 右上の建物が結縁寺。左ななめ下の小さな塔が六地蔵塔

 このほか現青年館前にあるイチョウの木や鎮守の神社の鳥居と本殿、尼さんが入定したと伝えられている入定塚なども絵図と比べながら見学して、結縁寺周辺の時代散歩を楽しみました。
 3月25日、結縁寺コースの散策会がありますので、お時間がございましたらご参加ください。

・又この地区は、治承の乱で自害した源頼政の首塚を中心にした伝承の地でもあります。明日3月5日は啓蟄、虫も這い出し谷津田の水も温み、里山散策の良い時節になります。里山に出かけてみませんか。

結縁寺…晴天山結縁寺の開創は、奈良朝の神亀年間に僧行基が全国歴遊の際、この地の小堂にとまり、天が晴れる時、白蓮が井戸に影現するのを観て、霊地となし、弥陀三尊の像を謹刻し一宇を建立したと伝えられている。(結縁寺由来より)


☆戸神防災調節池白鳥情報…3月4日現在 5羽(成鳥2.幼鳥3)。そろそろ、動きがありそうです。見に行くなら今週いっぱいか? しかし、まだ寒いので北帰行はもう少し後か? 
ちなみに昨年は3月6日が北帰行(推定)。


2012
3. 10

◎3月11日、東日本大震災から早くも1年が経ちます。しかし、復興は遅々として進まず、原発事故の収束の見込みも不透明です。一刻も早く被災地の方々、及び国民が安心できる状態が来ることを祈念いたします。そして震災で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。合掌
 ◆大震災による死者 1万5854人
 ◆行方不明3167人 
 ◆死者行方不明者合計1万9021人
  (警察庁 3/9調べ)
 仮設暮らし26万4391人
 福島県放射能による避難者6万2674人
 津波によるがれき量 約2253万トン

 『リサイクル野菜』
◎菜の花とは、アブラナ又はセイヨウアブラナの別名のほか、アブラナ科アブラナ属の花を指します。
 どちらも食用及び鑑賞・修景用に用いられます。

 春あちこちで菜の花畑が見られますが、最近では菜種用のアブラナの他に種採取用の野菜類(カブやハクサイなど)の菜の花畑も多いといいます。

・先日、リサイクル野菜をテーマに根菜類の水栽培についてTVで放映していました。
 ダイコンやカブ・ニンジンなどの棄てる部分(葉は3センチ位を残す)を水を入れた皿に入れ、窓辺の室内に置くだけでいいのです。
 そのまま数週間経つと葉が伸びてきますので、ハサミで葉を切り取り味噌汁の具にしたり、ビニル袋に塩少量とともに入れ漬物にします。
 皿の水が無くならないように気をつけていれば、何もしなくても無農薬無化学肥料の菜っ葉が味わえます。
 
 まさにリサイクル野菜です。家内は皿にクッキングシートを敷いて水を入れていますが、この方法も具合が良さそうです。
 また、窓辺に置いたプランター(土栽培)で三つ葉や、パセリを育てておけば薬味などに使え便利です。

・菜の花を読んだ俳句
  「菜の花や月は東に日は西に」 与謝蕪村
 (蕪村が神戸六甲山脈の摩耶山を訪れた際に詠んだ句)


  ※写真下:文中のリサイクル野菜(カブ)
   

      


菜の花…アブラナやセイヨウアブラナのつぼみの付いた若芽は食用に利用されます。また、観賞用としてもたくさん栽培されていますし、丈夫で河原や荒れた土地にも繁茂するため、河川敷や堤防、空き地に撒くことも多いようです。

☆戸神防災調節池白鳥情報…3/9現在幼鳥が1羽です。他の白鳥は3月4日に確認した以降は見られません。もうしばらく変化を注意して観察したいと思います。(いつものUさん情報による)

2012
3. 18

◎先日、雨の中散策をしました。
 10時新京成の滝不動駅集合、予報は100パーセント雨。が、家の窓から見える駐車場の水溜りを見る限り雨はまだ落ちていないようでしたので、まあ行ってみようと出かけました。
 私と同じような思いを持った人がすでにお二人待っており、すでに降り出した雨の中を金杉の森方面に3人で歩き出しました。途中、お滝不動尊境内にある海老川の源流の一つである湧水ポイントに寄りました。石造りの龍の口から水が噴き出していました。
 その後、迷路のような住宅街の中の道を通り、金杉の森に行きました。雨の為、足元が悪い場所がありましたが、緑地の木々の緑はみずみずしく、空気もさわやかで気分は悪くありません。途中、幻の昭和放水路の杭や、何やらいわれのありそうな枕木なども観察しながら歩きました。谷津ではアカガエルの卵塊も発見、2時間弱の時間でしたが楽しい観察でした。雨の日も捨てたものじゃないようです。案内のiさんありがとうございました。

 『鳥の聞きなし』
◎金杉の森で、ウグイスの不完全な囀り(さえずり)が聞こえました。一緒に歩いたHさんの話ではまだ「囀り」と呼べない鳴き声ということでしたが、もう春がやってきている証拠です。
   
※庭の梅に来る黄緑色の小鳥はしばしばウグイスに間違えられますが、メジロです。ウグイスは褐色の目立たない小鳥です。


・今回は鳥たちの鳴き声について少し紹介します。これから鳥たちも結婚の時節となりますので、きれいな鳴き声が木々の梢などから聞こえてきますので、参考になれば幸いです。
 鳥の声を聞き分ける際に便利なのが「聞きなし」です。
聞きなしとは、鳥の声を分かりやすい言葉や語句に置き換えて表現したものです。例えば、上述のウグイスの聞きなし「ホーホケキョ。法、法華経」が代表的なものです。
・このほかにも聞きなしはたくさんあります。代表的なものを挙げておきますので参考にして下さい。
 ★ ウグイス→法、法華経。
 ★ ホオジロ→一筆啓上(いっぴつけいじょう)つかまつり候(そうろう)。又は、札幌(さっぽろ)ラーメン 味噌(みそ)ラーメン。
 ★ ツバメ→虫食(むしく)って土食(つちく)って口(くち)しぶーい。
 ★ コジュケイ→ちょと来(こ)い ちょっと来(こ)い。
 ★ ホトトギス→特許許可局(とっきょきゃかきょく)。又は、てっぺんかけたか。
 ★ フクロウ→ぼろ着(き)て奉公(ほうこう)。
 ★ キジバト→鉄砲(てっぽう)鉄砲(てっぽう)。
 ★ メジロ→長兵衛忠兵衛長忠兵衛(ちょうべいちゅうべいちちょうちゅうべい)。又は、チルチルミチル。
 ★ センダイムシクイ→焼酎(しょうちゅう)一杯(いっぱい)ぐいー。
 ★ サンコウチョウ→月日星(つきひほし)ホイホイホイ。

まだこのほかにもあります。関心のある方は、インターネットなどで調べて見て下さい。

◆(文中の)幻の昭和放水路…正式名称は「利根川放水路」といい、利根川の治水を主目的にして、洪水時に利根川の水を東京湾に放流するものである。戦時下の昭和14年に一部着工、19年位中止になりました。水路計画地に内務省の立てたコンクリート製の測量標(杭)が残っている。

☆戸神川防災調節池白鳥情報…まだオオハクチョウの幼鳥が一羽残っています。他の白鳥達は北帰行したといえます。


2012
3. 26

◎大相撲春場所が終了しました。関脇鶴竜の優勝がとりざたされていましたが、終わってみれば貫録の差で横綱白鳳の場所でした。また、本たよりで何度か取り上げています船橋大神宮子供相撲出身の若荒雄は7勝8敗でした。毎度のことですが前半はごろ負け、後半で何とか帳尻をつけるのが、癖になっているのでしょうか。これでは、フアンが増えませんね。

『塔鳩・堂鳩・土鳩』
◎駅付近で鳥見をしている時、10から20羽程度の群れで飛翔する鳥を見ることがしばしばあります。今の時季ですとアトリ科のカワラヒワやムクドリ科のムクドリが考えられます。ただ、もっと大きい鳥ですとおそらく鳩だと思います。
 今日も近くの公園の芝生の上を数羽でエサをついばむ鳩の姿が見られました。
 ・私たちの身近で普通に見られる鳩は、2種類あります。その一つは前述の群れで飛翔する鳩、ドバトです。ドバトはカワラバトの飼養品種で「いへばと」の名で平安時代から知られているということです。
 カワラバトは、愛玩(ペット)用や伝書鳩として長く飼育されていましたが、逃げた個体が野生化し、全国各地でどこにでも見られるようになったのです。
 特にお寺やお堂などに多く見られ塔鳩(とうばと)とか堂鳩(どうばと)と呼ばれるようになったのです。江戸期からは土鳩(どばと)と呼ばれるようになり、現在でもただのハトとか、ドバトと呼ばれています。ベランダに鳩の巣があったと聞くことがありますが、このドバトだと思います。
 もう一つは山鳩(やまばと)の名で呼ばれるキジバトです。
キジバトは日本全土で一年中見られる野生の鳩です。
 背中がキジにちょっと似ているのでキジバトの名がついたと思います。キジバトはドバトと異なり群れることはあまりなく、単独または数羽でいることが多いようです。首の脇にブルーのバーコード模様の羽は美しく、双眼鏡で見る時には首部分に注目するのがポイントです。

・この2種のハトは鳴き声も異なります。キジバトは「デデッポッポー」とのんびりと少し間が抜けたように聞こえます。かなり大きな鳴き声の為、遠くで鳴いていても分かります。ドバトは、まったく違って可愛らしい声で「クック、クック。クック、クック。」と鳴きます。ご年配の方でしたら桜田淳子の「私の青い鳥」の歌のクック クックという歌詞を覚えていると思いますが、このクック、クックがドバトの声にそっくりです。(ただ、ドバトの中には幾分青っぽい個体はありますが、青い鳥には見えませんので歌の鳥は不明です)


☆戸神川防災調節池白鳥情報…3月24日に幼鳥1羽を見たというメールが入った後、情報がありません。


・どちらの鳩にも共通ですが、ピジョンミルクを出します。のう乳(そのうにゅう)ともいい、のう腺からタンパク質と脂肪分の多い液状の乳状の物質を分泌します。ほとんどの野鳥たちは子育て時にはカロリーの高い青虫などの昆虫を与えます。依って虫の多い春から夏が子育ての時期になるのですが、ハトはこのピジョンミルクを出すため昆虫の少ない秋冬にも繁殖ができるのです。

・ハトやスズメ、ムクドリなどごく普通に見られる鳥もいつか急に減ってしまったり、いなくなってしまうこともあるかもしれません。現にスズメの数が激減しているといわれています。
普通のそして特別珍しくない鳥達にも目を向けておくことが大切になってきます。皆さんの周りにハト、スズメ、ムクドリ、そして(これから見られる)ツバメはいますか。

ドバト…どうばと(堂鳩)。寺院・人家などの屋根に巣をつくっている鳩。家鳩。
   

 キジバト…ハトの一種。翼の色は大体雌雉(めすきじ)に似る。主に田園地域に多く、市街地にも現れる。日本・アジアに分布。山鳩。つちくれ鳩とも呼ばれる。(広辞苑より)

   

2012
4. 2

◎4月4日は、「あんぱんの日」だそうです。明治8年の4月4日、明治天皇が水戸邸の下屋敷を訪れる際に木村屋のあんぱんが出されたことからできた記念日です。
 山岡鉄舟から依頼を受けた木村安兵衛は、日本を代表する桜の花の塩漬けを入れた「桜あんぱん」を開発したといいます。花は奈良の吉野山から取り寄せた八重桜でした。千葉ニュータウンでは、今週の後半から桜の花が見ごろとなりそうです。なお、印西市吉高の大桜(ヤマザクラ)の見頃は、4月の中旬です。

 『西洋ナシ型の卵のうは、何?』
◎この数日暖かくなりました。虫たちは温度の上昇を感じるのでしょうか、里山が虫たちでにぎやかになってきました。菜の花ばたけには、生まれたてのみずみずしい羽をしたモンシロチョウ、道端に咲きだした野草の花には、キタテハやアカタテハなどのタテハ蝶の仲間たちが見られます。こちらは越冬から覚めたばかりでまだ動きが鈍そうに思われます。これらの他にもカメムシやテントウムシ、ハムシなどが一斉に活動を開始したようでした。
 ・スロージョギングから戻ってきた家内のコンパクトカメラに、西洋ナシ或いは壺の形にも見える褐色の不思議なものが写っていました。調べてみましたらナガコガネグモ(コガネグモ科)の卵のうでした。卵のうとは、巻貝やイカ・タコ、クモ類が作る卵をまとめて包む袋を言います。柔らかい糸で作られた袋の中にたくさんの卵が入っているのです。卵のうの上面はくぼんで壺の口を形成していますが、その内側には丈夫な膜があり内部は閉ざされています。卵のうの中では、秋のうちに孵化し、そのまま越冬したクモの赤ちゃんたちがいるそうです。これから一回目の脱皮をし、袋から出て分散するといいます。
 ・ナガコガネグモは、人里で見られる普通種のクモで大きく目立つので見たことのある人は多いと思います。クモ合戦で使われる大型のコガネグモに比べると攻撃的ではなく合戦には不向きだそうです。

 ・今月4月27日の里山散策会の折、草深の森周辺で昆虫やクモの観察をする予定です。コガネグモ類の出現はまだですが、ほかの種類のクモは観察できると思います。

▼印西市桜見ごろ情報…北総花の丘公園(2月下旬~4月上旬ソメイヨシノ・ヤマザクラ) 小林牧場(4月上旬 ソメイヨシノ・八重桜 桜祭り 4/7,4/8) 吉高大桜(4月中旬 ヤマザクラ樹齢300年 桜祭り4/14,4/15)



    成体

    
   幼体            卵のう


ナガコガネグモ…草原や林縁の草の間、水田の稲の間などに網を張り、直線状または円形のかくれ帯をつけ中央にとまる。幼生の網のかくれ帯はジグザグの糸が不規則に集まった形。危険を感じると網を激しくゆする。
 (解説参照 「クモ」東海大学出版会)

☆戸神川防災調節池白鳥情報…まだオオハクチョウの幼鳥が一羽残っています。


2012
4. 10

◎「ブルータスおまえもか」ではありませんが、シイタケ・タケノコに次いで、手賀沼のコイとモツゴに新基準を超えるセシウムが出ました。影響がどんどん広がるばかりで心配です。

 『固い(?)話で、すいません』
◎先日東武野田線新船橋駅から塚田駅まで歩いてみました。途中、縄文草創期の住居跡に作られた飛ノ台史跡公園博物館、旧海軍無線塔記念碑などに寄りながら、行田地区、塚田地区を散策しました。なお、塚田の名は、行田新田村と前貝塚村、後貝塚村の3つの集落からなりたっていたことに由来(行田の田と貝塚の塚)するそうです。
 ・無線塔跡にできた行田公園の円形の縁にあたる道路を北に向かい大きな谷津(現在は住宅地)の崖地を超すと日蓮宗の古刹光山行傳寺が見えてきました。村の入り口に位置していたという本寺は応永2(1395)年、日心聖人が開山したといわれています。来る途中にありました塚田小学校の前身である塚田尋常小学校が始まったのがこのお寺です。
 お寺の山門の左手、町会の掲示板の足元近くに草に半分うずもれた石柱が目に入りました。下部が埋まっていて高さは判然としませんがせいぜい50センチ位の石柱です。石柱にかぶさっている草を分けて刻まれている文字を読むと「塚田村道路元標(どうろげんぴょう)」と読めました。
 ・道路元標とは、道路の起点、終点、経過地を表示するためのもの。旧道路法(1919年)により各市町村に1個設置することとされ、そのほとんどは市町村役場の前か主要な道路同士の交差点に設置されたといいます。今では道行く人のほとんどが、この石柱の存在にすら気が付かなくなっていますが、往時はこの塚田地区が重要な交通の拠点地であったと思われます。現行の道路法には、この設置義務等一切なく、過去の忘れられた石柱が憐れでもあります。…固い話。


・写真を撮った後、また大きな窪みに開けた住宅地を横切り、塚田駅方面に向かいました。

   

◆道路元標…道路の起終点を示す工作物。
日本では明治6(1873)年、太政官日誌により各府県ごと「里程(りてい)元標」を設け陸地の道のりの調査を命じている。
大正11(1922)年の内務省令は、材質について石材その他の耐久性のものを使用すること、正面に市町村名を記すことを定めるとともに寸法なども明示していた。

☆戸神川防災調節池白鳥情報…幼鳥が1羽います。羽は随分白くなり大人の羽に変わってきています。
※参考 
 この調節池で初飛来(2005年11月)以降、最も遅くまで留まっていたのは、2009年4月7日オオハクチョウ幼鳥1羽です。


2012
4. 17

◎4月17日は徳川家康の忌日です。先日、「船橋の街並みウオッチング」を行いました。船橋は、幕府のお菜が浦(おさいがうら)として栄え戊辰戦争の時も住民が旧幕軍びいきだったと伝えらています。現在、家康の宿泊した御殿跡には小さな東照宮が立っていましたし、現在も神社の境内で行われる奉納相撲は家康に漁師たちの子らが相撲を見せたことが起源になっているそうです。

 ウオッチングでは、家康や秀忠及び幕末の史跡などをめぐり、午後は希望者で海老川土手のお花見を堪能しました。枝いっぱいに咲く花は申し分ありませんでしたが、川面を流れる花弁が粋でこちらもきれいでした。
ふと気が付くと花弁がいっぱい散った道端に日本在来のタンポポ、カントウタンポポが黄色い花をいくつも咲かせていました。こちらも立派なお花見でした。

 『パンジーやデージーより野の花の方が…』
◎駅前の広い歩道の真ん中にグリーンベルトがあります。
 この1,2年この一部にデージやパンジーなどポットで育てられたお花が植えられるようになりました。
 しかし、道行く人の関心は今一つのようです。それは、パンジーなどはどこにでも見られるからでしょう。
 しかし、それだけではないようでした。それは花を植えていない場所(本来は芝生)に生えてくるシロツメクサやアカツメクサ、ハルノノゲシやタンポポなどの野の花が一斉に咲きだすと親子連れなどがグリーンベルトに入って熱心に花摘みをしたり走り回ったり、カメラを提げた紳士がしきりにシャッターを切ったりする姿が見られます。
 どうもパンジーなどを植えると、必ず「立ち入り禁止」の看板がセットになっているようで、植物と人を隔ててしまうことが関心を薄くする原因の一つのようです。


・先日の晴れた日の午後、このグリーンベルトで花をつけ出したタンポポを観察していましたら、なんと帰化種のタンポポ群の一角に日本在来の種カントウタンポポが4,5株見られました。何か得をした感じで写真をいっぱい撮ってしまいました。この「得した感じ」は、パンジーやデージでは感じられない“野の花こそ”の味わいでしょか。

   
 
・カントウタンポポ…花首の上の部分にある緑の部分(総苞片)が、
       反り返らない。これが、帰化種との見分けのポイント


カントウタンポポ…キク科タンポポ属の多年草で日本に自生。帰化種のセイヨウタンポポやアカミタンポポに圧倒され、近年は都会周辺では少なくなりめったに見られない。総苞片が反り返らない。

タンポポの違いは、こちらのページ をご覧ください。

☆戸神川防災調節池の白鳥情報…まだオオハクチョウの幼鳥が一羽居残っています。



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