-ページ〔59〕-    谷津田だよりのトップに戻る  
2012
4. 23

◎TV画面に臨時ニュースの表示があり、テポドンか。と思ったら「トキのひな誕生」でした。朝刊の一面トップにも大きく載っていました。確かに自然界では1976年以来、36年ぶりのひな誕生。
最近よいニュースが無いので、ちょっとはしゃぐのはしょうがないとは思いますが、これって本当に自然界のことなのでしょうか。絶滅した種に莫大な経費をかけて行う一大事業ですから。これらの陰に隠れて、鳥以外の生物もどんどん絶滅又は絶滅に瀕しているのは確かなことです。
 一つの種を守るのではなく、生物が棲めなくなっている環境を回復していくことが先決と思います。

 『旅鳥やってくる』
◎家内と家内の友達がやっている畑に行ってきました。雑草も昆虫もお友達という農法の畑では、さっそく草たちが元気いっぱいでした。伸びすぎた草を刈りこみ、お隣の畑との境の道の除草をして、一息ついたところで折りたたみ椅子に腰かけていましたら、あちこちから鳥の声が聞こえてきました。

 上空では、ピーチクパーチクと騒がしい声、ヒバリです。脇の藪では、チッ、チッと撥ねるような声、まだ残っているホオジロ科のアオジ。遠くから聞こえる「ケーン」の一声はキジ。ジュクジュクシブーイは、電線に止まっているツバメ。ツーピー、ツーピーのきれいな囀りはシジュウカラ、ポリポリビーンと鳴くのはカワラヒワ。そして聞きなしの王様「ホウホケキョ」のウグイスも登場しました。初夏の鳥たちの勢ぞろいです。

・先日、成田線安食駅から印旛沼の水路長門川に沿って歩きました。途中の水田には、南方からやってきたシラサギ(チュウサギ)がちらほら姿を見せておりました。
 代掻きをするトラクターの追い出す昆虫を狙っているようでした。水田脇の水路からは、嘴の長いタシギが数羽飛び出してきました。上空にはトビが悠々と旋回しています。きっと何か地上にある獲物を狙っているのでしょう。

・ご一緒していたiさんが、双眼鏡を覗き、遠くの水田を指さしながら「シギ・チだ」と声をかけてくれました。
 シギ・チとは、オーストラリアなどの南方とアラスカやシベリアなどの北方を行き来するシギやチドリを指します。
 指をさした水田を凝視すると、しきりに何かをついばむ黒い顔と胸にかけて白いS字模様がくっきりと見えるムクドリ位の鳥が見えました。
 北に行く途中日本に寄ることから「旅鳥」と呼ばれるチドリの一種、ムナグロでした。
 双眼鏡で探していると大きな群れが加わり、全部で5、60羽ほどが見られました。このところ環境変化の大きい日本の地にやってきてくれた小さな体の鳥達に感謝したい思いがしました。




  

        水田で撮影したムナグロ

  
   排水機場前にいたペリカンのカンタ君

・水田を抜け、古めかしい橋を渡ると排水機場に出ました。ここには、ちょっと有名人(鳥)になったモモイロペリカンのカンタ君がいる場所です。探していると近くに寄ってきました。
 時間がなくポーズをつけてはくれませんでしたが、後ろななめ向きの姿を2枚ほど撮影し、沼を後にしました。

◆ムナグロ…チドリ科全長24センチ。夏羽では上面がまだら模様で、下面が黒い。主に旅鳥として全国に渡来し、干潟や農耕地にいる。主に昆虫やミミズなどを食べる。

☆戸神防災調節池白鳥情報…無事北帰行! 4月5日に幼鳥1羽を確認後、姿は見られません。よって、4月18日、すべての個体が帰ったと考えます。
 今季の調整池でのオオハクチョウ観察を終了します。
 ご協力をして頂いた皆様及び関心を持っていただいたすべて皆様ありがとうございました。冬季の飛来を願っています。

2012
4. 28

◎ゴールデンウイークが始まりました。お天気は後半にやや崩れそうですが、まあまあの予想です。皆さん方はどう過ごす予定ですか。

 『下枝刈のお蔭か』
◎森の中にある(いる)ものには、どれも無駄なものはない。という話を以前聞いたことがありました。たとえ枯れてしまった木でもキツツキやシジュウカラなどの巣になったり、貴重な餌場になったり、コケやキノコが生え、倒れても虫たちや微生物により土を作るという役割があるのです。
 また、一本の木が自然あるいは、人の手によって倒れた時も今まで日照不足でほとんど発芽しなかった草本が一斉に芽吹いたりし、新しい命が始まるということはよくあることです。
 このようにして、木や草、虫や鳥達、そして目に見えないような微小な生物達まで、互いに関係を保ちながら森を支えているのです。

・先日、森に行ってきました。するといつもより森の中が明るく感じました。雑木林ですので落葉樹には葉がなく落葉期には明るい森なのですが、それにしても明るすぎなのです。その訳はすぐに分かりました。
 森のあちこちにうず高く積み上げられた伐採された枝の山が見られました。例年にない徹底した下枝刈や弱っていた木などの伐採が行われたようでした。森というより公園の樹林帯のようにきれいに整備されていました。

・低木や蔓性の植物などほぼ皆無で、雑木林の植物の多様なものが見られなくなった感じでした。
 前述した枯れた木などどこにもないようでした。


 ふと気が付くと明るくなった木立のまわりのあちこちに色々な植物が沢山芽吹いたり、小さな花をつけているのに気が付きました。今までと森内の環境が変化し、一斉に芽吹いたのかもしれません。ジュウニヒトエの群生を初めとして色々な草たちが見られました。
 可愛らしいヒトリシズカも咲いていました。吉野勝手明神にまつわる静御前の霊に擬えたフタリシズカ似であることから、名づけられたセンリョウ科のヒトリシズカの白糸のような可憐な花は、いつ見ても魅力的な花でした。森の環境の変化とこれらの植物層の変化の関係に一段と興味をそそられた一日でした。
   

ヒトリシズカ…センリョウ科の多年草。光沢のある葉の間に白い花穂が立つ姿を静御前の舞姿にたとえてこの名がある。漢字では「一人靜」。

☆戸神防災調節池白鳥情報…終了しています。


2012
5. 9

◎こどもの日の5月5日は立夏でした。今年の夏はどうなのでしょう。猛暑にならなければいいのですが。

 『市一番の杉?』
◎今月の浦部谷津の散策会は、例年のコースとは違う逆コースで行うことになりました。

・午前中に寺社を巡り、午後谷津の散策をします。 午前の最後に訪問するお堂は、国の重要文化財に指定されている宝珠院観音堂です。
 この堂は「光堂」とも呼ばれ、方形といわれる正面三間、側面三間の茅葺き寄棟造りの大変シックで趣のあるお堂です。
 このお堂の前に聳えている杉の木が、お堂の建物と対になって荘厳で神秘な空間を醸し出している感じがします。

・この杉は「観音杉」と呼ばれ、市内の杉の中で(調査されている中で)一番の巨木で幹回り575センチメートルあります。
 どっしりとして、ちょっとやそっとの大風にもびくつかない様相がします。

 うっそうとした境内で強い主張をしている大木ですが、根元にアリジゴクや小さな地ぐもなどの生きものを住まわしている優しい面を持つ母親みたいな樹木でもあります。
 梢に小鳥たちが飛び交い、大きな体で数百年にわたりお堂を守ってきた主のようなこの巨木が環境の悪化を防ぐ魔人になってくれるかもしれません。これから先も何百年にもわたりずっとこの地でお堂を見守ってくれることを願いたい限りです。
・この杉の巨木のある宝珠院観音堂には5月13日の散策会の折、立ち寄る予定です。


◇巨木とは…環境省による定義 「地上130㎝の位置で幹周りが300㎝以上の樹木」となっている。椿など、さほど幹回りが太くならない樹種では、別のめやすがあるようです。

   
       「光堂の観音杉」

スギ…スギ科の常緑高木。北海道を北限に、全国の山地に盛んに植林されている。成長も早く日本建築の適材とされる。千葉県では山武杉が有名。

2012
5. 16

◎今日5月16日(旧歴3月27日)は、「旅の日」日本旅ペンクラブが制定。
 松尾芭蕉が奥の細道の旅へ旅立った。
 せわしない現代生活の中で「旅の心」を大切にし、旅のあり方を考え直す日。

 『声も姿も美しい』
◎旅は確かにせわしない生活を癒してくれるものです。5月の連休は高原に旅して(出かけて)きました。
 山の緑はグラデーションのごとく黄緑から深緑まで様々でした。その緑が空の青さにマッチしていました。
道の両サイドの木々たちも新芽を一斉に噴き出していました。ダンコウバイ、コナシ、ガマズミなどと様々な木々が目に優しく、心が休まる気がしました。

・周り中の樹上や草地、空からも小鳥たちの声が響いていました。
高木の梢で囀るのは、ヒガラなどのカラ類。草むらや樹幹を行き来しているのは、大型ツグミ科のアカハラ。
 遠くから響いてくるドラミングは、アカゲラ。時にはアオゲラも登場しました。

・中でも、鳴き声も姿も絶品なのがキビタキでした。黒と黄色にオレンジ色が目立ち、ホイヒーロ、オーシツククなどと変化に富んだ美しい声で囀る愛くるしい丸い黒目の小鳥です。


 キビタキは他の小鳥と違って、幹に突き出る横枝のような目立つところに止まるので誰でも見られる鳥なのです。今年はこのキビタキの個体数が例年より大変多い気がしました。
・森林浴、小鳥の声のシャワー、そして目に優しい緑、やはり「旅」は体にも心にも良さそうでした。

   

キビタキ…ヒタキ科の小鳥。夏鳥として全国に渡来し、山地の広葉樹林帯にすむ。オスは黒と鮮黄色の美しい色彩を持つ。渡りの時期には市街地の公園でも見られることがあるという。全長13.5㎝。
2012
5. 21

◎最年長37歳の旭天鵬の初優勝で湧いた千秋楽の大相撲でしたが、これって6人もいる大関が不甲斐ないということなのかもしれません。
 ちなみに船橋大神宮子ども相撲出身の若荒雄は、今場所はがんばり2ケタ白星の10勝5敗でした。

 『はしゃぎすぎかも。でも感激!』
◎日本で見られるのは25年ぶりという「金環日食」が5月21日の朝見られました。しかし、空は一面の曇。7時過ぎに団地のエントランス付近に陣取り観察開始。
 曇りには違いありませんが、雲が途切れるごとに、大きく欠けた太陽が見られました。

・そして予定の7時35分頃から、ついにリング(金環)になった太陽が見られました。
輪がつながった瞬間が雲間から見えた時は感激しました。
団地のあちこちからも、感激の声が聞こえていました。

確かにはしゃぎすぎとも思える点もありましたが、暗いニュースが目白押しの昨今ですのでほっとする天体ショーに心が安らいだのは確かでした。


 皆さんも見られましたか。ただ、雲に遮られ、円筒にアルミ箔を貼り穴をあけた自作観察グッズや、木漏れ日によるリング観察などでは今一つはっきり見られませんでしたのが残念でした。

   

金環日食…日食で太陽の光が月の回りに環のように見えるもの。月の本影が地球まで届かないときに起る。金環日食と同意。


2012
5. 30

◎この数日大気が不安定な状態が続いています。亀成谷津の散策も午後の予定を省略して行いました。最近天気で苦労することが多い感じがします。

 『支那圍壁(しないへき)』
◎”地区を歩く”の第2弾として習志野地区を歩いてきました。今回の目当ては、午前中に訪問した東邦大学にある薬草園及び薬木園と午後の陸軍の戦跡巡りです。

・薬草園では、案内役の学生さんが一生懸命に薬草の説明をしてくれました。薬草の効能などの解説マニュアルを読むだけの学生さんもいましたが、3人目のガイドの学生さんは大変上手で冗談も入れながら解説をしていただき楽しい時間を過ごすことができました。

・学生食堂で食事をとった後、大久保から実籾近辺を歩き戦跡を探しました。
 最初に訪れたのは、通称「ならしのの森」と呼ばれるこんもりとした森です。ここは、旧陸軍習志野学校があった場所で、往時の建物の土台などがまだそのまま残っていたりして、ちょっと時代をタイムスリップする感じがしました。
 森から少し北へ歩くと門柱が一本と歩哨の建屋などがまだ現存していました。この建屋を撮影した後、実籾方面に数キロ歩き、もう一つの見どころである「支那圍壁」に到着しました。

・支那圍壁とは、陸軍の演習場である習志野原の中に築かれた中国の家屋を模して作った砲台のミニチュアだといいます。射撃練習の標的として活用されたというこの圍壁は、分厚い堅牢なコンクリート製の建物で壁一面に弾痕が見られ、演習の激しさを彷彿させるものでした。市の指定文化財になっているのですが、この建造物は民家の一部で現在なお、小屋として活用されていました。この建物は「満州小屋」と呼ばれていたということでした。10キロを超す散策でしたが、飽きることなく歩くことができました。



   

   

旧陸軍習志野学校…習志野学校は騎兵第16連隊の移転後の施設を利用してつくられた。 その後、実験講堂や化学兵器格納庫、ガス訓練室などがつくられていった。
 戦後、これらの施設は警察署、学校、住宅などに転用されたが、中心施設のあった場所は、千葉大学の腐敗研究所となった。現在は樹木が生い茂る空き地になっている。


2012
6. 4

◎先日、木下駅南口商店街で月に一度行われています骨董市を覗いてきました。
 午後3時半終了の間際でしたので、ほとんどの露店が店じまいをしていました。それでも数軒の店をひやかして楽しめました。最後に古書や書簡などを売っている露店を覗きました。ダンボール箱に何やら古い冊子や手紙類、中には○○町××選挙人名簿などという代物もありました。
 帰りがけに三つ折りの汽車時刻表(大きさは名刺大ほど)が目につきました。大正14年千葉県下「汽車時刻表」と書いてあり、総武本線、北條線(現内房線)、房総線(現外房線)、成田線の時刻が表示してありました。
 300円のところを100円におまけしてもらい購入しました。これって、何かに役立つのかなあ?・・・。

 『江戸川放水路0キロメートル』
◎妙典公園下の江戸川泥干潟での生き物観察が終了したので、少し川土手を歩くことにしました。
 初めは江戸川の上流部に行こうと考えましたが、対岸(左岸)の様子を見ることにし、東京メトロの鉄橋から南に2キロほど川土手を歩き、湾岸道路の端の歩道を渡り対岸に出ました。
 スパ(温泉)の駐車場を通らせていただき川土手に出て、1キロ近く歩くと船溜まりに着きました。

・船溜まりの手前の護岸に木目調の石柱が立っていました。石柱には「江戸川放水路0キロメートル」と書いてありました。
 この先には、まだ工場群が続いておりますが、本日の歩きは江戸川の流路の終点地区を訪れたことで終了とし、一休みしてから原木中山駅に向かい帰路につきました。


・暑い日差しが背中にあたり、びっしょりと汗をかいてしまいました。川面には、チュウシャクシギが数羽飛翔していました。空にはなんと入道雲、夏空の様でした。

   

江戸川…関東地方を流れる一級河川。市川市付近で本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。現在の江戸川の最下流部は、放水路として建設され、行徳可動堰を通り、東京湾に注ぐ。
 この区間の名称が江戸川放水路から江戸川になったものの、依然江戸川放水路の呼び名が使われることが多い。(フリー百科事典ウィキペディアより)
2012
6. 12

◎どじょう首相、福井県知事の要求を丸呑みして再稼働会見、国の将来を左右しかねない事態!どうなっていることやら。

 『印西市環境フェスタ』
◎6月9日の土曜日、印西市環境フェスタが中央駅圏内の大手スーパーの広場で行われました。
 9時からの準備で開始は11時。天気予報は午前から午後まで雨マークでしたが、テントがあるので、決行しました。会場は中央の大テントのイベント広場を中心に、10張りほど小テントが並びました。

・私たちは、今年も紙芝居屋さんに専念しました。11時から1時間おきで都合4回公演しました。1回の公演で紙芝居を3作品、4回で12作品を行いました。内容は虫、環境、物語の紙芝居の3作をセットにしました。お客は今年もやはり、4、5歳から小学校中学年頃までの子どもとその保護者が中心でした。でも中には買い物途中の老夫婦の姿もありました。
 小雨が降っていて、公演は、屋根のある通路の下と、大テントの中で行いました。雨模様なので最初のころは人がまばらにしかいませんでしたが、それでも一回当たり20から30人位は集まってくれました。
 午後の最終公演時にはかなり激しく雨が降り出し、屋根の下で行っていたのにもかかわらず、雨が降りこみお客が減ってしまったというハプニングもありましたが、おおむね盛況のうちに終了できました。お手伝いして頂いた方や、公演を支えていただいた方々に御礼を申し上げます。ありがとうございました。

・フェスタの終わりのころ、印西市のキャラクター「いんザイ君」のぬいぐるみの初披露がありました。このキャラクターは印西の市名にちなんだ印(鑑)をもったサイ君の姿です。子供たちが「いんザイ君」を取り囲んでいました。



   
    印西市環境フェスタ会場で「紙芝居」

   
    印西市のキャラクター”いんザイ君”
   
◆印西市環境フェスタ…エコエコ大作戦をテーマに市民一人一人の環境保全に対する意識を高めるために実施。

2012
6. 21

◎「想定外の津波」を強調し、自己弁護に終始した東電の原発事故の最終報告書を提出されたという。いまだに被災し自宅に戻れない人たちの気持ちを思うと憤りを感じます。

『小さな子たちの指の爪の大きさにも満たないカエルの子がいっぱい』
◎凄まじい風の台風5号は過ぎましたが、依然としてあやしい天候が続いています。今日もやや不安定な天気という予報でしたが、子育て支援センターのお散歩の支援に出かけました。 市内を巡るふれあいバスに乗り、ふれあいの里に到着しました。 まず、水田の中央を流れる小川と対岸の斜面林に行き、生き物を数種類採取しました。後で子供たちに見せる材料となります。
 ・準備が終わり、ふれあいの里に戻ると、すでに10数組のお母さんと子どもたちが集まっていました。最初のあいさつをして、いよいよお散歩出発です。3、4歳くらいの子が多いようで、中にはお母さんの背中におんぶされて参加の子もありました。
 ・小川では、スタッフがすくい上げた網の中に皆の目が集中していました。ザリガニ、メダカ(実は、カダヤシ)、ヤゴやアメンボに大喜びでした。お母さん方も夢中になっていました。事前採取の生きものと合わせながらたっぷりと観察をしました。一人として飽きてしまった子はなくスタッフも満足でした。 ・途中、タンポポの綿毛を飛ばしたり、チョウやトンボを見たりしながら斜面林に到着しました。ここではテントウムシやバッタなど主に昆虫の観察です。虫さがしをしていると、「カエルがいっぱい」‥という声。木や草の葉に小さな1センチにも満たない子ガエルがいっぱいいました。葉っぱと同じ色をしていてよく見ないと分からないのですが、目が慣れてくるとあちらにも、こちらにもいっぱいいました。おそらくオタマジャクシからカエルになってほんの数日だと思います。ちいさな体ですがこれから自分で餌をとり、生きていくのですね。カエルさんに負けずにみんなも元気に頑張ろうねというと、小さい子たちは頷いてくれました。


 今日見られたカエルは、ニホンアマガエルとニホンアカガエルでした。
 そのあと、森の手前にある池に行き、帰り道に採取した川の生きものをリリースして、1時間弱のお散歩を終了しました。
 最後までベビーカーにも乗らず、みんな歩きとおしてくれました。

   

   アマガエルの子どもの写真
  ※写真のカエルは、文中の葉にくっついていたもの
   より大きく、人間でいうと小学生から中学生という
   ところです。

ニホンアマガエル…アマガエル科、体長2から4センチくらいのカエル。
 指には吸盤があり、ガラスや木にも登る。
 皮膚から毒性物質を分泌するので、触ったら手を洗う、目をこすらないなどの注意が必要。

2012
6. 25

◎早春に利根川土手を歩くと、猛禽のタカ「ミサゴ」が水面で魚を捕ったり川岸の杭の上で餌をついばんでいる姿を見ることがあります。
 頭部が白くてスマートな姿が素敵でバードウォチャーに人気のタカです。
今、米軍の飛行機の事故が話題になっています。その話題の飛行機は、垂直離着陸機「オスプレイ」です。
 沖縄普天間基地に配備が計画されている輸送機の名前オスプレイは、前述のタカ「ミサゴ」の英名です。空中に静止するホバリングするミサゴの姿からつけた名でしょう。米軍は事故は設計ミスではなく単純な人為ミスによると発表していますが、気品のあるタカ「オスプレイ」の名に恥じぬようとことん調べて欲しいですね。

 『キョンシー、それとも羽織を着た小僧さんか?』
◎谷津田の両サイドには、斜面林に沿って農道が続いています。場所によっては車が入っておらず、草が茂った場所もあります。
 その草を踏み倒しながら少し歩くと整備された道に出ました。斜面林の際には、先端を尖らしたシソの葉似の草がいっぱい茂っていました。
クサマオ(草苧麻)の別称のあるカラムシの外来種版、ナンバンカラムシです。

・この葉は、アカタテハの食草であることが知られていますが、ほかにも薄青色と黒色にきれいに色分けされたカミキリムシの食草でもあります。
 ビロードのような質感のある中国伝来のカミキリムシ「ラミーカミキリ」です。
 少し探すとすぐに見つかりました。葉の表や裏にちょこんと止まっていました。あちらにもこちらにもという感じでした。


 この虫は見方によって、ジャイアントパンダ似だとか、僧のかぶる帽子つけた小僧さんとかに見えます。私は中国のお化け「キョンシ―」に似ている気がしますが、皆さんにはどう見えるでしょう。成虫は5月から6月に発生し、イラクサ科のカラムシやヤブマオなどを食べます。捕えようとすると擬死し地表に落ちてしまいます。カラムシの根本は雑草が覆っていたり、木の葉が溜まっていて見つけることは難しいようです。これも昆虫の生きる術(すべ)ですね。

   
   
葉の上には交尾中のラミーカミキリが見つかりました。
    大きいのがメス、小さいのがオスです。


ラミーカミキリ…カミキリムシ科に分類される甲虫の一種。初夏にカラムシなどに集まる小型のカミキリムシで、日本のものは幕末から明治にかけて輸入されたラミーという植物について侵入した外来種という。温暖化により北上しており、今では千葉県の北西部でも普通に見られる。ラミーの繊維は衣服に利用した。


前に戻る     次へ進む