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にんにく卵黄粉 その歴史 ニンニクは古来より広く愛用されてきました。ピラミッド建造の際、給料としてニンニクが現物支給されていたのは あまりにも有名なお話です。中央アジア・キルギス地方の山岳地帯に端を発するニンニクは、遊牧民によって 各地へ運ばれ世界中に広まりました。インドの古典的医学書「アーユルヴェーダ」や、中国の「本草網目」のも 有効性が記載されたり、古代ローマ人が各地の遠征に携行し、遠征先でも栽培していたという話は、ニンニクが広く 世界規模で愛用されていた事を示しています。 しかし、そんなニンニクも、文明の発達の中で、その美味しさや有効性よりも、食後の臭味の方が意識されるようになり 、次第に「悪臭を伴う食材」というイメージが定着しました。臭味の素は、今日でよく知られた「アリシン」という成分 ですが、現在でもアリシンから臭いを取り除く事が不可能と考えられています。その為、ニンニクに臭いはつき物だと 考えられ、ニンニクンの利用法は単純なものばかりとなったのです。 にんにく卵黄粉 最初の進化 日本にニンニクが伝えられたのは紀元前のこと。中国大陸より伝えられ広く食されていましたが、日本人は特に匂いに敏感で ある事や、ニンニクを愛用する事が仏教において禁忌とされていたため、急速にニンニクは姿を消しました。ただ、一部地域 、日本の南端薩摩(鹿児島)には、ニンニク食が残されましたが、強烈な臭いは時として差別の対象となり、ニンニクの新たな 利用法が求められていました。 アリシンとタンパク質を結合させると、特有の強烈な刺激と臭いが封じ込められます。そこで、ニンニクを食した後に牛乳を飲んだりするのですが、 薩摩ではそれを更に進化させ、ニンニクと卵黄を練り合わて炒り上げました。共に滋養に優れた食品であるニンニク・卵黄両食材を合わせる 事で、より優れた滋養食を得ようとした事が、結果的に刺激と臭味を封じこめ、保存性を高めた「にんにく卵黄」の成立につながったのです。 ニンニクの歴史上、ニンニクそのものの有効性を損なうことなく、刺激と臭味を封じ込めるという極めて稀な愛用法の成立は、積み重ねられた 経験の中から生じた進化でした。 にんにく卵黄粉 第二の進化 生活の近代化に伴い、伝統的な民間療法の多くは姿を消しつつあります。「にんにく卵黄」も同様に、古めかしい手間暇のかかる民間療法として 忘れ去られつつありました。「にんにく卵黄を世に広めたい」そう思ったとき最初に考えたことが、いかに現代の生活スタイルの溶け込ませる かという事でした。カプセルに詰めることで、飲みやすく、携帯に便利にする。製品にするにあたっての最初の取り組みは、負担なく健康管理に 役立てられる様に簡便化する事でした。飲みやすさを第一に考えたソフトカプセルは、その後の「にんにく卵黄」製品を形作るものとなり、瞬く間に 多くの方々の御支持をいただく事となりました。飲みやすく、携帯に便利なソフトカプセル。しかし、その便利さの裏には、意外な欠点がありました。 ソフトカプセルは、構造上、粉末の「にんにく卵黄」を一旦流動化しなければならず、カプセルの中には30%程度しか「にんにく卵黄」を詰める事が できなかったのです。そこで、更に技術革新を行い、限界とされていた30%を大きく超えた、他の例にない50%の充填を実現したのです。 にんにく卵黄粉 第三の進化 それから、5年後多岐にわたる様々な研究開発を続行。構造上50%の充填率が限界だったソフトカプセルを、より進化させるために、ハードカプセル を開発!昔ながらの姿を大切にしていた「にんにく卵黄」粉末製品も、使いやすさを向上させた「顆粒」化に成功しました。伝えられた郷土の技を大切 に守りながら、最初の研究と技術開発を融和させ、「にんにく卵黄」の世界は、今も弛まぬ進化を続けています。 |
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