バレンタインSS2007

『土方歳江のチョコ日記』


 2月。それはチョコレートの季節である。畑ではチョコレートがみのり、海ではチョコレートがれ・・・。

「そうか? チョコレートは鉱山でれる物だとばかり思っていたが・・・」
 惜しい。それは石炭である。確かに見た目や成分は似ているが石炭は食べられない。
 ともかく2月がチョコレートの季節というのは間違いない。そこかしこでバレンタインの赤いのぼりがはためき、ハートの形の風船が空を漂っている。店先の床几ワゴンにも店内にも様々なチョコレートが並んでいる。今、京の繁華街ではバレンタインセールの真っ最中だ。

「ふむ、バレンタインか・・・」
 そう土方がつぶやいた時だった。一件の店の中からいきなり声を掛けられた。
「あ〜、歳江ちゃん! 歳江ちゃんもバレンタインチョコを買いに来たの?」
 陽光にきらめく金髪に、冬なのに露出度の高い衣装(ある意味、根性が入ってると土方も思う)、新選組局長のカモミール・芹沢だ。
「トシさんが? 珍しいなあ」 芹沢と同行していたらしい永倉アラタも店から顔を出す。
「トシさん?」 同じく同行してたらしい原田沙乃も聞き返す。
「永倉と原田か。珍しい組み合わせだな」
「沙乃たちは芹沢さんの護衛よ」 
「そう」 と答える2人だが、どう見ても一緒に買い物に来たようにしか見えない。
「島田は一緒じゃないのか?」
「やだなあ、歳江ちゃん。バレンタインチョコを買いに来るのに島田クンを連れて来るわけないじゃん☆」
「なるほど、それは確かに・・・」 でも、それだと密偵の意味が全くない。
「待て! 永倉と原田も島田狙いなのか?」 ちょっと狼狽ろうばいする土方。
「まさかあ。アタイは自分用を買いに来たんだ。ほら」
 そう言って永倉が取り出したのは、実物大のサッカーボール(を模したチョコレートなのだろう)だ。
「こーゆーのはバレンタインの時しか買えないからなあ」
「沙乃は義理チョコを買いに来たのよ」 沙乃は小さな包みをいくつも買っている。
「アタシのはこれ〜」
 そう言って芹沢が取り出したのは・・・畳?
「特注の超巨大板チョコよ」
 パッケージまで大きく引き伸ばして印刷された畳サイズの板チョコだ。
「・・・・」 絶句する土方。いくら何でも大きすぎるのでは・・・。
「島田クンは甘党だから、これぐらいないとねえ」
「芹沢さんは自分でチョコは作らないのか?」
「だって面倒じゃん。それにアタシが作るよりも買って来た方が絶対おいしいに決まってるわ!」
 力説する芹沢。でもそれはあまり自慢にならない。
「ふむ・・・」
“芹沢さんは市販のチョコレートか。差をつけるなら今がチャンスだな”
 クルリと反転して、もと来た道を引き返す土方。
「あれ? 歳江ちゃんはチョコを買わないの?」
「用事を思い出した」
 土方はスタスタとその場を去る。

「歳江ちゃん、何しに来たんだろ? てっきり島田クンにあげるチョコレートを買いに来たと思ったのに」 小首をかしげる芹沢。
「さあ?」 永倉と沙乃も一緒に小首をかしげた。




 芹沢に差をつける為に、手作りのチョコレートを作る事にした土方。だが・・・
「チョコレートの作り方が分からん」
 いきなり難題に直面していた。
 厨房に入ったものの、チョコレートをどうやって作るのか、何から作るのか全く分からないのだ。

「ふふふふ〜ん、ふふふふふ〜ん♪」
 鼻歌を歌いながら藤堂たいらが勝手口から厨房に入って来た。買い物カゴをげてる所をみると、夕飯の材料を買いに行ってたのだろう。彼女は新選組の実戦部隊兼調理担当だ。
「藤堂!」
「うわ! 何でトシさんが厨房に居るの? 居るのかな?」
 急に声を掛けられたので驚く藤堂。だが相手が土方だと分かった時点で抜いた刀を鞘に収めた。厨房は彼女のホームグラウンドなので油断していた。誰かがいるとは思ってなかったのだ。だが、驚いた瞬間に刀を抜いて臨戦態勢に入ったのは、さすが新選組隊士というべきか。訓練の賜物たまものだ。
「藤堂、チョコレートの作り方を教えてくれないか?」
「チョコレートを?」
「うむ、バレンタインだからな」
「別にいいけど、簡単だよ」
「ほう?」
「チョコレートを買って来て、溶かして型に流すだけだから」
「・・・それは『作る』と言わないんじゃないか?」
 土方は眉間にシワを寄せて考えた。それだと市販のチョコを買って来た芹沢と何ら変わらないような気がする。特に味の面で。
「あ、ひょっとして豆から作るの?」
「チョコレートとは、豆から作るものだったのか?」
「そうだよ」
「よし、分かった! 買って来る!」 言うなり厨房を飛び出す土方。
「・・・・カカオ豆って知ってるのかな?」
 チョコレートの作り方を知らなかったぐらいだから、チョコレートの原料がカカオ豆と知らない可能性が高い。でも、まだバレンタインまでは日があるから大丈夫だろう。と、そう判断した藤堂は、後を追わずに夕食の支度したくに入った。



「買って来たぞ!」 藤堂が夕飯の準備をしていると、突然、土方が戻って来た。
「おい」 土方の指示で、俵をかついでた平隊士が、厨房の土間に俵を一俵下ろす。そして2人に一礼して去って行った。おそらく荷物持ちとして土方について行ってたのだろう。
 藤堂は俵を開けてみた。
「・・・小豆あずき?」
「豆というからには、色からして小豆だろうと思ってな」
 得意そうな土方の表情を見る限り、どうやら冗談ではないらしい。
「・・・・」
「ひょっとして大豆だいずだったのか? もしかしてえんどう・・・か?」 声からだんだん自信がなくなっていく。
(※『えんどう』は漢字で『豌豆』と書くので、エンドウ豆だと『豌豆豆』となり、実は日本語として正しくない)
「トシさん、チョコレートはカカオ豆から作るんだよ」
「か、カカオ豆?」
「うん」
「そ、それは珈琲コーヒーみたいな西洋豆の事か?」
「うん」
「・・・京で手に入るのか?」
「唐物屋さん(※輸入商)にならあると思うけど」
「そうか・・・明日、また買って来よう」
「この小豆はどうするの?」
「赤飯でも炊いてくれ」
 気勢をがれたらしい土方はふらふらと自室へと戻って行く。



 その日の夕飯。土方の命令通り赤飯が出された。ちなみに小豆あずきは一俵もあるので、明日も明後日も赤飯の予定である。おやつは当分の間、白玉ぜんざいだ。

「何かあったのかな?」 俺の隣で斎藤が首をかしげた。もちろん突然出された赤飯についてである。
「・・・・そうか!」
「島田、何か、心当たりがあるの?」
「昼間、カモちゃんさんから、女の子の買い物に行くからついて来るなって言われたんだけど、そういう事だったのか!」
「女の子の買い物?」
「今日のカモちゃんさんの護衛は永倉と沙乃だったんだが、そうかあ、そういう事かあ」
 一人で納得する俺。
「さっぱり分からないよ、島田」
「沙乃もついに大人の仲間入りというわけだな」
「はあ? 島田、あんた何を言ってるのよ?」
 突然話を振られた沙乃は、俺の方を見てあきれ顔をする。
「沙乃にもナプキンが必要になったから、カモちゃんさん達と買いに行ったんだろ」
「馬鹿ーーー!!!」
「ぐはぁっ!!」 俺は沙乃から吹っ飛ばされた。
「馬鹿な事を言ってると殴るわよ!」
「殴ってから言うな!」
「あ、原田さんに初潮が・・・」 気付いたらしい斎藤が言いかけたが、
「馬鹿ーーー!!!」
「ぐはあっ!」 俺と同様に沙乃から殴られる。
「あんたたち、沙乃のこといくつだと思ってるのよ!」
「ち、違ったのか? じゃあ、ひょっとすると童顔のそーじか?」
 チャキッ。そーじが無言で菊一文字きくいちもんじの鯉口を切った。
「ちょ、ちょっと待て! めでたい事だから赤飯なんだろ? そこまで怒らなくてもいいじゃないか」
「あんたにはデリカシーってもんが欠けてるのよ!」
 沙乃は両手をぐーにして殴る態勢にある。
「じゃあ誰に初花はつはなが来たんだ?」
 ストレートに“初潮”とか言うと、また沙乃からぶっ飛ばされそうなので、風雅に言い換えてみる。沙乃以外に該当者がいるとは思えないが。
「あのー、このお赤飯は、トシさんから炊くように頼まれたんだけど・・・」
 とおずおずと言い出すへー。
“土方さんが? ・・・・まだだったのだろうか?”
「歳江ちゃんが!?」 俺が口を開くよりも早くカモちゃんさんの方が反応する。「まさか、おめでた!?」
“そっちか!”
「ええっ!」 皆が一斉に土方さんのおなかを注視する。
「島田クン・・・」 何だろう、カモちゃんさんが怒ってるぞ。
「はい?」
「・・・島田クンの子なのね!!! この浮気者!」
 バシッ、バシッ、バシッ、バシッ。
 カモちゃんさんが俺の襟首を掴み上げ、往復ビンタ食らわせる。
「そ、そんな馬鹿な!」 と俺。はっきり言って身に覚えがない。
「きぃ〜、くやしい〜」
「お、俺じゃないですってば!」

「トシちゃん、本当なの!?」
「ちょっと小豆あずきを買い過ぎてしまってな。当分の間、赤飯だからな」
「あたしの梅干しも食べる?」
「だから子供ができたわけではない」
 チョコレートの材料として、間違って小豆あずきを買って来たとは言い出しづらいので、そっけなく答える土方。向こうの方では、芹沢が島田を揺さぶっている。まさか赤飯からこういう展開になるとは思ってもみなかったが、島田にはいい薬だろう。
 と、土方は思ったのだが、島田が芹沢から殴られるのを見るに見かねて、藤堂が真相を話してしまった為、土方は赤面したまま、黙々と夕飯を食べる羽目になったのだった。



 翌日。
 土方は朝からカカオ豆を買いに出掛け、戻ってからはチョコレート作りに没頭した。何分なにぶん、料理というものに慣れていない為、作業は難航を極めた。で、どうにかチョコレートらしき物が出来たのが夕方である。この間、土方はチョコレート作りの方に専念していた為、局内は軽い混乱状態におちいった。
 新選組の組織は、近藤・芹沢の2人の局長をトップに、土方・山南の2人の副長、実戦部隊の平隊士を束ねる副長助勤、土方直属の監察方、勘定方などの内勤で構成される。実戦部隊を指揮する副長助勤は『副長助勤』の名の通り、副長の補佐役である。局長が副長を通り越して副長助勤や隊士に直接命令することはないし、隊士からの報告は副長を通して局長に届く。つまり組織のかなめの位置にあるのが『副長』なのだ。
 その副長2人を試衛館派の土方と山南で固めたのは、カモミール芹沢の勢力をぐ為の土方の策だった。つまり新選組は、実質、『副長』が動かす組織なのだ。しかも同じ副長とは言っても、情報部に相当する監察方は土方直属である為、山南の影は薄く、新選組は土方歳江が動かしていると言っても過言ではない。
 土方に実力があるからこそ出来る事ではあるのだが、土方の組織を運営する力は近藤や芹沢も認めており、土方に任せっぱなしという一面もある。
 その土方が隊務をほっぱらかして厨房でチョコレート作りに専念しているのである。当然、局の任務に支障が生じていた。

「トシさん、巡回の報告があるんだけど・・・」 沙乃が厨房の入口から顔をのぞかせる。報告は副長に行うからだ。
「山南がいるだろう、山南が!」 と土方は顔を上げもしない。

「トシちゃん、来月の予算配分はどうしようか?」 と近藤がやって来ても、
「勘定方の河合と相談して決めてくれ」
「でも〜」 これまでは土方が決めて、近藤はハンコを押すだけだったのだ。いきなりできるものではない。
「山南に命じて、山南にやらせてくれ。学者肌だから、私よりうまくやるだろう」

 結果、これまで土方が一手にになって来た仕事の全てが副長 山南敬助の元に一気に舞い込み、山南がてんてこ舞いになったのだった。

 土方には土方なりの理由があった。芹沢の動き、特に会津公から直接発せられる密命のたぐいには注意しなければならない。その鍵を握るのが島田だ。密偵とはいえ、奴がそのまま芹沢に転んでしまっては意味がない。島田を密偵としてうまく使うために、島田の心は絶対に自分にき付けておかねばならない。 という至上目的の下に土方はチョコレート作りに精を出しているのだが、実は前回(※水口藩事件EXを参照の事)の事があってから、土方自身が島田に惚れ始めているという単純な理由だとは本人が気付いていない微妙な心理状態にある。



「うーむ」 完成した試作のチョコレートを前に土方がうなった。
「歳江ちゃ〜ん、チョコレート出来た〜?」
 カモミール・芹沢だ。
「芹沢さんか」
「も〜らい」
「あ!」
 土方が止める間もなく、芹沢がチョコレートを口に入れる。
「せっかく私が作った・・・・」 激高して怒鳴りつけようとした土方だが、チョコを口に入れた芹沢の渋面に気付いて、怒鳴るのを止めた。渋面を通り越して苦悶の表情になりつつある。
 芹沢はバンバンと調理台を叩いている。何かを催促しているかのようだ。
「う”〜。う”〜、み、水〜」
 藤堂が柄杓ひしゃくに汲んだ水を差し出す。
 口の中を水でゆすいで、吐き出す。それを何度か繰り返して、ようやく芹沢は口を開いた。
「あ〜、まだ味が口の中から苦みが抜けないわ」
「・・・・」 土方は無言。どうやら失敗作だったようだ。
「何なのよ、この凄まじい苦さは!」
「大人のほろ苦さを出そうと思ったんだが・・・」
「薬より苦いわよ!」
「そ、そうか?」
「トシさん、おナベがしてたもんねえ」 と藤堂。
「甘い物は胃に来るから、漢方を混ぜてみたんだが・・・」
“焦がしただけじゃなかったんだ、でもトシさんの考える事って分からない・・・”
“チョコに漢方薬!? 歳江ちゃんって変!”
 と微妙なニュアンスは違うものの同じような事を2人は思った。
「ま、まあ、まだ試作品の段階だからな」
「!!!」 芹沢の体から炎が湧き上がった。目には見えない不可視の炎だ。
「・・・・あ!」
「今の、『あ!』は何よ?」
「砂糖を入れ忘れた」 思い出したようにポンと両手を打つ土方。
「・・・・へーちゃん、歳江ちゃんを仕込んであげて。このままじゃアタシの・・・・島田クンが死んじゃうわ」
「あんたのじゃない!」
「ま、いいわ。あ”〜、何か、気分まで悪くなって来た。アタシちょっと横になるわ」
 フラフラと退室する芹沢。土方は取り敢えずの勝利を収めたのだった。



 3日目。
 やはり土方はチョコレート作りに没頭していた。まずは味だ。昨日は芹沢を撃退できたものの、そんな失敗作チョコを島田に渡すわけにはいかない。
 まずは『大人のほろ苦さ』だが、これはカカオ豆をローストする事で香りとほどよい苦みを引き出すことに成功した。
 次に甘さだが・・・・

「トシちゃ〜ん」
「山南がいるだろう!」
 近藤が邪魔しに来たので、そう怒鳴る。どうせ仕事の話に決まっている。今はそれどころではないのだ。
「山南さんは、手一杯なの。何か、水戸の天狗党が挙兵したって。それに呼応して京のキンノー活動が活発化する可能性があるから、会津藩や見廻組と連携して市中巡察を強化するし、屯所の警備も厳重にするからって、そっちの仕事でいっぱいいっぱいなの」
「ふむ」
“天狗党が挙兵したか。芹沢にも何か動きがあるやもしれん・・・島田に探らせるか・・・”(※カモミール・芹沢は元天狗党)と近藤の言葉に反応して、ここまでまともに思考が進んだものの、
“その為には、やはりチョコレートを完成させねば!” 土方の脳内での優先順位が作動して、結局チョコレートに戻ってしまった。
「分かった。芹沢さんには負けられん。完璧なチョコを作ってやる!」
「トシちゃんが壊れてる〜」
 相談しても無駄だと判断したらしく、近藤が泣きながら去って行った。途中でドテッとコケる。ドジッぶりも健在だ。



 こうして、新選組内部はにわかに慌ただしくなったのだが、そんな事はお構いなしに土方はチョコレート作りに邁進していた。
 そして今日も芹沢が偵察(と土方は思っている)にやって来る。
「歳江ちゃんが、今日も仕事をサボってるって?」
 厨房の暖簾のれんくぐるなり、開口一番に芹沢がそう言う。
「毎日遊び歩いているアンタにだけは言われたくないな!」
「ひどーい」
 芹沢が泣き真似してみせるが、無視してチョコレート作りを継続する土方。

「ゆーこちゃん達が困ってたよ。そろそろ仕事に戻ったら?」
 どうやら芹沢は芹沢なりに、新選組の事を心配しているようだ。
「わずか数日、私が公務から離れたからといって、どうという事もあるまい」
「でも、ゆーこちゃんも山南くんも困ってたよ」
「仕方なかろう。チョコレート作りは時間がかかるんだ」
「バレンタインは単なるイベントなんだから、そんなに真剣にならなくたっていいじゃんよ」
「そうはいかん!」
 土方のあまりの剣幕に、思わず下がる芹沢。
“そっか〜、歳江ちゃんは恋愛に免疫がないから、バレンタインで本気マジになってるんだ。
 ん〜、ここはゆーこちゃん達の為にもアタシが一歩譲ってあげるかなあ”
 どうやら土方はバレンタインに向けて全力を挙げているらしい。芹沢にしてみれば、そこまでする必要はないと思うのだが、如何いかんせん、経験の差がある。

「で、完成したの?」
「うむ、試作品2号だ」
 土方が差し出すチョコレートに手を伸ばす芹沢だが、昨日の事を思い出したのか、伸ばした腕がピタッと止まる。
「安心しろ。今日は漢方薬は入れてない」
「お砂糖は?」
「入れたぞ」
「・・・・」 それでも迷いながら、チョコに手を出す芹沢。一つ摘まんで口に入れる。
 途端に顔をしかめた。
“なぜだ!?” 今日は完璧のはずなのだが。
「あっま〜い! 何、この異常なまでの甘さは! う”〜、頭に響く〜!」
 思わず頭痛を引き起こすほどの甘さだ。
「トシさん、お砂糖をどれぐらい入れたの?」 料理の手を休めて藤堂が尋ねる。
「どれぐらいって、袋一杯だが」 そう言って、空になった砂糖の袋を逆さに振ってみせる土方。
「へーちゃん!」
「あたしが目を離した時に、トシさんがお砂糖を入れたみたい」 オロオロと答える藤堂。
「歳江ちゃん!」
「島田は甘党だから、目一杯入れたんだが、甘すぎだったか?」
「血糖値が一気に上がって死んでしまうわよ!」
 例えばケーキバイキングなどで倒れる人間がいるのはこの為だ。すきっ腹にケーキの一気食いなどをしてはならない。
「うーむ、失敗作だったか・・・」
「うう〜、何かアタシ、気分が悪くなったから、もう寝る〜」
 昨日に引き続き、今日もまた、フラフラしながら芹沢が去っていく。殺人チョコレートは確実に進化していた。



 4日目。
 藤堂の監視の下で作られた試作品3号チョコレートは完璧だった。程よい甘さに控えめな苦み、そして隠し味に数滴垂らされたブランデーが大人の風味をかもし出している。まさに土方歳江という女性をチョコレートで表現したような味だ(※土方による自己評価)。
「うむ、完璧!」 自分で試食してみて満足げにうなずく土方。
「じゃあ、後は型に流すだけだね。トシさん、型を買って来た?」
「ああ、金物細工師に特注で作らせた」
 そう言って土方が取り出したのは、大きなハート型だった。厚みが10cm、差し渡しで30cmはあるだろうか、ケーキ並の大きさだ。
「芹沢さんのチョコに勝つにはこれぐらいはないとな」
「・・・・」 いつもの笑顔のまま固まってる藤堂。
「どうした?」
「ちょっと疑問があるんだけど、トシさん。この型とか材料とかどうやって買ってるの?」
「それは、もちろん・・・」 答えようとして土方も気付いた。そういえば、いつものようにツケで買ってたのだ。つまり隊費で買ってる事になる。バレンタインのプレゼントを公費でまかなってはいけないのだが、ついうっかりしていた。
「これって横領になるのかな?」
「・・・あとでちゃんと私の財布から返しておく。
 では、気を取り直して型に流すぞ」

 十分に練って結晶を揃えたチョコレートを型に流し込む。そして出来上がった頃になって、日課のようにカモミール・芹沢が厨房に姿を現した。

「不吉だわ!」 土方の試作3号チョコレートを見るなり、大仰な身振りで後退あとずさる芹沢。
「うーむ」 土方はうなっている。
 型抜きされ、調理台の上に置かれた、ケーキサイズのハート型チョコレートは、見事にヒビ割れていた。
「ハートにヒビが入ってるなんて・・・2人の前途は多難ね」
「固まる時の温度にムラがあったんだよ」 と藤堂が教える。
「愛は冷めて、見事にヒビ割れた・・・と」
「人の恋愛を勝手に終わらせないでくれ」
「味は良いんだけどねえ」 と藤堂。
「どれどれ?」 カケラを一つまんで口に入れる芹沢。
「どうだ?」
「昨日までと別物じゃん」
「ふっふっふっ。私が本気を出せばこんなものだ」
「昨日までは本気じゃなかったの?」
「・・・・」 この問いに返答に窮する土方。
「そうだ! 型をお湯に浸けたまま冷ませば、温度が均一のまま固まるんじゃない?」
「おお!」
「でも何でライバルのトシさんに教えるの?」
「だって早くチョコレートが完成しないと、ゆーこちゃんや山南くんが大変じゃん」
「芹沢さん、大人だね〜」
「でしょ〜」
「恩はありがたく受けておく。だが、勝負は別だ」
「いいわよ。2月14日を楽しみにしとくわ」
 2人の間に火花が飛ぶ、片や必死の面持ちで、片や余裕の眼差しで。

 そして運命のバレンタインデーを迎える。



 2月14日。バレンタインデーである。
 普段の俺は芹沢局長付の近習なのだが、現在は外勤(市中巡回組)である。土方さんがチョコレート作りのため厨房に籠もってしまった為、カモちゃんさんも内勤に駆り出されたから護衛の必要が無くなったのだ。一つに天狗党の件もあり、人手が足りないというのもある。
 せっかくのバレンタインデーなのだが、新選組は京では乱暴者で通っているため、チョコレートはもらえな・・・・・
「これ、受け取って下さい」
 ナレーションの最中であるにもかかわらず、町娘から斎藤にチョコレートが差し出される。
「って、おい! 斎藤、お前、何個目だ?」
「えーと、12個目かな?」
 どうやらモテるモテないは新選組とは関係ないようだ。隊列を組んでいて、チョコを貰える隊士と貰えない隊士がいる。ちなみに俺は貰えない方だ。・・・いいのさ、俺にはカモちゃんさんがいるし、土方さんもどうやら俺狙いみたいだし・・・でも貰えなかったら俺の立場がないなあ。


 巡回を終えて屯所に戻ると、巡回手帳を持って副長室に向かう。副長からハンコを貰って巡回が終了なのだ。土方さんはここ数日、仕事放棄しているので、山南さんの部屋へと向かうが、その途中のカモちゃんさんの部屋の前を通りかかると、ガラッと障子が開かれた。
「島田クン、おかえりー。はい、ハッピー・バレンタイン」
 カモちゃんさんが部屋から取り出したのは、物凄く巨大な板チョコだった。
“なるほど、これがウワサに聞く畳チョコか!” いちおー局内でウワサにはなってたのだ。
「ありがとうございます・・・おお!?」
 手渡された巨大な板チョコは、かなり重かった。これを軽々と持ってるカモちゃんさんって凄いな。
「いいなー、島田、アタイにも一カケラくれよ」 と永倉からせがまれる。ちなみに今日の巡察の隊長は副長助勤の永倉である。こんなにたくさん一人で食べ切れるはずもないので、包装紙をずらし、銀紙をいて・・・。
「永倉ハンマー!」 待ち切れなかったのか永倉がハンマーを振り下ろす。
「うお! 危ないだろ!」
 ドカッ。狙いあやまたず、ハンマーが板チョコに当たり砕ける。
「わーい☆ 一カケもーらい」 永倉が手にしたのは確かにチョコレートのカケラなのだが、レンガと同じぐらいの大きさがある。
「うーむ、カケラですらこの迫力だもんなあ」
「普通の板チョコ何枚分になるんだろうね」 と斎藤。
「約10倍よ」とカモちゃんさん。
「な〜んだ、10枚分か」 いくら何でも単純すぎる。永倉の持ってるカケラですら優に普通の板チョコ10枚分ぐらいはあるぞ。
「そんなわけないだろ! このサイズだぞ!」
「立体だから縦・横・高さの全部が10倍だとすると・・・」
「げ、単純計算でも1000枚分になるのか」
「使ったチョコレートは80kgの特注よ」
「うーむ、沙乃の体重が33kgだから、沙乃2人よりも重いのか・・・」
「ちなみにアタシよりも重いわよ」 トップシークレットだが、カモちゃんさんの体重は58kgである。
「毎日1kgずつ食べても2カ月以上かかるね」
 お徳用のチョコレートの袋詰め(大きいよ)ですら、普通200gとか300gだ。それから考えると1kgのチョコレートって凄い量だ。
「いや、確かに俺は甘いものが好きですが・・・」
 ううーむ、いくら俺が甘い物好きと言っても、これは限度を越えてるよーな気が・・・
「もはや主食をチョコレートにするしかないね」 無責任な事を言う斎藤。
 俺はチョコレートごはん、チョコレートみそ汁、チョコレート沢庵といった光景を想像した。うあ〜、いやすぎる〜!
「どう? アタシの愛の深さが分かった?」
「み、みんなで分けて食べてもいいですか?」
「ひどいわ、島田クン、アタシの愛を他人に渡すのね!」
 そう来るか〜。これはひょっとすると、最近土方さんと浮気してる俺への意趣返しか!?
「アタイが半分食べようか?」 と永倉。すでに先程のカケラ(≒1kg)は食べ終わっている。早すぎないか、お前!
「お前、40kgを食う気か?」 いや、ひょっとしたら永倉なら食うかもしれん。
「運動すれば、これぐらいすぐ燃焼しちまうよ」
 カモちゃんさんが三白眼で俺の方を見ている。
「い、一年ぐらいかけてゆっくり食べようと思いますです」
「そしたら来年のバレンタインが来るね」 と斎藤。それだと俺は一生チョコレートから逃げられないじゃねーか!


「島田、戻っていたのか」 廊下の向こうから土方さんが歩いて来る。背に隠し持ってる(というか隠れきれてない)巨大なハートはもしかして・・・。
「バレンタインだからな。私の特製だぞ。味わって食べろ」
 差し渡しの大きさが30cm、厚みが10cmはありそうな、こちらも巨大なチョコレートだ。
「あ、ありがとうございます」
「何だ、島田、その嫌そうな顔は」
「いや、そのカモちゃんさんから巨大な板チョコをもらったばかりなので・・・」
「毎日500gずつ食べても半年かかる量よん☆」 とカモちゃんさん。

“しまった! あの巨大板チョコにはそういう意味があったのか!” 1人1枚として千人分のチョコレートである。食べる方も嫌気がさす程の量だ。それに追加でチョコを貰えば、もはやそれは嫌がらせの領域だ。自分以外のチョコレートをそうやって封じる作戦だ。
“芹沢さん、恐るべし!” 戦慄する土方。

「島田、芹沢さんのチョコは食べられて、私のは食べられないと言うのか?」
「い、いや、そんな事はないです」
「歳江ちゃん、それは脅迫」
「よろこんでいただかせていただきます」 俺は土方さんからチョコを受け取り、包装を解いた。みごとにチョコレート色のハート型の塊だ。えーとこれを食べるには・・・。
「永倉」
「よっしゃ、任せとけ。永倉ハンマー!」
 永倉のハンマーが振り下ろされ、見事、ケーキサイズのハートチョコの真ん中に命中する。ピシッと真ん中からヒビが入り小さく割れる。
「あーあ、歳江ちゃんのハートが粉々だね」 カモちゃんさん、一体、何を? 振り返ると、土方さんの肩がふるふると震えている。
「せっかく、せっかく私が完璧なハートに仕上げたのを・・・」
「し〜ま〜だ〜!!!」
「え、あ? 丸ごと食べるには大きすぎるんですけど?」 割らずにどうやって食べろと?
「この。馬鹿者〜!!!」
「ぐはぁっ!」 理不尽に殴り飛ばされる俺。
 土方さんが怒って去って行く。ああ、カモちゃんさんが笑ってるよ。うーむ、俺が何をしたのだろう? 良く分からんままに俺の意識は遠くなっていった。

(おしまい)


(あとがき)
 『カモちゃんがゆく』の第3話『水口藩事件EX』の流れを汲む2007年のバレンタインSSです。
 恋愛に不器用な土方を芹沢が見守るという構図は、2006年のホワイトデーSS『白い恋人(それは函館銘菓)』で既にやったのですが、見守りつつも芹沢が勝利するという風に変化させてみました。
 天狗党の挙兵は、元治元年ですから、その頃には芹沢はすでに他界してますが、バレンタインSSなので、そこら辺りはサラリと流して下さい。というか、天狗党は本編と何の関連もないよーな。あ! 天狗党に戻ろうとする芹沢を島田が引き留めるというSSが書けるな。うむ。
 次はホワイトデーSSですが、2004年に豆腐、2005年に石鹸、2006年に飴を使ってるし、ジャックスカが牛乳を使ってるから・・・あと白い物って何かあるかなあ? さすがにネタ切れかなあ。


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