「じゃあ、これから海砂さんの無意識領域に行くわ」
 ぐずぐずしては居られなかった。一刻も早く海砂の醒めない眠りの原因を突き止めねばならない。夢魔は、上級になるほど自分好みの境遇やトラウマを抱えた獲物を厳選する。海砂が何らかの心の問題を抱えているなら、そこに夢魔が食らいついているだろう、と、菜那緒は空知に説明した。
「二人はここに残っていて」
「どうして?僕らも一緒に行くよ」
 空知よりも前に陸朗が抗議の声をあげた。彼は茶色が基調の空知と似た服装をしている。
「陸朗君、知っているでしょう?なのに夢界は初めての空知さんを一人にしておくの?」
 菜那緒の声色は厳しいものだったので、陸朗は返す言葉に詰まる。
「黒羽さん」
 陸朗を押しのけ、空知が菜那緒の前に立った。
「これは海砂を助けるためだろ。なら、最低でもあたしは連れてってもらう権利があるはずだ」
「その気持ちは痛いほど理解出来る――でも、ごめんなさい。あなたは海砂さんの無意識領域には入れないの」
 そう言い残すと、菜那緒は更に上方へと上がっていった。スピードは速く、すぐに空知達の目では追えなくなる。
「そんな……!!なぁ陸朗、何であたしは海砂の夢に入れないんだ?」
「普通、人間は自分の無意識領域を離れることが出来ないらしいんだ。菜那緒さんは特別な力があるから、そう言うことが出来るけど――」
 陸朗は菜那緒が特別である理由を知っていたが、本人が居ない場所で言うのは躊躇われた。
 空知は無力感に唇を噛みしめる。自分に出来ることはただ待つことだけ――ならば、夢に潜る前と何ら変わりがないではないか。
「信じようよ、菜那緒さんを」
 陸朗が言った。空知は応えなかった。

 海砂の無意識領域への方角(と表現するのはおかしいかも知れない)はすぐに関知出来た。菜那緒は飛翔を続ける。
 空知の領域は正常だったが、彼女の心境を反映して色調が全体的によどんでいる。そして、双子の姉と過ごした日々の断片が雲の中に移り込み、漂っていた。
 雲の一つがふと、目に留まる。
『ねぇ、空知ちゃん、わたしどうすれば良いのかなぁ?』
 不安と戸惑いで見開かれた瞳。
 哀しい、そして愛しい記憶の中の人のそれにあまりにも似通っていた。
 だが、違う。同一人物ではあり得ない。
(今はそんなことを考えてはいけない――)
 胸に繰り返し言い聞かせても、なお迷う。
 菜那緒に打ち込まれている、ただ一つの見えない楔。抜くことが出来ないのは、それのために現在の彼女が存在しているから。
 突然、菜那緒を包む空間の色が変わった。海砂の領域に入ったのだ。
「これは――!?」
 眼下に広がるのは、海。
 陸地や島すらの影もなく、ただ濁った紺色の水平線が何処までも続いている。海を覆う天蓋はのっぺりとした暗い水色の空。
『えっ……うっく…ひっく…………』
「海砂さん!」
 泣き声の主を菜那緒は目で捜したが、海砂の姿は何処にも無い。
(直接届いた声じゃない、空間そのものが声を発しているんだわ)
 領域内には確かに夢魔の気配がする。しかし、珍しいことに菜那緒は該当者を即座に割り出せなかった。
 その時、菜那緒の前の空間に、急速に別の存在が形作られた。
「また相見えたな、我が花嫁よ」
「!!」

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