――泪が零れる。
頬を滑り落ちた泪は下層に溜まり、徐々にその体積を増大させていく。
やがて、身体が泪に飲み込まれる。水底へと沈んでいく。
いつも臆病だけど、普通に彼に恋をしていた、この間までは。
だが気付いてしまったのだ、自分の中に、それとは相反するもう一つの想いがあることに。
そして、どちらかを選ぶ事が出来るほど彼女は強くなかった。
もし、目覚めたら。
自分が恋する少年と逢うのが辛かった。
彼の想い人であろう少女と対峙するのが怖かった。
……だから。
二つの想いに引き裂かれるぐらいなら、眠り続ける方がずっと良い。
――この、泪の大海で。
空知が気付いた時はもう、周囲は彼女の見慣れた世界では無かった。
「ここは――?」
まるで、油の浮いた水たまりの表面ような空間。地面の輪郭は感じられず、身体はただ浮かんでいるだけのようだ。
「空知さん、気付いたのね」
「黒羽さん」
菜那緒は空知の背後に浮かんでいた。しかし、意識を喪う前に見た時の制服姿とは全く異なる格好をしている。
「何だよその格好、もしかしてボンテージって奴?」
さぁ、と菜那緒は苦笑する。レザービスチェにプリーツのミニスカート、透ける生地のジャケットからストッキング、ショートブーツに至るまで全て黒で統一されている。手には銀色の杖のようなもの――よく見ると先端にレンズが付いている――を握っており、首には猫の鈴を思わせる銀色の球付きのチョーカーを付けていた。
その出で立ちは、いささか奇妙だが違和感を感じさせない。有り体に言うと、似合っている。
気が付くと、空知自身の服装も変化していた。鮮やかな空色と白から成る、子供の演劇で見る妖精のような格好だった。
「ここが夢界って奴?」
「ええ。試しに何か想像してみると良いわ」
言われたとおり、空知は自分の掌に白鳩が乗っている、と想像した。
次の瞬間、差し出した空知の右手で羽ばたきの音がし、羽毛が飛び散った。
「嘘だろ……?」
鳩は空知の手から飛び立った。
「不思議なことではないわ、ここはあなたの夢の中なのだから」
そうだ、これは夢なのだ。ならばどうして意識がはっきりしているのだろう、と空知は菜那緒に訊ねた。
「通常、意識は無意識領域の表層に乗ると言う形で繋がっているの。夢を見ている時に形成される自我は、表層意識の一部が無意識領域内に投影されたものなのよ。だから、夢の中の『意識』は不完全で、機能を充分に果たしていないと言うわけ。今は、私があなたの夢に潜る際、私の意識と空知さんの意識をあなたの無意識領域の内部に完全に取り込んでいるから、覚醒している時と全く同じ状態なの」
「難しすぎてよく理解できないけど、納得はした」
その時、空間の一部が光り、内部でひとつの形を造り上げた。
完成され、現れたものを見て、二人は驚愕する。
「陸朗!?」
「どうしてここに来たの!?」
陸朗は菜那緒が空知経由で夢界に入っている間、周囲を監視するつもりだった。
「えっと……空知の後ろで菜那緒さんの目を見てると、何だか僕まで眠くなっちゃって、それで気付いたらここに……」
「何だよ、間抜けだなぁ」
空知は素直に呆れていたが、菜那緒は内心戦慄を覚えていた。