「それ、どういう事なんだ?」
「ここで詳しく説明するのは気がひけるわ。他の入院患者やお見舞いの人達に迷惑だから」
「じゃあ場所、変える?」
「ええ。出来る限り人が来ない場所に」
結局三人は、非常階段の踊り場まで移動した。晩秋の温度の低い風がそれぞれの髪の間を吹き抜けていく。
菜那緒が顔にかかった髪を掻き上げた。
「空知さんは、夢を見るわね?」
「ああ。誰だって見るよ」
「そう。人間は意識の下に広大な無意識領域を持っている。その無意識領域の集まりを、夢界と呼ぶの」
ここまではただの無意識論と別段変わりはない。
「無意識領域は、意識の想いを反映する。その反映された映像が『夢』と呼ばれるもの」
だが、そこにあるのは希望だけではない。時に人は悪夢を見る。
「たいがいの悪夢は普通の夢と同じように自然発生するものだわ。けれど悪夢の中には、例えば連続して同じものを見続けるような、異常なものが存在するのよ。そしてそれらは、夢魔が人間の無意識領域を『喰らう』ことによる荒廃が原因で引き起こされるの」
「じゃあ何、海砂が起きなくなったのは夢魔のせいだって言うのか?」
空知から漏れるのは、失笑。当然の反応だ。彼女にとって菜那緒の話は荒唐無稽に過ぎた。
「そんなん信じられないって、普通」
陸朗を見る空知の双眸は失望と憤懣をたたえていた。無駄な時間を費やしてしまった、と言いたげだった。
だが陸朗は全く動じない。初めて菜那緒と出逢った時、彼だって半信半疑だったのだ。しかし今陸朗は信じている、菜那緒の話と、彼のために闘った菜那緒自身を。
「空知。僕も菜那緒さんに助けて貰った、って言っただろ?」
「……マジ?陸朗」
「僕も夢魔に侵されていたんだ。毎日毎日、酷い夢を見た。死にそうなほど辛くて苦しくて、だんだん夢と現実の境が曖昧になってきた時、菜那緒さんに出逢った」
そして陸朗は救われた。彼の無意識領域を喰らっていた夢魔を菜那緒が倒すことによって。
「だから空知から話を聞いた時、海砂のことも菜那緒さんが救えるんじゃないか、って思ったんだ」
「わかったよ――その話、信じるよ」
「空知!」
陸朗の表情が明るくなる。もうすぐ海砂は助かるのだと確証したのだ。
「それで、黒羽さんが海砂の夢の中に入るのか?」
「その事なのだけれど、海砂さんの病室で彼女に直接入るのは都合が悪いわ。私も眠った状態のまま彼女の側に居なければならないから」
海砂の病室は個室ではないし、もし海砂達の両親が病院に戻ってきたりしたら更にまずいことになる。
「だったら、どうすんの?」
「この場でいったん空知さんの無意識領域に潜って、そこから海砂さんの領域を目指すわ。特に双子の兄弟姉妹の場合、互いの領域が隣接していることが多いのよ」
いい?と問われ、空知は意を決し頷いた。
「なら、事は急いだ方が良いわね」
菜那緒は通学用の鞄からコンタクトケースを出し、コンタクトを外す。
「!」
「空知さん、私の目を、見て」
何故最初に遭った時、空知が菜那緒の目に違和感を感じたのか、解った。
彼女の両の眼窩に磨き抜かれた翠玉が嵌め込まれている、そんな錯覚。
菜那緒の美しい緑色の瞳を見つめるうち、空知の意識は次第に遠のいていった。