切なくて、暖かくて、そして――哀しくて。
 今まで気付かなかった心の空白を埋める、これは――「懐かしい」?

 帰りのバスの中、海砂と空知は何となく互いに沈黙していた。
 四人でカフェに入ってから、何を話したのか海砂は憶えていない。記憶しているのは菜那緒の表情の変化や仕草と、そしてやけに高揚して見えた陸朗の様子だ。
 菜那緒と陸朗の二人と別れた後、結局彼女たちは手芸店に戻ってマフラーに必要な毛糸を買った。空知の的確なアドバイスがあったため、決定まであまり時間はかからなかった。灰色と渋い焦げ茶の混合色の毛糸だった。道具は空知が貸すと請け負った。
 だが、今日はとても編みものを開始出来そうにない。理由は海砂の表情を見れば明白だった。
 そろそろ目的の停留所に着く、というところで、海砂がやっと口を開いた。
「あんな陸朗ちゃん、見たこと無かったねぇ。楽しそうだった、すっごく」
 陸朗は始終菜那緒を意識していた。従姉妹達に不審に思われないようにしようとして、かえって目立つ不自然さがかえっていじらしかったぐらいに。
「……陸朗ちゃん、あのひとのこと好きなのかなぁ」
 空知は応えなかった。
「凄く綺麗な人だったもんねぇ」
 海砂も充分可愛いよ、と慰めることは簡単だ。が、自分も同じ顔だから、というのではなく、無意味なのは判りきっていた。
 何故なら空知も、菜那緒の比類無き美貌に衝撃を受けたから。
「ねぇ、空知ちゃん、わたしどうすれば良いのかなぁ?」
――思えばそれが海砂の、必死のSOSだったのだ。

 意外にも、海砂は夕食後すぐに空知に教えを請うた。バスの中での姉の状態を心配していた空知は拍子抜けしたほどだ。
「最初に結んで輪を作って、それを二本揃えた編み棒にひっかけて右手に持って、毛糸をこう左手にかけて、こうやって通して……で、必要な目数分だけ作る。やってみな」
「うん。ええっと――」
 最初の一段目を作るコツを海砂が掴むのに、三十分以上かかっただろうか。そして、表編みと裏編みの違いを覚えるのに、その倍の時間を費やした。
「後は、時々目数を数えて増えたり減ったりしてないか注意しながら編み進めるんだ。下手すると、穴が空いたり幅がでこぼこになったりするからな」
 空知は海砂に注意したが、多分効果は殆ど無いだろうことを心得ている。
「こんな、すっごい難しいこと出来るなんて、わたし空知ちゃん尊敬しちゃうなぁ」
「海砂が信じらんないぐらい不器用なだけだ」
「そんなぁ!出来る空知ちゃんの方が変なんだよぉ!」
「断じて違うね」
「……大丈夫かなぁ、変なマフラーになったら陸朗ちゃんに渡せない」
 早速、海砂は泣き言を言い出した。すぐ弱音を吐くのも彼女の困った癖の一つだ。
「こういのってさ、上手い下手はともかく、『自分が作った』って事が大事なんじゃ?でなきゃ、最初から既製品買った方が手っ取り早いし、見栄えも良い。ようは気持ちだよ、気持ち」
「そ、そうだよね!ありがと、空知ちゃん」
「あ、もうこんな時間じゃん。明日学校あるし、もう寝た方が良いぞ」
「うん、そうするぅ。自分の部屋、戻るね」
 海砂は空知の部屋を出る時、もう一度ありがとう、と言った。そして、それが空知が海砂の笑顔を見た、最後だった。

戻る進む
entrance menu contents