翌朝、最近はいつも落葉が起きる頃に襲撃してくる紗綾が、来なかった。
 落葉は寧ろその方が有り難いので、当初は気にも留めなかったのだが、宝四家当主が揃って彼らだけで朝食を食べる広間(そういう階級的なものが随所にあるのがこの屋敷であり、当然落葉はそんな点も嫌悪していた。ただ、宝珠のように保守的をそのまま具現化したような屋敷の支配者達と顔を突き合わせなくて済むのが唯一の救いだった)に来たときの紗綾は明らかに具合が悪そうで、さしもの落葉も内心驚いた。どうやら自分は、失礼ながら紗綾のことを病気とはまるきり縁がない、皇王とは対極の人間だと思っていたようだ。
「紗綾、大丈夫か?」
「落葉ぁ、あたし、なんか昨日よりずっとだるいんだけど。頭も重いし。落葉は平気なの?」
「ああ。疲れは取れていないような気がするが、別にお前ほど酷くはない。お前も風邪を引いたんじゃないのか?」
「やっぱそうかなぁ……」
 ところが、後から入ってきた越智も、紗綾が具合が悪い旨を伝えると、自分もそうだと言ったのである。しかも、皇王の部屋に付ききりの羅衣も体調を崩しているらしい。落葉の慢性的な軽度疲労も数に入れると、宝四家の当主全員が体調を崩していることになる。
 とりあえず病気の話は後に回すとして、落葉達は朝餉を取ることにした。何はともあれ栄養をとった方が身体にも良いだろう。
「私はこの後、皇王様や羅衣、それに自分自身を診察しなければならないだろうが、紗綾、君も学校に行かないなら診ておくかい?」
 越智が言うと、紗綾はふるふると首を横に振った。
「越智、あたしのこの格好、見てよ」
 確かに紗綾は起き抜けから気分が悪いと主張しているにもかかわらず、落葉と同じようにきちんと制服を着用している。彼女が暗に言わんとしていることを、越智もそして落葉も即座に理解した。紗綾は落葉が高校に行く限り絶対に自分もついて行こうとしているのである。紗綾のそのけなげとも映る意気込みに、二人は思わず目線を交わして吹き出した。幸い紗綾本人には見られなかったようである。
「紗綾、体調管理はしっかりしないと。たとえただの風邪かもしれなくとも、後で取り返しの付かないことになる場合もある」
 越智は一人の医者として紗綾を戒めた。紗綾はぷぅ、と頬を膨らませると落葉の方を見たが、当然彼が紗綾をフォローするはずがない。結局、紗綾は越智に従い学校に遅刻してくることになった。

 若くして傑出した経営手腕を発揮する本城勇大ユウダイ氏は、妻の空羽の手伝いで身支度を整えていた。
「空羽、今夜は解っているな?」
「ええ、今日のパーティーは、今度の大きな取引に関わるのでしょう?」
 空羽は渋い紺色を基調としたストライプのネクタイを本城氏に結んでやりながら、言った。本城夫人である空羽も当然、彼が『上流社会』の一員である以上、夫と共に出席しなければならない。
 本城氏は、パーティーのドレスはこの前オーダーメイドしたばかりのドレスが良いとか、それに良く似合うだろうからお前の誕生日に私が買ってやったネックレスをしてきてくれだとか、色々と注文を付けた。二人の結婚は完全に政略的なものだったが、美しい空羽に本城氏が心底惚れ込み、頼もしく年の割に貫禄のある本城氏を空羽は心から愛していたのが救いだった。だからこうして、毎朝空羽は自分自身で夫のスーツとネクタイを選んでいる。
 「私の仕事が終わる頃に家に連絡する。そうしたら、お前は車でパーティー会場に来てくれ」
「はい」
「じゃあ、行ってくる」
「あ、待って。玄関まで送るわ、あなた」
 本城夫妻は、平均的に幸せな夫婦のように、二人で玄関までやってきた。本城氏が靴を履くのを見計らい、空羽が鞄を手渡すはずだった。そう、いつものように。
 しかし鞄は本城氏の手に触れる前にドサッ、と音を立てて床に落ちた。
「空羽!」
 突然倒れた妻を抱き寄せ、本城氏が悲鳴を上げる。その声を聞き付け、家政婦が慌てて玄関まで飛び出してきた。
「お、奥様!」
「おい、すぐに救急車を呼べ!……酷い熱だ」
「あ、は、はい!!」
 それから本城氏は様子を見に来た運転手にもてきぱきと指示を出した――取引の関係上今夜のパーティーに出席しないわけにはいかない自分の身を呪いながら。
 だが、このような緊急事態は本城邸にだけ訪れたのではなかった。各地で政財界の要人達が、ほぼ同時期に、程度の差こそあれど体の不調を訴え始めたのだ。そして全員に共通していることは、本人達は自覚していないだろうが、彼らは皆天衣一族との『政略結婚』の結果によって誕生した、いわば『皇王』の血縁者たちだったのである。
 そして、この事はやがて独自のルートで越智、そして落葉の耳に入ることになる。

戻る進む
entrance menu contents