長期脳死、心停止ドナーと無脳症ドナー、小児脳死判定基準

守田憲二さんが「小児脳死判定後の脳死否定例」というウェブページを作っています。
「脳死判定後の脳死否定例」とは、守田さん独自の定義で、次の条件に該当するものです。
脳死と判定あるいは判断された後に、
@心停止死亡(心臓死)まで7日間以上経過(生存)
A脳死判定基準の必須検査項目に反応があった
B脳死判定の補助検査に反応があった
C脳血流(補助)検査以外の方法で脳血流を認めた、
以上のいずれかに該当した症例
2004年1月26日現在、103件の論文が紹介されていますが、複数症例を報告した論文もあるので、症例そのものの件数は、約20年間におよそ150例あったそうです。
http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery3_15.htm
http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery4.htm
http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery2.htm
http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery1.htm
http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery0.htm
この報告に関する議論を、スギケン先生の「脳死と移植」掲示板から抜粋します。(2003年10月19日〜2004年01月26日)


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=334&e=msg&lp=334&st=0
334 「小児脳死判定後の脳死否定例」 2003/10/19(日)21:10 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=335&e=res&lp=335&st=0
335 re(1):「小児脳死判定後の脳死否定例」 2003/10/20(月)22:49 - だいさく
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=336&e=res&lp=336&st=0
336 re(2):「小児脳死判定後の脳死否定例」 2003/10/21(火)12:16 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=337&e=res&lp=337&st=0
337 こどものための、準臓器提供意思表示カード 2003/10/21(火)12:50 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=338&e=res&lp=338&st=0
338 re(1):「小児脳死判定後の脳死否定例」 2003/10/21(火)21:33 - 守田憲二
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=339&e=res&lp=339&st=0
339 re(3):「小児脳死判定後の脳死否定例」 2003/10/21(火)21:56 - だいさく


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=340&e=msg&lp=340&st=0

340 一ヶ月と一週間 2003/10/22(水)19:06 - てるてる

日本臓器移植ネットワークの説明では、脳死になると、「多くは数日以内」「何日か後に」心臓も止まると書いてあります。

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日本臓器移植ネットワーク
http://www.jotnw.or.jp/
Studhing 学びましょう
http://www.jotnw.or.jp/studying/index.html
臓器移植とは

>脳死とは、呼吸・循環機能の調節や意識の伝達など、
>生きていくために必要な働きを司る脳幹を含む、
>脳全体の機能が失われた状態です。
>事故や脳卒中などが原因で脳幹が機能しなくなると、
>二度と元に戻りません。
>薬剤や人工呼吸器などによってしばらくは心臓を動かし続けることもできますが、
>やがて(多くは数日以内)心臓も停止してしまいます。

"臓器移植"について子供たちと考えましょう!話し合いましょう!

>「脳死」になると、薬や機械を使っても何日か後に心臓も止まってしまいます。
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一方、厚生労働省の臓器移植委員会では、国立循環器病センター総長の北村惣一郎氏が、
脳死になっても一ヶ月も治療を続ける例がたくさんあって、膨大な医療費を使っている、
と述べています。

02/06/12 第8回 厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/06/txt/s0612-1.txt

北村惣一郎委員(国立循環器病センター総長)
> その前に日本はもっともっと先生方にやっていただかないといけないのは、脳死は人
>の死であるということを、それをユニバーサルプリンシプルとして呼ぶことです。移植
>の場合には、意思表示をしていることのみにおいてのみ死である。それ以後は、表示し
>なければ、あるいは家族が同意しなければ、生きておりまして、膨大な医療費を使って
>おります。必ず亡くなっております。助かった人一人の事例もありません。全部亡くな
>っているのに生きているとして、その後約1か月から 1か月半に膨大な医療費を使って
>いるわけです。ちょっと計算するだけでも数百億円になるのではないかと思います。そ
>ういうのはなぜ起こっているのかというと、脳死に二つあるのです。

一方では一ヶ月から一ヵ月半脳死状態が持続するから、脳死は人の死であることを
普遍的原理として呼ぶべきだといい、
一方では、脳死は数日で心臓停止に至るから臓器提供できるという。

これは、どういうことなんでしょうか。

日本臓器移植ネットワークの説明に、脳死は一ヶ月以上持続する例もある、と書くべきではないでしょうか。
そして、末期医療を選択するカードを配布するのが良いと思います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=341&e=res&lp=341&st=0
341 re(1):一ヶ月と一週間 2003/10/22(水)22:16 - 守田憲二

 ここには複数の問題(脳死定義、脳死判定の精度、人の死の定義、救急医療の発達、侵襲に対する小児の脳の抵抗力)と、それに起因する現象が混在しています。対応も簡単ではないと、私は考えます。

 荒っぽいですが脳死容認論者の脳死定義は
「脳死と判定された時点で、すでに脳機能は廃絶しており、絶対回復することはなく、数日のうちに必ず心停止で死亡する。すでに死体になっている」であり、「だから脳死になったら、ドナー管理開始も臓器摘出も治療打ち切りも許される、人の死だ」と定義されていたのではありませんか。

 ところが、脳機能廃絶を確実に測定する手段が本当は存在しない(または、すべての推定脳死患者に使えない)ために、脳死と思われた患者のすべてが脳死ではないから、昔から心停止死亡に至るまで長期間経過した人々がいた。年々、脳死に至る経過がわかり、その知識(視床下部ホルモンの投与など)が脳死になるのを阻止する治療にも利用され、さらに長期間生存する人が増えている。

 加えて小児は解剖学的にも生理的にも、抵抗力が高い。「脳圧が高まっても、頭蓋内容積が拡大して脳障害の進行が防止される。その間に病変部が部分的に修復されて、当初よりも安定した状態で生存する」という症例報告が複数あります。

 これから蘇生技術も全身管理技術も、発達します。その先に、長期生存ではなく回復といえる患者が現れることも期待したいところですが、それまでは現在以上に、植物状態とされる方々も増えざるをえないでしょう。

 小児脳死判定後の脳死否定例のなかに複数ありますが、脳死判定後に自発呼吸回復例や痛み刺激にまで反応した患者がいます。ある時点では脳死と判定されても、何時間か何日か後に臓器摘出しようとしたら激痛を感じさせ、死に至るまでの恐怖、絶望感を与えつつ殺しているのかもしれない。視床下部ホルモンの投与不要で生存例もあり、脳死と判定された患者でも内的意識のある人がいそうなこと、脳死判定精度の低さも考慮すべきです。

 私達は、脳死も植物状態も曖昧になりつつある時代に、小児を先頭にいると思います。蘇生治療の努力が継続されているからこそ、こうなった。だから、数ヶ月以上の長期生存「脳死」患者がおられるのではないでしょうか。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=344&e=res&lp=344&st=0
344 re(2):一ヶ月と一週間 2003/10/23(木)19:32 - てるてる

本来は、まず末期医療患者とその家族をケアするシステムを病院につくり、脳死後・心臓死後の臓器提供はあくまでも選択肢の一つとして、院内コーディネーターも一歩引いた所にいるのが理想だと思います。

現在、院内コーディネーターは、死亡患者のデータをすべてよこしてもらうとか、まだ死なないうちのデータ、アクティブ情報をもらうとか、末期の患者の家族に、主治医から、移植コーディネーターの話を聞くかどうか尋ねてもらうとか、病院内での、移植のための協力システムを構築していっています。

これでは、看取りが移植のためのシステムにとりこまれてしまうのではないかと心配です。

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日本の移植コーディネーターのドナーアクションプログラム


345 re(3):一ヶ月と一週間 2003/10/23(木)22:07 - 守田憲二

「脳死後・心臓死後の臓器提供はあくまでも選択肢の一つ」とは、
脳死や心臓死になるまでは救命治療が尽くされることに加えて
臓器摘出時に意識も痛みも感じない死体であることが前提になります。

 杏林大の法的脳死7例目では、臨床的脳死判断の時点で、救命治療に反するドナー管理を開始しました。
これは主治医が
ICUとCCU vol.25(3)脳死の病態とドナー管理の実際
で自ら書いていることです。
この時の厚生省検証会議の報告書をインターネットで見てください。
家族に臨床的脳死と告げる以前から昇圧剤を投与しています。
つまり救命治療が尽くされていない、実例です。

 「心臓死後の臓器提供」といいますが本当は脳死判断にもとづく、
救命治療の打ち切り、救命に反するドナー管理開始、カテーテル挿入、ヘパリン投与を行なっている
「脳死」臓器摘出です。
ただでさえいい加減な法的脳死判定さえも、回避しています。
「一般的な脳死判定後のことだからいいんだ」としている政令自体が臓器移植法に反しています。
「心停死後の摘出」と誤魔化しつづけることは、やめるべきです。
心臓の拍動が停止してから平均5分強の後には、冷却灌流液が腎臓に流入している。こんなのが3徴候死後摘出になりますか。

 加えて「脳死」判定後も、視床下部生存例が高率に、脳死後4日でも約4割にある
(医学の歩み、172巻10号 p641−646 "脳死"例の剖検所見からみた個体の死の時刻 生田房弘)。

 生田氏は脳死ではなく単なる心停止1時間以上経過した後も、視床下部は生存例があることを書いています。視床下部が生きているなら意識もあるでしょう。

 生田氏は「ご臨終です」という言葉が、死にゆく人にも聞こえるだろうといいます(脳死ではなく、主に心臓死する人のことでしょうが)。つまり、生着できる状態の臓器を摘出する場合、摘出される人のなかには高率に、意識も痛みも絶望も恐怖も恨みも後悔も感じる人があるという知見です。

現代医学 41巻2号(1993年11月) p369−p373
脳死段階での臓器移植−何がその開始を阻んでいるか、救急医療の現場から
神野哲夫、同氏による泌尿器外科 7巻2号(1994年2月) p105−p109
脳外科医・救命救急医と腎移植−使命感とジレンマ
この両方に「1979年頃より、脳外科の早朝回診に必ず腎移植医が参加されてきた」とあります。

 つまりF大学病院脳外科に入院した患者と家族が「毎朝、大勢で回診してきれくれているのだなあ、大学病院に入院してよかった」と思っていたら、なかには「臓器を獲れそうかどうか」という目で見ている医師がいる、という現実です。

 院内の医師・看護士・その他スタッフで構成する院内コーディネーター、ドナーアクションプログラム自体が、このような性格を帯びるでしょう。
元移植学会理事長の太田和夫氏自身が「入院時にドナーカード確認を、潜在ドナー把握すべき」と言います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=346&e=msg&lp=346&st=0

346 守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/24(金)12:43 - スギケン

この間のお二人のやりとりを拝見していますと、脳死移植の今後の課題が見えてきます。
厚生労働省でもこのような討論が必要なのです。過去のケースからの課題と今後の未知の部分への研究プロジェクトの立ち上げ。
けっしてこの課題は討論が終わったわけではなく、むしろ医学・医療の新たな挑戦や研究課題がごろごろころがっているのです。それをある一線で社会的に決めようとするところに無理があります。
無理を通すときには、すべての情報の開示のうえの討論でないと、またまた疑惑が生まれてしまいます。

医療現場では画一的な状況はありません。病名だけとれば同じでも、患者さんは十人十色です。
さらに医療技術の判断は確固としたものでなく、曖昧で不確実性がたかいものです。医師だけでなく患者側も認識する必要があります。教授と名のつく専門家が唯一正しい判断をするとは、もうだれも信じないでしょう。病院は、治療は患者が主人公です。判断の正解は一つではありません。
なにがいいたいかって?  要は自己決定であり、人権の尊重の視点だということです。
少し短絡的ですか。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=347&e=res&lp=347&st=0
347 re(1):守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/25(土)10:46 - 守田憲二

「すべての情報の開示のうえの討論・・・要は自己決定であり、人権の尊重の視点だ」
とのご意見におおむね賛成いたしますが、すべての情報の開示に、
組織・移植をされている方は、まともに対応できますか。耐えられますか。

 ドナーが臓器摘出時の激痛で暴れたら手術ができないからと
ほぼ全例に筋弛緩剤を事前投与しています。
それでも一部は足りず、メスを入れたら血圧が急上昇し麻酔薬を使っています。
http://www6.plala.or.jp/brainx/anesthesia.htm
 臓器摘出前後の体動、血圧急上昇の説明は「脊髄反射」の一点張りですが、
脊髄反射の検査はしていないも同然で(スギケンさんの専門分野)、
http://www6.plala.or.jp/brainx/reflex1.htm
神経内科医の古川氏は
「脊髄反射も脳の中枢活動であり、意識の表れである」としています。
http://www6.plala.or.jp/brainx/reflex2.htm
 筋弛緩剤、麻酔、モルヒネまで使っていることを聞いただけでも、
現在のドナーカードを持っている人は大部分が破り捨てるでしょう。

 過去から、異様な臓器・組織採取の歴史があります。
 1983年の「移植」 Vol.18 No.5、p450〜452に
当時の日本移植学会理事長が自ら
「火葬してわからなくなる臓器をA氏が獲っていった。(自分の専門の)眼球は獲るとわかるから義眼を入れた」
という主旨を書いています。
http://www6.plala.or.jp/brainx/tissue.htm
 1978年の日本外科学会雑誌 Vol.79 No11 p1417〜p1425
「屍体内灌流腎(福島医大方式)移植6症例について」 は
「(腎臓の)灌流装置は小型でベッドにかくれており遺族の方々には見えないようにし、灌流を施行した」
と書き、同症例について
「移植」 Vol.13 No.5p235〜p239
「屍体内臓器灌流による腎の変化」は、温阻血時間はすべて0分と表にあります。
これは家族を騙して、心臓が拍動中に灌流開始したことを示しているでしょう。

 1993年8月20日にノンフィクション作家、柳田邦男氏の息子洋二郎氏の腎臓提供も、柳田氏らが呼ばれてベッドサイドに戻った時には
「顔も手も白くなっていた。頬に手を当てると、冷たかった」(サクリファイス)。
臓器摘出チームがダブルバールンカテーテルの使用により、脱血中(失血死の途中)で家族を呼び「心停止後の提供」を演出した可能性があります。

 救命治療をあきらめて、救命に反するドナー管理に転換したタイミング、
それを正当化する家族への説明、脳死判定等の内容、投薬などの量、タイミング
これらについても説明できるケースがどれだけあるのでしょうか。
刑事、民事の責任を回避するために、しないでしょう。
情報開示(プライバシーに配慮)は行なわれるべきですが、こんな問題があります。

 いずれにしても、情報開示がなされれば、臓器提供意思のある人は激減します。すべての情報を知った後でも臓器提供したいという人は「植物状態になったら生きていたくない」という「自己決定」をしていることになりますか。しかし、内的意識もあり痛みも感じる可能性のある状態で臓器摘出を認めるのは、自殺を認めることです。

 日本でも過去に無脳児を臓器ドナーとしていましたが、今はしていません。「自己決定」も危ういと考えます。

 「人権の尊重の視点」も入れて末期医療をどこまで行なうべきか検討すべきことですが、
乳幼児脳死疑い例で908日後に心停止があります(聖マリア病院)、
病態としては手の施しようが無くとも、数年経過する状態が末期なのか。
「自己決定」を急ぐのは控えるべきと思います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=348&e=res&lp=348&st=0
348 re(2):守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/25(土)17:03 - てるてる

USAでは心停止ドナーからインフォームトコンセントをとるための段取りはかなり厳しく規定されているようです。

それを日本では、いまわのきわになってから家族の同意を得るだけでやっているわけです。

もっと、臓器提供意思表示カードを配布する際に、個人個人に対して、情報を提供しておく必要があります。

USAでは、脳死ドナーが不足するので、心停止下ドナーがふえていますが、それについての倫理問題がいくつもの論文に書かれています。

まるで日本の脳死移植の議論のようです。

日本の移植コーディネーターが、USAの議論と同じぐらい真剣に心停止下臓器提供について議論を深めようとしないのは、問題ではないかとも、思います。

「心停止ドナーについて、ドナー・プール拡大の期待と倫理的問題」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/200309pubmedreport.htm

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=349&e=res&lp=349&st=0
349 re(3):守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/25(土)17:07 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=350&e=res&lp=350&st=0
350 re(4):守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/25(土)17:18 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=351&e=msg&lp=351&st=0
351 提供する臓器・組織の種類 2003/10/25(土)18:49 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=352&e=res&lp=352&st=0
352 re(3):守田さんとてるてるさんの討論は大変興味深いです 2003/10/25(土)23:29 - 守田憲二
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=366&e=msg&lp=366&st=0
366 心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/4(火)14:54 - てるてる


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=357&e=res&lp=357&st=0
367 re(1):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/5(水)02:05 - 守田憲二

 シューモンは2001年3月の来日記念講演において、
(小児科臨床Vol.54 No.10 子どもの脳死と死:脳死概念や定義の不整合性について) 
「大脳皮質がほとんどないにもかかわらず,意識のある hydranencephalic children(水頭無脳児),Andrew君(6歳)が音楽にも嬉しそうに反応し,鏡に映る自分の顔をみて嬉しそうに笑う。さらには,背臥位の状態で足をぴょこぴょこさせながら,家具にぶつかることもなくべランダに出ることができた」
とあります。
無脳児も定義が広くされることがあります。近畿大でしたか
「広義の無脳児だったから臓器の発育がよく、良好に生着中」という主旨の論文があります。こんな子供から臓器を摘出するほうが、本当はトラウマになるべきではありませんか(なったから今はしていない?)。

 心停止ドナーの件、
脳死を経過することなく3徴候死となり24時間経過後、埋葬直前に臓器を摘出するのならば、
一般人の理解と同じ「心停止ドナー、心臓死ドナー」ですが、実際には、
臓器摘出前に必須薬剤(ヘパリンなど)をドナーの全身に行きわたらせるため、
短時間の心停止があっても、家族に面会させるまで、
そして臓器提供の承諾を期待して心臓マッサージを続けられることがあります。
家族到着まで1時間以上、心マッサージを続けて腎臓を摘出したケースがあります。
死亡宣告後に家族が提供意思を表明して、心マッサージが開始されたこともあります。
「心臓死だと『ご臨終です』の声が死に行く人に聞こえるだろう」と脳生理学者がいいますから、
死に臨んでも、まだ臓器摘出目的で心臓マッサージなどされるのが倫理的でしょうか。

 心停止ドナーといえども、経過のわかる「脳死」者が、まずドナーとされます。
脳死判断が治療打ち切り、ドナー管理に移行する理由ならば、脳死臓器摘出です。

 別件のお知らせです。

 また日本法医学会企画調査委員会による「被虐待児の司法剖検例に関する調査」
三重大の「乳児に見られた硬膜外血腫一例」、そして
小児科学会で脳死臓器移植を検討されたメンバーの田中氏らによる
「小児脳死臓器移植における被虐待児の処遇に関する諸問題」を
http://www6.plala.or.jp/brainx/battered_children.htm
に掲載しましたので、参考になるかと思います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=368&e=res&lp=368&st=0
368 re(2):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/5(水)07:54 - スギケン

間違いのないように。
無脳児と水無脳症児は全く別ものです。医学的には。
シューモン教授のいう水無脳症児は小児神経科専門医なら日常的に診療しています。
前者は新生児期に亡くなることが多く、乳児期まで延命することは少ないと「いわれています」。
僕は経験ありません。
シューモンの一連の重度脳障害児の残存能力の問題はいまわれわれも取り組んでいる仕事と一致します。
最初に戻りますが、無脳と水無脳をしっかり読み分けて下さい。

370 re(3):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/5(水)23:53 - 守田憲二

スギケンさんへ、ご指摘いただきまして有り難うございます。
間違いがありましたら認めますが、不明のままの問題が3つあります。
2つは先に書いておりますが、それは無脳児は、
1、臓器も正常に発育していないから移植に適さないため、ドナーにされることが減少している。
2、脳幹があり生存能力があるから、ドナーにしなくなった
のではないかという点です。
「脳幹があり生存能力があるから、ドナーにしなくなった」は
移植医の文章で見た記憶があったため引用しました。
生着率の低さは以前から書かれておりましたので、
私は「生存能力があるとわかったからドナーにしなくなる、当然だろう」と思い
コピーをしなかったため今、資料を提示できないのが残念です。
3つめは、その移植医の認識「脳幹・生存能力あり」と下記の資料をみて思ったことですが、
3、医師毎に障害や無脳児に対する認識、対応に差があり、なかには障害が治療打ち切り、
  臓器提供の促進材料になる施設・医師があるのでは、ということです。

 参考資料を紹介しますと、小児科臨床 37巻6号(1984年)は、
p43(1233)−p46(1236)に社会保険中京病院の都筑一夫氏による
「無脳児をドナーとした小児腎移植の1例」を掲載しています。
これは出生した夜1981年12月11日に、
温阻血時間0分(つまり心臓が拍動時に)腎臓が摘出され8歳女児に移植されました。
拒絶反応で61病日に再透析となり、77病日に移植した腎臓を摘出しました。
医学雑誌であるにもかかわらずドナーは
「在胎36週、生下時体重2,000gの無脳児」としか書かれておらず、
性別もわかりません。臓器摘出する側も、無脳児の区別をどれだけしているのでしょうか。

 移植 26巻6号(1991年)は、
p646−p653に近畿大の池上 雅久氏らによる
「心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例」を掲載しています。
 ドナーとされた女児は、脳幹部、視床下部、小脳などは認められるが
大脳半球はすべて髄液に置換されており「全前脳胞症」と診断され、
広義の無脳児と判断されました。
 口唇口蓋裂および発育異常のため入院中の1989年1月、
1歳6ヶ月時に呼吸器感染症が原因で急変し心臓死と確認。
以前より家族から腎提供の意向があり、
心停止後も心マッサージにより血圧が100/50mmHg程度に維持され、
心停止後115分より腎摘出術を開始。
2個の腎臓とも、レシピエントは体重45kgの35歳女性です。

 池上氏は「移植」25巻6号p666(1990年)で
「ドナーは無脳児であったが脳幹部が存在しており、
1歳6ヶ月まで成長していたこと、・・・・・・が、腎を生着可能になるまで成長させ、
幸運な状況を生み出したと思われ、狭義の無脳児とは同一視できず、
無脳児ドナーでの死体腎移植は困難であることに変わりはないと考える」と言っております。

 近畿大の林 泰司氏は「移植」34巻5号p285(1999年)
「10年を経過した無脳児ドナー献腎移植症例」で、
このレシピエントが「移植から10年を経過し血清Cr値は0.9r/dlと移植腎機能は良好
であり骨盤部CT上、移植腎は術後1年目の大きさを維持している」と報告しています。
前回「広義の無脳児だったから臓器の発育がよく、良好に生着中」と書いたのはこのことです。

 後者のドナーは、出生直後に臓器を摘出されたのではありませんが、
「以前より家族から腎提供の意向」があったから、
心停止後も心マッサージにより血圧が、約2時間にわたり維持されたのでしょう。
障害のあることが、両親が救命治療を早期にあきらめ臓器提供を考慮する一因になった
可能性があります。確かに治療をされている施設もありますが、その一方で、
「無脳児」と称して、あるいは障害を理由にドナー対象が拡大されてきた。
障害が、治療をやめ臓器提供の促進材料になる施設・医師があるのでは、と思います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=371&e=res&lp=370&st=1
371 re(4):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/6(木)15:43 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=372&e=res&lp=372&st=0
372 re(5):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/6(木)16:11 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=373&e=res&lp=373&st=0
373 re(5):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/6(木)16:12 - てるてる
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=376&e=msg&lp=376&st=0
376 てるてる案のabstracts? 2003/11/7(金)12:26 - てるてる

なんといったらいいか……
USAにはこういうサイトがあります。

http://home.earthlink.net/~mbwinner/tpf.html

Politicians, religious leaders, and even doctors have little to offer
the parents of brain-absent anencephalics. "Put it all behind you" seems
to echo from every corner. Forget those who might be spared your agony.
Forget that two babies must die when one might live. Remain silent.
You can try for another baby. Why fight the system for the chance
to save the life of someone else's baby?
------------------------------------------------

しかし、私は、こういうことを主張したいと思っているのですが……

The removal of organ or tissue from human body is only permitted
when any person who wishes to donate his or her organs or tissues,
informed enough about transplantation, guaranteed freedom of alteration,
without any consideration, founding on free will and ethical decision,
voluntarily, and optionally, put his or her prior declaration in writing.

Because no human being was born or is living or die
to become the medical resource. The organ transplantation become possible
by organ donation. And donation must not be coerced, nor persuaded,
nor motivated by money, nor be permitted by anyone's family's decision.
It is the principle to anencephalic infant,
persistent vegetative state patient, brain dead one,
and cardiovascular dead one, too.

参考までに、USAの小児科学会の1992年の声明も紹介します。
Policy Statement
http://www.aap.org/policy/04790.html

てるてる案のabstractsを作ってみました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/abstractsteruteruproposal.htm
てるてる案
http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=374&e=res&lp=374&st=
374 re(6):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/6(木)21:55 - 守田憲二

日本小児科学会は、この件について見解を出しているのでしょうか?

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=375&e=res&lp=375&st=
375 re(7):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/7(金)09:29 - スギケン

守田さんは本当によく調べておられますね。すごいの一言です。てるてるさんの展開もすごい。
日本小児科学会関係でおしらべになっても、例の名古屋?ケースくらいでしょう。これも
当時たしか社会的に討論になったと思います。しかし、学会としては何も提言していません。
北米はあのように「立派な」提言をのせるのですが、あれは学会員が一致して、認めたというのではありません。
あくまで専門委員会が自分たちの提言として、なにか問題があるときにいち早く、専門的参考資料のような形で出すものです。日本小児科学会は一つ一つ理事会で可決します。お国柄でしょう。
でもすこしずつ、日本も専門委員会レベルの判断で提言が可能になりつつあります。

 先日の脳死移植への提言は、内部の委員会としては、寸前まで両極端の賛否両論者(学会誌に委員は公開しています)
「そのような内容なら席をたつ」「名前は抜いてくれ」という状況でまとめられたものです。
学会の意見だということで公開の場ではなす時、僕は僕なりに慎重な言い方をし、賛成の医者は、学会として「認知した」と大きな声で話します。どちらも事実なのです。

 いま、これから取り組みたいのは、昔21トリソミーがそういう側面がありましたが、いまは13,18トリソミーの処遇?です。無脳児以前に臨床的にこの子どもたちへの治療をどうするのか?小児科へくる以前に命が終わる児もいます。ところが日本小児科学会誌でも10歳をこえる延命するケースがでています。
この点も北米の考え方と全く違う方向が出てきています。

 今後ともこのような質の高い討論をよろしくお願いします。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=377&e=res&lp=377&st=
377 re(8):心停止ドナーと無脳症ドナー 2003/11/8(土)00:59 - 守田憲二

 医中Webで「無脳症」or「無脳児」で検索すると437件出てきますが、これにand「移植」で検索すると10件でした。
この範囲の検索では、無脳児からの臓器摘出は、
社会保険中京病院と近畿大しか論文を書いていないのではないか、
という推定になります。

 立花隆の著作に無脳児からの臓器摘出は多数掲載されていたと記憶します。
多数摘出しながら論文を書かないのは、移植成績が悪いから、
あるいは倫理面で危惧されることを、従事者自らが認識しているからでしょう。

 社会保険中京病院、近畿大の報告は、やはり先に紹介した「移植」と「小児科臨床」が最も詳細で、他は抄録でした。
しかし、社会保険中京病院の
「都築一夫:無脳児をドナーとした小児腎移植、日本小児科学会雑誌、87(1)、105、1983」は、
たった6行の抄録ですが、わざわざ
「小児腎移植のdonor sourde 拡大を意図して、無脳児の腎を移植した。」
と書き出しています。

 近畿大の
「池上雅久:無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例、近畿大医誌、14(4)、149A〜150A、1989」は、
最終行が
「当症例が、ドナー概念の拡大につながることを含め、今後とも、経過観察を続けていきたい」
と結んでいます。
やはり、無脳児の対象を拡大して、脳幹部があり1年6ヶ月も生存・成長する能力があった「全前脳胞症」の小児にも、臓器ドナーの拡大を考慮していたことになります。

 このほか、「八幡健児:新生児角膜を用いた全層角膜移植の2例、臨床眼科、53(3)、316−320」がありました。
これは鳥取大学で1997年6月、在胎期間36週6日で出生後12時間で死亡した無脳児の角膜を、死亡確認の2時間10分後に摘出し、79歳女性と64歳男性に移植した報告です。
ドナーは
「5ヵ月検診時、無脳児であることが判明し、出生後の成長は不可能であると診断されていた。・・・・・・分娩に先立ち、両親から同児の角膜を提供する意思が伝えられ、分娩後も同意志に変更がないことが確認された。・・・・・・一人の人間として両親にて命名を受けている」
とあり、両親の複雑な心情が想像されます。

 海外を含め新生児期以下の角膜提供とみなしうる(文献)報告例が海外を含め103例あること。
小児角膜移植の特性として
@組織の成熟度が低いため、軟らかく手術操作が困難
A成人角膜に比べ内皮細胞数が多く、術後の角膜透明性は良好
B術後の極端な近視化、などを指摘。

 八幡氏は、「新生児角膜」に対する評価として
「火急の治療を要する治療的角膜移植や、予後不良とされる症例に対して有効なドナー角膜の1つになりうる」
としています。


「脳波がある無脳児ドナー」(守田憲二)

http://www6.plala.or.jp/brainx/anencephaly.htm


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=379&e=msg&lp=379&st=
379 小児脳死判定後の脳死否定例、追加とURL変更 2003/11/16(日)09:41 - 守田憲二

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http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=380&e=res&lp=380&st=
380 re(1):小児脳死判定後の脳死否定例、追加とURL変更 2003/11/16(日)10:31 - スギケン

守田さん いつもありがとうございます。
本当に参考になります。
1歳の症例報告をみますと、多くが友人の論文です。そして小児神経科専門医が多いです。
いま小児科学会で脳死・移植を取り上げていますが、このような論文をみるにつけ
小児神経学会でももっとつっこんだ学会としての検討が必要に思います。
脳蘇生学として小児専門家としての討論ですね。
すぐには無理かもしれませんが、今度の小児神経学会の理事会で取り組むことを提案してみようかと思っています。僕にはそんなに発言力はないのですが、時期が時期です。
関係団体として黙っていてはいけないと思います。
これは私的発言です。役員としての発言ではないと。弱気かな?

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=382&e=res&lp=382&st=
382 re(2):小児脳死判定後の脳死否定例、追加とURL変更 2003/11/18(火)00:09 - 守田憲二

スギケンさんへ

 「小児神経学会でももっとつっこんだ・・・脳蘇生学として小児専門家としての討論」
が必要とのお考えには賛成しますが、現在は臓器摘出が前提になっておりますので、
下記の4点も検討していただく必要があると思います。

1、そもそも脳死判定が可能か?機能廃絶を証明できる刺激強度が設定不可能ではないか?
  「蘇生困難の判断基準」と「人の死、臓器摘出を容認する基準」を混同していないか?

 杉本健朗:小児脳死の問題点と判定基準、小児内科、35(2)、258−262、2003

3、各反射の見方
のなかに
「対光反射は強い光を30秒以上持続すること。数秒の判断は偽陰性を招く」
とされているように、刺激の強度が弱ければ反応は出ないことが考えられます。
では、室内が何ルクスの暗さの時に、眼には何ルクスの光を、何秒間当てて反応がなければ、対光反射の機能廃絶と考えて良いかは、なにか根拠があってされていることでしょうか。

 日常診療では、なんらかの尺度をもって診断されることは当然必要ですが、その同じ尺度=刺激強度で反応が無いからといって、脳死判定基準を満足したといってよいのか?

 深昏睡の検査も同じです。疼痛刺激の強度は、なぜ今の刺激で充分なのか。臓器を摘出される時のメスの痛みで覚醒したから、血圧が急上昇したのかもしれない。

 脳死判定の骨格とされる無呼吸テストにいたっては無茶苦茶です。
昔は人工呼吸器を使用しているだけで「無呼吸」としたり、
人工呼吸器に逆らった自発呼吸が出ないというだけで「無呼吸」としていました。
無呼吸テスト時間は1974年は3分間としましたが、1985年に10分間へ伸ばし
1991年には動脈血二酸化炭素分圧が60mmHg以上に上昇したことを確認できれば
「十分な炭酸ガス刺激を与えた。この間に自発呼吸が出現しなければ無呼吸と判定してよい」
としました。その後は無呼吸テストを終了してよい値は60mmHg以上のままですが、
これで十分な炭酸ガス刺激かというとそうではなく、
日大では72mmHgで、京大では 86mmHgで、日本医科大では
54歳女性が脳死と判定された6日目に再度、脳死判定を行なったところ
100mmHgを超えて呼吸のような動きのあったことが報告されています。
http://www6.plala.or.jp/brainx/apnea_test1.htm

 過去の10分間無呼吸テストでは血液pHが酸性になりすぎて、呼吸抑制、意識消失になるpHになっています。つまり、これ以上、刺激強度を上げられません。

 さらに日本胸部疾患学会は1994年に
「現在の無呼吸テストは炭酸ガス刺激しか行なっていない。化学刺激と低酸素刺激も行なわずに無呼吸と判断することは、倫理的に問題がある」
と改良無呼吸テストを提案したにもかかわらず、採用していません。
つまり無呼吸テストの根拠は無く、患者を害しているだけなのではないでしょうか。
脳死判定の最重要テストとされる無呼吸テストさえも、これだけの変遷をしてきました。

 その時々の医学的知識で「蘇生不可能の判定基準」はできても、それをイコール「人の死基準、臓器摘出容認基準」とするには飛躍が大きすぎ、倫理面の危険もあります。脳死判定され臓器提供した遺族が、「いい加減な判定をされ、死ななくてもいいのに死んだ」と判定時の医師・施設の判断を問う事態も予想されます。

 人の死は厳粛なものです。古来からの誰でもわかる死の判定法(感じ方)を捨て、その時々のあやふやな知識で死の判定法を変え続けるならば、倫理的にも、きわめて不安定な社会になると思います。

 従って、「蘇生不可能の判定基準」と「人の死基準、臓器摘出容認基準」は別に検討するべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。

2、脳死判定基準が無視している検査は今のままでよいのか
・深部脳波、鼻腔脳波を無視して、
 雑音が多く、信号も減衰している頭皮上脳波だけしかみていない。
・脳内薬物濃度が末梢血血中濃度の数十倍になる患者もあるが、
 脳組織内の薬物濃度を測定する技術的手段が無い、
 さらに有効血中濃度域が判明している薬物は約4割しかなく、測定できても判断できない。
・間脳の機能をみておらず、視床下部の長期生存(意識のある可能性)が無視されている。
・脊髄に低次元の意識を認める古田説を、無視してもよいのか。
・臓器摘出時の「脊髄反射」の電気生理学的記録、剖検などで検証すべきではないか。
3、臨床的脳死判断時点から、救命に反するドナー管理を開始した施設もあり
  脳死判定基準の運用の信頼性が確保されていない。

4、過去の「脳死」小児からの臓器摘出について見解をまとめること。

  「脳死」成人からの臓器摘出も同じですが、臓器移植法以前から腎臓を中心に
  すでに行なわれてきたのであって、これに頬かむりして国民に対し
  「これから小児からの脳死臓器摘出の是非を検討したい」
  と提案するのは、医師が市民を愚弄することになっています。
  「心停止後の臓器摘出」と騙し続けると、
  和田心臓移植以上の不信感が広まることはあれ、消えることは無いでしょう。
  他の医学会は直接の当事者ではありませんが、頬かむりしたままならば不信を持たれます。
  この点についても整理して取り組まれることを期待します。
以上

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=388&e=msg&lp=388&st=
388 小児脳死否定例への追加が一区切り、URL変更、「脳死」小児からの臓器摘出例 2003/11/24(月)01:03 - 守田憲二
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=390&e=res&lp=390&st=
390 re(1):小児脳死否定例への追加が一区切り、URL変更、「脳死」小児からの臓器摘出例 2003/11/25(火)20:14 - てるてる

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http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=394&e=res&lp=394&st=
394 re(2):小児脳死否定例への追加が一区切り、URL変更、「脳死」小児からの臓器摘出例 2003/11/26(水)00:22 - 守田憲二

 昔の治療法や診断法のなかで、今ではまったく否定されているものがあるように
現在の医学の最先端でもわからないし、後に否定されることも出てくるでしょう。

 例えば1968年のハーバード判定基準や1974年の日本脳波学会基準の無呼吸テスト時間は3分間ですが、
藤井 之正:脳死における無呼吸テスト中の酸素投与法、ICUとCCU、12(2)、127−134、1988 はp132で「過去にわれわれの施設で行なった11例の無呼吸テストの内、3分の無呼吸でPaCO2が60mmHgに達したのは1例のみであった」そうです。
ここで出てくるPaCO2 60mmHgは、竹内基準が示した達成すべき動脈血中の炭酸ガス分圧です。

 竹内 一夫:厚生省“脳死に関する研究班”による脳死判定基準(いわゆる竹内基準)覚書−神経所見と無呼吸テスト−、日本医師会雑誌、118(6)、855−865、1997
もp860において
「3分間の無呼吸ではPaCO2は20mmHg以下の上昇、血液pHは0.1の低下である。5〜6分でPaCO2は25mmHg以上上昇する」
としています。

 無呼吸テスト開始時にPaCO2が竹内基準規定の40mmHgだったら、3分間テストでは
(60プラス20以下=)上げるべき60mmHgには、ほとんどならない、ということです。

 つまりハーバード基準(世界の医学の最先端の大学、と思う人もいる)や日本脳波学会基準にもとづいて実施された脳死判定、無呼吸テストのほとんどは、現在の(曖昧な)判定基準からしても無効だったことになります。当時の脳死判定された患者は、テストにならない無呼吸テストを受けていたことになります。現在の無呼吸テスト自体の非科学性も、すでに私のサイトでお示ししたとおりで、無呼吸テストがいったい何を判定できているのか、科学的に証明できる人はいないと思います。
スギケンさん、この点について、いかがでしょうか。

 立花隆も、血流途絶による脳死判定の「科学的正確性付与」をさかんに主張していましたが、数年もしないうちに微妙な脳血流の存在を測定できない旨の論文があったように記憶しています。

 このように数年の間に変わりうる脳死判定基準、救命不可能の判断基準をそのまま人の死の基準、臓器提供を容認する基準に採用していたら、不安定な社会になります。死の基準が生きているうちに何度も変わるわけですから。

 「死んでると言われたから臓器を提供したのに、今の脳死判定基準では、『あれはいい加減な判定方法だった』と医学会の定説になっているじゃないか」と臓器提供に同意した家族が自分を責めたり、脳死判定医、移植医の責任を追及することは今でも現実にありうることです。

 その時代毎に医療の限界を判断する尺度を持つのは当然だけれども、それをあまりにも広範囲に適用しているのが、問題と思います。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=402&e=msg&lp=402&st=
402 小児脳死判定後の脳死否定例、追加データの概要 2003/12/1(月)00:41 - 守田憲二

 昨日、新規追加19件(うち1件は参考、死産児の死産の誤判定・復活例)、記述追加7件を実施しました。
追加分はhttp://www6.plala.or.jp/brainx/index.htmの更新情報よりご覧下さい。

 追加資料のうち2点、
市川 光太郎:脳死と思われた小児10例の検討、小児科診療、62(3)、428−432、1999
池田 佳代、谷渕 真理、榊 治子:脳死患児をもつ両親への対応、第20回日本小児看護学会収録−小児看護−、81−84、1989
は、原文でご覧になることをお勧めします。

 北九州市立八幡病院における「脳死と思われた小児10例の検討」は、
脳死状態と宣告された家族の感想、治療への意向が掲載され、
例えば0.8歳女児は医師側が虐待を疑いつつ、両親からの呼吸器条件と強心剤の「据え置き」を受け入れて7日後死亡となった模様です。

 脳死を受容しなかった9.7歳女児は、295日後死亡です。

 原因疾患も容態も違うから一概には言えないことですが、生命維持技術が進歩した現代では、医師や家族の判断・対応により、長期脳死・遷延性脳死の発生が左右されていることを伺わせます。

 関西医科大学病院・救命救急センターにおける「脳死患児をもつ両親への対応」は、
7歳男児
4歳男児
それぞれに論文には各1ページで
「患者の経過」「医師からの説明」「両親の反応」「看護目標と実践」、が掲載されています。

 それを読むと、家族が「助けてください」と言い続ける間に
無断で治療水準を落とし続けたのではないか、と断言はできないのですが想像されます。

 「救命救急センターはどこも同じようなもの」と言われますが、このようなことをしているのであれば、「脳死」にならなくて済む患者まで「脳死」にしているのではないか、脳死判定は(判定基準の非科学的経験則的性格に加えて)運用面も、臓器摘出が絡まなくとも形骸化していることになります。

 このほかにも九州大学(3歳児)が脳内薬物濃度と血中薬物濃度の差、
焼津市立総合病院(2歳児)が、内分泌学的視点からの脳死の検討が必要、
奈良県救命救急センター(8歳児)が脳底部の血流あり、
国立療養所香川小児病院(平均4.7歳)が二次性脳障害例の長期生存、体温差変化(血流再開?)、
長期経過症例の頭蓋骨縫合離開
などに、私は注目いたしました。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=403&e=msg&lp=403&st=
403 小児脳死否定例、追加作業終了 2003/12/5(金)21:28 - 守田憲二

 なお、私が利用している図書館の蔵書の制約から、実物を見ることができない論文が多数ありますが、特に小児救急、小児脳神経分野では
「日本小児救急医学会雑誌」「日本小児心身医学会プログラム・抄録集」「子どもの心とからだ」「小児神経学の進歩」は全く点検できません。

 「脳と発達」は通常の発行号は点検できますが、Suppl=臨時増刊号は点検できません。
   「小児の脳神経」は26巻4号(2001年8月)までしか点検できておりません。
 これらの医学雑誌は、特に小児脳死否定例を検討される方には、点検していただく必要があります。

 今回は医中Webで 脳死 を検索語としましたが、この検索では出てこないものの脳死症例を含む論文が掲載されています。
蘇生 など他の検索語を追加するか、他のデータベースを利用して点検しないと、漏れが発生するのは避けられません。

 「脳死論文が掲載されている隣接ページも見てみる」、より時間があったら「目次や論文タイトルの点検をする」と点検漏れはカバーできます。

 七戸康夫:2時間にわたる心肺停止後救命しえた溺水小児の1例、ICUとCCU、18、587−592、1994
  という論文があるそうです。
小児の蘇生能力に注目した検討も必要と存じます。


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=404&e=res&lp=404&st=
404 2時間にわたる心肺停止後救命しえた溺水小児の1例 2003/12/20(土)17:54 - てるてる

2時間にわたる心肺停止後救命しえた溺水小児の1例
ICUとCCU、18、587−592、1994
七戸康夫、升田好樹、氏家良人、高橋広巳、横沢真喜子、表哲夫:
旭川赤十字病院救命救急センター

以下に抜粋します。

------------------------------------------------
溺水1時間、推定心停止時間2時間におよぶ溺水小児症例において、言語障害を残しながらも独歩退院するまでに回復した。

症例は5歳男児。熱性痙攣にて1歳時よりフェノバルビタールを服用していた。

7月21日午前9時(気温24度)ごろ姉妹とともに農業用灌漑溝付近で遊んでいるうちに、灌漑溝へ転落した。9時45分に通報があり、捜索、救助が開始され、1時間後転落地点より約2,2km下流で患児の父親と警察官により発見救出された。10時9分に救急隊の出動要請がなされ、救急隊から警察官に心肺蘇生処置の依頼を行った(10時15分)。10時24分救急隊が救出現場に到着した時点では父親と警察官2名によって心肺蘇生(口対口人工呼吸、心マッサージ)が行われていた。その時点で呼吸心拍停止、瞳孔散大し、対光反射は消失していた。救急隊に心肺蘇生処置が引き継がれ、10時40分当院救命救急センターへ搬入されたが、その時点でも状態に変化なく、心拍呼吸停止、瞳孔散大(径7mm)で、直腸温は25.4度であった。
(中略)
蘇生開始30分後には脈拍が触知されるようになり、心電図もHR50/minと徐脈ながらほぼ正常QRS波形となった。50分後には微弱ながら自発呼吸も再開した(体温26.8度)。
(中略)
第5病日頃より意識レベルの改善がみられ、第7病日気管内チューブを抜去し、一般病棟へ退出した。この頃には離握手などの簡単な命令に従うこともあったが意識にムラがあり、ほとんど開眼しないことも多かった。
(中略)
事故発生から1年半経過した現在は運動機能はほぼ正常で、やや前屈みになって歩くのが目につく程度であるが、精神発達に関しては若干の遅れが認められる。言語障害の程度としては、長い文章はまだ困難であるが片言と短文によって意志の疎通が可能な程度である。用便、食事は人の手助けを借りずにできるようになった。養護学校2年に在学中である。

「考察」
溺水、特に屋外、冬季間の場合などではdiving reflexによる血流の中枢神経へのシフトがおこり、さらに急速な低体温が組織代謝を低下させ、臓器保護に有利に働くため、他の原因による心肺蘇生症例と比較すると長時間におよぶ心停止であっても予後が良好な症例がある。
しかしながらこれらの症例も溺水時間としては30分程度で、さらに服部らは心肺停止として来院した症例の心拍動を再開できる溺水時間の限界は30分程度であり、心拍動が再開しても脳障害を残さずに完全回復可能な溺水時間の限界は15〜20分であるとしている。
経過時間以外の生命予後に影響する因子としては、救助時の心肺蘇生の有無、BE、肺水腫の有無、溶血の有無、体温などが挙げられている。

今回われわれが経験した症例では溺水時間が60分と長く、溶血、肺水腫も見られ、初療時には救命は困難と思われたが、言語障害を残しながらも養護学校へ修学するまでに回復した。このように予後が良好であった理由として
(1)高度の低体温であったこと、
(2)救助直後から心肺蘇生が行われたこと、
(3)早期からHBO(高気圧酸素療法、hyperbaric osygen therapy)を行ったこと、
(4)服用していたフェノバルビタールの関与などが考えられる。

「文献」
4)中西拓郎、樋口昭子、伊藤裕輔、他: 厳冬期溺水事故患者の治療経験; 水没30分からの蘇生と神経学的回復の長期追跡例. ICUとCCU 10: 1003, 1986
5)菅桂一、野崎洋文、奥秋晟、他: 淡水溺水22例の検討. 救急医学10: 1619, 1986
6)鈴木隆雄、水本一弘、木下達之、他: 第65病日で発語可能となった重症溺水症例. 麻酔40: 1874, 1991
7)服部希一、福本純雄、黒岩利正: 小児溺水23例について, 救急医学15: 347, 1991
8)堀真也、田中彰、斉藤憲輝、他: 溺水64例の検討. ICUとCCU 12: 1121, 1988
9)森山領、並木昭義、氏家良人、他: 淡水による溺水10症例の検討. ICUとCCU 8: 247, 1984
------------------------------------------------


http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=416&e=msg&lp=416&st=
416 小児脳死判定後の脳死否定例はおよそ150例 2004/1/26(月)20:05 - 守田憲二

 新潟市民病院が、心停止後の心肺蘇生術を希望した3例が、
いずれも脳死判定後に体動のあった10ヵ月女児、4歳男児、7歳女児でした。
吉川 秀人:小児長期脳死症例における体動について、新潟市民病院医誌、24(1)、25−28、2003は
「これらの動きを目にすると、ご家族のみでなく医療関係者であっても、脳死であることを理解はしていても本当に死亡しているのかと疑いを持つことが多いのも事実である。」そうです。

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