救急医と移植医とが連携して行う臓器移植

〜ターミナルケアと脳死身体の利用の接点〜

2004.03.08. by てるてる

『移植』Vol.28,No.1,1993年と、『移植』Vol.30,No.4,1995年とに、大阪大学特殊救急部および関連の救命救急センターで、脳死状態を薬剤の投与によって長期間維持した事例が載っています。(*参照1,2)
救急医と移植医とが連携して行う移植のための臓器機能保存および摘出は、ターミナルケアと脳死身体の利用の接点です。

(1)『移植』Vol.28,No.1,1993年, p.60-71
「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持を行ったドナーから移植された腎の機能についての研究」
(大阪大学救急医学、鴻野公伸、Kohno Masanobu)

(2)『移植』Vol.30,No.4,1995年, p.367-382
「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持された症例の肺機能についての研究」
(大阪大学救急医学、三谷和弘、Mitani Kazuhiro)

(3)ターミナルケアと脳死身体の利用の接点

(4)参照


(1)『移植』Vol.28,No.1,1993年, p.60-71
「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持を行ったドナーから移植された腎の機能についての研究」
(大阪大学救急医学、鴻野公伸、Kohno Masanobu)

長期といっても、この論文でとりあげられているのは、1週間から10日前後の日数です。この日数は、患者の家族が脳死状態を患者の死として受容し、レシピエントを選定し、準備する期間として貴重であると考察されています。

(p.61)

II.対象および方法 / 2.方法

(1) 脳死判定とドナー家族の同意
全例に対し厚生省脳死判定基準に加えて、各施設での追加項目を含む脳死判定基準に従って脳死判定を行った。腎提供に関する家族の意志を確認した上で、大阪府の腎移植ネットワークに担当医師が連絡した。腎移植ネットワークの当番医師が腎摘出ならびにそれに必要な処置を家族に説明し、腎提供に対する完全な自由意志に基づく家族全員の同意を得た。

(2)腎摘出、保存、移植方法
心停止と同時に、大動脈にあらかじめ留置しておいたダブルバルーンカテーテルから氷水にて冷却したEuro-Collins液を総量5〜10リットル急速に注入し、腎を灌流・冷却した後、ただちに手術室に搬入し両側腎を摘出した。

(3)レシピエントの選択
腎移植ネットワークに登録されている腎移植希望者(レシピエントプール)の中から、組織適合性を優先する規定に基づいて、最も適したレシピエントを選択した。腎移植を実施する医療施設の選択は、腎移植ネットワークの内規に従って決定した。結果的に大阪府下5施設で移植が実施された。

 

「心臓停止前に腎臓機能保存のためのカテーテルを挿入する」という点について、腎臓バンクに本人が登録するときや、家族に同意をとるときに、明示的に情報を提供し充分な理解のうえで承諾をとっていたかどうかは、場合場合によるようです。たとえば、杉本健郎医師は、1985年、交通事故に遭った息子さんの心停止後の腎臓提供を自ら申し出ましたが、移植医が許可なく心停止前のカテーテル挿入をしようとしたのに気づき、それを拒否しました。

『北欧・北米の医療保障システムと障害児医療』
(杉本健郎、クリエイツかもがわ、2000年)P.201-202.
枕頭看護の末、六歳まで生きてきた長男の「最初で最後の社会的貢献」と「何か生きたものが残せないか」という親の思いから、二つの腎臓を提供しました。

その後一五年を経過しましたが、いまだに昨日のことのように思い出されます。患者側の目線で感じたいくつかの問題点を指摘します。

インフォームド・コンセント(情報公開・納得の医療)が大切といわれて久しいのですが、治療内容や医者の治療についての考え方などはほとんど知らされませんでした。私が小児神経科医であったために、それらは手に取るようにわかりましたが、もし、専門家でなければ、病状がどんどん悪化していることや、治療上の手落ちなどがわからずに、おそらく不安と不信が渦巻いた怒りの三日間だったと思います。当然、障害=脳死の受容もなく、結果、腎移植にも行き着かなかったと思います。

患者側にとって、意味のない繰り返し記録される脳波、医学的に不完全な根拠に基づく「脳死宣言」、いつのまにか点滴液が減る説明なしの治療放棄などは、すべて主治医側の「哲学」・考え方の一方的な押しつけでした。

移植を医師・病院側に勧められたわけではありません。私が医師であったために状況を自分たちで判断し、自分たち患者側の意見で治療内容やターミナルのあり方を最後まで押し通しました。

一五年前の当時、ある施設では主治医が移植するように、死に逝く側に繰り返し「説得」することがありました。今でこそ移植医側が作ったコーディネーターが、ドナー側にカウンセリングを行うようになっていますが、移植促進を目的とした人たちが作った組織のメンバーが、たった一度の死を迎える弱者の側の論理を果たして理解できるでしょうか。いまだに絶対疑問として残っています。

 

1993年、関西医科大学で「心停止後」腎臓摘出がおこなわれたときは、訴訟となり、1998年、大阪地裁の判決で医師側が敗訴しています。 関西医科大学の医師は、心臓停止後に移植のために腎臓を提供する許可を、その患者の家族から得たが、患者本人からは、心臓停止後に腎臓を摘出する許可も、心臓停止前に腎臓機能保存のためにカテーテルを挿入する許可も、とっていませんでした。そして原告である患者の家族も、心停止前のカテーテル挿入については承諾していないと主張しましたが、判決では、心停止後の腎臓提供の承諾書に、その内容は含まれている、とされました。しかし、そもそも、患者本人の同意がないので、関西医科大学の医療行為は違法であるとして、20万円の民事の損害賠償が認められました。この判決に関して、厚生省の審議会の記録では、町野朔委員が、

「家族の明示的なインフォームドコンセントがあれば許されるけれども、本件ではそれがなかったから許されなかったという趣旨なのか、それがはっきりしないということだと思うんですけれども、少なくとも我々法律のほうの人から見ますと、あの判決の書き方ですと絶対ダメという趣旨に読まざるを得ないわけです。
(中略)
前段のほうで、およそ生体に対して治療でないような侵襲というのは、本人の明示的な承諾が必要だからダメだと言っておいて、次に、仮に家族の承諾があれば違法性が阻却されるとしても、この場合承諾がなかったからダメだという論理ですから、むしろポイントは前のほうにあると見ざるを得ないわけです。」
と述べています。
http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9806/txt/s0617-1.txt

(p.69)

IV.考察

以上に考察してきた摘出前の腎や移植後の腎の機能という医学的な側面以外に、ADHとカテコラミンとの併用投与による脳死後の循環管理法は、本邦で死体腎移植を推進する上で重要な意義を有する。本邦では年間約740例の腎移植が行われているが、死体腎の占める割合は28%前後に過ぎない。これは欧米の80%に比べ極めて低い割合である。彼らの文化的・宗教的背景の違いや、移植医療の歴史の差以外に、本邦における脳死に関する個々人の理解の欠如や脳死体からの臓器摘出に関する法的整備の遅れが大きく関与していると考えられる。脳死のほとんどは救命救急施設で発生する。事故・脳血管障害・急性心疾患など、その原因はいずれも突然起こる。特に腎移植のドナーの対象となることが多い青壮年の脳死症例ではそれまでが健康であったがゆえに、突然起こったその現実を患者の家族がますます受け入れ難いのは当然のことで、その心情は充分に理解できる。我々の特殊救急部における経験でも、パニック状態の家族が脳死を正確に理解することは例外で、まして腎提供を申し出るケースは極めて稀である。主治医との信頼関係が確立され、患者との面会を繰り返すことで、家族は脳死を真に理解し、目の前の現実を徐々に受け入れる心の準備ができるのである。完全な自由意志による臓器提供は、主治医ならびに移植担当医との信頼関係なくして考えられない。我々の開発したADHとカテコラミンの併用投与による脳死後の循環管理法は、これらの一連の過程に必要な時間的余裕を生み出すもので、極めて重要な意義を有する。この時間的余裕は、同時に、レシピエントの選択や移植手術の時間設定、レシピエント自身の術前準備にとって貴重であろう。

 

上記の論文で「完全な自由意志による臓器提供」と言われているのは、脳死の患者の家族の意思であって、患者本人の意思のことではありません。患者本人の意思は念頭にないようです。この論文を書いたのは移植医ではなく、救急医なのですが。

救急医のなかには、臓器提供をターミナルケアの選択肢の一つとして積極的に評価する人もいます。(*参照3)たとえば、横浜総合病院脳神経外科・救急センター部長平元周氏は、

「脳死患者家族に安らかな気持ちで死を迎えさせてあげたいというのが私の脳死患者に対するターミナルケアです。実際に腎臓提供にいたり、臓器提供が脳死患者家族の精神的な意味でのターミナルケアになっていることがいくつもありました。」
と述べ、臓器提供後七回忌まで連絡をとった家族の例を紹介しています。

第7回JATCO徳島県移植コーディネーター研修会概要(2003年7月17日)
(2)特別講演「善意の臓器提供意思を無駄にしないために」
http://www1.pref.tokushima.jp/hoken/iryouseisaku/pol/7-17.htm

平元氏は、臨床的脳死の患者の家族に、延命治療をどこまで行うのか、人工呼吸器をどうするか、などの話をし、そのなかで、臓器提供の話もすると述べています。

しかし、延命治療をどこまで行うのか、人工呼吸器をどうするか、という判断は、脳死患者本人の治療をよいかたちで終わりにするためのものですが、移植のための臓器提供を行うときには、たとえ臓器の摘出は心停止後であっても、臓器の機能維持のための処置を心停止前から始めることがあり、本人の治療のためでない医療行為を施すのですから、これには、本来、本人の事前の同意が必要です。

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(2)『移植』Vol.30,No.4,1995年, p.367-382
「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持された症例の肺機能についての研究」
(大阪大学救急医学、三谷和弘、Mitani Kazuhiro)

(p.368)

II.対象

1984年5月から1992年12月までの8年半の間に、当科において脳死後72時間以上循環が維持された84例を対象とした。
年齢は1〜70歳で平均35.6プラスマイナス16.8歳であった。
男女比は56:28であった。
脳死となった原因は多発外傷を含む頭部外傷が69例(82.1%)、脳血管障害が6例(7.1%)、一過性心呼吸停止(CN中毒3例、溺水2例、フグ中毒・気道異物・喘息・頚髄損傷各1例)が9例(10.7%)であった。
受傷もしくは発症から脳死までの時間は0〜668時間、平均53.6プラスマイナス107.7時間であるが、1週間以上経過して脳死となった例は10例のみであり、61例(72.6%)は、受傷後24時間以内の外傷急性期に脳死となった。
脳死から心停止まで循環が維持された日数は3〜55日、平均10.7プラスマイナス9.0日であった。
なお、脳死後の心停止は、家族の希望による循環維持の中止、進行する貧血に対する血液製剤投与の中止、心機能低下に対する薬剤増量の中止など、いずれも人為的な理由によって脳死管理が中止された結果であり、肺機能の低下が心停止の直接の原因であったものは1例もなかった。

 

この論文では、脳死状態が長期間持続した後は、肺機能が低下して移植に適さないので、移植する場合には早期に摘出するのが望ましい、と結論づけています。

(p.379)

V.考察

当施設においては、外傷患者が大多数であるという特殊性があるが、表4の「7.喫煙歴」の条件を省いても、脳死前にすでに54人中16人(30%)が「1.年齢」「5.胸部外傷」「6.胸部手術」のいずれかの条件を満たさず、ドナーとして不適格となる。残り38人(70%)のうち、脳死当日に残りの3条件(「2.胸部X線」「3.肺酸素化能」「4.気管分泌物」)をすべて満たす症例は18人(33%)に減少し、さらに脳死後第3日には4人(7%)となる。このことは、表4の条件をしようするかぎり、ドナーとしては24時間内、遅くとも48時間以内に肺を摘出すべきであることを示している。この3つの条件の中では、肺酸素化能は比較的よく維持されるのに対し、胸部X線における異常、特に肺炎の頻度が高く、重要な不適格要因となっている。前述のように、咳()反射の消失・肺理学療法の困難さ、長期挿管による呼吸管理というリスクを考えれば、脳死後の循環維持の期間が長いほど肺感染を予防し、移植に適した状態に維持することは極めて困難である。他の臓器であれば、受傷時に損傷がなければ脳死となる際の急激な血圧低下による臓器機能の障害や、脳死状態という徐神経された状態で循環維持することによる機能変化のみが主な問題となるが、肺の場合は感染が非常に重要な問題となるため、他の諸臓器と異なり移植肺の摘出は脳死後できるだけ早期に施行することが望ましいと考えられる。

 

この考察で、「肺の場合は感染が非常に重要な問題となる」と述べているのは、移植に適さなくなる、という意味です。

肺の感染症、肺炎は、脳死になる前の患者に脳低体温療法を施すときにも、問題になります。日本大学板橋病院の林成之医師が脳低体温療法を改善し治癒率を上昇させたのは、きめこまかい管理によって肺の感染症を防ぐのに成功したからでした。これは、救急の患者本人の治療のための努力です。

NHKスペシャル「柳田邦男の生と死をみつめて〜低体温療法の衝撃〜」(1997年2月2日)
『脳治療革命の朝』(柳田邦男、文藝春秋、2000年)

一方、1995年の大阪大学の「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与による脳死後長期間循環維持」の研究は、脳死と診断された患者本人の蘇生のための努力ではないのはもちろん、今後脳死となるかもしれない患者の蘇生のためのものでもありません。

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(3)ターミナルケアと脳死身体の利用の接点

「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与による脳死後長期間循環維持」は、もともとは、移植のために摘出される臓器の機能を維持する目的ではなく、単なる脳死の研究でした。しかし、研究が進み、より長期間脳死状態が維持できるようになるにつれて、臓器移植に限らず、さまざまな医学的利用が、技術的には可能であることがわかってきます。

(1)(2)の論文の先行研究は、同じ大阪大学病院特殊救急部で杉本侃医師らによって1980年代に行われた、抗利尿ホルモンとエピネフリン併用投与による脳死後長期間循環維持です。これは、立花隆著『脳死』や、森岡正博著『脳死の人』の「第4章 脳死身体の各種利用とは何か」で紹介されています。(*参照4)

森岡正博は、「脳死とは人と人との関わりである」と問題提起し、脳死と診断された患者とそのまわりの人々との関係を、患者本人、患者と家族、患者と医者との関係に分けて、それぞれにとっての「脳死」が異なる意味を持つことを明らかにしています。それは、柳田邦男が自らの息子の臓器提供の体験から提唱するようになった、「一人称・二人称・三人称の死」という考え方を踏まえています。(*参照5)そのうえで、次のように、脳死身体の利用の可能性とそれが人々にもたらす影響を予想し分析し検討しています。

「脳死身体の『利用』の現実性 / 技術的な可能性 / 現行法のもとでの可能性 / 『利用』を考察する際のチェック・ポイント / 脳死身体の各種利用の社会性 / 『利用』が許されるケースとは / 将来の予想 / 先端科学技術の社会的受容について / 『利用』の倫理的意味 / 現代文明、現代社会についての反省」

脳死後臓器移植そのものが脳死身体の利用に含まれますが、他に、たとえば、脳死と診断された女性による代理出産も、脳死身体の利用に挙げられます。
臓器移植法のガイドラインで定められた脳死判定基準、いわゆる竹内基準の作成者、竹内一夫氏は、2002年11月、第46回日本不妊学会で「脳死出産に思う」と題して講演し、概略、次のように述べたそうです。

かつて医学概論の講義を受ける学生に、「脳死した婦人のお腹を借りて胎児を育てることについてどうか」と質問したところ、全員がその問いに抵抗を示した。しかし、脳死に直面し苦労してきた脳外科医たちに同じ質問をすると、肯定する意見が聞かれたとし、このテーマは今後の検討課題だ。
http://tity.hp.infoseek.co.jp/topics.htm

大阪大学救急部の研究でおこなわれているのは、(1)(2)とも、脳死患者本人の治療のためではなく、移植待機患者のための医療行為です。

ここで行われているのは、脳死患者の治療ではなく、「脳死身体の利用」なのです。

特に(1)の1993年の大阪大学特殊救急部の研究は、大阪腎バンクの助成を受けて、移植のために、患者の家族の同意をとる時間を稼いだり移植待機患者の選定や手術の準備をするのにちょうどいいかもしれないので、どの程度移植の予後に影響を与えるか調べよう、という目的で、研究を実施しています。このときはまだ臓器移植法が施行されておらず、角腎法に基づいて、家族の同意だけで、心停止後に腎臓が提供されています。しかし、よく考えると、移植のための腎臓機能保存のための処置については、家族の同意がとってあったのか。まだ移植について話をする前から「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与」を始めたのだとしたら、これは、心停止後の腎臓摘出のための、心停止前のカテーテル挿入を、家族の同意をとる前から行うのと同じです。

(1)(2)の研究では、移植の予後にどの程度影響があるかだけが問題とされています。そのとき、救急医・移植医とも、脳死と診断された患者を「脳死身体」として見ています。彼らにとっては、患者の家族も、それを「脳死身体」として見ることができることが「脳死の理解」であり、「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与による脳死後長期間循環維持」は、患者の家族が、脳死患者を脳死身体として見ることができるようにするための医療行為になっています。

患者の家族が目の前の人の死を受け容れる時間を稼ぐ間に、その人のからだを利用して他の患者の命を救うための処置を始める。患者の家族に対してはターミナルケアのポーズをとりながら、その実、脳死身体の利用を始めている。あるいは、救急医自身、これはターミナルケアであると思いながら、その実、脳死身体の利用を始めている。

『ICUとCCU 集中治療学〜特集 脳死体からの臓器提供〜』Vol.25,No.3, 2001年3月、「脳死の病態とドナー管理の実際」(田中秀治、杏林大学医学部救急医学、p.155-160)では、次のように述べています。

(p.160)

救急医にとっては意思表示を呈する患者が脳死となり、臓器提供を前提とした場合、いかに臓器機能を保持して移植側にバトンタッチできるかが、もっとも重要な点となる。本来ドナー管理は、法的脳死が確定してから行われる管理を示す言葉ではあるが、実際の臨床の現場では、むしろ、法的脳死が確定するまでの間の管理にこそ、本当の意味でのドナー管理がされるべきであることを実感している。この意味でも提供側施設医師に脳死下の病態や呼吸循環管理の重要性を認識してもらう努力が必要であろう。

 

「国内の脳死下臓器提供」においては、法的脳死判定を受けることと脳死判定後の臓器提供について、本人が事前に書面で同意を表示していることが条件とされているので、「本来ドナー管理は、法的脳死が確定してから行われる管理を示す言葉ではある」と述べています。それでさえ、「法的脳死が確定するまでの間の管理にこそ、本当の意味でのドナー管理がされるべきである」としています。

現在、日本臓器移植ネットワークは、臓器移植法に基づき、臓器提供意思表示カードを配布しています。そこには、脳死後の臓器提供・心臓死後の臓器提供・臓器を提供しない、という選択肢があります。
しかし、それだけでは足りません。
脳死後の臓器提供についても、脳死とはどんな状態かなど、説明が必要ですが、心臓停止後の腎臓提供の場合、心停止前に腎臓機能保存の処置をとること、角膜や皮膚は、心臓が停止してから数時間後に摘出採取しても移植に使えるし、心停止前の機能保存の処置も必要ないこと、などを説明するパンフレットも添付しておいたほうがいいと思います。

さらにまた、救急医療の立場から、臓器提供するしないにかかわりなく、脳死と診断されたら人工呼吸器を切るのか、あるいは人工呼吸器を着けたままで心臓が停止するまで治療を続けるのか、などといったことについても、意思表示カードを配布するなり、病院で入院手続きの一貫として質問するなり、したほうがいいと思います。

新聞などではよく、心臓停止後の臓器提供には本人の事前の書面による同意がなくても家族の同意で提供できるのに、それを知らない人が多くて、提供件数が減っている、などという記事が載りますが、それは旧角腎法や、外国では法律で家族の同意だけで臓器提供できるとしていることを肯定し、その考え方を推進しようとする立場からの見方です。 1997年に施行された臓器移植法の趣旨に基づけば、これは本末転倒であって、充分な情報提供に基づく本人の同意がなければ、本人の治療のためでない医療行為はおこなってはならない。むしろ、いわゆる「心臓死後の腎臓提供」「心停止後の腎臓提供」「献腎」「死体腎の提供」の実態をよく見れば、経過措置を廃止し、「心臓死後・心停止後」の臓器提供にも、本人の事前の書面による同意を必要とする原則を貫くほうが正しい。

しかし、移植医にとって、患者本人の事前の書面による意思表示を臓器提供の必須の要件とする臓器移植法は、いまだに、「脳死体からの臓器摘出に関する法的整備の遅れ」としてとらえられているのだろうと思います。

2004年2月23日、日本移植学会など関係9学会は、脳死となった本人が生前に拒否の意思表示をしていない限り、遺族の同意のみで臓器提供を行えるよう移植法を改正することを求める要望書を、自民党臓器移植調査会に提出しました。

臓器移植は救急医と移植医とが連携して行います。それは、ターミナルケアと脳死身体の利用とが接続する地点です。さらにそこには、移植コーディネーターも介在します。(*参照3,6)そこでは「情報公開・納得の医療」を実現させる努力が払われているのでしょうか。それとも、「情報公開・納得の医療」に見せかけて、実は、「納得させる医療」が行われているのでしょうか。


参照

*参照(1)

守田憲二さんによる問題提起「生体ドナー管理の是非、角腎法が容認した心停止後摘出の範囲」

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=432&e=res&lp=432&st=0
2004/1/31(土)11:18

1、脳死判断時=脳死確定以前から臓器摘出目的(第3者)目的のドナー管理を開始しているのではないか
2、臓器提供意思表示カード等で臓器提供意思を表明していると、救命可能でも救命治療は尽くされないのではないか
3、心停止以前からカテーテルを挿入しているのに「心停止後」摘出と、世をたばかった事例ではないか

 三谷 和弘:抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持された症例の肺機能についての研究、移植、30(4)、367−382、1995は、p368に「脳死と判断された時点から」ADHとカテコラミンを投与したことを書いています。

 鴻野 公伸:抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与により脳死後長期間循環維持を行ったドナーから移植された腎の機能についての研究、移植、28(1)、1993、60−71、1993は、p61「脳死後、中心静脈圧が5cmH2O以上になるまで急速に輸液を負荷すると同時に、ADHとカテコラミンとの併用投与法で循環管理した」タイミングは、脳死判定確定後ではなく、上記の三谷論文と同じく脳死と判断された時点の可能性が高い。

 というのは、主治医の脳死判断→第1回脳死判定→第2回脳死判定→脳死確定と経過しますが、この間に急激な経過で3徴候死する患者もおられます。3徴候死にはいたらなくとも、鴻野論文p69「このような一次性粗大病変による脳死例では脳死に伴なって急激な血圧の低下が起こるのが常である。これに加えて、外傷性の出血や頭部外傷に対する脱水療法のため患者は循環血液量が不足した状態にすでにあるので、循環調節機序が失われた脳死後は循環動態が極めて不安定な時期が訪れる。この間に腎血流が減少し、腎は当然傷害される」時間が継続します。

 このため脳死確定後にドナー管理を始めると、
「3徴候死=ドナー喪失の可能性」
「臓器摘出予定で多数の関係者(移植コーディネーター・レシピエント候補・摘出医・手術室の利用調整・臓器搬送手段ほか)と連絡調整しておきながら、最終的に臓器が移植不適と判断され、それまでの労力が無駄になる可能性」
「摘出臓器が傷んでおりレシピエントの予後が悪くなる可能性」
を高めるために、「蘇生不可能」と判断した時点=脳死確定以前からドナー管理を開始される可能性があります。

 法的脳死判定7例目http://fps01.plala.or.jp/~brainx/news2000-4.htm#20000424
10例目http://fps01.plala.or.jp/~brainx/news2003-12.htm#20031205
17例目http://fps01.plala.or.jp/~brainx/news2001-8.htm#20010815
では臓器摘出施設所属医師の論文から、臨床的脳死診断以前からドナー管理を開始することが一般的になっているのかと懸念されます。 

 佐藤 章(千葉県救急医療センター):臓器移植法による脳死判定が救急医療現場にもたらす医学的、倫理的諸問題:脳死判定350例の経験から、日本救急医学会雑誌、9、393、1998は、「脳死判定終了前から脳治療を目的としない徹底した全身管理を行わないと、20%近い症例が失われる可能性がある」としている。

 田中 秀治(杏林大学医学部):脳死の病態とドナー管理の実際、ICUとCCU、25(3)、155−160、2000は、「本来ドナー管理は、法的脳死が確定してから行われる管理を示す言葉ではあるが、実際の臨床の現場では、むしろ法的脳死が確定するまでの間の管理こそ、本当の意味でのドナー管理がなされるべきであることを実感した」としている。

 乾 健二(京都大学大学院医学研究科器官外科学講座呼吸器外科学):本邦における肺移植の問題点―システムについての検討―、日本呼吸器外科学会雑誌、16(3)、119、2002は「ドナー管理の専門家を養成し、ドナー候補発生の早い段階から適切な患者管理を行なうことが重要であると思われる」と、脳死判断時点からのドナー管理開始を推奨する医師がいます。蘇生限界が、そのまま死の定義、死の基準であるかのような理解をしているから、このような重大な人権侵害を医療の場で行なうのでしょう。

 ここで考えていただきたいのですが鴻野論文「外傷性の出血や頭部外傷に対する脱水療法」を行なっていた患者に対して、「抗利尿ホルモンとカテコラミン併用投与と急速輸液」をするならば、それは患者の救命に反する。現時点の法的環境でも、ドナー管理開始は法的脳死の確定後=脳死体に対して行なうのでなければ違法になることです。

 臓器提供意思表示カード等で臓器提供意志を表明している方は、救命治療が尽くされることを前提とされています。臓器移植法も救命治療を尽くすことを大前提としているのですが、現実はドナーを持っている人が意識不明で入院したら医療資源としてしか扱われていないのではないか。救命治療を尽くすことと、臓器移植の両立は困難であることを示しています。

 鴻野論文p62では、WIT=温阻血時間が1分〜8分とあります。人工呼吸器を止めてから心臓停止まで10分間〜50分間、3徴候死の形式的確認で5分間、病室から手術室までの搬送にさらに数分間、冷却灌流用のカテーテル挿入・灌流開始までさらに10〜20分間を要するので、角腎法が容認した3徴候死後の臓器提供ならば、温阻血時間が30分以下になることはありえません。

 心停止以前からカテーテルを挿入したケースも含め、このような臓器摘出を「心停止後に行なった」というべきではありません。

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*参照(2)
長期脳死、心停止ドナーと無脳症ドナー、小児脳死判定基準
(2003年10月19日〜01月26日の「脳死と移植」掲示板から抜粋)

*参照(3)
日本の移植コーディネーターのドナーアクションプログラム

*参照(4)
立花隆著『脳死』1986年、中央公論社、中公文庫、1999年

森岡正博著『脳死の人−生命学の視点から』

福武文庫、1991年6月、全259ページ
法藏館、2000年7月、全271ページ(タイトル:増補決定版・脳死の人−生命学の視点から)

*参照(5)
柳田邦男著『犠牲(サクリファイス)〜わが息子・脳死の11日』(文春文庫、1999年)

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*参照(6)

http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=408&e=res&lp=408&st=60
408 re(1):ドナーとドナー家族の心境(2) 2003/12/26(金)10:34 - てるてる

『今日の移植』Vol.5,No.5,1992年9月号に、「多臓器移植に向けての移植コーディネーター活動」と題して、1991年の、全臓器提供を申し出た3例の臨床的脳死患者と家族の事例が報告されています。(湯浅光利、林良輔、高橋香司、p.477-480)

それによると、大阪府では1987年4月から国立循環器病センターが移植コーディネーター活動を始め、1990年からは大阪腎臓バンクで移植コーディネーターの活動がおこなわれるようになりました。

論文は、まだ臓器移植法が施行される前なので、法的脳死判定後の臓器提供はできず、そもそも脳死判定に「法的」「臨床的」という区別もなかったのだが、法施行後の表現に従えば「臨床的」脳死判定後に、家族から臓器提供が申し出られた、という事例である。

3例とも、男性で、51歳と18歳の患者は、生前に臓器提供の意思を表明していたので、家族が故人の意思を尊重したいと述べたそうです。20歳の患者は、本人の意思は明確でなかったが、脳死に近い状態であるという説明を受けた後、まだ臨床的脳死判定を受けないうちに、家族間で会議を開き、臓器提供を決定したそうです。

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(p.478)
全臓器提供を申し出た3家族は、いずれも心臓が動いている間にメスを入れても構わないから、全臓器を困っている人々のために役立たせたいとする意見を持ち、移植コーディネーターとして、脳死移植に関しての日本での現状などを説明したあとでも、その申し出をかえることはなかった。それぞれの第一の提供理由は、最後の社会貢献をさせたい、困っている人を一人でも救いたい、故人の身体の一部でも生かしつづけたいというものであった。また、万一のときには臓器提供したいとする生前の故人の意志が2名から確認できており、他の1名も主治医の説明以前に家族会議を開いて、脳死下での臓器提供に協力したいとする合意事項を決定していた。3家族とも、脳死が本当の意味でも死であるという意識を持ち、あるいは持つようになり、脳死確定後は心停止を待たずに、全臓器を提供してもよいという意見であった。 3家族の移植後の心境は、いずれも臓器提供をしたことに満足しているとのことである。家族の意見ではあるが、3家族とも本人も満足しているであろうとしている。困っていた人々が助かり、少しでも社会貢献が出来たことに誇りを持っていると答えており、提供後の種々の 報告にも満足されているとのことである。

(p.479)
提供後もレシピエントの情報を家族に伝えているが、3家族ともほぼ完全に移植が成功していることに満足されているようである。アンケートなどにも気軽に答えてもらっており、移植コーディネーターとしても、臓器移植あるいは脳死に対してこのようによく理解されたうえで、身内の死に直面した悲しみを乗り超えて、人類愛に基づいた臓器提供を快く申し出られるような家族と接することが出来、一日もはやく脳死臓器移植が実現され、臓器移植・脳死に理解を持った一般市民が多くなることを望んでいる。

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このときの移植はマスコミに取り上げられ、報道側は、患者家族の意見を直接聴きたいと要求し、主治医や移植コーディネーターは、「患者の家族を守りたい」と考え、移植コーディネーターや主治医と家族との会話を録音して、必要に応じて報道側に流した、とのことです。

この報告によると、脳死を死と認め、臓器提供に満足し、少なくとも、3例のうち本人の意思表示もあったという2例については、まことに結構なことであったと思います。

この論文の大阪腎臓バンクの移植コーディネーターは、脳死を死と認める人の看取りについては、よく観察し共感し、移植後の経過報告もおこなっていると思います。 いささか移植医療のよい面ばかりをとりあげた報告論文のようにも感じますが、そういう側面も確かにあると認めて良いと思います。

一方、森岡サイトでリンクされている、脳死を死と思わず、臓器提供しない、「脳死」患者の看取りも、かけがえのないものです。
大野綾子さん「母の脳死体験を通して」
http://www.lifestudies.org/jp/kanso018.htm

大阪腎臓バンクの移植コーディネーターは、「臓器移植・脳死に理解を持った一般市民が多くなることを望んでいる。」と述べていますが、脳死を死としない考え方は、何も、「脳死を理解していない」わけでもなければ「移植を理解しない」わけでもないでしょう。

大野綾子さんは、

>それは'91年に私の母が突然脳死になった時、心停止したら使える臓器は全て提供しようと決意をしていたにも拘わらず、申し出たタイミングが遅く、移植出来なかったことが、移植を待っレシピエントとの「共生」にまで心が至らなかったエゴだったのかと自分を責めました。

と述べていますが、だから移植コーディネーターのほうから声をかけて移植の話をしてあげるのがいいんだ、という認識を持っているコーディネーターの発言や論文は多いと思います。

たとえば、1997年の国会の臓器移植法制定の審議の過程で、公聴会で公述人の玉置勲コーディネーターは、次のように述べています。
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○公述人(玉置勲君) 確かにドナーカードオンリーで提供ができるのであれば、私はそれが一番望ましい方法だと思っております。そのほかに、やはり家族が提供したことによって喜びがある、または脳死の方を持った家族が、本来ならばその本人がこういうことを言っていたのに、患者さんのことを思うが余りそういうことが頭から抜けているときがあるんですね。そういうときにちょっと話をしてあげると、ああ本人はそういうことを言っていましたよ、そういうことが出てくる気持ちも大事にしてあげたいなと私は思います。
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しかしいつもそういうものだとは限らないでしょう。

移植コーディネーターは、脳死を死と認め、移植のための臓器提供に肯定的な人の看取りを援助するのは得意ですが、脳死を死と認めない人、臓器提供しない人の気持ちに対して、理解があるとはいえないのではないでしょうか。

病院には、脳死を死を認める人、移植のための臓器提供をしたい人、脳死を死と認めない人、移植のための臓器提供をしない人、どの立場の人の看取りも平等に、等価に、援助できる態勢が必要であると思います。 脳死を死と認めない人に、脳死が死であることを「理解してもらいたい」と思っている移植コーディネーダーだけが病院にいて、死期の迫った患者の情報をとり、患者の家族に近づく、ドナー・アクション・プログラムなどがおこなわれては、死と看取りに対する病院としてのとらえかたが偏ってしまいます。

だから病院には、移植コーディネーターと、脳死を死と認めない人のためにも見取りを援助する、ケースワーカーかカウンセラーのような役割も必要であると思います。


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