森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年05月15日〜05月21日

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(無題) 投稿者:カエル  投稿日: 5月21日(月)00時35分15秒

てるてるさん。あー、ごめんなさいけろ。おふたりとも(!)すてきですもんねえ〜〜。
なんというか、思慮深くて鋭くてお仕事もバリバリこなしてそうな。
りんごさん。ほめていただいてありがとけろん。レポレポしがいがあります!
ほうほう、森岡さんかなりの人気なのですね。

命 投稿者:ちゃま  投稿日: 5月20日(日)23時40分22秒

ここに心臓だけでは生きていけないAという命があります。
一方には心臓なしでは生きていけないBという命があります。
今、AとBを一つにしてCという命を存続させた場合、CはAなのかBなのか。それとも両方なのか、
どちらでもないのか。

AにもBにも親がいたとすれば、どちらの親も、自分の子供の命は生き続けていると思いたいわけでしょう。
なぜAの親だけが、自分の子供は死んだと思いこまなければならないのでしょうか。


カエルさ〜ん 投稿者:りんご  投稿日: 5月20日(日)23時26分41秒

レポレポ読みました〜。
すごい、すごい、臨場感あふれる文章!

>ちなみに、休憩時間中(約15分)の森岡さんのところにはいろんな人がひっきりなしに訪れていて、
その数およそ20人近くではないでしょうか。

そうだったんですか・・・。
りんごの知っている出版関係の人も会場に来たらしく、後日、森岡先生がよかったと言ってました。


てるてるさん 投稿者:りんご  投稿日: 5月20日(日)23時00分14秒

りんごも応援していますよ〜。意味不明・・・。

ありがとうございます 投稿者:ちゃま  投稿日: 5月20日(日)17時39分51秒

てるてるさん、ららさん、ありがとうございます。

僕のようなドシロートの意見を、こんなところに書き込んでしまっていいものか、無視されるか
削除されるんじゃないかと、不安でした。少しでもまともな応答ができるようにがんばって
勉強しようと思っています。これからも参加させて下さい。よろしくお願いします。


ららさん(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 5月20日(日)10時33分03秒

ありがとうございます! m(_ _)m

ららさん 投稿者:てるてる  投稿日: 5月20日(日)10時21分06秒

>最近のららは、脳死臓器移植やめることはできないか派になっています。
>理由は、シンポの最後にフロアから質問されたあの方の一言につきますが、
>この医療が受けられない第三世界の子どもたちの医療のことは念頭にない議論、

それを言うと、脳死の人の治療だって、新生児集中治療室の治療だって、第三世界では受けられない人が
たくさんいるのだから、やめろ、ということになりませんか?

>それどころか、臓器売買など被害を被っている子どもたちもいる、ということも
>聞きます。

臓器移植の匿名原則を逆転して、実名原則にすると、少しは防げるのではないか、と思います。
ドナー(の遺族)とレシピエントとは、お互いに、実名と病名と住所を知らされる、
レシピエントの移植後の診断や投薬をする医師は、ドナーの実名と病名がわからない場合は、
警察に届けなければならないことにするとか……

不正な移植がおこなわれた場合、医療者などは刑法で処罰するけど、患者は、実名を報道する、
未成年の患者の場合は、手術の承諾書に署名した人の実名を公表する、
ただし、被害者の遺族には、移植を受けた人の実名と住所も知らせる、などということにするとか。
不正な手術に承諾書なんてないかもしれないけど、知らずに承諾する場合もあるかもしれない。
そういう場合でも、公表することにしたら。

……ここまでしなくても不正を防げるのなら、それに越したことはないけど。

>ちゃまさん、ららさん
>臓器の免疫にあわせて、自分の免疫を抑えていくわけだから、どっちが主体か、
>考えてみたら、そんな気がしてきた。

出口顯著「移植される心 臓器は『商品』か」で紹介されている、
ジャン=リュック=ナンシーの「侵入者」には、次のように……。

>提供された心臓はわたしの体にとって他者である。だから免疫システムによる
>拒絶反応が起こる。しかしその心臓を受け入れるようにならなくては、わたし
>の体は生き延びることができない。そこで免疫抑制剤が投与される。わたしの
>体は従来通り「わたし自身」を免疫レベルで主張し続けることを許されなくな
>り、おとなしくしていることが期待される。主人は他者=侵入者のはずであっ
>た提供心臓であり、その心臓からすれば、わたしの体の方が攻撃をしかけてく
>るよそ者=他者になる。こうして「わたしは自分自身にとってのよそ者になる」


>てるてるさん 投稿者:らら  投稿日: 5月20日(日)00時36分41秒

てるてるさん、すごいね。読ませていただきます。ほんとありがたいです。
こうなったら修士論文、これでいったら?(^^)ゴメン。

カエルさ〜ん 投稿者:てるてる  投稿日: 5月19日(土)23時47分17秒

乗り換えたんじゃないです〜
両方ともいいんです〜〜〜

てるてるさん、ららさん 投稿者:カエル  投稿日: 5月19日(土)23時25分44秒

読んでいただいてありがとけろ!
てるてるさん。濱邊さんと森岡さんのご対面みたくないですか?
ボクとしてはすっごく見たい!
あ、でもてるてるさんてば杉本さんに乗りかえたのでしたね(笑)。
ららさん。けろけろー。鳴き声バレてしまいましたか・・・(笑)。てへ。

Lewino抄訳とClayville抄訳など 投稿者:てるてる  投稿日: 5月19日(土)23時03分27秒

ちゃまさん、はじめまして。
>どこからどこまでが”提供する“で、どこからどこまでが”提供される“
>なのかはは自明のことなのでしょうか?

自明ではないのかもしれない……
なんかそういうことが、
出口顯著「移植される心 臓器は『商品』か」(講談社現代新書、2001年)だったか、その中で引用されている、
ジャン=リュック=ナンシーの「侵入者」にとりあげられていたような気がしますが……

David Lewino(CPTC)の論文抄訳と、LaRhonda Clayvilleの論文抄訳をアップしました。
それぞれ、考察を付けています。
過去ログハウスの「てるてるcontents」からリンクがはってあります。

Lewino論文は、ドナーとレシピエントの交流について調査した、最初の論文。
終わりのほうに、Lewinoの所属するOPOの実施している、ドナーとレシピエントの交流のガイドラインも
提示されています。

Clayvilleの論文は、レシピエントと会うことが、ドナー家族のgrief processに与える影響を調べた研究。
レシピエントと対面した5家族を対象に、インタビューによる調査をおこなっています。
5家族のうち4家族は、こどもがドナーで、5家族全部がメディアの助けを借りてレシピエントに会っていました。


カエルレポ面白かった! 投稿者:らら  投稿日: 5月19日(土)22時57分06秒

どうも会場からゲコゲコ、カエルの声が聞こえてくるよ、と思ってたんですよ。
やっぱりおられましたか(^_^;)。レポート、とくに国立小児病院のあの先生の話し、
カエルさんの意見でスッキリしました。ほんと同感です。まったく同じ気持ちでした。
けど、まわりの先生方が、長年のご経験で、画期的な取り組みで…っておっしゃってて、
どうもフに落ちなかったんです。ありがとう!ほんと、スッキリしましたわ。

>ちゃまさん
こんにちは。「カラダが提供される脳」。なるほど。
免疫抑制の話しで、そう考えてもおかしくないですよね。
臓器の免疫にあわせて、自分の免疫を抑えていくわけだから、どっちが主体か、
考えてみたら、そんな気がしてきた。
それに柳田さんのお話しにもあったけど、息子さんの臓器を移植した先の方が生きている
の知って、「息子ターくんが生きてた!」って。
そのとき一瞬、臓器にからだが提供(移植)された感覚を持っているってことなのかも。

最近のららは、脳死臓器移植やめることはできないか派になっています。
理由は、シンポの最後にフロアから質問されたあの方の一言につきますが、
この医療が受けられない第三世界の子どもたちの医療のことは念頭にない議論、
そこがどうしても気になっています。
それどころか、臓器売買など被害を被っている子どもたちもいる、ということも聞きます。
経済的な問題との関連ももっと見たいと思いますし・・・。


臓器の提供 投稿者:ちゃま  投稿日: 5月18日(金)12時38分20秒

初めて書き込みします。
ちゃま と申します。
僕は、普段あまり社会問題とかには関心が薄い方だと自認している、ただの技術屋です。ただ、
進化生物学とかには興味があり、このページにたどり着きました。ここで初めて脳死とか臓器移植とかの
難しい問題を知ったわけですが、どうものっけからひっかかってしまう疑問があります。それは
“臓器を提供する”という表現についてです。僕には臓器とはそもそも提供したり提供されたりするものなのか?
という思いがあり、この表現にはたまらなく不快感を感じます。たとえば今、僕の心臓があなたの体の中に
移植されたとします。この場合、“僕はあなたに心臓を提供した”ことになるのでしょうか。では脳みその場合は
どうなのか?将来もっともっと医療技術が進歩して脳みそをすっかり移植できるようになったとしたら
どうなのでしょう?そのばあいには、“僕はあなたに脳みそを提供した”というよりも“僕はあなたからカラダを
提供してもらった“と表現したほうが何となくしっくり来ると感じる人が多いのではないでしょうか。では
どこからどこまでが”提供する“で、どこからどこまでが”提供される“なのかはは自明のことなのでしょうか?
自明でないとしたら、なぜこういうところがはっきりしないままに提供するのされるのという表現があたりまえに
使われているのか、僕には理解できません。
こういう表現がでてきたところでもう拒絶反応を起こしてしまい、その先に考えが進みません。
話題の流れには沿ってないようで申し訳ありません。

カエルさ〜ん 投稿者:りんご  投稿日: 5月18日(金)07時26分22秒

>レポレポ いま、パソコン手元になくて、携帯からは全部読めない(;_;)。はやく読みたいよ〜。

カエルさん 投稿者:てるてる  投稿日: 5月18日(金)07時23分02秒

読みましたよん!
いつもどおりおもしろかったけろん。
基調講演の意味、って、私もわからないけど、特に考えないことにしていました。
(^_^;)

いっぱい、聴いたけど書き留められなかったことがあったけど、それが載っていて、よかったです。

あの曽根威彦先生は、
「臓器提供について決定しないという選択肢も自己決定権の一つではないか。
意思表示しない自由もあるのではないか。拒否の意思表示をしないとき摘出するとするのは、
本人の決定権より第三者評価を優先しているのではないか」
とおっしゃってたんだと思います。
それに対して、町野さんが反論していたと思いますが、どんなだったか、忘れてしまいました。(^_^;)

改めて思うけど、柳田邦男さんの講演で紹介された、脳死のこどもを看取った人の話は、臓器提供しないで、
脳死の状態を見守って心臓停止を迎えることで、死別の苦しみが少しでも癒されたり和らげられたりすること
が、しっかりと、紹介されているのですね。

このところ、USAのコーディネーターの論文ばかり読んでいるので、こどもの脳死を迎えて、救いようのない
悲劇に陥った親が、こどもの臓器を提供して、さらに、レシピエントに会って、救われた、という話ばっかり
出てきます。
それはそれでいいと思うけど、USAの臓器調達機関が、そういう話を臓器提供推進に結びつけようとする
ところは、よくないと思う。
ドナー家族のために、レシピエントの情報を提供したり、対面の前にカウンセリングをしたりするのはいいと
思うし、ドナー家族にはコーディネーターからアフタケアを受ける権利があるとは思います。
ドナー家族自身が、自分たちの選択は正しかった、と自信を持って、臓器提供推進の運動に参加するのも、
いいんだけど。

日本のドナー家族も、心臓死後の角膜・腎臓提供の歴史は長いんだから、たくさんいるはずなのに、今まで、
ほとんどフォローアップもアフタケアもなかったのか、と残念に思っています。
だから、吉川隆三さんも、長い間、孤立して苦しんだし、ドナー家族のために何ができるか、
臓器移植ネットワークがアンケートをとるなんてこともできない……

ドナー家族自身が主導権をもって、レシピエントと連絡をとるのもとらないのも、コーディネーターの援助を
受けつつも、最終的な決定は自分でできたらいいのに、もし、死別の苦しみがひどくて、主導権を握れるほど
元気がなかったら、まず、元気を取り戻せるようにサポートする態勢が必要だ、と思います。

USAの、レシピエントに会ったドナー家族へのインタビューを読んでいたら、5家族のうち4家族が、
こどものドナーの親だった、これは、何かあるのか、と、論文の著者が書いていました。
USAのドナー家族やレシピエントが、相手側に会いたい理由や会いたくない理由を読んでいると、
日本人と思うことは一緒やなあ、て思います。
そして、こどもの臓器提供が、重要なポイントだということも、同じなんだなあ、と思います。


レポレポ 投稿者:カエル  投稿日: 5月18日(金)05時17分34秒

5月5日に行なわれた「小児の脳死臓器移植シンポ」のレポートをアップしました。
つたないですが、興味のある方はぜひ!

http://www3.justnet.ne.jp/~elellis_fan2/jp3/noushi04.html


ドナーの権利 投稿者:てるてる  投稿日: 5月16日(水)20時21分39秒

ドナー本人には、本来は、移植のための臓器・組織の提供でも、医学研究のための臓器・組織の提供でも、
誰に、あるいは、どこに、提供されたのか、その後、どうなったのか、知る権利があると思うのです。

脳死後・心臓死後の臓器・組織の提供では、ドナー本人は死んでいるから、ドナーの代理人をつとめる人
(たとえば、「てるてる案」で提案している保証人)が知る権利または義務があると思うのです。

でも、たとえば、「てるてる案」では、ドナーになる意思のある人は、家族を保証人に選んでもいいことに
していますが、保証人に選ばれた家族は、ドナーに強い情緒的な結びつきを持っているから、
レシピエントのことを知ることが、苦痛になる場合があるかもしれません。


RE:会うこと(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 5月16日(水)19時52分07秒

次に、匿名性の問題について。

出口顯著「移植される心 臓器は『商品』か」(講談社現代新書、2001年)より

(引用)
>臓器移植は、臓器を「記号」としてではなく、取り替え可能な部品と考えるという
>前提に立っている。臓器は機械の部品のように、「商品」になりえるのである。
>だから「生命の贈り物」の「贈り物」とは、譲渡不可能な人格的なものを意味する
>のではなく、提供者が代金を受け取らず「無償で」与えるもののことを意味する。
>移植医療や臓器提供を推進する側にとっては、臓器は「商品」なのである。

(要約)
UKは、臓器提供に同意した人のみがドナーになる、オプト・インの制度をとっているが、
ドナー不足が深刻なので、医師会が、「ドナーになるのを拒絶する意思を明言しない限り、
原則的には脳死者は誰でも潜在的にドナーであるとする」オプト・アウトの制度を採択する、
という決議をした。
しかし、政府はその要求を却下した。

1998年にUKで脳死後の腎臓提供をしたドナーの家族が、白人の患者にのみ移植することを要求し、
その条件のとおりに移植が実施された。
これが1年後に公にされると、人種差別として社会問題となった。
この事件をきっかけに、倫理学者のメアリー=ウォーノックは、オプト・アウトに改正すべきだと主張した。
オプト・アウトによる臓器提供は、徴兵に似ており、人は脳死とその後の臓器の行方を、国民全体のために
国家もしくは国家の法が定めた機関に委ねることになる。

人種差別の問題が起こる前から、生命倫理学者のジョン=ハリスは、オプト・インでもオプト・アウトでもない、
「ノーコンセント」(同意不要)の制度を採用し、身体を公の財産とすべきと主張していた。
ハリスは、「ノーコンセント」でドナーになることを拒否するものは、「自分の臓器が使われるよりも、
他人が死ぬのを望むだけの納得のいくはっきりした理由を説明しなければならない」と述べている。

UKの保健省は、「提供臓器は、人種、宗教、年齢などにかかわらず人々が利用できる国家的資源
(national resource)である」とコメントを発表した。

UKでは、幼児や青少年の移植待機患者がテレビや新聞に頻繁に登場し、ドナーの出現を待ち望んでいると
訴えている。
一方、ドナーの家族は、臓器摘出後は、用済みといった扱いを受け、移植医療スタッフに顧みられることが
すくない。レシピアントに関する情報はわずかしか与えられない。
また、レシピアントが、ドナーの遺族に感謝の手紙を書きたいとレシピアント側の医療スタッフに言っても、
断られることがある。
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匿名性の原則を貫くと、人のからだは社会のもの、そして、最終的に、人のからだは国家によって
管理されるもの、という方向へ行ってしまいます。
ですが、現実には、既にそれに近い状態で、移植医療スタッフは動いています。
USAのOPO、そのスタッフの移植コーディネーターにとって、脳死患者はすべて潜在的ドナーです。

しかし、ドナーの遺族はドナー本人ではないのに、まるでドナー本人であるかのように、レシピエントが
誰であるかを知ること、会うことを権利として認めてしまうと、結果的に、ドナーの遺族もレシピエントも
苦しむことになるかもしれません。


RE:会うこと 投稿者:てるてる  投稿日: 5月16日(水)19時41分52秒

まず、会うことの負の側面について。
Albertの論文から。

>関係者の16%は、予期しない、または、否定的な結果を経験した。これらの否定的な
>体験には、レシピエントに会った後で、ドナーの死にまつわるできごとを再体験
>すること(フラッシュバック)、レシピエントがドナー家族にとりこまれると感じる
>こと、ドナー家族が、健康なレシピエントに会うこと、そして、ドナー家族と
>レシピエントとの宗教的および社会的背景の違いによって起こった恨みの感情に
>罪悪感を持つことである。

>An unanticipated or negative result was experienced by 16% of those
>involved. These negative experiences included reliving the event of the
>death after meeting the recipient (ie, flashback), recipients' perception
>of donor family's overinvolvement in their lives, donor families' guilt
>over feeling resentment that is triggered by meeting the healthy recipient,
>and religious and social differences between the donor family and recipient.

臓器提供を、個人から個人への「贈り物」ととらえて、移植後にドナーとレシピエントとが会うことを認めれば、
個人の選好が入ってくるから、こういう負の側面があるのは避けられないと思います。


会うこと 投稿者:森岡正博  投稿日: 5月16日(水)08時34分59秒

この問題、ずっとここでも議論してますが、ほんとうのところ、どうするべきなのだろうと考えてしまいますね。

Pamela Albertの論文 投稿者:てるてる  投稿日: 5月15日(火)18時03分50秒

「Pamela Albert (CPTC) の論文抄訳・部分訳」と「(考察)臓器・組織の提供の三つの側面─贈り物、寄付、
資源─について」をウェッブページにのせました。
Pamela Albertは、New England Organ Bankのドナーコーディネーター(CPTC)で、National Communication
Guidelinesの作成にも参加しました。論文では、ドナー家族とレシピエントとが直接会ったケースについて
報告しています。

http://www.interq.or.jp/earth/elephant/Albert.html


Pamela Albert (CPTC) の論文抄訳・部分訳
てるてる抄訳、および、考察 2001年5月15日
Pamela Albertは、New England Organ Bankのドナーコーディネーター(CPTC)で、National Communication Guidelinesの作成にも参加しました。論文では、ドナー家族とレシピエントとが直接会ったケースについて報告しています。

David Lewino(CPTC)の論文抄訳
てるてる抄訳、および、考察 2001年5月19日
ドナーとレシピエントの交流について調査した、最初の論文。終わりのほうに、Lewinoの所属するOPOの実施している、ドナーとレシピエントの交流のガイドラインも提示されています。

LaRhonda Clayvilleの論文抄訳
てるてる抄訳、および、考察 2001年5月19日
レシピエントと会うことが、ドナー家族のgrief processに与える影響を調べた研究。
レシピエントと対面した5家族を対象に、インタビューによる調査をおこなっています。
5家族のうち4家族は、こどもがドナーで、5家族全部がメディアの助けを借りてレシピエントに会っていました。

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カエルのケロケロレポート2001年5月5日 小児科学会主催 公開フォーラム「小児の臓器移植はいかにあるべきか」