旧制第一高等学校寮歌解説

あこがれの唄

昭和3年第38回紀念祭寮歌 

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  あこがれの唄胸に秘め  沙漠をよぎる隊商(からばん)
  哀しき遠慕(おもひ)いだきつゝ   幾山河を越えて行く
  まことの友を我は見き

  橄欖花は咲かねども    若草萠ゆる丘の上に
  日ごと(まこと)を求めつゝ    友の憂を我と泣く
  心の花を我は見き

  いづれは若き男の子らの 長き夢より覺め出でゝ
  あかつきの鐘つきならし  次なる時代(とき)の豫言する
   端嚴(たヾ)しき姿我は見き
  *「出でゝ」は昭和50年寮歌集で「出でて」に変更。

  柏の幹は老ゆるとも    誕生(うま)るゝ子等の血は赤く
  今宵三十八年の      紀念祭(まつり)祝酒(さけ)の觴に
  若き生命を我は見ん

 *この寮歌の歌詞の節あるいは番数はついてない。下の説明・解釈では、上の節から下の節に、便宜的に番数をつけた。
昭和10年寮歌集・平成16年寮歌集で次のとおり譜の変更があった。(小節は弱起の小節から起算) スラー・タイは昭和10年寮歌集で多数箇所付されたが省略する。

1、「むねーにひめ」(第1段3・4・5小節)       ミミーファミードレー(昭10) ミミードミーレレー(平16)
2、「さばーくを」(第1段5小節から第2段1小節)   レミーレミーファ(昭10)
3、「いだきつつ」(第3段3小節)             ソーソドーレミーー(平16)
4、「かわを」(第4段2小節)               レードラー(平16)
5、「まこーとの」(第4段4小節から第5段1小節)  ソドーソミーラ(昭10) ソドーラソーラ(平16)
6、「とーもを」(第5段2小節)               ソーソドーレ(昭10) ソーミドーレ(平16)
7、「われはみき」(第5段3・4小節)          ミーミレーレドー(昭10) レミーミレーレドー(平16)
 「わーれはみき」の「わ」を前小節にもっていき、他の行の詞と同じように「われーはみき」とアウフタクトとした。これは「筑紫の富士」の最後「しーぶかな」と歌い崩した手法である。


語句の説明・解釈

1番から5番までは、「・・・・我は見き」で、6番だけ「我は見ん」で終わる。昭和22年「あくがれは高行く雲か」で、1番の「求めてしもの」を12番で「求めてん」と変えたが、この寮歌の影響か。
 「昭和2年12月25日を以て諒闇の愁雲納り、昭和3年は光輝ある年頭の瑞光と共にあけ、萬象悉く吾人の活動を期待するが如し。即ち2月1日には昭和最初の第38回記念祭を擧げ」(「向陵誌」昭和3年)

 この寮歌のキーワードは、「まことの友」(一番歌詞)である。この「まことの友」は、最近の調査研究により、後に日本共産党の大幹部となった左翼学生活動家である可能性が高くなった(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)。治安維持法が大正14年5月12日に施行され、一高でも同年9月25日、一高社会思想研究会は解散させられた。それでも尚、思想信条に生きる左翼学生活動家は、若さゆえの正義感もあって、所謂地下に潜って活動を続けた。このような左翼学生活動家を友として持った作詞者の矢崎秀雄は、「まことの友」として、この寮歌を詠んだ。かく解釈する時、従来、難解といわれてきた「隊商」、そして「あこがれの唄」の意味も明確となる。

語句 箇所 説明・解釈
あこがれの唄胸に秘め 沙漠をよぎる隊商(からばん)の 哀しき遠慕(おもひ)いだきつゝ 幾山河を越えて行く まことの友を我は見き 1番歌詞 革命歌「インターナショナル」を胸に秘めて、沙漠を行く隊商のように幾多の危険を冒しながら、仲間と共に、己の主義・主張をを貫き、信念に生きるために、退学処分も覚悟で、社会主義思想を抱き活動を続ける真の友を寄宿寮で見つけた。

「あこがれの唄胸に秘め」
 「あこがれの唄」は、① 真理 ② 青い鳥のような幸せ ③ ソビエト・ロシアのような社会主義社会。④ 諒闇が明けた昭和の御代などが考えられる。1番歌詞の最後に出てくる「まことの友」が左翼学生活動家(後掲の森下達朗先輩「一高寮歌の落穂拾い」)である可能性が高いので、③のソビエト・ロシアのような社会主義社会説。革命歌インターナショナルとする。①の真理説も捨て難いが、真理は独り淋しく追究するものであり、後の句の複数人から組織される「隊商」の語になじまない。
 
「沙漠をよぎる隊商の 哀しき遠慕いだきつゝ」
 「沙漠」は、治安維持法施行下(大正14年5月12日施行)の厳しい社会主義活動の環境を沙漠に喩える。大正14年9月25日、一高社会思想研究会は、学校から解散を命じられた。以後、向陵刷新会、柔道部、弁論部に潜り込み一高社会科学研究会(略称IS)として地下活動を続けた。しかし、昭和2年から始まった学校の数次にわたる厳しい左翼学生取締りにより、昭和8年3月、一高における左翼学生組織は壊滅し、運動は終息した。「よぎる」は、通過する。横切る。「隊商」は、隊を組んで沙漠などを往来する商人。また、ある目的のために隊を組み遠征したり、各地を回ることにもいうが、ここでは、社会主義活動を目的に結び付いた同志達、仲間をいう。具体的には一高社会科学研究会(IS)、ないし日本共産党の一高細胞のような秘密組織をいう。「哀しき遠慕いだきつゝ」は、主義信条に生き、信念を通そうとすれば、退学処分を覚悟しなければならなかった。厳しい社会主義思想を抱いての意。
 「(同窓会の)解説を読んでみても、この寮歌の第一節になぜ『隊商』が登場するのか、よく分からない。アラブのことわざにいう。『犬が吠えたてても、隊商は進み続ける』と。これは通常、『反対意見があっても、やるべきことはやる』という意味に使われる。作詞者は、右のことわざが念頭にあって、『確固たる信念を持って行動し、安易な妥協をしない友』を『砂漠をよぎる隊商』にたとえ、『まことの友』と表現したのであろうか。ただし、ここには犬は出てこない。このことわざは、1920年から1944年までイングランド銀行の総裁を務めたM・ノーマン卿が好んで引用したことで知られる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「幾山河を越えて行く」
 左翼学生は、活動が学校や当局に知れると、退学を含む厳しい処分を受けた。それでも、若さゆえの純粋な正義感もあって、労働者を救うという自分の理想の実現、社会主義の信条に生きるために活動を続ける一高生も少なくなかった。
 若山牧水 「幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
 「本歌の第一節を暗誦して直ちに連想されるのは、上田敏の名訳で人口に膾炙しているカール・プッセの『山のあなたの空遠く・・・』の詩と、若山牧水の『幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく』である。思想的、宗教的、抒情の深浅のちがい、あるいはその有無はともかく、作者はあるいはこれらにあるヒントを得ていたかもしれない。}(一高同窓会「一高寮歌解説」)

「まことの友を我は見き」
 もちろん向ヶ丘の寄宿寮生活においてである。
 「作詞者の矢崎秀雄氏の親友として、一高同期生で戦後日本共産党の大幹部になった米原(いたる)氏がいる。社会主義運動に関わって留年し、昭和四年に一高を退学させられた後、十六年間にわたって地下に潜った米原昶氏は、親友の矢崎秀雄氏とだけはずっと連絡を保っていたという(『回想の米原昶』所収、池田平吾氏の手記)。こうしたことから、この寮歌に登場する「まことの友」が米原昶氏である可能性はかなり高いと考える。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

 「第一節は、向陵には、人生に対する清いあこがれをもって、猶幾山河を越えてゆこうとする真に敬うべき友のグループあることをたたえ」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
橄欖花は咲かねども 若草萠ゆる丘の上に 日ごと(まこと)を求めつゝ 友の憂を我と泣く 心の花を我は見き 2番歌詞 橄欖の花は咲かないけれども、若草の萌える向ヶ丘の寄宿寮で、一高生は、毎日、真理を求めながら、「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」友情の花を咲かせているのを自分は見た。

「橄欖花は咲かねども」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。真正の橄欖も、スダー椎(本郷本館前橄欖)もオリーブも植物的には黄白色ないし淡綠白色の花を付ける。「咲かねども」は、昭和2年3月に、衆議院における蔵相の不用意な発言から勃発した金融恐慌、特に昭和2年6月20日の一高における左翼学生処分の始まり、昭和3年3月15日の共産党大弾圧(所謂3.15事件)を前にした、治安維持法施行下の思想統制・弾圧の暗い時世を踏まえる。
 「『橄欖の花』に象徴される自治寮の伝統が年を経て形骸化してきたことを表現したものであろう。『橄欖の花は咲かないが、心の花(=友情)は咲いた』と歌う。第六節の『柏の幹は老ゆるとも』と対応する。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 
 
「友の憂を我と泣く 心の花を我は見き」
 橄欖の花は咲かぬとも、向ヶ丘には友情の花はちゃんと咲いている。「心の花」は、友情。「我は見き」の「き」は、回想の助動詞。咲いたのを見た記憶があるの意。
 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)

 「第二節に於ては、その向陵に、シンボルの橄欖の花よりも、もっと美しい『友の憂ひをと泣く』友情の花を見たとうたい」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
いづれは若き男の子らの 長き夢より覺め出でゝ あかつきの鐘つきならし 次なる時代(とき)の豫言する 端嚴(たヾ)しき姿我は見き 3番歌詞 籠城主義の高踏な夢に長い間、眠っていた一高生も、いずれは目を覚まして、新しい時代の到来を告げる鐘を撞くことであろう。世に次の時代の針路を示して、人々を新しい時代に導く一高生の正しくて厳かな姿を自分は見た。

「長き夢より覺め出でゝ」
 「長き夢」は、形骸化した伝統。籠城主義。「出でゝ」は、昭和50年寮歌集で「出でて」に変更された。

「あかつきの鐘つきならし 次なる時代の豫言する 端嚴しき姿我は見き」
 「あかつきの鐘」は、世の中に対し新しい時代の到来を告げる鐘。「次なる時代の豫言する」は、次の時代の針路を示して、済世救民のための策を講じるのが一高生の使命である。1番歌詞の「まことの友」が左翼学生活動家だとすれば、「あかつきの鐘つきならし」は、社会主義活動であり、「次なる時代の予言」は、社会主義社会の予言。「端厳しき」は、正しく厳かなこと。
 「自治の光は常暗の 國をも照らす北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番)

 「第三節は、その友の中には、長い思索のはて、遂に次の時代の到来を予言する端厳な姿を見るといい」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
鷗の羽のさむざむと 明けゆく海の磯に立ち 新潮の香を身にあびて 落漠無限向上の 光れる航路(みち)を我は見き 4番歌詞 マントに包まって寒さに堪えながら、しらじらと明けて行く海辺に新潮の香を嗅ぎながら立った。果てしなく広がった静かな海の遙か彼方の水平線に朝日が今まさに登り、海面に金波銀波の細長い光の尾を引いて揺れている。至高の真理に導いてくれる光輝く航路を自分は見た。

「鷗の羽のさむざむと」
 「鷗の羽」は、海辺に佇む一高生のマント姿を喩えてか。「さむざむと」は、前述の暗い世相、特に一高への思想弾圧の波及を踏まえる。既述のように、昭和2年6月20日、一高における初の左翼学生処分が実施された(無期停学2名)。

「明けゆく海の磯に立ち 新潮の香を身にあびて」
 「新潮の香」は、大正天皇の諒闇が明け(大正2年12月25日)、名実ともに昭和の御代を迎えたことを踏まえる。昭和天皇の即位は、この年、昭和3年11月10日京都紫宸殿で挙行が予定されていた。

「落漠無限向上の 光れる航路を我は見き」
 「落漠無限向上の」は、落漠と無限向上を切り離して解釈。また「落漠」は「落莫」の誤りであるとする多くの指摘があるが、「漠」で間違いではない。「漠」は、一番歌詞の「砂漠」の「漠」をわざわざ当てたものと解したい。「莫」も「漠」も静かでさびしい、果てしなく広いの意味である。「無限向上」は、至高。「向上」は、最上最高の意。「光れる航路」は、朝日の光の航路。光輝く真理への道である。朝日が水平線上に顔を出した時、朝日の光が金波銀波となって、海面上に尾のように細長く延びる。細長く延びた金波銀波を「光れる航路」といった。最高の真理=太陽に至る航路である。
 
 「『落莫』(ものさびしいさま)の誤植か?しかし、どちらにしても次の『無限向上』と結びつかない。『度量が広くて、物事に拘らないさま』『高く抜きん出るさま』『さびしいさま』『まばらさま』等の意味のある『落落』の誤植とも考えられる。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)
 「『落漠』は『落莫』の誤りか。『落漠』は『不確実、条理が不十分なこと』。『落莫(寞)』はの方は、『ものさびしい』こと。ものさびしく、限りない上に向かって。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『落漠』は解説の説く如く『落莫(寞)』の誤りであろう。なお、『落莫』と『無限向上』とを切り離すのではなく、『落莫無限』(「さびしさは限りない」の意)+「向上」と考えれば、結びつきを云々する必要は特にないと思われる。あるいは『無限』を両方に掛けて、『落莫無限』+『無限向上』と考えてもよい。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)     

 「第四節は、自分自身を、暁の磯にさむざむと孤愁の潮に濡れて立つ鷗となしつつ、しかも、その中から、無限の高きに向う自らの航路を直視する心境をうたっている。(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)」
定業(さだめ)を神の胸によせ 短き丘の三年に 世界()秘奥(ひめごと)の底を掘り  永き生命の法悦(よろこび)を 欣求(もと)むる人を我は見き 5番歌詞 前世からの決まりごとは、神のお召のままに素直に従うとして、向ヶ丘の短い三年間だけは、この世の奥義を究めて、永遠の生命、すなわち真理を得ようと、淋しくて厳しい真理の追究に喜んで没頭する寮生を自分は見た。

「定業を神の胸によせ」
 「定業」は、前世からの約束事。前世から決まってい報い。
 「『定業』は仏教語。普通は『ジョウ(ヂャウ)ゴウ』と読む。善悪の報いを受けるべき前世からの約束ごと。神の定めていることは神にしたがって。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「短き丘の三年に」
 向ヶ丘の短い三年間に。

「世界の秘奥の底を掘り」
 人生の意義を追究して。
 「土の郷愁に掘り入りて」(大正9年「春甦る」6番)

「永き生命の法悦を 欣求むる人を我は見き」
 「永き生命」は、真理、「法悦」は、恍惚とするような歓喜の状態。

 「第五節は、この寮歌の中核で、そういう多くの寮生の中には、稀に前世今生来世のわがさだめを一切神の胸に任せ、ただ短い丘の三年に、この世界の究極原因を究めるべく精進し、短い人生の中に、永遠の生命のよろこびを見る尊い友を仰ぐとしている。これは寮歌史的にいえば、第33回の『流れゆく二つの水の』の古家氏達の思索詩に続くものであろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
柏の幹は老ゆるとも 誕生(うま)るゝ子等の血は赤く 今宵三十八年の 紀念祭(まつり)祝酒(さけ)の觴に 若き生命を我は見ん 6番歌詞 一高の歴史も古くなったが、春には毎年、新入生が入寮して、新しい息吹を吹き込んでくれるので、一高の伝統精神は永遠に不滅で若々しい。今宵、第38回の紀念祭の宴に、祝いの酒を酌み交す若さ溢れる一高生を我は見た。

「柏の幹は老ゆるとも 誕生るゝ子等の血は赤く」
 「柏の幹」は、一高の伝統精神。「誕生るゝ子」は、柏の枝葉。新入生。柏の葉は、秋に落葉することなく、春に若葉が生えてから落ちる。そのために年中、常緑樹のように青々としている。このように、一高の伝統精神は、常に若々しい。「柏の葉」は、橄欖とともに、一高の象徴。
 「第二節の『橄欖花は咲かねども』と対応し、『柏の幹』(=自治寮の伝統)が古くなったとしても、紀念祭に集う若者たちの生命力に溢れた姿を見ることができるだろう(『若き生命を我は見ん』)と期待を寄せている。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 

 「終節も、『柏の幹老ゆるとも、誕生るる子の血は赤く』と向陵の不易の生命を讃えて居り、全節をうたひ終るも、余韻、猶ふかい。・・・詩と曲と相俟って、久しぶりに、大正の寮歌に肩を並べる秀作をなしている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)   
                        

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