旧制第一高等学校寮歌解説

さ霧這ふ

昭和3年第38回紀念祭寮歌 

1、さ霧這ふ丘の草原    慕い來てたゝずみ居れば
  夕暗のたゆたふほとり 露しげく、搖るゝ虫の音
*「露しげく、」の句読点「、」は昭和50年寮歌集で削除。

2、月冴ゆる丘の庭の面  (ふみ)いだき遠く望めば
  故郷のおもひまどかに  光浴び澄めり魂

3、灯は消えて八寮しづか  仰ぎ見る銀河のあたり
  星みだれ眞理し語る   友の眼に欣求の光  
昭和10年寮歌集で、次の変更があった。

1、スラー
 「ゆふやみーの」(3段1・2小節)の「み-」にスラーがかけられた。
2、曲頭の速度用語
 Modnate,etwas bewegtは、Moderato poco agitateに変更された(ModnateはModerateの誤植か?その他はドイツ語からイタリア語に変更)。Moderatoは中庸の速さで、pocoは少し、agitateはせきこんで、はげしくの意である。

 よく歌われる寮歌であるが、如上のとおり、スラーが一箇所付いただけで、変更はない。
五・七調の四行詩に応じ、譜も四小楽節の二部形式で、起承転結のはっきりした簡潔な構成となっている。歌い崩しの余地がないほど完璧だったから、原譜のまま歌い継がれてきたのだろう。サビ(起承転結の転、クライマックス)の第3段は、寮生の斉唱では合わない場合が多いが、どこかの合唱団にでも歌ってもらったら、素晴らしいものになるだろう。
 拍子は4分の4拍子ではあるが、一番最後、「ゆるるむしのね」は3拍子のように、「るるしの」と歌いたくなる。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
さ霧這ふ丘の草原 慕ひ來てたゝずみ居れば 夕暗のたゆたふほとり 露しげく、搖るゝ虫の音 1番歌詞 狭霧が低く立ち込める向ヶ丘の草原に出て見たくなって、しばらく草原に佇んでいると、夕闇がゆっくりと迫ってきた。草の葉に露がしきりに下りて、静かさの中、虫の音だけが辺りに鳴り響いていた。

「さ霧這ふ丘の草原」
 「さ霧」は狭霧。「さ」は接頭語。「丘」は、向ヶ丘。

「慕ひ來てたゝずみ居れば」 
 「慕ふ」は、從い学ぶ。一高に学ぼうと憬れての意。「たゝずむ」は、そこに身を落ち着けていること。一高に入学し、寄宿寮の寮生となり向ヶ丘で暮らすようになったこと。作詞の五味智英は諏訪中学出身の地方の出。後、一高の名物教授の一人となった。

「露しげく、搖るゝ虫の音 夕暗のたゆたふほとり」
 「露しげく、搖るゝ虫の音」は、秋深いことを示す。「露しげく、」の句読点「、」は昭和50年寮歌集で削除された。「夕暗のたゆたふほとり」は、暮れなずむほとり。太陽が没してもなかなか暗くならない意。「たゆたふ」は、ぐずぐずしている。暮れなずむ。
 「見よ鞦韆に暮れなやむ」(大正4年「見よ鞦韆に」1番)
月冴ゆる丘の庭の面 (ふみ)いだき遠く望めば 故郷のおもひまどかに 光浴び澄めり魂 2番歌詞 両親からの手紙を読んでいたら、むしょうに故郷の諏訪が恋しくなった。手紙を懐に冷たく澄んだ月の光が射している寮庭に出て、故郷の方角の空を眺めた。故郷の空にも同じ月が出ているのだなあと思いながら両親や故郷の山川のことを思っていたら心が落ち着いてきた。月の光を浴びたら、すっかり雑念が消え心が清められた。

「月冴ゆる丘の庭の面」
 「月冴ゆる」は、月が冷たく澄む。「丘の庭の面」は、寮庭。校庭。一高寄宿寮は、校内の一角(北側)にあり、寮庭も校庭も同じと考えてよい。

「書いだき遠く望めば 故郷のおもひまどかに」
 「故郷」は、向ヶ丘か生まれ育った故郷か。「遠く望めば」から生れ故郷と解す。また、その関連で「書」は故郷から、おそらく両親からの手紙であろう。「故郷のおもひまどかに」は、故郷の空を眺め、故郷の両親や山川のことを思っていたら心が落ち着いた。
 「本寮歌の第一節、第二節は自然愛と望郷の念の叙情的表現を特色」(一高高同窓会「一高寮歌解説」)

「光浴び澄めり魂」
 月の光を浴び、雑念が消え心が浄められた。「光」は、真如の月の光。明月が闇を照らすように、人に真理を示し、一切の迷いから解放する。
灯は消えて八寮しづか 仰ぎ見る銀河のあたり 星みだれ眞理し語る 友の眼に欣求の光   3番歌詞 深々と夜は更けて、八寮の灯は消え辺りは静かになった。満天の星を散りばめた銀河の辺りを仰ぎ見ると、星が瞬いて真理を語っている。星の語る真理を得ようと、星を見つめる友の目は喜びの涙に輝いている。

「灯は消えて八寮しづか」
 「八寮」は、一高寄宿寮。明治35年「嗚呼玉杯に」の頃は、一高自治寮は五寮であったが、その後、寮の数が増えて、大正9年には、東・西・南・北・中・朶・和・明の八寮となった。自習室の消灯時間は大正10年4月に11時から12時に変更された。「灯も消えて」は、深夜12時以降となる。

「仰ぎみる銀河のあたり 星みだれ眞理し語る」
 天の川の辺りを仰ぎみると、星が瞬いて、真理を語る。「銀河」は、天の川。天の川の両岸には彦星(わし座の主星アルタイル)と織姫星(こと座の主星ベガ)。夏の星座であれば白鳥座(北十字星、主星デネブ)、冬の星座であればオリオン座(ペテルギウス、リゲル、三つ星、大星雲)が夜空を彩る。「星」の特定は難しいが、晩秋から冬の季節とすればオリオン座の星となる。「みだれ」は、バラバラになる、崩れる。またたくの意。
 「十字の星をしたひ行く」(大正10年「偸安の春も」1番)

「友の目に欣求の光」
 「欣求」は、よろこび求めること。ここでは 真理を求めること。「光」は、友の瞳に映った星の光。
 「友の瞳の輝きぬ 夕の星の瞬きぬ」(大正10年「彌生ヶ丘に洩れ出でる」3番)
 「げに修道の草枕 欣求不斷の精進に」(大正4年「見よ鞦韆に」4番)

 「第三、四、五節においては友情に託しつつ宗教的、求道的精神を強く打ち出している点が独特といえよう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
たどり得し道のよろこび 感激の涙きよらに あふれつゝ、ほの認めけむ 遙けくも輝く行手 4番歌詞 星の語る真理に辿りついた喜びに感激の清らかな涙が溢れ頬を伝う。まだまだ真理追究の道は果てしなく続くが、これで少し前途に希望が出てきたようだ。

「たどり得し道のよろこび感激の涙きよらに」
 「たどり得し道」は、真理追究の道。「星の語る眞理」(3番歌詞)を得た喜び。
 
「あふれつゝほの認めけむ 遙けくも輝く行手」
 「ほの」は接頭語で、かすか、うすうす、ちょっと。「遙けくも輝く行手」は、真理追究に希望が出てきたことをいう。
あゝ友よ胸躍らずや とこしへの旅路(しの)びて 折伏(しゃくぶく)のたふとき(わざ)に 汝が(たま)のわなゝきせずや 5番歌詞 果てしなく続く真理追求の旅に思いを馳せる時、友よ、胸が躍るではないか。この世の不義不正を正し、ひたすら真理を追究する一高生の務めに、君の心は奮い立たないか。

「とこしへの旅路偲びて」
 「とこしへの旅路」は、はてしない真理追求の旅路。

「折伏のたふとき業に」
 「折伏」は仏教で、悪人・悪法をくじき、屈服させること。ここでは破邪。「業」は、努め。使命。一高生は、真理を追究することが運命(さだめ)である。
 「『玉杯』の5節を受け、『破邪の剣を抜き持ち行途を拒む魑魅魍魎を切り捨てることを』をいったものか。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の劍を抜き持ちて 舳に立ちて我よべば 魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海静か」(明治35年「嗚呼玉杯」5番)
(さか)ゆかん(をか)の生命を 護り來し若人の群 去りがてにかへり見するを 夜をこめて歌ひ送らむ 6番歌詞 一高寄宿寮の自治は、後輩に伝えられて永遠に栄えてゆくことだろう。この寄宿寮の自治を護ってきた一高生が卒業して向ヶ丘を去る時が来たが、三年の思い出に浸って向ヶ丘を去るのをためらっている。一晩中、寮歌を歌って卒業生を送ろう。 

「榮ゆかん陵の生命を 護り來し若人の群」
 「陵の生命」は、一高寄宿寮の自治。「護り來し若人の群」は、寄宿寮の自治を守ってきた一高生の群。

「去りがてにかへり見するを 夜をこめて歌ひ送らむ」
 「去りがてに」は、去り難く。「難に」は連語で、・・・・できないで。・・・・しがたく。「かへり見する」は、振返って見ている。思い出多い向ヶ丘を去り難いからである。
 「去ることができないので、ふりかえり見ているのを、の意」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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