旧制第一高等学校寮歌解説
若き愁ひに |
昭和2年第37回紀念祭寮歌
1、若き愁ひに踏み迷ふ 名も無き夢の まどろみ寒くめさむれば 見よ丘のべもいつしかに 4、あゝ時こそは移り行け いのちあらそふ迷羊の うら若き日の旅衣 この世の *「何時」のルビは「つい」であったが、誤植とみて「いつ」に訂正した。 5、 三十七の花うたげ かたみに涙つきせねど 燃ゆる |
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昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。 1、「ふみまよふ」(1段3・4小節) ミーレドーシーラー これにより、1段の主メロディーと3段メロデーはほぼ一致。各段後半の「ふみまよふ」と「めさむれば」の2小節は全く同じとなった。 2、「ゆめの」(2段2小節) レーラーラー これにより、2段と4段のメロディーはほぼ一致。各段前半の「なもなきゆめの」と「みよをかのべも」の2小節は全く同じとなった。 この寮歌を3部形式の歌曲と捉えれば、第1大楽節と第2大楽節のメロディーは同じ、サビを構成する第3楽節のみ異なるメロディーで、そのメロディー構成はAAB、上の変更により原譜にあった違和感がなくなり、すっきりしたものとなった。長調のメロディーながら若者の愁いを湛えながら、強く生きようとする姿を流れるように軽快に表現した秀曲となった。特にサビで エンデイングの第3楽節(5・6段)の「とはのいのちのしらべして りんねのはるにもえいでし」はメロディー、リズムとも主メロディーを受け、それを巧みに変えながら前半サビ部分を盛り上げ(「いのち」のところ♯をつけて半音上げてるのは、すごい効果。平行調のイ短調に転調しているかのような感じ)、エンディングにもっていく技巧は素人の作曲とはとても思えません。 |
語句の説明・解釈
大正天皇崩御の諒闇の歌。同年寮歌「たまゆらの」の項参照。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
若き愁ひに踏み迷ふ 名も無き夢の |
1番歌詞 | 向ヶ丘で真理を追究する旅に出た若者が、旅の途中、真理が得られないまま愁いに悩みながら道に迷って、ついうとうとと眠ってしまった。寒さに目覚めてみると、向ヶ丘はいつしか春が廻って来て若草が芽吹いているではないか。諒闇中であっても、自然は、いつもどおり春夏秋冬の四季の移ろいを繰り返しているのだ。 「若き愁ひに踏み迷ふ 名も無き夢の途すがら」 人生を旅と見て、若き3年間を向ヶ丘に旅寢して、真理の追究と人間修養に励む。その旅の途中、真理が得られず悩み道にさ迷う。「名も無き夢」は、真理の追究。 「永劫の命の韻律して 輪廻の春に萠え出でし」 「永劫の命の韻律」は、春夏秋冬四季のうつろい。「輪廻の春」は、毎年、春が廻って来ては、去って行くこと。「輪廻」は、車の車輪のように回転してきわまりがないこと。ここでは毎年同じことを繰り返すこと。大正天皇が崩御し諒闇中であっても、自然の移ろいは、いつもの年と変わりなく、今年も巡ってきたの意。 |
あゝおほどかの春なれど 九重深く翳さして 哀しき轜車のすゝり泣き |
2番歌詞 | のどかな春がきたが、大正天皇の諒闇中で、宮中は深い嘆きに鎖されている。天皇の霊柩を乗せた牛車は四頭の牛に曳かれ、代々木練兵場に設けられた葬場殿に向った。牛車は、前後左右を文武百官に守られながら、啜り泣くように車輪を軋ませて、ゆっくりと進んで行く。今年の紀念祭は、諒闇中のために、祝宴や飾付は一切廃止され、記念式典のみの淋しい紀念祭となった。寮歌の声も乾杯の声も上がらない、しめやかな夜である。 「あゝおほどかの春なれど」 「おほどか」は、のんびりしている様。 「九重深く翳さして 哀しき轜車のすゝり泣き 靈牛の歩み晏ければ」」 大正天皇崩御の悲しみをいう。「九重」は、禁中。皇居。昔、中国の王城は、門を九重に造る制であったからいう。また、宮居を九天にかたどったものともいう。「轜車」とは、貴人の葬儀に棺を載せて運ぶ車。車輪に特殊の構造を施し、進行の際、哀音を発する。これを「轜車のすゝり泣き」と表現した。「霊牛」は、棺を乗せた牛車を曳く牛。「靈牛の歩み晏ければ」は、大正天皇の喪に服する諒闇の期間中であることをいう。諒闇の期間は、大正15年12月25日の崩御から1年である。なお、大正天皇の大喪は、2月7日から8日に代々木練兵場で行われた。7日深夜、大正天皇の棺は、篝火と松明に照らされながら、延々と皇居から代々木まで、4頭の牛が曳く牛車で運ばれた(大正天皇大喪の絵葉書では牛車を曳く牛の姿は確認できなかったが、大喪を記録した映像で確認した。ただし暗闇の撮影であるのではっきりしない。牛の列が2列であれば4頭でなく8頭)。2月8日、大正天皇は、天皇では初めて東京の地多摩御陵に葬られた。 「丘の祭の歌低く 杯こそ乾けしめやかに」 この年の紀念祭は、大正天皇の諒闇中につき、嚶鳴堂で記念式典のみ挙行。飾付・茶話会など娯楽物は一切廃止された。 |
さはれ夕 |
3番歌詞 | とはいっても、今夜のようなしめやかな夜でも、夕方になれば宵の明星が夜空に真っ先に輝き出し、やがて暗い夜空から静かに消えていく。大正天皇崩御の悲しみに耐えて、真理の追求に向って、己を鼓舞しながら行く方に立ちはだかる困難を乗り越えて行こう。我が行かんとする真理追究の道は、孤独で淋しいものであっても厭わない。一心に祈れば光明を見出すことが出来ると信じているからだ。 「さはれ夕星兆して 杳かなる夜を流れけり」 「さはれ」は、サハアレの約。そうではあるが。「夕星」は、宵の明星。太陽が西の空に沈むと、間もなく西の空に輝きだし、やがて静かに消えて行く。大正天皇崩御を夕星に重ねるか。「杳かなる」は夜の暗さの他に、暗くしめやかな紀念祭の意も含む。 「音なくすべる夕づつに」(大正2年「ありとも分かぬ」5番) 「星兆して流れけり」(大正7年「うらゝにもゆる」4番) 「あこがれの笛吹き鳴らし 友よ棘を分け行かん」 「あこがれ」は、真理への憬れ。「笛吹き鳴らし」は、己を奮い立たせながら。「棘」は、行く方に立ちはだかる障害。困難。 「『文荊』は、兄弟の離れることのむつかしいことの喩。・・・この歌では、『本来別れがたい固い友情で結ばれた友が、卒業と共に、悲しみを忍んで別れ行く』という意味に用いられているのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「わが行く道のさみしかれ 祈の魂に光あり」 「わが行く道」は、真理追究の道。「さみしかれ」は、「さみし」の命令形。淋しくても構わない。「祈の魂に光あり」は、一心に祈れば道は見えてくるの意。 「淋しく強く生きよとて」(大正2年「大正2年「ありとも分かぬ」3番) 「秘鑰を捨てゝ合掌の おのれに醒めよ自治の友」(大正9年「春甦る」6番) |
あゝ時こそは移り行け |
4番歌詞 | 春がまた巡って来たように、時は過ぎて行っても、何時かまた見ることが出来るようになっているのだから、時よ、流れて行くというのなら流れて行け。それは仕方がないことだ。しかし、この世の幸せを求めて、お互いに魂と魂をぶっつけあって友情を育んだうら若き日の向ヶ丘三年を決して忘れないでほしい。 「何時かまた見んさだめかな」 1番歌詞に「輪廻の春」とあるように、時は流れ去ってもまた戻ってきて会うことができるようになっているの意。「何時」のルビは「つい」となっていたが、誤植とみて「いつ」に訂正した。 「いのちあらそふ迷羊の うら若き日の旅衣」 「いのちあらそふ」は、お互いの魂と魂をぶっつけ合って。切磋琢磨して。「迷羊」は、迷える一高生を羊に喩えた。「うら若き日の旅衣」は、うら若き日を過ごした向ヶ丘の三年。 「この世の幸にはなむけし 三年の春を忘れめや」 「はなむけ」は、その方に鼻をむけること。ここでは「この世の幸」に鼻を向ける、すなわちこの世の幸せを求めた。「三年の春」は、向ヶ丘三年。「忘れめや」の「め」は、推量の助動詞「む」の已然形、「や」は係助詞。已然形の下について反語となる。 |
5番歌詞 | 第37回紀念祭は、諒闇中のために飾り物・祝宴等は一切取り止めとなった。しかし、寄宿寮の誕生を清らかに祝おうと若い一高生の胸の血潮が湧き立ったようだ。お互いに涙はつきないが、篝火がなくても胸の炎を燃え上らせて、せめて寄宿寮37年の思い出を友と語り合って、紀念祭を祝おう。 「純らに若き讃美もて 生命の搖籃をさ搖りけん」 「讃美」は、寄宿寮を讃美する心。「生命の搖籃」は、命のかご。心臓。「さ搖り」は、心臓を揺する。血潮を湧き立たせる。「けん」は、過去の推量の助動詞。 「『生命の搖籃』は将来の発展が予期される若人の青春期を指しているのだろう」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「かたみに涙つきせねど」 「かたみに」はお互いに。 「かたみに面は知らねども」(大正4年「散りし櫻を」4番) 「わびしき春を語りなん」 「わびしき春」は、諒闇中で淋しい紀念祭。「語りなん」は、寄宿寮37年の思い出。 「神去りましゝ哀痛を たゝへて灯影暗けれど」(昭和2年「散り行く花の」5番) |