旧制第一高等学校寮歌解説
散り行く花の |
昭和2年第37回紀念祭寮歌
二部合唱ナレド高音部ノミ歌フモ可ナリ |
1、散り行く花の下蔭に 微睡醒めておどろけば ゆふべの靄の紫に 暮れては遠き旅路かな 2、千里の駒に鞭あげて 丘を訪ひにし旅人は はるかに白き帆をあげて やがては遠く去りゆかむ 3、とヾめもあへず流れ行く 時のさだめを嘆くとも 空しき智慧のよそほひに 友よ老いゆくこと勿れ |
昭和10年寮歌集、平成16年寮歌集で、次のとおりの変更があった。 Ⅰ、昭和10年寮歌集 1、「ゆーべの」の「ゆー」(2段3小節) 上下段とも、4分音符を同じ高さの2つの8分音符に(上段はドド、下段はソソ)。 2、「はーなの」、「さーめて」などにスラー。 3、楽譜下にあった「二部合唱ナレド高音部ノミ歌フモ可ナリ」なる文言は削除された。 Ⅱ、平成16年寮歌集(弱起の小節も1小節とカウント) 1、「まどろみさー」(第1段5・6小節) (上)ミファソーミードシ (下)ドドミーミーミレ 2、「おどろけば」(第2段1・2小節) (上)ソファミーファーソー (下)変更なし 3、「(むーら)さきに」(第3段1小節) (上)ソファミー (下)ミドドー 4、「(たびぢー)かーな」(第3段5小節) (上)シードー (下)変更なし ただし、最後の「旅路かな」は、今も従前どおりの譜で「たびじイーかアーなー」と歌う一高生が多い。 アウフタクトの曲で、最初と最後の小節が不完全小節となっている。一高寮歌には、合唱曲として、明治39年「みよしのの」(音楽隊)、明治45年「荒潮の」(楽友会)、大正11年「紫烟る丘の上」、大正13年「宴して」とこの寮歌がある。このうち、寮歌集に低音部の譜が載っているのは、「みよしのの」とこの寮歌であるが、今も一高寮歌祭で歌われるのは、この「散り行く花の」だけである。この寮歌を好む籠球部の先輩は、今も一高玉杯会で2部合唱して歌う。 |
語句の説明・解釈
この寮歌は、5番歌詞に「神去りましゝ哀痛を」とあることから分かるように、大正天皇崩御を悼む諒闇の歌の一つである。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
散り行く花の下蔭に 微睡醒めておどろけば ゆふべの靄の紫に 暮れては遠き旅路かな | 1番歌詞 | 桜の花の散る木の下で、ついとろとろと気持ちよく眠ってしまったが、眠りから覚め、はっと気が付くと、夕方となっていて、紫色の靄が向ヶ丘に立ち込めていた。もはや日が暮れてしまったか。遠い旅路を辿って来たものだなあと、つくづくと思う。 「散り行く花の下蔭に 微睡醒めておどろけば」 「散り行く花の下蔭」は、去寮間近となった一高寄宿寮。「おどろけば」は、にわかに気が付けば。「微睡」は少しの間、とろとろと気持ちよく眠ること。向ヶ丘三年の起臥し。 「ゆうふべの靄の紫に 暮れては遠き旅路かな」 「ゆふべ」は、夕方。「靄の紫」は、夜の靄の色。靄は大気中に低く立ち込めた細霧・煙霧。「暮れては」は、旅の暮。向陵生活の終わりが近づいたことをいう。 |
千里の駒に鞭あげて 丘を訪ひにし旅人は はるかに白き帆をあげて やがては遠く去りゆかむ | 2番歌詞 | 1日千里を走るという駿馬に鞭を振り上げて、向ヶ丘を訪ねた旅人は、やがて遙か彼方の大海原に白い帆を上げて向ヶ丘から遠く去っていくことであろう。 「千里の駒に鞭あげて」 「千里の駒」は、1日千里を走るという駿馬。漢の武帝が張騫の報告から将軍李広利を大苑(フェルガナ)に遠征させ手に入れた天馬汗血馬は、日に千里の道を走り血のような汗を流したという。「鞭をあげて」は、馬を早く走らせるために鞭を振り上げること。 「萬馬の蹄日に千里」(明治36年「比叡の山に」4番) 「汗みな血とふ若駒は 三尺ながき鬣を 雄たけびともにふるふ哉」(明治39年「霞かぎれる」4番) 「丘を訪ひにし旅人」 「旅人」は、人生の旅の途中、真理の追究のために向ヶ丘に立ち寄った一高生。 「はるかに白き帆をあげて やがては遠く去りゆかむ」 一高生は、将来、世の中の各界で頭角を現し、立派な業績を残すであろうの意。「白き」は、清い。立派な。「帆」は「穂・秀」の意で、形・色・質において、他から抜きん出ていて、人の目に立つもの。一高生の抜きん出て優秀なることをいう。「やがて」は、向ヶ丘三年の滞在の後。「む」は、推量の助動詞。 |
とヾめもあへず流れ行く 時のさだめを嘆くとも 空しき智慧のよそほひに 友よ老いゆくこと勿れ | 3番歌詞 | 一瞬たりとも止まることのない時の決まりを嘆くことがあっても、くだらない知恵を働かせて、世渡りの術や、言い訳上手となって、事の本質から目をそらし、真理を追究する情熱を失ってはいけない。 「とヾめもあへず流れ行く 時のさだめを嘆くとも」 「とヾめもあへず流れ行く」は、時の流が一瞬たりとも止まらないで進んでいくこと。 「歎けど時の老いゆくを 止め止めんすべもがな」(大正10年「彌生ヶ丘に」歎) 「空しき智慧のよそおひに 友よ老いゆくこと勿れ」 「空しき智慧のよそおひ」は、くだらない知恵を働かせて。すなわち世渡りの術や言い訳などして。「友よ老いゆくこと勿れ」は、誰しも年と共に年を取るのは避けられないが、真理を追究する情熱を失ってはいけない。 |
あゝ |
4番歌詞 | あゝ、煩悩の渦巻く世にあって、清いわが故郷向ヶ丘は、なんと尊い存在であるか。ものみなは時と共に年老いて行くが、向ヶ丘だけは、春になると卒業生に代わって若い一高生がやってきて、いつまでも若さに溢れている。 「あゝ有漏の世のあはれにも 聖き心のふるさとは」 「有漏」は、仏教用語で、煩悩のある状態。「漏」とは煩悩の意。「心のふるさと」は向ヶ丘。 「わがたましひの故郷は いまも綠のわか草に」(大正5年「わがたましひの」1番) 「うつろひ行けど」は、ものみなは時が経てば、衰えて年老いて行くけれども。「うつろふ」は、盛りが過ぎて色褪せる。花や葉が散る意。 「時とともに、物事の状態が変わっていくけれども。」(一高同窓会「一高寮歌解説」) 万葉1045 「世の中を常なきものと今ぞ知る 平城のみやこのうつろふみれば」 「若き生命にあふれたり」は、春になると卒業生に代わって若い一高生がやってきて、向ヶ丘は、いつまでも若さに溢れている。一高の象徴である柏の葉は、秋に落葉することなく。春に若葉が出てから落葉するので、一年中、緑であるのと同じ。卒業生と新入生が入れ替わって、常に若々しい。 |
神去りましゝ哀痛を たゝへて灯影暗けれど 心をこめて夜もすがら まどゐも床し紀念祭 | 5番歌詞 | 今年の紀念祭は、大正天皇崩御の諒闇中であるので、いつもの祝宴や飾り物等はなく、つつましく嚶鳴堂における記念式典のみである。そのため、祭の燈も篝火もない暗い紀念祭であるが、寄宿寮の開寮記念日を祝う心だけは込めて、みんなで集まって、一晩中、寄宿寮37年の思い出を懐かしく語り明かそうではないか。 「神去りましゝ哀痛を」 大正天皇が崩御した悲しみ、傷みを。一高では、「神去りましゝ」と詠った作詞者も、「大學に入るや、一転して共産主義者となった」という(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)。 「たゝへて灯影暗けれど」 「たゝへて」は、「哀痛を湛えて」。哀痛で心が一杯になって、そのため灯影も暗い。 「心をこめて夜もすがら」 この年の紀念祭は、大正天皇の諒闇につき、飾付、茶話会、その他娯楽を目的とするものは一切なく、式典だけのつつましい紀念祭であるが、寄宿寮の開寮記念日を祝う心だけは込めて一晩中。 「まどゐも床し紀念祭」 「まどゐ」は親しい者が集まって楽しく過ごすこと。「床し」は、行キの形容詞形。よいことが期待されるので行きたいが原義。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
園部達郎大先輩 | これを聴く度に、早や最年長となった私には『友よ老い行くこと勿れ』が、妙に響く。もっと『空しき智慧のよそほひに』は強烈なのだが、も早や麻痺していて感じない。 | 「寮歌こぼればなし」 |