旧制第一高等学校寮歌解説
たまゆらの |
昭和2年第37回紀念祭寮歌
たまゆらの、三年が 去りぬべき、 うつしよの、 若き日を高く誇らひ 夢のごと、逝にし 打ち集ひ、語り |
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ハーモニカ譜では、ヘ調とあるのみで、長短の区別表示はない。これを同名調のヘ短調として五線譜に直した。あるいは平行調のニ短調かもしれぬ。 昭和10年寮歌集で、ヘ短調からト短調に移調した。メロディーには変更はない。テンポ表示「極くゆkっくりと」はLento(遅く)に変わった。 極めてゆっくりと、低く歌う(といっても他人が歌うのを聞いたことはないが)。ハーモニカ譜で数字に下点(一音階低い)がついてないのは、3段の5数字のみ(ドが3音、あとはミとレ各1音)である。全曲低音の中、比較的高温の3段の「去りぬべき運命近きを」は、極めて効果的にサビを構成する。エンディングの4段は、低音にもどり、不安定な下属音で終わる。悲歎にくれる諒闇の歌らしい。作曲者は、卒業のころ胸を病んで死亡。自身の死を予期したかのような悲しい曲である。 |
語句の説明・解釈
この寮歌は、大正天皇崩御の諒闇の歌である。ただし、天皇の崩御を悼む歌詞は見当たらない。 大正15年12月25日 大正天皇崩御 昭和 元年12月27日 倫理講堂で在京学生300人、天皇崩御の奉悼式を行い、生徒を代表して委員5名、 葉山御用邸からの霊柩還御を二重橋に奉迎。 2年 2月 1日 第37回紀念祭、総代会の決議により諒闇中につき嚶鳴堂で記念式典のみ挙行。 7日 大正天皇のご霊柩を一高代表76名、皇居前で奉送。午後11時、霊柩の新宿御苑 葬場出御に合わせ、嚶鳴堂で遥拝式挙行。(「一高自治寮60年史」) 「新年の旭光帝都を照すと雖も、諒闇の悲愁は吾人の心を鎖し、唯半旗の悄然として、其の陰影を大地に投ずるあるのみ。」(「向陵誌」昭和2年) |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
たまゆらの、三年が |
長い人生の旅から見れば、向陵三年は、ほんの短い間の旅寝にすぎないが、自分の向陵に対する思いは、筆舌では到底尽くすことが出来ない。向ヶ丘を去らねばならぬ運命の別れの日が近く、もの悲しくなっているところに、夕方、寄宿寮に入相の鐘が流れてきて、いっそう寂しくなる。 「たまゆらの、三年が憩ひ」 「たまゆら」は、ちょっとの間。ほんのしばらく。万葉集2391に見える「玉響(たまかぎる)」の古訓から生れた語という。あっというまに過ぎ去った向陵三年。次のの「歡喜」の歌詞「夢のごと、逝にし年月」のこと。 万葉集2391 「玉かぎる昨日の夕見しものを 今日の朝に恋ふべきものか」 「去りぬべき、運命近きを」 「運命」は、向ヶ丘三年が過ぎ、向ヶ丘に離別の時が近づいたこと。 「高樓に、わびし鐘の音」 「高殿」は、一高寄宿寮。本郷の時計台は、大震災で傾き、防災上の理由から爆破されて存在しない。鐘は上野や浅草、あるいは本郷界隈の寺の入相の鐘であろうか。今日は特別に悲しく聞こえる。 |
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うつしよの、 |
この世の汚れを嫌って、俗塵を絶ち自治寮に籠城する憧れの一高に入学した大きな誇りに包まれた若き日々は、夢のように過ぎ去った。 「うつしよの、混濁厭ひて 憧憬の丘に登りし」 「うつしよの混濁」は、この世の汚れ。「憧憬の丘に登りし」は、憬れの一高に入学したこと。「丘」は、向ヶ丘。一高。 「夢のごと、逝にし年月」 夢のようにあっという間に、過ぎて行った年月。 |
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霜が降り、秋に盛んに鳴いていた虫の声が途絶え冬が来ると、向ヶ丘は、時計台跡に枯れススキが淋しくなびいて荒涼とした風景となる。寒々として物音一つない静かな夜、一高生が逍遥しながら口遊む寮歌の声のなんと悲しいことか。 「淺茅生ふ、丘の城跡」 「浅茅」は、枯れすすき。「浅」は、まばら、または丈が低い意だが、次の句の「虫の音も絶えむ頃ほひ」から、季節は初冬であるので、枯れてまばらになったと解す。「茅」は、ススキなど屋根を葺くのに使う草。「丘の城跡}は、大震災で爆破された一高のシンボル・時計臺の跡。 「向ヶ丘の本館倒壊・消失のあとに、たけの低いチガヤが生えている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「蟲の音も絶えむ頃ほひ」 「頃ほひ」は、ちょうどその時分。時節。初冬に霜が降り、虫の音も途絶えた頃をいうと解す。たんに虫の音が止んだ深夜の時刻をいうのではない。 「逍遙に吾が誦む 歌聲のなどか悲しき」 逍遥して口ずさむ寮歌の声のなんと悲しいことか。虫の音も途絶え、辺りは物音ひとつない静かさである。「逍遥」とは、特に何をするという目的なしに、気分転換のために山野や川のふちなどを歩くこと。「などか」は、どうしてか。なぜか。「など」は副詞でナニトの約。「か」は疑問詞を承ける係助詞。 |
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嗚呼、されど、友な嘆きそ 我にあり、みなぎる血潮 彼にあり |
あゝ、しかし友よどうか嘆くのはやめてくれ。一高健児は、意気が高く熱い血潮が漲っており、また前途は洋々として希望に満ちている。真理を追究して、人生を強く生きていこう。 「嗚呼、されど、友な嘆きそ」 「されど」はサアレドの約。しかし。「な・・・そ」は、禁止の意をやさしく表す。どうか しないでくれ。 「彼にあり希望の光」 「希望」は、大正14、5年の寮歌には、大震災からの復興、駒場移転と新向陵建設の両方の関連で、希望の文字が使われる。 「希望の峯にまたゝけば」(大正14年「しろがね遠く」1番) 「希望の峯に辿りえし」(大正15年「烟争ふ」2番) 「眞理もて、強くいきなむ」 「眞理もて」は、真理を追究して。 「真理追求に一切をかけている。この場合の『まこと』とは、多極化した価値観より更に深い基盤だろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
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自治燈の灯が赤く点って、篝火が映える柏の森に打ち集って、栄えある寄宿寮の誕生日に、寄宿寮の清い歴史を徹宵で語り明かそう。 「光あかき、自治の燈 篝火の映ゆる森かげ」 この年の紀念祭は、前年12月25日に大正天皇が崩御し、諒闇中のため記念式典のみであり、自治燈と呼ばれた祭りの灯を点したり、篝火を焚くことはなかった。「自治の燈」「篝火」は、まさしく「自治の教え」を喩えたもので、観念上の「燈」であり、「篝火」である。 「神去りましゝ哀痛を たゝへて灯影暗けれど」(昭和2年「散り行く花の」昭和2年) 「燃ゆる情火をうちあげて わびしき春を語りなん」(昭和2年「若き愁ひに」5番) 昭和2年2月1日 第37回紀念祭、総代会の決議により諒闇中につき嚶鳴堂で記念式典のみを挙行(「一高自治寮60年史」)。 「榮の日の清きおもひで」 栄えある寄宿寮の清い歴史。37年の思い出。 |