旧制第一高等学校寮歌解説

櫻萠ゆる

昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 東大

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        (一)
  櫻萠(はなも)ゆる    彌生ヶ岡に
  (よみが)へる     春たヾ一度
  (おも)(ただ)      胸に滿ちて
  今日限り     故郷(ふるさと)さらば
  思ひ出の    絲は亂るゝ
  霧冴(きりさ)ゆる    夕べの(つど)
  皆人(みなびと)の      (いの)り静かに
  故郷は      こゝに滅びぬ

        (二)
  故郷の      夢の破れて
  目醒れば    (あかつき)の色
  武藏野は    西に(ひら)
  不二ヶ根に   光さやけし
  白銀の      久遠の姿
  仰ぎ見る     今日の(よろこ)
  射し上る     光を浴びて
  新しき      生命(いのち)の歌を
 譜に変更はなく、現譜と同じである。楽譜中の>の記号はアクセント(強調しての意)です。ヴェロッシティを少し強くしておいたが、そのように聞えるであろうか。MIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。

 曲想文字「思ひこめて!!」のとおり、變ホ長調で始まり、途中、同主調の變ホ短調に転調して、一層、故郷・向陵の鎮魂歌ににふさわしい哀痛のメロディーとなっている。
 ところで、出だしの「はなーもゆる」と転調後の「おもーいでの」は、各音符の五線譜の位置(ハ調読みにすれば、シミファソーソファミ)は同じである。調子記号♭を三つ増やすだけで、主音が同じ同主調の短調に転調し、メロディーはこんなに哀調を帯びる。音楽素人の私などには、マジックとしか理解できない不思議な現象である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
櫻萠(はなも)ゆる   彌生ヶ岡に
(よみが)へる    春たヾ一度
(おも)(ただ)     胸に滿ちて
今日限り    故郷(ふるさと)さらば
思ひ出の   絲は亂るゝ
霧冴(きりさ)ゆる   夕べの(つど)
皆人(みなびと)の     (いの)り静かに
故郷は     こゝに滅びぬ
1番歌詞 桜の蕾がふくらむ彌生が岡に、春が巡って来るのも今年が最後となった。今日限りで、我が魂の故郷である向ヶ丘と別れると思うと、ただもう、胸が一杯になる。霧が冷たく肌にしみる夕べの紀念祭の集まりでは、昔のことが、あれやこれやと思い出されて、心は千々に乱れた。向陵よ安らかたれと鎮魂の祈りも静かに、我が故郷は、ここに亡びた。

「櫻萠ゆる 彌生ヶ岡に」
 「萠ゆる」は、草木が芽をふくことだが、「櫻眞白く咲きいでて」(大正6年)の彌生ヶ岡を想像したい。

「甦へる 春たゞ一度」
 9月には駒場に移転を予定しているので、今年が向ヶ丘での最後の紀念祭である。

「想い唯 胸に満ちて 今日限り 故郷さらば」
 「今日限り故郷さらば」は、1番歌詞最後の「故郷はこゝに滅びぬ」の気持ちからである。

「思い出の 絲は亂るゝ 霧冴ゆる 夕べの集ひ」
 「夕べの集ひ」は、紀念祭の集い。イブ(本郷の一高生は、「イーブ」という)のことであろう。あるいは2月1日の嚶鳴堂で催された茶話会のことか。さらに2月2日、一般公開が終わり、篝火を焚いて寮歌を歌った時のことか。
 「1月31日、待ちに待ちし紀念祭イーブなり。向陵最後の紀念祭なれば感慨一入深く、自治燈赤々とゆらぎ、寮歌吟嘯の聲陵頭に漲りぬ。思ひ思ひに惜別の心を胸に秘めぬ。」(「向陵誌」昭和10年)
 「(2月1日)黄昏迫り寮の灯明く瞬き始むる嚶鳴堂に於て茶話会を開けり。委員長開會の辭に次ぎ、辰野保先輩の『向陵の思い出』なるラジオ放送に一同聞き入る。微笑ましき想出の數々に若き日の生命を謳歌し、次で流れ出づる勇壯なる寮歌放送に生誕の夕を祝ふ。諸先輩愛寮の念に燃え向陵精神の精髄を駒場の地に新生建設せん事を衷心より希望せられたり。寮生演説に入り向陵神社問題に入るや萬堂議論白熱し、丸山先生自ら演壇に立ち堂々反駁せられ向陵精神こそ一高の中心に非ずして何ぞやと鍔々の熱辯を振はれたり。斯くて神社問題を中心として甲論乙駁盡くる所を知らざりしも、餘興初るや(そのまま)和氣藹々午前4時茶話會の幕を閉じたり。上野の鐘聲餘韻嫋々たり。夜風梢をわたりて寒月傾きぬ。」(「向陵誌」昭和10年)
 「(2月2日)夕昏迫れば篝火炎々沖天に舞ひ力ある自治の歌、別離の愁を秘めつゝも新生の意氣に溢れたり、窓邊に倚れる友の頰は希望の色に紅く、櫻樹の陰に語ろふ友は感激の涙にくれたり。」(「向陵誌」昭和10年)

「皆人の 祈り静かに 故郷は こゝに滅びぬ」
 心の故郷向ヶ丘に悲傷訣別を告げ、その霊の安かれと静かに祈る。
 「向が岡を去ることは、私などにとっては、一高の『死』であると感ぜられていた。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
故郷の     夢の破れて
目醒れば   (あかつき)の色
武藏野は   西に(ひら)
不二ヶ根に  光さやけし
白銀の     久遠の姿
仰ぎ見る    今日の(よろこ)
射し上る    光を浴びて
新しき     生命(いのち)の歌を
2番歌詞 向ヶ丘よ永遠であってくれという夢は敗れたが、向ヶ丘は、駒場に移転して甦るのだ。武蔵野は西に開け、その向うには、千古変わらぬ万年雪を頂いた富士山が八面玲瓏として聳えている。霊峰富士を仰ぎ見る喜びに浸りながら、射し上る太陽の光を浴びて、駒場で、伸び伸びと新しい自治の伝統を築き、新しい寮歌を歌ってくれ。

「故郷の 夢の破れて 目醒れば 曉の色」
 「故郷の夢」は、向陵は永遠であるとの夢。「曉」は、夜が明けようとして、まだ暗いうちをいう。具体的には、いったん亡びた向ヶ丘が駒場に移転して甦る意。

「武蔵野は 西に闢け 不二ヶ根に 光さやけし」
 「不二ヶ根」は、富士山。「根」は、大地にしっかりと食い込んでいるものの意。「さやけし」は、さえてはっきりしている。「光さやけし」とは、うるわしく照りかがやく富士山の形容。

「白銀の久遠の姿 仰ぎ見る今日の歡び」
 「白銀の久遠の姿」は、千古の昔から永遠に変ることがない八面玲瓏たる富士山の姿。駒場に行っても、俗に交わることなく身を潔白に保って富士山のように孤高の高い理想を持つようにの意か。

「射し上る 光を浴びて 新しき 生命の歌を」
 「生命の歌」は、自治の歌、寮歌。「光」は、太陽の光で眞理を象徴する。駒場で、伸び伸びと新しい自治の伝統を築いてくれの意。
            
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 肩肘をはらず淡々たる表現のうちに、第一節は哀切、第二節はやや明朗。特に、第一節の『皆人の祈り静かに 故郷はここに滅びぬ』は、心肝に透る向ヶ丘への訣別の辞であり、弔鐘と鎮魂の祈りでもある。 「一高寮歌私観」から
            

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