旧制第一高等学校寮歌解説
薄靄こむる |
昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 東大
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1、薄靄こむる あゝ *「はろか」は、昭和50年寮歌集で「はるか」に変更。 2、紫烟る丘の上 夕に映ゆる影の色 來し方遠く眺むれば 闇に瞬く夕 *「星」のルビは「ごこ」と読めるが、誤植と見て「づつ」に訂正した。 |
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譜に変更はなく、現譜と同じである。MIDI演奏は左右とも同じである。 ハ短調の哀愁を誘う寮歌。好きな寮生も多いのでは。ラドミファ ラファミ ラシドミ シと、つい口ずさんでしまう親しみ易いメロデーである。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
薄靄こむる |
1番歌詞 | わずかに東の空が白む頃、朝靄が薄く立ち込め、橄欖の花の香がほんのりと漂う向ヶ丘。あゝ、なんと幸せなことか。芽吹いたばかりの橄欖の若葉が朝日の光に輝いて美しく揺れている。遠く険しい道を苦労して、憧れの向ヶ丘に登ることが出来た喜びは、喩えようがないほど大きい。 「薄靄こむる黎明に 花の香淡く漾ひて」 「黎明」(しののめ)は、夜明け。わずかに東の空が白む頃。「花の香」は桜か橄欖か。桜の香とはあまりいわない。1番歌詞は、作詞者が向陵突破を果たした喜びを詠ったものであることから、一高の文の象徴である橄欖の花の香と解する。 「あゝ幸、萌ゆる若綠 彩なす光榮に躍るかな」 「萌ゆる若綠」は、芽吹いたばかりの若草。一高に合格したばかりの作詞者を喩える。「彩なす光榮」は、綺麗な文様を織りなして光り輝いている様子。見事、一高に合格したことを讃える。「躍るかな」は、若葉が光りに揺れることで、一高合格の喜びを表現する。 「嶮路はろか辿りきて 憬れの丘にのぼりたり」 「はろか」は、昭和50年寮歌集で「はるか」に変更された。「丘にのぼる」は、向ヶ丘に登る、一高に入学すること。 |
紫烟る丘の上 夕に映ゆる影の色 來し方遠く眺むれば |
2番歌詞 | 夕霧が夕陽に赤く映えて立ち込める向ヶ丘。赤く染まった霧は、やがて闇ににのみこまれて、その色を消したように、向ヶ丘三年を振り返ると、あれだけ盛んだった一高の社会主義思想は、卒業の時には、跡形もなくむなしく消えていた。太陽が没した夜空には早や宵の明星が瞬いている。闇に輝くこの星の黙示を聞いて、紅霞のようにはかなく消えてしまうようなものでない、本当の真理とは何かを是非とも会得したいと思う。 「紫烟る丘の上 夕に映ゆる影の色」 「紫」は夕霧。「丘の上」は、向ヶ丘の上。「夕に映ゆる影の色」は、夕陽に赤く映えた霧。左翼思想を暗喩するか。 「來し方遠く眺むれば 虛なる姿消え去りぬ」 「虛なる姿」は、虚像。「影の色」と同じく、闇にのみ込まれて赤い色の消えた霧、すなわち社会主義思想をいうか。作詞者(昭和9年文甲卒)が3年生の昭和8年12月18日の処分を最後に、一高における左翼学生組織は壊滅し、運動は終息したといわれている。 「闇に瞬く夕星に 眞の道を悟りてん」 「闇」は、太陽(真理)が没して真理のない夜空。「夕星」は、闇の空に一段と明るく輝く宵の明星。真理を黙示する星。「眞の道」は、「夕に映ゆる影の色」(紅霞)のように霧消してしまうようなはかないものでない、本当の真理。「てん(む)」は連語。完了の助動詞「つ」の未然形+推量の助動詞「む」。ここでは強い意志を表す。 |
3番歌詞 | 真理に憬れて、眞理を追究する旅の途中、現実の世の厳しさに道に迷って途方に暮れることがあろう。しかし、道を照らす燈の光を決して絶やしてはいけない。燈の光が消えれば、真っ暗闇となり、真理を見つけることは出来なくなる。燈の光、すなわち強い意欲を持って真理を求めれば、必ず真理に至る道は拓けるものだ。「意志あるところに道あり」という。決して挫けてはいけない。 「靈の響胸に秘め 霄壤の秘理求めつつ」 「靈の響」は、最後の句の「希望の鐘」の響きである。従って、「靈の響胸に秘め」は、欣求眞理の心をいう。真理に憬れて。「霄壤の秘理」は、人生の奥義、眞理。遍路が鈴の音(靈の響)に導かれながら、霊場(霄壤の秘理)に向う。「宵壤」は誤植か。昭和50年寮歌集で「霄壤」に訂正された。天と地。 「『靈の響』は霊感の意であろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「あこがれの唄胸に秘め 沙漠をよぎる隊商の」(昭和3年「あこがれの唄」1番) 「現身の地に疑へども 燈の光絶ゆるまじ」 「現身の地」は、この世。世間。「燈の光」は、次の句の「強き意欲」。「まじ」は、「べし」の否定の「べからず」の意の助動詞。普通、動詞の終止形を受けるが、ここでは語数の関係で「絶ゆる」(下二段)と連体形を受ける。燈の光を絶やせば、真っ暗闇となり、真理を見つけることは出来ない。 「『絶ゆるまじ』は文法的には『絶ゆまじ』とあるべきところ。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「強き意欲のあるところ 希望の鐘の啓示あり」 「啓示」は、神が人に、人間の力では知り得ないようなことをさとし示すこと。真理を得る希望である。どんなに辛く厳しい世であっても、真理追究の希望を失ってはいけないということを諭す。 諺 「意志あるところに道あり」 |
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彌生ヶ岡にそそり立つ |
4番歌詞 | 向ヶ丘にそそり立つ自治の城に籠って、世の中の濁波を避けてきたが、時代の波がもろに向ヶ丘に押し寄せてきた。濁れる激流を掻き分けて、必死になって真理を求めてきた。思えば、あっという間に過ぎ去った向ヶ丘三年であった。 「彌生ヶ岡にそそりたつ 傳統の城にこもれども」 「傳統の城」は、自治寮。「傳統」は自治、「城」は寄宿寮。「彌生ヶ岡」は、向ヶ丘に同じ。本郷一高の住所は本郷区向ヶ岡弥生町であった。「こもれども」は、籠城しても。一高生は、俗塵を絶つため、全員が寄宿寮に入った(皆寄宿制)。これを籠城と称す。 「榮華の巷低く見て 向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番) 「時代の波のひたよせに 眞理の流求めつつ 滾れる潮かきわけき 思へば早き三年かな」 満洲事変から国際連盟脱退、血盟団や軍人によるテロ、社会主義者の取締り強化、学問の自由の弾圧等、時代は自由のない軍国主義へ大きく傾いていった。一高でも数次に亘り、左翼生徒の厳しい処分が実施され、多くの寮生が中途退学していったことを踏まえる。 「『滾れる潮かきわけき』は、多くの思想上の混迷、障害、誘惑等を克服したの意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
先人傳ふ自活の燈を 守りて茲に四十五の 柏の |
5番歌詞 | 先人から伝えられた自治の燈を守って、一高生は、向ヶ丘の地で45年を過ごした。この伝統ある向ヶ丘を西武蔵野の田園の地に移そうとしているが、このことを以て、向ヶ丘の命脈が尽きたと言うことではない。 「先人傳ふ自活の燈を 守りて茲に四十五の」 「自活の燈」は誤植か。昭和50年寮歌集で、「自治の燈」に変更された。自治の教え、伝統をいう。「四十五」は、開寮以来45年。 一高は俗界の俗塵を絶つため皆寄宿制度を採り、1年生から3年生まで全員が三年間向ヶ丘の寄宿寮に入寮し、起臥しを共にした。その一高寄宿寮は、四綱領に基づき寮生による自治によって運営された。自治は先輩から後輩へ連綿として引き継がれていった。「自治の燈」は、寺院の法灯になぞらえて、自治の教え、伝統をいう(他に紀念祭の時に灯す明りを自治燈という)。延暦寺のように、実際の燈を特定箇所に法灯として常時灯して、営々と守っているわけではない。 ここに「四綱領」とは、寮開設にともない木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四つの項目のことで、次のとおり。 第一 自重の念を起して廉恥の心を養成する事 第二 親愛の情を起して公共の心を養成する事 第三 辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事 第四 摂生に注意して清潔の習慣を養成する事 「柏の臺移さんと 西武蔵野の翠色に 新しき城求むるも 丘の生命は盡きざらん」 「柏の臺」は、向ヶ丘。一高キャンパス。「柏」の葉は一高の武の象徴。「翠色」は、郊外の緑地という意であろう。「新しき城」は、移転先の新向陵・駒場。「丘の命」は向ヶ丘の命脈。一高、寄宿寮、キャンパス、自治の伝統すべてを含む。 |
顧みすれば若き日の |
6番歌詞 | 顧みると若い日の三年間、向ヶ丘の寄宿寮で、眞理の探究に、また人間修養に励んだ日々の、なんと懐かしいことか。今宵は、昔ながらの月の下で、我が魂の故郷・向ヶ丘の紀念祭を祝う最後の日である。今まで向ヶ丘で培ってきた力を出しきって、さあ、一高生の命の歌・寮歌を声高く歌おう。 「顧みすれば若き日の 精進の道の思ひ出よ」 「若き日」は、向ヶ丘三年の日々。「精進の道」は、真理の探究と人間修養。 「向陵三年夢とはいえど骨にこたえた荒修業」(昭和25年「東の天地」前辞) 「かへりみすれば幾歳の 歴史は榮を語るかな」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番) 万葉 柿本人麻呂 「東の野にかぎろひの立つみえて かへりみすれば月かたぶきぬ」 「床しき丘の月影に 今宵ぞ故郷の花筵」 「花筵」は花の宴席、紀念祭。「床しき」は、「行キ」の形容詞形。よいことが期待される所へ行きたい、見たいの意。 「昔ながらの月影に 歌ふ今宵の紀念祭」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番) 「今涵養し力もて 生命の詩を高誦せん」 「涵養」は、自然に水が滲みこむように徐々に養い育てること。「生命の詩」は、寄宿寮の生命である自治の歌、すなわち寮歌。 「寮歌は、我等の心の奥底にひそむ生命の力を、揺り動かしてくれる天籟である。」(峯尾都治・竹田復「昭和30年寮歌集」序) |