旧制第一高等学校寮歌解説

嫩葉萠ゆ

昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 京大

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1、嫩葉萠ゆ      丘邊下りて
  どよめくる      濁世に棹す
  時しもぞ       春雨(あめ)蕭條と
  橄欖の       (うなじ)をそぼつ」
  夕ざれば      冬の潮は
  岩を噛み      ()破る静謐(しじま)
  孤り佇つ      白堊の燈臺(あかり)
  眞理(まこと)もて      陽赫々(あかあか)と映ゆ
*「夕ざれば」は昭和50年寮歌集で「夕されば」に変更。

2、涯しなの      理想(おもひ)めぐせば
  永劫(とは)の島      何處ぞや
  欣求(ごんぐ)宇宙()    眞紅と融けて
  夕づゝは      知邊(しるべ)とならんか」
  現實()の姿      軋る只中に
  今宵して      丘邊に上れば
  未來(あす)の日の    榮光(はえ)を抱きて
  燎火()は燃えつ   自治の古城に

*「夕づゝ」は昭和50年寮歌集で「夕づつ」に変更。

*歌詞途中の歌詞の節を区切る 」は、昭和50年寮歌集で削除。
譜に変更はなく、現譜と同じである。MIDI演奏は左右とも全く同じ演奏である。
 
 1番最後の歌詞は、「ひあかあかとはゆ」であるが、音符下の歌詞は「ひあかとはーゆ」で異なる。いずれにしてもこの最後の箇所は、1オクターブ上下する音域をゆっくりと感情を込めて歌わなければならないが、高音の続く「もてひあかとは」の部分は声が出しづらく、「はーゆ」と一気に6度下げて、また4度上げて終わるのも素人の私には最高に難しい。

 昭和10年、同18年寮歌集、同42年向陵駒場寮歌集、同50年寮歌集には、すべて「京大」の記載はないが、平成16年寮歌集に京大の寄贈歌と記載された。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
嫩葉萠ゆ    丘邊下りて
どよめくる   濁世に棹す
時しもぞ    春雨(あめ)蕭條と
橄欖の     (うなじ)をそぼつ」
夕ざれば    冬の潮は
岩を噛み    ()破る静謐(しじま)
孤り()つ    白堊の燈臺(あかり)
眞理(まこと)もて    陽赫々(あかあか)と映ゆ
1番歌詞 のどかに若葉の芽吹く向ヶ丘を下り、今は、物上騒然とした汚れた世に暮らしている。折りも折、春雨がものさびしく降りかかって、橄欖は幹までずぶ濡れとなっている。夕方になると、冬の荒波は岩に激しくぶつかり、静かな海辺に、大きな波音を鳴り響かせる。怒濤打ち寄せる岩の上に独り立つ白亜の灯台は、赤々と光を放って暗闇の海にさ迷う船に正しい針路を示している。

「嫩葉萠ゆ 丘邊下りて どよめくる 濁世に棹す」
 「嫩葉」は、若葉。新芽。「丘邊」は、向ヶ丘。「どよめくる」は、五語とするためで「どよめく」、大声で騒ぐ。「棹す」は、棹を水底に突いて進める。濁世に暮らしていること。
 「どよめくる 濁世」とは、贈収賄、軍の横暴、思想弾圧でゆれる世の中、また、東北冷害・西日本干害・関西風水害のため大凶作(稲実収高5185万石)で、世はまさに騒擾としていた。昭和9年9月21日の室戸台風による死者・行方不明者は3036人にのぼった。
 昭和9年 4月18日 帝國人絹会社の買受をめぐり疑獄事件起きる
              (帝人事件)。
        7月 3日 斎藤内閣、帝人事件で総辞職。
       11月20日 陸軍青年将校、クーデタ計画で検挙
              (士官学校事件)

「時しもぞ 春雨蕭條と 橄欖の 頸をそぼつ」
 思想取締り強化、学問の自由彈壓(昭和9年3月治安維持法改正)の時流の波が向ヶ丘に押し寄せ、自由をなくし沈黙せざるを得ない一高あるいは一高生を喩えるか。あるいは駒場移転で侘しくなる向ヶ丘の様を形容するか。両方の意と解す。「時しもぞ」は、ちょうどその時。折りも折。「し」は強意の助詞。「ぞ」も強調の助詞。「蕭條と」は、ものさびしく雨の降るさま。「橄欖」は、一高の文の象徴。「橄欖の頸」は、橄欖の上の方の幹をいう。雨が傘のように張った枝葉を通って幹までずぶ濡れになっているの意か。「そぼつ」は、連体形。「時しもぞ」の「ぞ」を承ける。しみて内部まで濡れる。こんもりと繁った東大農学部に今も残る「スダ椎」(本郷の「橄欖」)、東大教養学部本館前の「白樫」(駒場の「橄欖」?)を雨の日に眺めれば、この一見奇異な「頸」の表現も、なんとか納得がいくであろう。
 「『頸』は橄欖の木の枝の上方でやや繁ったところを指すのであろうが、いささか無理な比喩である。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「夕ざれば 冬の潮は 岩を噛み 蹴破る静謐」
 「夕ざれば」は、昭和50年寮歌集で「夕されば」に変更。夕方になると。「岩を噛み」は、治安維持法改正で強化された思想取締り、学問の自由の弾圧、迫りくる軍国主義の潮をいうものであろう。
 万葉 舒明天皇 「夕されば小倉の山に鳴く鹿は 今夜は鳴かず寐ねにけらしも」

「孤り佇つ 白堊の燈臺に 眞理もて 陽赫々と映ゆ」
 「白亜」は、純粋、誠を象徴。「燈臺」は、向ヶ丘であり、「あかり」は、自治の光を喩える。「眞理」は、灯台が暗闇の海に漂う船に針路を示すように、「濁世」に迷う世の人に行く手を示す真理である。一高生には、濁りゆく世の荒波に眞理を示し、正しい方向に導く使命がある。
 「自治の光は常闇の 国をも照す北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治38年「春爛漫の」6番)
涯しなの    理想(おもひ)めぐせば
永劫(とは)の島    何處ぞや
欣求(ごんぐ)宇宙()  眞紅と融けて
夕づゝは    知邊(しるべ)とならんか」
現實()の姿    軋る只中に
今宵して    丘邊に上れば
未來(あす)の日の  榮光(はえ)を抱きて
燎火()は燃えつ 自治の古城に
2番歌詞 いくら思いを巡らしても、真理がどこにあるか分からない。宇宙に眞理を求めるとして、夕方西の空に明るく輝く金星は、我々を真理に導いてくれるであろうか。金星は太陽にあまりに近く、太陽の真っ赤な光の中に埋もれてしまって朝夕の一時しか姿を現してくれないので、真理の導べとはならない。世の中が物情騒然とした真っ只中に、今宵、向ヶ丘を訪ねると 自治の古城には、日本の栄えある未来を示して篝火が煌々と燃えていた。

「涯しなの 理想めぐせば 永劫の島 何處ぞや」
 「涯しなの」は、際限なくの意か。「理想をめぐせば」は、「理想めぐらせば」を七語とするため。「永劫の島」は、永遠に不滅のもの、すなわち眞理。「何處ぞや」の「ぞ」は強く指示・指定し、「や」は疑問を表す助詞。一体どこにあるというのか、その場所はわからない。

「欣求の宇宙 眞紅と融けて 夕づつは 知邊とならんか」
 「欣求」は、よろこび求めるもと。「眞紅と融けて」は、金星の光が太陽の真っ赤な光の中に埋もれての意と解す。金星は地球より太陽に近い内惑星であるため、地球から観測すると47度以上太陽から離れることはない。そのため太陽が薄明りの明け方と夕刻にしか観察できない。「夕づゝ」は、昭和50年寮歌集で「夕づつ」に変更された。

「現實の姿 軋る只中に 今宵して 丘邊に上れば」
 「軋る」は堅いものどうしが擦れあって嫌な音を立てること。前述したように昭和9年は、治安維持法が強化され、思想・学問の自由の取締りが一層強化された他、帝人疑獄事件、士官学校事件が起き、また東北の冷害、西日本の干害、関西の風水害もあって、世は騒然としていた。
「未來の日の 光榮を抱きて 燎火は燃えつ 自治の古城に」
「未來の日の光榮」は、新向陵駒場の未来とともに、日本の未来の光榮をいうものであろう。
                        

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