旧制第一高等学校寮歌解説

劫風寄する

昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 阪大

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1、劫風寄する黒潮(くろしほ)に     乾坤擧げてどよむ(とき)
  見よ、絶東の君子國    正義の(つるぎ)胸に秘め
  鵬翼此處にはらんとす   男兒無量の誇りあり。

2、暗雲乗する朔風に     東亞の天地(ゆら)(とき)
  今宵(こよひ)迎ふる紀念祭     古き傳統(れきし)(たゝ)へつゝ
  (はえ)の丘の()去らんとす   健兒無限の感慨(おもひ)あり。

3、歴史に古りし君子國    今黎明(しののめ)に染むる朝
  船出の(うたげ)、打ち(つど)ひ    護國の旗を捧げては
  警世(けいせ)の鐘を撞かん哉    理想は高く(かけ)るなり。
*各番最後の句点は、昭和50年寮歌集で削除。
譜に変更はなく、現譜と同じである。拍子記号はであったが、数字表示に変えた。MIDI演奏は左右とも全く同じ演奏である。


語句の説明・解釈

大阪帝國大學からの最初で最後の唯一の寄贈歌。大阪帝國大學は、昭和6年に、新設の理学部と、緒方洪庵の適塾に起源を持つ府立大阪醫科大學を前身とする醫学部をもって創設された。昭和8年には官立大阪工業大學を工学部として併合した。

語句 箇所 説明・解釈
劫風寄する黒潮(くろしほ)に 乾坤擧げてどよむ(とき) 見よ、絶東の君子國 正義の(つるぎ)胸に秘め 鵬翼此處にはらんとす 男兒無量の誇りあり。 1番歌詞 南洋で発生した台風が黒潮に乗って日本を襲い、天と地を揺るがして轟いている。すなわち、日・蘭印会商が決裂し、また日本のワシントン体制からの離脱により、東アジア・太平洋地域の国際的緊張が高まっている時に、ここ極東の日本の国では、破邪の剣を胸に秘めて、鵬の子一高生が、雲雨を得て、今まさに新向陵の駒場に向け向ヶ丘を飛び立とうとしている。一高生の心は、この上なく誇りに満ちている。

「劫風寄する黒潮に 乾坤擧げてどよむ秋」
 「劫風」は、仏教で地獄に吹くという、激しい風。南方の海に誕生した熱帯低気圧が黒潮に乗って発達して台風となって日本に押し寄せ、天と地を揺るがして轟いている。具体的には、1.第1回日・蘭印会商の決裂と、2.ワシントン体制からの離脱による米英蘭との国際的緊張の高まりをいう。後のABCD(米英中蘭)包囲網の先がけとなった。「黒潮」は、米英蘭。黒潮そのものは、日本列島に沿って流れる暖流。幅は100キロメートル、流速は毎秒1.5メートル程度。フィリピン群島の辺りから、台湾および南西諸島の東側、日本列島の太平洋岸を流れ、犬吠埼沖に至って沿海を離れ、太平洋の中央部に向かい、亜熱帯還流の一部を形成する。「乾坤」は、天と地。「どよむ」は、鳴り響く。響き渡る。もともとは、「とよむ」、後世、「どよむ」ともいわれるようになった。
 1.第1回日・蘭印会商の決裂  
 日本製品、特に綿製品の進出に苦慮したオランダ領東インド(蘭印)からの申入により、昭和9年6月8日から12月21日までバタビア(現インドネシア・ジャカルタ)で開かれた。輸入を制限しようとするオランダ側と、輸出拡大・投資拡大を求める日本側の溝が深く、交渉は決裂した。日本側の首席代表は、一高先輩の長岡春一だった。ちなみに、その後、昭和11年海運協定、翌12年に通商仮協定(所謂石沢・ハルト仮協定)が締結されたが、英米との対立が決定的となるに従い、オランダ領東インドの石油・ゴム・錫などの軍需物資を確保することは日本にとって至上命令となった。昭和17年、太平洋戦争下、日本は蘭印を占領した。
 2.ワシントン体制からの離脱
 日本は、ワシントン条約の破棄を通告し、日米英が主導する東アジア・太平洋地域の協調体制が崩れ、この地域の国際的緊張は高まった。以後、日米の対立は、ますます深刻化して太平洋戦争へと進んでいく。
 「東疾風に濤を呼ぶ」(昭和10年「時永劫の」2番)
 「太平洋の浪叫び」(昭和10年「大風荒れて」2番)
 昭和9年 6月 8日 第1回日・蘭印会商始まる(12月28日まで)。決裂。
       12月 3日 日本、ワシントン海軍軍縮条約破棄を決定。同29日、
               米に通告。

「絶東の君子國 正義の劔胸に秘め」
 「絶東」は極東。「正義の劔」は、破邪の剣。正義を貫こうとする心。
 「黑潮たぎる絶東の 櫻華の國に生れ來て」(明治43年「時乾坤の」5番)
 「此處絶東の柏の蔭 乾坤遠く夢は飛ぶ」(大正6年「圖南の翼」1番)
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の劍を抜き持ちて」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番)

「鵬翼此處にはらんとす 男兒無量の誇りあり」
 「鵬翼」は、鵬の翼。転じて、飛行機。ここでは圖南の翼。鵬(ほう)という大鳥が9万里も高く舞い上り、南の大海に飛んで行こうと企てた話(荘子『逍遥遊』)を踏まえる。「はらんとす」は、翼を張る。雲雨を得て、鵬が天に飛び立とうとすること。すなわち、新向陵・駒場に向け、向ヶ丘を今まさに飛び立とうとしている。
暗雲乗する朔風に 東亞の天地(ゆら)(とき) 今宵(こよひ)迎ふる紀念祭 古き傳統(れきし)(たゝ)へつゝ (はえ)の丘の()去らんとす 健兒無限の感慨(おもひ)あり。 2番歌詞 暗雲を乗せて北風が吹き荒れ、東亜が大揺れしている時、すなわち、満州帝国の出現で、中国各地に反満抗日の武力闘争が起き、東亜が大揺れしている時に、向ヶ丘最後の紀念祭を迎えた。45年にわたり続いた伝統を讃えながら、栄光の向ヶ丘を去ろうとしている。一高健児の胸は、感無量である。

「暗雲乗する朔風に 東亞の天地搖ぐ秋」
 満洲事変、満洲帝国の建国は、中国の反満抗日の武力闘争を招いた。「朔風」は、(「朔」は北の方角)北風。中国の反満抗日の武力闘争をいう。
 「白虹西に日を裂けば」(昭和10年「時永劫の」2番)
 「胡地吹く風の荒びては」(昭和10年「大風荒れて」2番)
 昭和9年 3月 1日 満州国帝政実施(皇帝溥儀)。
       10月 10日 国民政府の第5次包囲攻撃により、中共軍主力、瑞金を
               放棄し、北上抗日に出発、大長征(昭和10年末陝西へ)。
       11月 7日  (中国)東北人民革命軍成立。
       12月20日 蒋介石、『外交評論』に「敵か友か」発表。対日国交調整
               打診。

「榮の丘の邊去らんとす」
 9月に予定された一高の本郷から駒場への移転をいう。

「健兒無限の感慨あり」
 「健兒無限の(おもひ)あり」(明治37年「都の空」8番)
歴史に古りし君子國 今黎明(しののめ)に染むる朝 船出の(うたげ)、打ち(つど)ひ 護國の旗を捧げては 警世(けいせ)の鐘を撞かん哉 理想は高く(かけ)るなり。 3番歌詞 皇紀三千年の歴史を有する日本は、今、朝を迎え、朝日が紅に輝いている。新向陵・駒場に船出しようと祝いの宴に集まった一高生は、護国旗を掲げ、世の人に警世の鐘を撞き、一高生の唐紅に燃える護国の心と尚武の心を示そうではないか。一高生の理想は高く、鵬が雲雨を得たように天を翔けている。

「歴史に古りし君子國 今黎明に染むる朝」
 「君子國」は、大日本帝国。「今黎明染むる朝」は、ワシントン条約の破棄により、日本は日米英で構成する東アジア・太平洋地域の国際秩序体制(ワシントン体制)から離脱した。国際連盟の満州撤退勧告を蹴って、満州国を建国して東亜の新秩序をスタートさせ、日本は国際的に孤立した。これを「今黎明に染むる朝」と捉え、日本の前途を讃える。
 昭和9年3月1日 満洲国帝政実施(皇帝溥儀、清のラストエンペラー)
      12月3日 閣議、ワシントン条約単独破棄を決定、29日米に通告。

「船出の宴、打ち集ひ」
 「船出の宴」は、新向陵・駒場に船出する宴。とりもなおさず本郷最後の紀念祭である。

「護國の旗を捧げては 警世の鐘を撞かん哉」
 「護國の旗」は、一高の校旗・護國旗。「警世の鐘を撞かん哉」は、新向陵・駒場の移転に高揚する一高生の意気を踏まえる。9月の駒場移転では、護國旗を先頭に、一高生は全員鉄砲を担いだ武装姿で、本郷から駒場まで行軍した。天下に一高生の護国の心と尚武の心を示すためである。
 「あはれ護國の柏葉旗  其旗捧げ我起たん」(明治37年「都の空」10番)

「理想は高く翔けるなり」
 「理想」は、一高生の理想。ここでは、特に新向陵・駒場に対して持つ理想をいう。「翔けるなり」は、鵬が雲雨を得たように天を翔けている。1番歌詞の「鵬翼此處にはらんとす」を承ける。
                        

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