旧制第一高等学校寮歌解説
時永劫の懷に |
昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 東大
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1、時永劫の懷に 東亞の眠り今覺めて 見よ滿蒙の黎明に 護國の旗の下風に 聞け向陵の意氣の歌 2、白虹西に日を裂けば 東 脊を搏つ拳避け難く 嵐吹け吹け劍あり 我に久遠の正義あり *「しげゝれば」は昭和50年寮歌集で「しげければ」に変更。 3、哀歡胸に溢れては 健兒の血汐止み難く 友よ祖国よ 4、 三年の春の若き兒に 昔ながらの「我」を見き 5、 そのかみ遠く榮ありし 武香原頭自治の歌 |
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譜に変更はなく、現譜と同じである。MIDI演奏は、左右とも全く同じ演奏です。 長内 端作曲の11曲目の寮歌。こんな勇ましい曲も作曲できるのですね。素晴らしいの一言に尽きます。同氏作曲「春東海の櫻花」と同じく、最後は2拍子から3拍子に変え、余韻を残してゆったりと歌います。調は変ロ短調、伝統的な寮歌のタータタータのリズムの中に、「黎明に」(3段3小節)等4箇所に、効果的に異質のリズムのターーータを配し、特に「護國の」(4段から5段)及び「聞け」(5段から6段)では、これらの語を弱起として、愛国心を鼓舞する。思わず叫びたくなるのではないでしょうか。かといって勇ましさだけでなく、やはり短調の曲、全編に哀愁が漂う。私の最も好きな寮歌の一つです。(ただし「聞け」の「け」はもう少し、高い音でいいような気がします。歌う時は「護國の」と同じくらい、強くかつ高く歌いましょう。) |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
時永劫の懷に 東亞の眠り今覺めて 見よ滿蒙の黎明に |
1番歌詞 | 永劫の時の懐に抱かれて眠っていた東亜が今やっと目を醒ました。見よ、東亜の新しい夜明けを告げて、朝日の光が明るくきれいな模様を描いた。すなわち、五族協和・王道楽土の満州帝国が誕生したのだ。唐紅に燃える護國旗の下風に流れる、向陵健兒の意気の歌を聞け。 「時永劫の懷に 東亞の眠り今覺めて」 「永劫」は、極めて長い年月。 「見よ滿蒙の黎明に 明けき光綾なせば」 昭和7年3月1日に、五族協和、王道楽土を標榜して満州国が建国された。昭和9年3月1日には、皇帝に清朝のラストエンペラー溥儀(満州国執政)を迎え、帝政を実施したことを踏まえる。「満蒙の夜明け」は、満州国の建国と帝政の実施。「明けき光綾なせば」は、満州国の標榜した五族協和、王道楽土をいう。 「満蒙中亞平蕪原 長眠覺むる曉の鐘」(昭和10年「大風荒れて」1番) 「護國の旗の下風に 聞け向陵の意氣の歌」 「護國の旗」は、一高の校旗護國旗。「向陵」は、向ヶ丘の漢語的美的表現。 |
白虹西に日を裂けば 東 |
2番歌詞 | 西では、満州国の建国と帝政実施に対し中国各地で反満抗日の武装闘争が起き、東では、日本がワシントン条約の破棄をアメリカに通告したので、日米英の太平洋地域における緊張が高まった。米英の日本に対する度重なる非難中傷は、卑怯で度を越したものであるが、どれだけ日本を非難してもかまわない。正義は日本にあり、最後は武力で片を付ければいいことだ。 「白虹西に日を裂けば 東疾風に濤を呼ぶ」 日本の満洲進出による中国の反満抗日の武装闘争とワシントン条約廃棄による東アジア・太平洋地域における国際関係の緊張の高まりをいう。 1、「白虹西に日を裂けば」 「白虹」は兵の象(すがた)。 「白虹貫レ日」(ハッコウひをつらぬく) 白色の虹が太陽の面を貫く。精誠が天に感応して現れる象。また、君主(日)が兵乱を受ける象という。従って、日本の満洲進出を「精誠」とし、「日本が満洲に進出し満洲国を建設したので」と解することも出来るが、「白虹」を「中国兵」、「日」を日本ないし天皇とし、中国軍(中共軍が主)の反満抗日戦争と解す。他説として、「白虹」を列国、「日」を日本とし、「日本の国際連盟脱退に引きつづき、日中衝突に対し、列国の日本に対する風当たりが極めて強くなったこと」と解す説もある(後掲の井上司郎大先輩「一高寮歌私観」)。ただし、この説では、次の「東疾風に濤を呼ぶ」との区別がつかない。いずれにしろ、日本の満洲進出がかかわっている。 昭和7年8月26日付大阪毎日新聞は、寺内内閣弾劾関西記者大会の記事中に「白虹日を貫けり」の文言を使ったことで、発売禁止になった。作詞者は、この事件を知っていて、この文言を使ったか。また、当時の思想取締りを考えれば、生徒主事からよく訂正の命が出なかったのが、不思議である。 「『白紅貫レ日』とは人の真心が天に感応して現れる現象をいう。また『白紅』は武器を意味し、日は君主を意味し、君主に危害が及ぶことといわれる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 2、「東疾風に濤を呼ぶ」 東アジアと太平洋地域における国際秩序を維持しようとする米英日3国主導の国際協調の枠組みは、ワシントン条約の廃棄により崩壊した。日米対立は決定的となり、昭和11年には、昭和5年に締結した日米英間のロンドン海軍制限体制からも日本は離脱した。米国の日本を仮想敵国とするオレンジ作戦は現実味を帯び、日米対立は太平洋戦争へと突き進んでいった。 「太平洋の浪叫び 胡地吹く風の荒びては」(昭和10年「大風荒れて」2番) 「東方日本に迫ってくる国際的な圧力を、速い風が波を起すのに喩えている」(一高同窓会「一高寮歌解説書) 昭和9年3月 1日 満洲国帝政実施(皇帝溥儀) 10月16日 紅軍(中共)主力、瑞金を放棄、北上抗日に出発。長征、 昭和10年陝西北部に到達。 11月7日 東北人民革命軍成立。 12月3日 閣議、ワシントン条約単独廃棄決定、29日、米国に通告。 「脊を搏つ拳避け難く 面に苔しげゝれば」 背面を搏つ拳は避けられないし、顔面を鞭で何度も打たれたので。満州国建国・帝政実施に対する英米中を始めとする国際的非難(日本に対する国際連盟の満州撤退勧告など)と日本の国際的孤立を踏まえる。「しげゝれば」は、昭和50年寮歌集で「しげければ」に変更された。 「嵐吹け吹け劍あり 我に久遠の正義あり」 「嵐」は、日本への非難中傷、国際的圧力。「劍」は武力行使。「久遠の正義」は、正義は日本にある意。昭和7年12月8日国際連盟総会で日本代表全権主席松岡洋右が行った有名な演説「十字架上の日本」を踏まえる(昭和9年「空虛なる」4番解説参照)。 「第二節は、白紅貫日の故事をうけ(白紅即ち軍隊が、日即ち君主を犯す)、この前年あたりから、満州国をめぐって、日本の国際連盟脱退に引きつづき、日中衝突に対し、列国の日本に対する風当りが極めて強くなったことをまず『白紅西に日を裂けば』と憂え、更に『背を搏つ拳避け難く 面に笞しげければ』と憤り、遂に『嵐吹け吹け剣あり、我に久遠の正義あり』と憤慨している。之また、言路をふさがれ、眼を世界にあまねく放つことのむずかしかった当時の若人のおのずから向う思潮の一面であろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
哀歡胸に溢れては 健兒の血汐止み難く |
3番歌詞 | 喜びと悲しみの感情が胸に溢れてきて、一高生の正義の血は止まらない。世の中のものは全て、真実さえも、ころころと変わる中に、唯一つ変わらない男児の血を、友よ、祖国よ、その真白い手で受けてくれ。 「哀歓胸に溢れては 健兒の血汐止み難く」 「哀歡」は、喜びと悲しみの感情。「健兒の血汐」は、一高生の正義の血。 「物象みな移る眞實も 涯なきものぞ世に一つ」 「物象みな移る」は、世の中のものは全て無常である。転変として極りがない意。「涯なきもの」は、終りのないもの。変わらないもの。 「友よ祖國よ眞白手に 受けよ男の兒の紅き血を」 「眞白手」の「白」と「紅き血」の「紅」を対比。 「『眞白手』という語は『真白き手』であろう。一高生たちが紅の血をたぎらせて正義を貫こうとする意気において、邪心のない行為を表そうとして使ったものと解せるが、むしろ血潮の『紅』と対照的に『眞白手』と述べたのではあるまいか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
4番歌詞 | 変わり果てた向ヶ丘の姿も胸にしまっておいて、後で、思い出しては、その思い出に酔うことにしよう。自分が寄宿寮で過ごした思い出は、今や夢幻に過ぎず、やがて消えてゆくけれども、自分の思い出とそっくり同じように、三年の春を過ごしている在寮の後輩に、昔ながらの「自分の姿」を見た。 「化りし姿も想ひ出に 酌みて醸みなむ胸の酒」 「化りし姿」は、変わり果てた姿。変貌した向ヶ丘の姿のことか。あるいは、仮装行列に参加した思い出の姿をいうか(森下達朗東大先輩)。「醸み」は、米などを噛んで酒をつくる。醸造する。思い出を胸で酒に醸造して、「思い出の酒」を作って、その酒に酔うとしようの意か。 「自分の在寮中に仮装行列に参加した楽しい思い出を胸に、ゆっくりと酒を味わおうとしている」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「幻影なれば消え行けど 八寮の夢さながらに」 「幻影」は、「八寮の夢」。やがて消えてゆく。「八寮」は、八棟の一高寄宿寮(東・西・南・北・中・朶・和・明寮)。「八寮の夢」は、八寮で過ごした思い出。 「三年の春の若き兒に 昔ながらの「我」を見き」 「三年の春の若き兒」は、向ヶ丘三年の春を過ごしている在寮中の一高生。 「變らぬ意氣を君に見て われ感慨に胸せまる」(昭和15年「時は流れぬ」3番) 「まことの友を我は見き」(昭和3年「あこがれの唄」1番) 「卒業してから次第に変成していく自分の姿、そこでは一高時代のことが『幻影』のように消えていってしまう。しかしその一高時代への夢はそっくりそのまま新しい駒場の寮で立ち上がる後輩たちに、一高伝統の精神として受け継がれていくにちがいない。そこに『昔ながらの《我》』が甦ってくるのである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
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5番歌詞 | 向ヶ丘の過去45年の歴史を注意深く回顧すると、確かに、遠い昔の明治の時代、野球部が天下の覇権を握っていた黄金時代があった。しかし、それは昔の事、古い向ヶ丘の伝統に、いつまでも拘束されることはない。新向陵・駒場に向かって、意氣昻く、さあ行け! 「徂きし四十か五つの春 そのかみ遠く榮ありし 武香原頭自治の歌」 「徂きし四十か五つの春」は、過去45年の向ヶ丘の歴史。「そのかみ遠く榮ありし」は、はるか遠く栄えた時があった。明治の時代、野球部が覇権を握っていた黄金時代のあったことをいうか。「武香原頭自治の歌」は、本郷・向ヶ丘の自治の伝統。 「痛まじ何ぞ傳統も 行け新向陵意氣昻く」 古い伝統の形骸は捨て、新向陵・駒場で新しい自治の伝統を作れの意。「新向陵」は、9月に移転予定の駒場の地。駒場の地を本郷と同じく「向陵」と正式に命名されたのは、昭和10年9月14日引越しの当日である。 「旧きものを潔くたち切る一つの深い思弁といえるだろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」 |