旧制第一高等学校寮歌解説

大海原の潮より

昭和10年第45回紀念祭寄贈歌 東大

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1、大(うな)原の(うしほ)より      廣き希望に燃え立ちて
  尚武と思慮の日を送る   母校の友よいざ來たれ
  今日は佳き日ぞ諸共に  高鳴る胸を躍らせて
  吾が住み慣れし城郭に  発展の文字示さずや

2、時は流れつ惜しきかな   想ひ溢るゝ靑春の
  熱き血潮に奏でたる    あしたゆふべの物語
  積り積りし故里の      誇りの歴史あとにして
  心の國と別れゆく      斷腸の運如何にせん

3、秋津島根に建國の     理想を繼ぎて文化國
  築く力を育てしが       やがて荒らされゆく丘よ
  嗚呼思ひ出の八つの寮   汝の黒く年經たる
  壁に無限の黙示あり    そこに我等が夢宿る

4、柏の露に(ゆあみ)せし      我は此の世の幸の子ぞ
  眉美(まみうるは)しき丘の子等     覺めよ世界は人を俟つ
  若き生命(いのち)の力もて      手に手を取りて相誓ひ
  眞理を競い()を掲げ    萬巻の書を究めばや

5、さらば向ヶ丘の地よ     其の名は薫れ永遠に
  今こそ立ちて雄々しくも   新しき土耕して
  吾が前進の路建てん    郁々として甦る
  光を浴びて壽げば      意義ある四十五の祭
長内 端作曲の10曲目の寮歌。いつもの通り、しっかりした素晴らしい作曲であるが、歌い崩されたとかで、平成16年の寮歌集で、次のとおり変更された。

1、「おーうなばーらのうしおより」(1段)          ミーファソーソー ソーラソードー ドーソミーファー ソーーー
2、「ひーろききぼーに」(2段1・2小節)          ラーソファーミー ソーファミーミー
3、「いざきた」(4段3小節)                  ファーファミーレー
4、「わがすみ」(7段1小節)                 ミーファソードー
5、「はってんのーもじしめさずや」(8段)          ドードミードー ラーラドーラー ソーソレーミーレ ドーーー
6、次の4箇所のタイが外された。
 「ひーろき」(2段1小節)、「しーりょ」(3段2小節)、「とーもよ」(4段2小節)、「きょーーは」(5段1小節)


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
(うな)原の(うしほ)より 廣き希望に燃え立ちて 尚武と思慮の日を送る 母校の友よいざ來たれ 今日は佳き日ぞ諸共に 高鳴る胸を躍らせて 吾が住み慣れし城郭に 発展の文字示さずや 1番歌詞 大海原よりも、広く大きな希望に燃えて、文武両道に励む母校の友よ、来たれ。今日は紀念祭を祝う日である。一緒に、高鳴る胸をわくわくさせて、自分たちが住みなれた自治の城が、駒場移転を機会に大きく飛躍することを祈ろう。

「大海原の潮より 廣き希望に燃え立ちて」
 唱歌 「海は広いな大きいな 月がのぼるし日が沈む」

「尚武と思慮の日を送る」
 「尚武と思慮」は、武と文の道。文武両道。

「今日は佳き日ぞ諸共に」
 「佳き日」は、寄宿寮開寮を祝う紀念祭の日。

「吾が住み慣れし城郭に」
 「城郭」は自治寮。俗界の俗塵を絶つために一高生は1年生から3年生まで全員向ヶ丘の寄宿寮に入った。これを籠城といい、この意味で寄宿寮を自治の城と詠う。

「發展の文字示さずや」
 「発展」は、駒場移転を機会に大きく飛躍すること。
時は流れつ惜しきかな 想ひ溢るゝ靑春の 熱き血潮に奏でたる あしたゆふべの物語 積り積りし故里の 誇りの歴史あとにして 心の國と別れゆく 斷腸の運如何にせん 2番歌詞 名残が尽きないというのに、時は勝手に過ぎてゆく。向ヶ丘の三年は、血湧き肉躍る青春の思い溢れる物語であった。先人が連綿と積み上げてきた、名残尽きない栄光の歴史をあとに、心の故里・向ヶ丘と別れるなどという、腸が断ち切られるような辛い悲しい運命をどうしたらいいというのか。

「時は流れつ惜しきかな」
 「歎けど時の老いゆくを 止め止めんすべもがな」(大正10年「彌生ヶ丘に」歎)
 「三年の春は過ぎ易し」(明治44年「光まばゆき」4番)

「想ひ溢るゝ青春の 熱き血潮に奏でたる あしたゆうべの物語」
 「あしたゆうべの物語」は、向ヶ丘三年の青春物語。「あしたゆうべ」は、朝夕。朝から晩まで。一高は校内にある寄宿寮に全員が入寮する全寮制であったので、一日24時間を向ヶ丘で過ごしたことを踏まえる。
 「老いゆく年も月も日も 只白駒と朝夕」(大正13年「草より明けて」2番) 
 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ 人生意氣に感じては たぎる血汐の火と燃えて」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)

「積り積りし故里の 誇りの歴史あとにして」
 「故里」は、向ヶ丘。「誇りの歴史」は、栄光の歴史。
 寄贈歌で向陵を「故郷」と呼んだのは古く、明治39年東大寄贈歌「春は櫻花咲く」に「いかで忘れん 武香ヶ陵わが故郷」(1・2番)とあるが、、大正5年寄贈歌(京大、九大、東北大。特に京大の「わがたましひの」は有名。)からは、「母校」に代わり、「故郷」が大勢を占めるようになった。この寮歌では、1番に「母校」、2番に「故里」とある。「故里」という言葉には、向陵を人格形成の揺籃の地とし、この地を心の底から懐かしむ卒業生の心情が込められている。
 「ましてわれらが先人の 愛寮の血の物語」(大正4年「あゝ新緑の」3番)
 「嗚呼先人の魂こもる 陵を去る日の近きかな」(昭和10年「芙蓉の雪の」3番)
 「約半世紀に渡り永き光榮と傳統を有する我等の歴史は昏迷の明治維新より光彩陸離たる昭和の聖代に至る迄、思想に文藝に凡ゆる文化の搖籃の地として幾多の國士を生み更に多くの美談を生みて等しく萬人の讃嘆する所となりしは廣く世の知る所なり。」(「向陵誌」昭和8年)
 
「心の國と別れ行く 斷腸の運如何にせん」
 「心の國」は、本郷・向ヶ丘。「斷腸」は、腸がちぎれるほど悲しいこと。
 「思い出が積もり積もって別れがたい向ヶ丘への愛着。それが一高生たちの『断腸の運』となる。『心の國』は珍しい言い方だが、前項(「故里」のこと)よりもいっそう深々とした思いがうかがえる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
秋津島根に建國の 理想を繼ぎて文化國 築く力を育てしが やがて荒らされゆく丘よ 嗚呼思ひ出の八つの寮 汝の黒く年經たる 壁に無限の黙示あり そこに我等が夢宿る 3番歌詞 建国の祖業を継承して、日本は明治維新以降、西欧列強並みの文化国になることを目指してきた。この向ヶ丘の地から文化国を築く多くの人材を輩出してきたが、この丘もやがて壊され、一高の面影は跡形もなくなってしまうのか。ああ、思い出深い八寮よ。寄宿寮の年を経て黑くなった壁は、多くの黙示を語り、ここに向ヶ丘三年間の思い出がこめられている。

「やがて荒らされゆく丘よ」
 やがて向ヶ丘の地は東大農学部の建設用地として整備され、一高の面影は跡形もなくなる。

「嗚呼思ひ出の八つの寮」
 「八つの寮」は、東・西・南・北・中・朶・明・和の8棟の寄宿寮。

「汝の黑く年經たる 壁に無限の黙示あり そこに我等が夢宿る」
 「黙示」は、暗黙のうちに意思を伝えること。神意・真理を神が、それとなく人に示すこと。「無限の黙示あり」は、多くのことを語る。「夢宿る」の「夢」は、思い出。
 「各寮皆木造にして塗るに白堊なり。」(「向陵誌」明治24年)
 「丘の朧ろの白壁に 身をうち寄するなげきにも」(大正2年「春の思いの」3番)
 「丘の古城の白壁に 夕陽も淡く映え出でて」(大正7年「朧月夜に仄白く」4番)
 「生命の窓の白壁に 鐫りて古りにし名は誰ぞや」(大正7年「うらゝにもゆる」5番)
 「丘の三年はひたすらに 吾等が夢の住むところ」(大正2年「ありとも分かぬ」4番)
 「『壁に無限の黙示あり そこに我等が夢宿る』の二句などに、駒場移転に関連する複雑な思いがこめられている点が注目される。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「大正2年の根本剛先輩の『ありとも分かぬ』の第4節『丘の三年はひたすらに、吾等が夢の住むところ』のような高い抒情性の代わりに、やや醒めた若人の感傷の具象化があり」(井上司朗大先輩「一高寮歌解説書」)
 「一高の寮生の先輩たちが寮室の壁に描いた落書きに対する愛着を歌っている。一高寮歌における類似の例として、『霧淡靑の』(明45)、『うらゝにもゆる』(大7)、『のどかに春の』(大9)などがある。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
柏の露に(ゆあみ)せし 我は此の世の幸の子ぞ 眉美(まみうるは)しき丘の子等 覺めよ世界は人を俟つ 若き生命(いのち)の力もて 手に手を取りて相誓ひ 眞理を競い()を掲げ 萬巻の書を究めばや 4番歌詞 向ヶ丘の一高寄宿寮で寮生活を送った自分は、この世の幸せ者である。容姿凛々しい一高生よ。君の使命に目覚めよ。世界は勇士である君を待っているのだから。若人らしく力強く、手に手を取って相誓って、行く手を照らしながら真理を競って追究し、万巻の書をきわめて欲しい。

「柏の露に浴せし 我は此の世の幸の子ぞ」
 「柏の露」は一高精神。「柏」は、一高の武の精神の象徴「柏葉」の木。向ヶ丘の寄宿寮生活をいう。「幸の子」は、幸せな子。才能に恵まれた子。次の句の「覺めよ世界は人を俟つ」から、両方の意を含む。
 「同じ柏の下露を くみて三年の起き臥しに 深きおもひのなからめや」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)
 「あはれ人生の強者と 雄々しく叫ぶ同胞よ」(大正6年「櫻眞白く」3番)
 「一高の伝統への尊敬と愛情と理解との圧縮された表現である。吾々が向陵に学んだことの幸福は、年老いると共に、益々深く判ってくる。昭和後期の若い後輩諸賢も、いつかこの老兵のこの言葉を肯いてくれる時がくるだろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「眉美しき丘の子ら 覺めよ世界は人を俟つ」
 「眉美しき丘の子」は、容姿凛々しい一高健児。「覺めよ世界は人を俟つ」は、目覚めよ。世界は勇士である君を待っているの意。大正12年「榮華は古りし」や、昭和17年「若綠濃き」と同じように、何らかの英雄伝説にもとづくものであろう(詳しくは、大正12年「栄華は古りし」参照)。
 昭和9年9月20日、少年向けの「少年倶楽部」等に偉人伝を掲載し、「少年プルターク英雄伝」(昭和5年)、また「ムッソリーニ伝」(昭和3年)、「ヒットラー伝」(昭和9年)など英雄伝の著作の多い澤田謙を弁論部が招いて、「大衆政治家としてのヒットラーとムッソリーニ」の題で講演会を開いた。「諸子! 日本は今や多難なる國家的前途を持てり。この國を統一する者は何者ぞ、予は國家危機を豫想し偉大なる輿論組織化の運動の猛然擡頭せんことを期待する者也」と結んだ。この講演会の影響が多少なりともあったと推測する。
 「炎の文字のいと紅く 『勇士を待つ』と書きけるを」(大正12年「榮華は古りし」2番)
 「血潮の文字のけざやかに 汝を待ち待つと示せるを」(昭和17年「若緑濃き」3番)

「若き生命の力もて 手に手に取りて相誓ひ」
 「若き生命」は、若人。

「眞理を競ひ燈を掲げ 萬巻の書を究めばや」
 「眞理を競ひ燈を掲げ」の「燈」は、真理追究の道を照らす燈。真理がないところでは暗い。「ばや」は、希望の終助詞。活用後の未然形を受ける。
 「秋の入日はうたふべく 萬巻の書は庫にあり」(明治43年「藝文の花」1番)
 「綠なす眞理欣求めつゝ 萬巻書索るも空し」(昭和12年「新墾の」序)
さらば向ヶ丘の地よ 其の名は薫れ永遠に 今こそ立ちて雄々しくも 新しき土耕して 吾が前進の路建てん 郁々として甦る 光を浴びて壽げば 意義ある四十五の祭 5番歌詞 さらば向ヶ丘の地よ。その名は永遠に薫れ。今こそ雄々しく起って、新向陵・駒場の地で努力して、自治の礎を築こう。今宵、自治燈の光は、甦って香気を盛んに放っている。一高生は、この自治燈の光を浴びて、自治を祝っているので、本郷最後の第45回紀念祭は、意義のある紀念祭である。

「さらば向ヶ丘の地よ 其の名は薫れ永遠に」
 この秋に新向陵・駒場に移転することを踏まえる。

「新しき土耕して 吾が前進の路建てん 郁々として甦る」
 「新しき土」は、駒場の土。「前進の路」は、自治を進める道。「郁々として甦る」は、香気盛んに甦る。

「 光を浴びて壽げば 意義ある四十五の祭」
 「光」は自治燈の光。「意義ある四十五の祭」は、本郷最後の第45回紀念祭。既に自治燈の光は、盛んに香気を放って甦っている。「壽げば」は、已然形。祝いの言葉を述べているので。
 「文物の盛んなさまにも、香気あるさまにも使う。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「第五節の『さらば向ヶ丘の地よ 其の名は薫れ永遠に』にも深い感慨を伴う。それに続く六行は、冒頭の第一節と共に、駒場への期待を明るくうたっているが、それは、もう大学に移った先輩(ある意味の局外者)だから、駒場へのこういう威勢のよい激励となるが、実際、本郷から、駒場へ移った3年性などには、矢張り、2年半を送った向ヶ丘に比べ、駒場はまだ諸設備も整ったとはいえず、あの豪放な剣道部の本田丕道君などさえも、『移った当座は、殺風景で、矢張り本郷がなつかしかった』と洩らされている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        

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