旧制第一高等学校寮歌解説

橄欖香る

昭和10年第45回紀念祭寮歌 

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      黙示
橄欖香る(をか)の上に     眞理(まこと)生命(いのち)求めつゝ
四十有五の春秋や    神宮(みや)(あたり)に新しく
傳統(つたへ)法火(ともし)かゝげんと  柏の蔭に佇めば
八寮の()のまたたきは  永久(とは)啓示(さとし)に映ゆるかな

      追懷
さはれ悲愁の影深く    夢を抱きて彷徨(さまよ)へば
懷古の(おもひ)胸に()む    春往む丘の夕月に
狭霧に濡れし靑苔に    隆替の跡偲びては
多感の涙溢れつゝ     情懷(おもひ)永劫(とは)に盡きぬかな
*「春往む」は昭和50年寮歌集で「春住む」に変更。

      別離
ちぎれ雲飛ぶ秋にして   時計臺(うてな)仰がむ西の方
幻夢(ゆめ)の名殘を花に問ひ  遙けき希望(のぞみ)月に寄せ
去り行く丘に來む丘に   盡きぬ想をかはしつゝ
別れを汝の木に草に    告げなむされば向陵よ
譜に変更はなく、現譜と同じである。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
橄欖香る(をか)の上に 眞理(まこと)生命(いのち)求めつゝ 四十有五の春秋や 神宮(みや)(あたり)に新しく 傳統(つたへ)法火(ともし)かゝげんと  柏の蔭に佇めば 八寮の()のまたたきは  永久(とは)啓示(さとし)に映ゆるかな 黙示 橄欖の香る向ヶ丘で、理想の自治を求めながら45年の年月を過ごした。明治神宮の辺りの駒場の地に新しく伝えの自治の灯を掲げようと、柏の木の蔭に佇んでいると、八寮の灯は瞬いて、向ヶ丘が駒場に移転しようとも、自治は永久に栄えてゆくと語っているようだ。

「橄欖香る陵の上に 眞理の生命求めつゝ 四十有五の春秋や」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。「陵」は向ヶ丘。「眞理の生命」は、理想の自治。
 「我のる船は常へに 理想の自治に進むなり」(明治35年「嗚呼玉杯に」4番)

「神宮の邊に新しく」
 「神宮」は、明治神宮。一高の移転先である駒場に近い。

「傳統の法火かゝげんと 柏の蔭に佇めば」
 「法火」は、自治燈の火。寺院の仏燈になぞらえる。「柏の蔭」は、向ヶ丘。一高寄宿寮。「柏」の葉は、一高の武の象徴。
 「この年(昭和10年)駒場移轉のあるべき年なり。移轉大事業を今夏に控へ向陵史上一大轉囘期に直面せり。誠に狂瀾の時流にし、卓立不羈炳乎たる傳統と不滅の精神とを移植し、新しき歴史の創設者たる任を果すか、或は世の弊風に染み萎微沈滞巷間の輕薄な輩に堕するかは一途に我等一千の柏葉健兒の双肩にかゝれるものあり。」(「向陵誌」昭和10年1月)

「八寮の灯のまたたきは 永久の啓示に映ゆるかな」
 「八寮」は、一高寄宿寮(東・西・南・北・中・朶・明・和の八棟)。「啓示」は、神が人に人間と力では知り得ないような事をさとし示すこと。聖書では黙示という。
さはれ悲愁の影深く 夢を抱きて彷徨(さまよ)へば  懷古の(おもひ)胸に()む 春往む丘の夕月に 狭霧に濡れし靑苔に 隆替の跡偲びては 多感の涙溢れつゝ 情懷(おもひ)永劫(とは)に盡きぬかな 追憶 そうではあるが、悲しみと愁いが漂う向ヶ丘を、思い出を辿って、あちこちをさ迷っていると、懐旧の情が胸に溢れてくる。春が去ろうとする向ヶ丘には、片割れ月が痛ましく、苔むした時計台の跡に狭霧が流れる情景を目にすると、世の無常がつくづくと感じられて涙がどっと溢れてきた。この淋しさは、これから先もずっと想い続けることであろう。

「さはれ悲愁の影深く 夢を抱きて彷徨へば 懷古の情胸に滲む」
 「夢を抱きて」は、過ぎ去った日々を思い出しながら。

「春往む丘の夕月に 狭霧に濡れし青苔に 隆替の跡偲びては」
 「春往む」(往来の往)は、「春往ぬる」の意か。廃れて行く。「丘」は向ヶ丘。「夕月」は、痛ましい片割れ月。昭和50年寮歌集で、「春住む」と変更された。その場合は、「丘」は、駒場。「夕月」は、満月に向かい形を整え大きくなっていく上弦の月。「隆替」は、盛衰。世の無常をいう。駒場の丘は「盛」、本郷の丘は「衰」である。「青苔」は、荒れて行く向ヶ丘を形容する。本郷の象徴であった時計台の跡をいうか。
 王維『鹿柴』 「空山人を見ず 但だ聞く人語の響くを 返景深林に入り 復た青苔の上を照らす」
ちぎれ雲飛ぶ秋にして 時計臺(うてな)仰がむ西の方 幻夢(ゆめ)の名殘を花に問ひ 遙けき希望(のぞみ)月に寄せ 去り行く丘に來む丘に 盡きぬ想をかはしつゝ 別れを汝の木に草に 告げなむされば向陵よ 別離 この秋に駒場に移転したら、真っ先に新しい一高のシンボル・時計台を仰ごう。向ヶ丘の栄光の歴史は、本郷の桜の花に問い、駒場に希望があれば、駒場も照らす月にお願いすることにしよう。去りゆく本郷の向ヶ丘に、移転してゆく駒場の丘に、尽きない思いを馳せながら、長年馴れ親しんだ向ヶ丘の木や草に、「向ヶ丘よ、さらば」と告げよう。

「ちぎれ雲飛ぶ秋にして」
 「ちぎれ雲飛ぶ秋」は、駒場移転の秋。一高は、昭和10年9月14日、本郷から駒場に移転した。ちぎれ雲のように、飛んでいきたいの意を込める。
 「斷雲飛べば岡の上 廢墟の雨は怨あり」(明治43年「笛の音迷ふ」3番)
 万葉2676 「ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか 君をば相見むおつる日なしに」

「時計臺仰がむ西の方」
 移転先の駒場には一高のシンボル時計台が築かれた。本郷の時計臺は関東大震災で爆破されて以降、再建されることはなかった。

「幻夢の名殘を花に問ひ 遙けき希望月に寄せ」
 「幻夢の名殘」は、向ヶ丘の栄光の歴史。「花」は、向ヶ丘の桜。「遙けき希望」は、将来への希望。駒場への希望。
 「野に散りかかる花あらば 夢の名殘を花に問へ」(明治45年「霧淡靑の」2番)」
 浅野長矩.『辞世の句』 「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 」
 「向が岡の数々の栄えのあとを『花に問い』、駒場への未来を『月に寄せ』」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「去り行く丘に來む丘に」
 「去り行く丘」は、本郷の向ヶ丘。「來む丘」は、駒場の丘。

「別れを汝の木に草に 告げなむさらば向陵よ」
 「汝」は、本郷の向ヶ丘。
花魂夕に迷ひては 古城静寂(しじま)に溶け失せて 今宵紀念の詩筵(うたむしろ) 篝火闇に燃え上り 美酒(うまき)に醉へる友が()に 散る花片の三つ二つ いざ若き日の追懐(おもひで)に 別離(わかれ)悲歌(ひか)を謳はなむ 饗宴 桜の花は夕闇に包まれ朧となり、寄宿寮は、静まり返った闇の彼方にのみ込まれていった。今宵は紀念祭の宴、篝火は寮庭に赤々と燃え上った。満開の桜の花びらが、風に吹かれ、杯を交わす紅の友の頬に、二、三片、散りかかった。さあ、本郷最後の青春の思い出に、向ヶ丘惜別の歌を一緒に歌おう。

「花魂夕に迷ひては 古城静寂に溶け失せて」
 「『花魂』は花の心、花の精神」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。「古城」は、一高寄宿寮。「静寂に溶け失せて」は、闇の中に姿を消したこと。
「今宵紀念の詩筵 篝火闇に燃え上り 美酒に醉へる友が頬に」
 「紀念の詩筵」は、紀念祭の祝宴。2月2日、一般公開を終えて後、篝火を焚いて、寮歌を歌った。
 「夕昏迫れば篝火炎々として沖天に舞ひ力ある自治の歌、別離の愁ひを秘めつゝも新生の意氣にに溢れたり、窓邊に倚れる友の頬は希望の色に紅く、櫻樹の陰に語らふ友は感激の涙にくれたり。」(「向陵誌」昭和10年2月)

「散る花片の三つ二つ」
 二つ三つでなく、三つ二つとしたのは、音譜との関係か。タータターータターー(5段2・3小節)では二つ三つは歌いづらい。

「別離の悲歌を謳はなむ」
 向ヶ丘惜別の悲歌を歌おう。もちろん寮歌である。
 「春日廻り來て建寮四十五の祭の日を迎ふ。・・・光榮の歴史燦然として炳乎たる校風六合に遍く、八寮の甍は古き樹間時計臺の面影を偲ぶ由なくも、武香陵頭橄欖の薫彌高く、擧世文弱輕俳詭激の風巷間に漲るも尚泰然大節を持する事強きは是我一千の健兒也。嗚呼向陵の地を去るの日は近づきぬ。別離の涙潛然として盡きずと雖も懷舊の情に戀々として向陵百年の大計を忘る可けんや。」(「向陵誌」昭和10年2月1日)
                        

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