旧制第一高等学校寮歌解説
綠なす |
昭和9年第44回紀念祭寄贈歌 東大
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1、綠なす草野の上に かヾやきし日はしづみゆき 光なき夜は來りぬと なげく 2、吹きあるる夜半の嵐に 音立ててさわぐ椎の葉 その蔭に夢をむさぼり 過ぎし日はただ安かりき 5、 丘を下り遠き旅來て ふりさけば今宵祭か |
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長内 端作曲の9曲目寮歌。平成16年の寮歌集で、次のように変更された。 1、「くさの」(1段3小節) ミーソラードー 2、「うえに」(1段4小節) ラードソーー 3、「やきしひはしづ」(2段2・3小節) ラードソー ミーミレーソ 4、「われはうまれて」(4段3・4小節) ドードラーソ ラードドーー |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
綠なす草野の上に かヾやきし日はしづみゆき 光なき夜は來りぬと なげく |
1番歌詞 | 武蔵野の緑の草原の上に燦々と輝いていた太陽は沈んでしまった。正義・真理が通らない闇の夜が来てしまったと、歎く時代に自分は生れたのだ。 「綠なす草野上に かゞやきし日はしづみゆき」 「綠」は平和。「草野」は民草(人民)、また武蔵野の野。「日」は正義、眞理を象徴する。 「草より明けて草にくれ 和樂に古りし武蔵野や」(大正13年「草より明けて」1番) 「光なき夜は來りぬと なげく時代我は生れて」 左翼思想取締り・処分の強化、学問の自由弾圧等で自由のない暗黒の社会の到来をいう。作詞者・杉浦民平が在学中に委員をやっていた時の文芸部は、一高最後の自由主義の砦として活動していたが、彼が卒業し東大に進学した昭和8年度には学校当局の弾圧により他の文化団体と同じように全く沈黙の状態に陥った。 昭和8年1月12日 河上 肇検挙。 20日 小林多喜二、検挙され築地署で虐殺(29日) 4月22日 鳩山一郎文相、京大教授滝川幸辰の辞職を要求(滝川事件) 昭和8年は治安維持法による検挙者最多を記録している。 「それまで數年來、幾度となく續けられて來た學校當局の左翼への彈壓は他の文化的な部會へも累を及ぼして來た。刷新會解散以來最も進歩的な部たりし瓣論部は、この年に至り進歩的な立場は奪ひ去られ、推薦されし自由主義的な委員さへもが拒否された。・・・以上の如き狀勢にあって文藝部は、全く唯一の、凡ゆるものを公明に發表し得る文化團體であった。漸く時代の波に乗って反動的になり來たつた向陵内に於て、自由主義の最後の孤壘であった。」(「向陵誌」文藝部部史ー昭和7年度)*作詞者杉浦民平は昭和7年度文芸部委員 「昭和6年度より7年度と、凡ゆる制約を受けて來た文化國體(ソノママ)は、8年度に至り全く沈黙の状態に陥った。隨って唯一の自由主義を守るべき文藝部に於ても、既に活發な活動は見られず、唯そこには幾多のそれら障害に打勝つた努力の跡が秘かに感ぜられる程であった。」(「向陵誌」文藝部部史昭和8年度) |
吹きあるる夜半の嵐に 音立ててさわぐ椎の葉 その蔭に夢をむさぼり 過ぎし日はただ安かりき | 2番歌詞 | 向ヶ丘に吹き荒れた左翼思想取締りの嵐に、一高生は動揺し、左翼思想の寮生は恐れ慄いていた。その傍らで、友と文学論をたたかわせ理想を語り合って過ごすことの出来た自分は、本当に幸せであった。 「吹きあるる夜半の嵐に」 一高の数次に及ぶ左翼思想学生の取締りと厳しい処分をいう。 「風荒ぶ曠野の中に 古木たゞ黙して立てり」(昭和8年「風荒ぶ」1番) 「白き風丘の上に荒る 消たんとてかゞりのあかり」(昭和4年「彼は誰の」2番) 「第二節で『吹きあるる夜半の嵐』とあるのは、満洲事変、上海事変、5.15事件等々を暗示しており」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 昭和8年3月6日 学校、左翼学生5名の処分発表。除名1、停学1、戒飭3。1月27日から元富士署に大量検挙され取り調べを受けていたものの一部。この後、卒業の前日3月30日にさかのぼって数名の処分発表があり、次いで5月6日、除名2、停学2、さらに12月18日除名2を出して、一高の左翼学生組織は壊滅し、運動は終息した。(「一高自治寮60年史」) 「昭和8年2月1日、紀念祭を行ふ。近時左翼思想の事やかましく昭和7年9月頃より検擧さるゝものの多く、或は4名、或は10名と續々丘より去り行く者あり。作冬夏にも亦15名の検擧を見、8年に入り紀念祭に又検擧を見る。寮内に於ても傳統を批判するもの多くその反動として護陵會なるもの一部の有志によりて結成されし事ありき。瓣論部は左翼検擧と共に大弾壓を受け一時事実上の潰滅を見しも近時復活の聲高まり昔日の隆盛を思ひてその建設に努力せしものありき」(「向陵誌」昭和8年) 「音立てゝさわぐ椎の葉」 左翼思想取締りに恐れ慄く一高生をいう。「椎」は、一高を象徴する橄欖。本郷一高本館前に植栽された橄欖( 「吹く木枯に橄欖の ふるふ梢の響かな」(昭和7年「吹く木枯に」1番) 「橄欖花の吹雪して 若き日亂る心かな」(昭和5年「溟滓る胸の」1番) 「その蔭に夢をむさぼり 過ぎし日はただ安かりき」 「その蔭に夢をむさぼり」は、「漸く時代の波に乗って反動的になり來たつた向陵内に於て、自由主義の最後の孤壘であった」(前掲の昭和7年度辯論部部史)文芸部の仲間と自由に文芸論等、理想を戦わせることの出来たこと。 「あゝ薄暗き樫の根に 友と理想を語りてし 三年の夢は安かりき」(明治43年「藝文の花」3番) 「第二節もその外界の暴風にも拘わらず、向陵の三年間、安らかな夢を結んだことを偲び」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
3番歌詞 | 学問・思想の自由が弾圧され、将来に希望を持つことが出来ない悩み多き時世に、自分と友は、固い信念を持って、日本にも社会主義社会が何れ来ると語り合い、信じて疑わなかった。 「希望なき苦惱の潮の 社會にあふれ流るるときに」 学問の自由・左翼思想弾圧、軍国主義化の時代の思潮をいう。「希望なき」は、「光なき夜」(1番)に同じ。 「左翼の革命的運動、思想、文学運動に対する過酷な弾圧、抑圧、統制を意味していよう」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「自分とわが友とは、一つの信念に満ち、明日の光栄をうたったとしているが、その光栄の内容は、いわないし、又いうことを憚られる情勢だったのだろう。氏(杉浦民平)の一高在学中には、外界はあまりにも衝撃的の事件が多かった。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「信念滿ち明日の光榮を 歌ひてし我と我が友」 「信念」は、社会主義思想であろう。「明日の光榮」は、信じる思想の実現、自由に社会主義思想を語り合えることの出来る時代、さらにいえば、社会主義社会の到来をいうものであろう。 |
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白み行く夜明けの窓 相よりて語る理想や すぎやすき若き三年を ひたすらに進み來しかな | 4番歌詞 | 一高に在学していた頃は、窓の外が白々と明けるまで、寮室で夜を徹し、友と理想を語ったものだ。夢みる間に過ぎてしまう向ヶ丘の三年の春を、ただただ、自分の信じる道を進むことが出来た。 「白み行く夜明けの窓に 相よりて語る理想や」 「白み」は、白々と明けて行くの意であるが、赤の左翼学生が一掃されていく様子も込めてか。「理想」は、文学や社会主義主義等についてであろう。 「彼(作詞者杉浦民平)が一高在学中に知り合った一年下の立原道造(理甲)、寺田透(文丙)、猪野謙二(文甲)たちと親交を結び、よるとさわると文芸、思想、社会について真剣に語り合い、議論を闘わせた経験に基づいている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「すぎやすき若き三年を」 「三年の春は過ぎ易し」(明治44年「光りまばゆき」4番) 「ひたすらに進み來しかな」 「ひたすらに」は、一途に。ただただ。文芸部は学校当局の弾圧をうけることがなかったので、自由に文芸活動等、自分の信じる道を進むことが出来た。作詞者が卒業した昭和8年には、最後の自由の砦である文藝部も大弾圧を受け、他の文化団体同様に、沈黙せざるを得ない状態となった(前掲の昭和8年度文藝部部史参照)。 |
5番歌詞 | 真理を求めて一高に入学したが、真理を得ることが出来ず、また真理を求めて一高を去った。一高を去って、人生の旅を遠く来て、振返ってみると、向ヶ丘では、今宵、紀念祭を祝っている。 「眞理求め丘に上りて 眞理求め丘を下りぬ」 「丘に上りて」は、向ヶ丘に登って。すなわち一高に入学して。「丘を下りぬ」は、逆に向ヶ丘を下った。通常は、卒業して向ヶ丘を去ることをいうが、この当時、友の中には、左翼思想のために学校から処分を受け、学半ばにして中途退学して行く者も少なくなかった。 「幾人か憧憬れ登りて 幾人か偲びて去れる」(昭和9年「梓弓」4番) 「眞理求め慕ひ上りて 眞理得ず空しく去りし」(昭和14年「春毎に」2番) 「向陵精神の中心はその眞理を探究し將来社會的にまた政治的にも働きかくる潛勢力を養ふの點にその本質を存す。」(「向陵誌」弁論部部史ー倉田百三「向陵精神の再認識」昭和8年5月29日) 「『眞理求め』という抽象的表現の裏には、マルキシズムへの関心を含め、さまざまな内容が秘められていると見なされよう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「終節は、『眞理』を求めて、向陵に上り、三年の後、ここを去る代々の寮生の姿を描いているが、ここでもその『眞理』の性相は説かれていない。そういう苦渋が、五七調のこの寮歌から滲み出ている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「丘を下り遠き旅來て ふりさけば今宵祭か。」 人生を旅と見る。眞理を求めて向ヶ丘に三年過ごし、卒業した後も、引き続き果てしない眞理探究の旅に出かける。その旅の途上で、越し方を振り向いて遠くをのぞむと、向ヶ丘では今宵は紀念祭を祝っている。「下り」は「さり」と歌う。すぐ前の「眞理求め丘を下りぬ」は「くだりぬ」。「ふりさけ」(サケは遠ざけるの意)は、振り向いて遠くをのぞむ。 |