旧制第一高等学校寮歌解説

あゝ如月の

昭和9年第44回紀念祭寮歌 

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1、あゝ如月の空寒く      今丘の上に霜冴えて
  綠にけぶる橄欖の      梢を渡る風清く
  黎明(あかつき)の靄消えゆけば    明けゆく御代のおもひあり

2、明けゆく御代に生くる身の 貴き使命(つとめ)憶ひなば
  丘の三年はひたすらに   求道(ぐだう)の生に祈りつゝ
  同じ思ひに誓ひては     強き(まこと)に培はむ

4、幽溟深き北滿に       祖国の光照りそひて
  大和民族奮ふとき      仇なす夷狄影もなく
  東亜を統ぶる 天皇(すめらぎ)の    久遠(くをん)の聖圖展けゆく
*「天皇」の前の空白は昭和50年寮歌集で削除。

5、昭和維新の靈光に      異国の呪ひ火と燃えて
  みくにの四方に迫るとも   今はた何を迷ふべき
  護國の旗の紅に       我が身我が魂染めなさむ
譜に変更はなく、現譜と同じである。MIDI演奏は左右全く同じ演奏である、
高音部から入り、高音部で終わる。私など声が出ないが、この方が歌いやすいという人もいる。ただし、この寮歌は、今はほとんど誰も歌わない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
あゝ如月の空寒く 今丘の上に霜冴えて 綠にけぶる橄欖の 梢を渡る風清く 黎明(あかつき)の靄消えゆけば 明けゆく御代のおもひあり 1番歌詞 2月の本郷の空は寒く、今、向ヶ丘には朝霜が降り冷たい。しかし、早くも橄欖は、ほんのりと芽を吹き、梢を渡る風は清々しい。向ヶ丘に立ち込めていた靄が消えていって、朝は明けて行く。皇太子が誕生した喜びに、昭和の御代はいよいよ盛んとなる。

「如月の空寒く 今丘の上に霜冴えて 緑にけぶる橄欖の」
 「如月」は陰暦2月の異称。「生更ぎ」の意で、草木の更生することをいう。ちなみに、この年の2月1日は、陰暦では前年の12月18日で師走。真冬である。「霜」の季語は冬である。古人は草木を凋落させるものと考えたが、一高の文の象徴「橄欖」は、既に緑の芽を吹いている。「けぶる」は、ほんのりと芽を吹く。

「明けゆく御代のおもひあり」
 昭和8年12月23日 皇太子明仁誕生。同29日には、職員・生徒400名、皇太子誕生奉祝大提灯行列、皇居前広場で万歳を高唱した。
 「昭和8年12月23日皇太子殿下御降誕遊ばさる。日嗣の御子生れましぬ。歡喜に滿ち黎明を迎うる心地する。瑞雲高く舞ひ瑞気千代田の森に立ちこめぬ。」(「向陵誌」昭和8年)
明けゆく御代に生くる身の 貴き使命(つとめ)憶ひなば 丘の三年はひたすらに 求道(ぐだう)の生に祈りつゝ 同じ思ひに誓ひては 強き(まこと)に培はむ 2番歌詞 前途洋々たる昭和の御代に生きる身として、昭和天皇が「国際連盟脱退の詔書」で示された臣民としての尊い使命を思う時、一高生は一つ心になって、向ヶ丘の三年は、ひたすら真理を求めて生きることを祈りながら、強いまことの心を培うと誓おう。

「明けゆく御代に生くる身の」
 「明けゆく御代」は、皇太子が誕生して前途洋々の昭和の御代。

「貴き使命憶ひなば」
 「貴き使命」は、「みおやの訓に我は生き 民の責務に我死なむ」(3番歌詞)のことで、天皇の臣民としての務め。具体的には、後掲の昭和8年3月27日の「国際連盟脱退の詔書」の後半部分の「庶民は、おのおのその業務に勉め励んで、判断は正義をもとに、行動は中道をゆき、多くの心と力をあわせて邁進することによって、この時代に対処し、積極的に祖父帝(明治帝)の大いなる御遺志の成就を助け、普遍的な人類福祉への貢献を期せよ。」(概訳)を踏まえたものと思われる。

「丘の三年はひたすらに 求道の生に祈りつゝ」
 「求道」は、仏道を求めることであるが、ここでは真理を求めて生きること。臣民の道を求めて生きること。

「同じ思ひに誓ひては 強き信に培はむ」
 「同じ思ひ」は、一つ心に。
輝く歴史三千年(みちとせ)の 父祖建業を偲ぶとき 過ぎし迷ひの夢さめて 決意は固し胸のうち みおやの(をしへ)に我は生き 民の責務(つとめ)に我死なむ  3番歌詞 輝く皇紀三千年にわたる歴代天皇の偉業に思いを致すとき、昔、迷っていた夢から醒めて、胸の決意は固い。天皇の教えに、自分は生き、臣民としての責務(つとめ)を全うして私は死にたいと。

「輝く歴史三千年の 父祖建業を偲ぶとき」
 「輝く歴史三千年」は、皇紀をいう。ただし、昭和9年は、皇紀2594年である。「建業」は、事業の基をたてること。ここでは、天皇による国家統治全般をいう。

「過ぎし迷ひの夢さめて 決意は固し胸のうち」
 「過ぎし迷ひ」は、昔、迷っていたこと。かって社会主義思想に迷っていたことがあったのだろうか。作詞者は、大学卒業後、陸軍に入り陸軍技術将校。防衛庁海上幕僚。後、亜細亜大学、東洋大学教授。

「みおやの訓に我は生き 民の責務に我死なむ」
 「みおや」は御祖で「み」は接頭語、神・貴人の親・先祖。ここでは天皇。「みおやの訓」は、天皇の詔書。前述した昭和8年3月27日の「国際連盟脱退の詔書」をいうか。参考のため以下に全文を載せる。
 『国際聯盟脱退ノ詔書』)
 「朕惟フニ曩ニ世界ノ平和克復シテ国際聯盟ノ成立スルヤ皇考之ヲ懌ヒテ帝国ノ参加ヲ命シタマヒ朕亦遺緒ヲ継承シテ苟モ懈ラス前後十有三年其ノ協力ニ終始セリ
 今次満洲国ノ新興ニ当リ帝国ハ其ノ独立ヲ尊重シ健全ナル発達ヲ促スヲ以テ東亜ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ヲ背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ
 然リト雖国際平和ノ確立ハ朕常ニ之ヲ冀求シテ止マス是ヲ以テ平和各般ノ企図ハ向後亦協力シテ渝ルナシ今ヤ聯盟ト手ヲ分チ帝国ノ所信ニ是レ従フト雖固ヨリ東亜ニ偏シテ友邦ノ誼ヲ疎カニスルモノニアラス愈信ヲ国際ニ厚クシ大義ヲ宇内ニ顕揚スルハ夙夜朕カ念トスル所ナリ
 方今列国ハ稀有ノ政変ニ際会シ帝国亦非常ノ時艱ニ遭遇ス是レ正ニ挙国振張ノ秋ナリ爾臣民克ク朕カ意ヲ体シ文武互ニ其ノ職分ニ恪循シ衆庶各其ノ業務ニ淬励シ嚮フ所正ヲ履ミ行フ所中ヲ執リ協戮邁往以テ此ノ世局ニ処シ進ミテ皇祖考ノ聖猷ヲ翼成シ普ク人類ノ福祉ニ貢献セムコトヲ期セヨ

幽溟深き北滿に 祖国の光照りそひて 大和民族奮ふとき 仇なす夷狄影もなく 東亜を統ぶる 天皇(すめらぎ)の 久遠(くをん)の聖圖展けゆく 4番歌詞 満州の未開の地に、天皇のご威光が及んで、満州国が建国された。日本民族が起つ時、刃向う野蛮な異民族は影すらない。東亞を統治する天皇の領土は、どこまでも拡がっていく。

「幽溟深き北滿に 祖國の光照りそひて」
 昭和7年3月1日満洲国建国、日本の満洲進出をいう。「幽溟」はかすかで暗いこと。未開の地。その地に天皇の御稜威が光をあて明るくするのである。

「大和民族奮ふとき 仇なす夷狄影もなく」
 日本軍に刃向う敵はいない。「夷狄」は、野蛮な異民族。中国や列強諸国の外国こと。
 「我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ」(明治35年「混濁の浪」5番)
 「五億の民を救はんと 大和民族たゝむとき」(明治39年「太平洋の」2番)

「東亞を統ぶる天皇の 久遠の聖圖展けゆく」
 「聖圖」は天皇の領土。帝国の版図。「展けゆく」は、広がる。発展する。
 「天皇を主君と仰ぐ神国日本の永続する聖なる国家的意図の展開をいう。」(一高同窓会「一応寮歌解説書」)
昭和維新の靈光に 異国の呪ひ火と燃えて みくにの四方に迫るとも 今はた何を迷ふべき 護國の旗の紅に 我が身我が魂染めなさむ      5番歌詞 昭和の御代の新しいご威光が未開の地満州を照らして、満州国が建設された。これに対し、国際連盟は、総会で日本の満洲撤退勧告案を決議し、日本は国際連盟を脱退した。しかし、たとい欧米列強や中国が日本の四方の海に迫ることがあっても、何を今さら迷うことがあろうか。一高生は、から紅に燃える校旗・護國旗に身も心も真っ赤に染めて、醜の御楯となって国を守ろう。

「昭和維新の靈光に」
 「維新」は、政治の体制が一新されることをいう。「昭和維新」は、一高の学内団体「昭信会」の主張である。「靈光」は、御稜威。天皇の威光が「幽溟深き」(4番歌詞)満洲に照り光ったこと、すなわち満州国建国をいう。
 「昭和維新は明治維新の完成であり、明治維新によりて實現せられざりしまことの尊王攘夷の達成であり、外來不純思想に覆われし日本精神の顕示をその使命としているのである。こゝにその一高、また一高生はいま何をなすべきであるか。」(「向陵誌」昭信會記事昭和8年)
 「第四節・第五節・第六節に見られるように、満洲制圧と傀儡政権満州国の設立についても何の疑惑を抱かず、右翼軍国主義者たちの唱える『昭和維新』にも同調、『御稜威あまねきこの春」と謳歌している。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「異國の呪ひ火と燃えて みくにの四方に迫るとも」
 「異國の呪ひ火と燃えて」は、国際連盟が日本の満洲撤退勧告案を決議したこと。
 昭和8年3月24日、国際連盟、日本の満洲撤退勧告案を42対1で可決、松岡洋右代表退場。同27日、日本は国際連盟脱退を通告した。

「今はた何を迷ふべき 護國の旗の紅に 我が身我が魂染めなさむ」
 「護國の旗」は、一高の校旗・護國旗。唐紅に燃える深い紅色をしている。寮歌では、一高生の燃える意気を喩えることが多い。
 「いまはた誰を咎むべき 臥薪嘗胆また更に」(明治39年「波は逆巻き」2番)
 「たぎる血汐の火と燃えて 染むる護國の旗の色 から紅を見ずや君」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
 「此の頃帝都學生間に滿州事業の後をうけ1936年の危機を控えて愛國運動の氣風起り、都下各大學は率先して大學高専號と稱する航空機2機を陸海兩軍に献納せんとする會を起し、我にもその賛同と協力を求め來れり。我はそれを諾し、是に一臂の力を添へんとす」(「向陵誌」昭和9年1月)
この蓋世の意氣に立ち 友のいのちに通ひつゝ 御稜威あまねきこの春を 盃あげて共に舞ふ 男の兒の胸に血潮湧く 今日四十四の紀念祭 6番歌詞 天皇のご威光が余すところなく及んでいる春に、この天下を一飲みにするようなおおきな意気を持ち、心を友と一つ心に融け合わせて、杯上げて共に舞い、男児の胸に血潮を滾らせる。今日は、そんな第44回の紀念祭である。

「この蓋世の意氣に立ち 友のいのちに通ひつゝ」
 「蓋世」は、世の中を蓋う気性や才能。気性がすぐれて大きく、元気旺盛で天下を一飲みにするような勢いをいう。「友のいのちに通ひつゝ」は、心を友と一つ心に。肝胆相照らし。

「御稜威あまねきこの春を」
 「御稜威」は、天皇のご威光。「あまねき」は、作用や状態が、ある範囲に余すところなく行きわたっている。

「今日四十四の紀念祭」
 「四十四」は、第44回。
                        

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