旧制第一高等学校寮歌解説
空虛なる |
昭和9年第44回紀念祭寮歌
スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 | スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。 |
1、 紫に はろかなる 2、夢なりし 移ろひし 日の本も 4、アルプスの峰は霞みて 波立ちぬレマンの 別れなん又逢ふ日まで 失はじ我のみこゝに 傳へこし北指す針を 5、秋闌けて街の銀杏は あらはなる肌に震へど 黄金なす下葉くぐりて 契りてし友の瞳に 涙みしこともありしか 今は又君と別れん |
|
平成16年の寮歌集で、次の変更があった。 1、「おかに」(2段2小節) ララファ 2、「おかにまよえば」(2段3小節)、「さぎりはこめて」(3段2小節)、「くさぶえながる」(4段1小節)の各終わりにフェルマータが付いた。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | ||||||||
1番歌詞 | 今は望むことが出来なくなった自由を探して、むなしく向ヶ丘をさ迷っていたら日が暮れてしまった。いつのまにか向ヶ丘には紫色の夜霧が立ち込め、誰が吹いているのであろうか、どこからともなく流れてくる悲しい響きの草笛の音を聞いていると、自由になんでも出来た昔のことが思い出されて、思わず涙が溢れてくるのであった。 「空虛なる木響追ひつゝ 行き暮れて丘に迷へば」 「空虛なる木響」は、自由。真理を追究する自由。求めても実体のない木霊でしか返って来ない。学問・思想の自由が抑圧され、自由に真理を追究できない時代となっていた。 「天翔け渡る 「美しき想ひを載せし 空虛なる日ぞなつかしや」(昭和4年「しゞまなる」3番) 「うつろなる心抱きて われ友と丘に上りぬ」(昭和9年「梓弓」2番) 平忠度 「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花やこよひの主ならまし」 「『旧き星』(昭7)の第六節を受けて、自分たちが同志とともに撞いた鐘(=起こした行動)の『こだま』が飢餓の巷に空虚に響くのみだと嘆いていると解する。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「紫に狭霧はこめて 誰が歌ぞ草笛流る」 「紫に狭霧」は夜霧。「草笛の音」は、唱歌「青葉の笛」の笛を連想させる。学半ばにしてやむなく向ヶ丘を去らねばならない左翼学生と、青葉の笛の「討たれし平家の公達」を重ね合せるか。 「かすれゆく草笛の音に」(昭和4年「しゞまなる」3番) 唱歌「青葉の笛」 一の谷の 討たれし平家の 公達あわれ 聞こえしはこれか 青葉の笛 「はろかなる追憶につれて 涙さへ知らず溢れぬ」 「はろかなる追憶」は、自由に何でも出来た昔の思い出。 「はろかなる懷疑のうちに 涙さへしらず流るゝ」(昭和4年「しゞまなる」2番) |
|||||||||
夢なりし |
2番歌詞 | 過ぎ去った向ヶ丘三年を振返ってみると、日本は、国の形こそ昔のままであるが、思想弾圧を行い、軍国主義化して、国の様は、すっかり変わってしまった。真理を求める一高生は、目を見張って驚くばかりだ。日本は満州撤退勧告を蹴って、国際連盟を脱退した。国際的に孤立した日本の前途は、雲が低く立ちこめ、険しいものとなるのに。 「夢なりし三年辿りて 漂泊の兒は嶮し路に 移ろひし形相みはりぬ 形容こそ昔にをれど」 「夢なりし」は、夢となった。過ぎ去った。「漂泊の子」は、眞理探究の旅にある一高生。「嶮し路に移ろひし形相」は、学問思想の自由を弾圧し、軍国主義化してゆく「日の本」のこと。 「嗚呼三とせ夢の旅路も やがてしも疾くぞ盡きぬる」(昭和16年「時計臺に」1番) 「この頃日本の現状と将来に憂ひを述べ」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「日の本も試練を經ぬ 雲低く行方知らぬに」 「試練」は、日本軍の満洲撤退勧告案を拒否して、同連盟を脱退したこと。後掲する連盟脱退時の日本全権代表松岡洋右の演説「われわれ日本人は、現に試練に遭遇しつつあるのを覚悟している。」を踏まえるか。「雲低く行方知らぬに」は、雲が低く立ち込め、日本の前途は厳しいものとなった。 昭和8年2月24日 国際連盟、日本軍の満洲撤退勧告案を42:1で可決、 松岡洋右代表退場。 3月27日 日本、国際連盟脱退を通告。 「第二節に言う『日の本も試練を經ぬ』とは、言うまでもなく満洲事変、満洲国設立前後の日本国の行動、国策が国際連盟の認めるところとならず、連盟脱退(大正8年3月)により国際的な孤立状態にまで進展した状況を指している。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
||||||||
赤き陽を歌ひし |
3番歌詞 | 「赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下」と歌われた日露戦争の激戦地の満洲に、英霊となった多くの先人の苦労が報われて、東亜の新星満洲国が建国された。英霊達も生い茂る草場の蔭で喜んでくれているだろう。一高生は、若き日に眞理を探究して勉学に努め、日本国と満州国の共存共栄のために尽くすことのできる人材となろう。 「赤き陽を歌ひし異郷に」 「異郷」は、満洲のこと。 『戦友』 「赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下」 「埋りてし劔も骨も 夏草に靈は甦りて 新しき星は生れぬ」 「劔も骨」「靈」は、日清日露以来の戦役で犠牲になった英霊。「新しき星」は、昭和7年3月1日に建国された満洲国。 芭蕉『奥の細道』 「夏草や 兵どもが夢の跡」 「いざ我等共榮に行かん 若き日に眞理修めて」 「共榮」は、日本国と満州国の共存共栄。 「第三節は不明確な点が多いが、『赤き陽を歌ひし異郷に 埋りてし劔も骨も 夏草に靈は甦りて・・・』以下は、日露戦役の最中に作られ、かつ後のちまで広く唱われた『戦友』の『赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下』を暗に踏まえつつ、日露の役や満洲事変で満洲の土となった犠牲者の霊も、大東亜の共栄圏(というより世界平和)が実現すれば浮ばれようとの意を表しているようである。・・・・第三節だけが表向きの表現で、真意はそれとは矛盾する現状況への憂いと悲しみの方にあったとさえ言えそうである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
||||||||
アルプスの峰は霞みて 波立ちぬレマンの |
4番歌詞 | 満州国不承認を不服として日本が国際連盟を脱退したので、連盟本部のあるアルプスの山に雲がかかり、レマン湖畔に波が立って国際関係は緊張している。今は国際連盟を脱退するが、正義というものは不滅であり、日本の正義はいずれ認められるから、近い将来また国際連盟に復帰することになるだろう。一高生ならば、先人から伝えられてきた、北斗の星が指し示す正義の心を決して失ってはならない 「アルプスの峰は霞みて 波立ちぬレマンの湖畔」 満州国不承認と日本の国際連盟脱退問題で緊張する国際関係をいう。「峰は霞みて」は、山に雲がかかって。「レマンの湖畔」は、国際連盟本部の所在地ジュネーブのこと。連盟脱退を讃えて朝日新聞が作った「連盟よさらば」を踏まえるか。 昭和8年2月24日 国際連盟総会、満州国不承認。 3月27日 日本、国際連盟脱退を通告。 4月 1日 満州国、非承認国に門戸閉鎖。 『連盟よさらば』(作:朝日新聞)
「別れなん又逢ふ日まで 正義は永遠の生命ぞ」 「別れ」は国際連盟脱退、「又逢ふ」は、将来の連盟復帰。「正義は永遠の生命」は、正義は不滅であるから、日本の正義の主張はいずれ認められることになる意。昭和7年12月8日国際連盟総会で日本代表全権主席松岡洋右が行った有名な演説「十字架上の日本」を踏まえる。国際連盟は翌昭和8年2月24日、満洲撤退勧告案を42対1で可決した。松岡洋右代表は「さよなら」と日本語で言って総会の会場を退場したという(マイクに収録はない)。当時の朝日新聞は「連盟よさらば。わが代表堂々と退場す」と大見出しで報道し、また前掲の「連盟よさらば」という歌を作って連盟脱退を絶賛した。私達が高校の歴史教科書で学んだとおりである。 「人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架にかけた。しかも、今日、どうであるか。諸君は、いわゆる世界の世論なるものが誤っていない、と保証できようか。 われわれ日本人は、現に試練に遭遇しつつあるのを覚悟している。ヨーロッパやアメリカのある人びとは、いま二十世紀における日本を十字架にかけんと欲しているのではないか。
諸君!
日本はまさに十字架にかけられんとしているのだ。
しかし、われわれは信ずる。固く固く信ずる。わずか数年ならずして、世界の世論は変わるであろう。しかして、ナザレのイエスがついに世界に理解されたごとくに、われわれもまた世界によって理解されるであろう、と」(松岡洋右の所謂「十字架上の日本」演説)
「『別れなん又逢ふ日まで』は、国際連盟との一時的な別離を意味する。前項(「アルプスの峰は霞みて 波立ちぬレマンの湖畔」)と同じく、当時の戦時歌謡『連盟よさらば』(昭和8年5月)の歌詞を踏まえたものであろう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「『正義は永遠の生命ぞ』は、昭和7年12月8日の連盟総会で「欧米諸国は日本を十字架にかけようとしているが、イエスが後世にようやく理解された如く、日本の正しさは必ず後に明らかになるであろう」と述べた松岡洋右の「十字架上の日本」演説の論旨を踏まえたものと解する」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「失はじ我のみこゝに 傳へこし北指す針を」 「北」は、北斗の星、北極星である。日周運動により、その位置をほとんど変えないので、方位・緯度の指針となる。寮歌では眞理・正義を黙示する星として詠われる。「北指す針」は、北極星が指す針路。正義。 「自治の光は常闇の 國をも照す北斗星」(明治34年「春爛漫の」6番) 「第四節の『波立ちぬレマンの湖畔』は、脱退事件の起きた国際連盟本部の所在地ジュネーブを意味し、『別れなん又逢ふ日まで』とは、国際平和を心から願っている世界の同胞たちとの一時的な別離を意味していると思われるし、『傳へこし北指す針』とは、一高の伝統、『嗚呼玉杯』に歌われている『清き心』、『破邪の劍』による『正義』の実現(破邪顯正)の理念を、『北指す針』すなわち羅針盤に喩えたものであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
||||||||
秋闌けて街の銀杏は あらはなる肌に震へど 黄金なす下葉くぐりて 契りてし友の瞳に 涙みしこともありしか 今は又君と別れん | 5番歌詞 | 秋たけなわ、街の銀杏の葉は、すっかり色づいて、露わになった木の枝で揺れている。黄金のように黄葉した銀杏の下葉を通り抜けながら、友情を誓った友の目に別れの涙を見たことがあった。今また、君と別れようとしている。 「秋闌けて街の銀杏は あらはなる肌に震へど」 「街の銀杏」は、本郷の街や根津辺りの銀杏であろう。「あらわなる肌」は、黄葉の隙間から露出した幹や枝の表面。今の時代では何の問題もない表現だが、当時は衝撃的な歌詞だったという(佐野清彦一高先輩)。 「日暮れゆきては根津權現の社に詣で、或は本郷通りの銀杏の並木に、大學の構内に、又不忍の池の邊に、上野の森の木の間に、寮歌を高歌ひて浩然の氣を養ひ、或は獨り嘯く寮歌の調に我が惱みを先人に通はせ・・・」(「向陵誌」昭和10年9月14日『向陵訣別の辭』) 「黄金なす下葉くぐりて 契りてし友の瞳に」 「下葉」は、草木の下の方の葉。「くぐりて」は潜りて。狭いすきまを通り抜けて。「契りてし」は、友情を契った。 「柏の下葉ゆるがせて あしたの鐘はひゞきたり」(明治39年「柏の下葉」1番) 「涙みしこともありしか 今は又君と別れん」 「ありしか」の「しか」は、回想の助動詞「き」の已然形。余情・余韻を残す。「涙みしこともありしか」の友との別れは、左翼思想で処分を受け退学して行った友との別れ、「今は又君と別れん」の君との別れは、卒業する友との別れをいうか。 「当時は三月卒業だったのに、秋闌けたのちの時期の友との別れが歌われているのは、左翼思想問題で除名・放校処分の憂き目に会い、学年途中で一高を去った友との別れを歌ったものと考えられる〈井下登喜男先輩(昭26文丙)〉のご示唆による)」(森下達朗東大先輩「一高寮歌の落穂拾い」) |
||||||||
いにしへのいたみは云はじ 三つ年の勵みにをりて |
6番歌詞 | 苦しかった過ぎし日のことは言わない。向ヶ丘三年の間、精一杯励んだが、収穫は貧しいものである。しかし、その収穫は、私の清らかな誇であり、幸せいっぱいの喜びに、私の心は震えているのである。 「いにしへのいたみは云はじ」 「いにしへ」は、昔。過ぎ去った日々。「いたみ」は、苦痛。心痛。苦労。向ヶ丘を吹き荒れた左翼思想取締りで受けた苦悩をいうか。一高の左翼学生の組織・運動は、ようやく昭和8年12月に終息したといわれている。 「吹く木枯に橄欖の ふるふ梢の響かな」(昭和7年「吹く木枯に」1番) 「向陵三年夢とはいえど骨にこたえた荒修業」(昭和23年「東の天地」前詞) 「嗚呼紅の陵の夢 其の香其の色永劫に 旅行く子等の胸に生き」(大正3年「黎明の靄」2番) 「三つ年の勵みにをりて 収穫こそ貧しかりしが 清らなる衿りにあれば」 「三つ年の勵み」は、向ヶ丘の三年で励んだこと。「収穫」は、成果。「衿」は、「矜」の代用字か。矜恃。誇り。 「『三つ年の励みにをりて 収穫こそ貧しかりしが』と兼抑し、然し、寮生として清純なる矜恃を貫いた喜びに『わが魂の(我が魂は)わななきするよ』と繊鋭な表現を与えている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「喜びの幸に溢れて 我が魂はわななきするよ」 「わななき」は、身体がふるえること。恐怖や怒り、または寒気にいう場合が多いが、ここでは喜びにわななく。 |
||||||||
冬籠り |
7番歌詞 | 今、向ヶ丘には、駒場移転を間近に控え、新向陵建設の設計・検討がさかんに行われているので、建設的な力がみなぎっている。駒場への移転の知らせを聞くのも、そう遠くないことだろう。若い一高生の新鮮な活力で、彌生が岡で営々として先人が伝えてきた自治の伝統が駒場でも栄えるように、関東大震災で爆破されたまま建設されなかった一高のシンボル・時計台を駒場に築こう。 「冬籠り思索の時は 萠え出づる力に滿ちて」 「冬籠り思索の時」は、冬、降り積む雪の下で若草が春の準備をするように、向ヶ丘は駒場移転のために、駒場移転準備委員会を中心に新向陵建設の設計・検討が盛んに行なわれている。「萠え出づる力に満ちて」は、春に芽吹くために若草が力を蓄えているように、向ヶ丘には新向陵建設の力がみなぎっているの意。昭和8年10月7日には、全校生徒による駒場見学を実施した。一高生は駒場移転を一層現実のものと受止めたに違いない。 「降りつむ雪にうづもれて 春を營む若草の」(明治43年「藝文の花」2番) 「5月駒場移転準備新委員の就任あり、2年後に控えたる移轉完成の爲に各委員の擔当を定め設計圖を圍みて熟議屢々深更に及び盡力之が進行を務めぬ。」(「向陵誌」昭和8年) 王仁 「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花」 「遠からじ春の音信は 若駒の青き息吹に」 「春の春信」は、駒場移転の知らせ。「若駒の青き息吹」は、若い一高生の新鮮な活力。「若駒」は、一高生。 「若駒の嘶く里に 大いなる黎明は來れり」(昭和11年「若駒の嘶く」1番) 「彌生の柏慕ひて 來ん丘に時計臺築かん」 「彌生」は草木がますます繁るように栄えること。また彌生が岡の意でもある。「柏」は、一高を示す。「彌生の柏慕ひて」は、彌生が岡で営々と伝えてきた一高の伝統が駒場でも栄えるように。「來ん丘」は、移転予定の駒場。「時計臺」は、一高のシンボル。本郷本館の時計台は、関東大震災で傾いたため、防災上の理由から、大正12年10月9日、爆破された。 「当時すでに予定されていた、翌昭和10年9月の本郷から駒場への移転を踏まえての表現である。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「来年移転する駒場に、弥生が丘の伝統を守り立てようという決意をもとにしている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
||||||||
巡り來て杜の祭りは 四十四の齢重ねぬ 香りする橄欖の下 集ふ兒の |
8番歌詞 | 春は巡って、一高寄宿寮は、今年、第44回紀念祭を迎えた。橄欖の花の薫りが漂う下に集まった頬紅に輝いた一高生は、それぞれ知性が溢れている。さあ、今夜の紀念祭は、友と語り明かそう。 「巡り來て杜の祭は 四十四の齢重ねぬ」 「杜の祭」は、紀念祭。「杜」は、向ヶ丘。 「香りする橄欖の下」 橄欖の花の香のする下で。「橄欖」は、一高の文の象徴。 「柏蔭は力なりけり 橄欖は叡智を香りき」(昭和9年「梓弓」3番) 「橄欖の花散らふ下 眞理の實をば探してし」(昭和8年「古りし榮ある」4番) 「藝文の花咲きみだれ 思想の潮わきめぐる」(明治43年「藝文の花」1番) 「集ふ兒の頰の輝きは 花毎に溢れ餘りて」 「橄欖」は、一高の文の象徴。「花」は橄欖の花(知恵)。頬紅に輝く知性の高い一高生自身を喩えると解す。従って、「花毎に溢れ餘りて」は、一高生ごとに知性が光りこぼれて。 |