旧制第一高等学校寮歌解説
手折りてし |
昭和8年第43回紀念祭寄贈歌 東大
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手折りてし 橄欖の枝 靑き葉は落ち 香は失せたれど 嶮し岩根 攀づる日のよすがぞ 憶出の露に生く 懐かしの木 さはれ汝の 斯くは妖しく 血の狂ふなり この血汲みて 在りし日の香を呼べ 其の香に醉ひつゝ 彼の歌歌はん ーーーあゝ 幽久の鳥 地をさらんとす 両眼火と燃ゆる彼方 自由の扉開きてあり 自由の扉開きてあり |
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楽譜下歌詞で「醉ひつつ」の「よーいつつ」は、平成16年寮歌集で「えーいつつ」に訂正された。ただ、一高レコードの歌い方は、「よーいつつ」に聞える。 長内 端の8曲目の作曲。いつもながら実にしっかりした曲であるが、平成16年寮歌集で、大きなメロディーの変更はないが、多数箇所変更された。左右のMIDI演奏をよく聴き比べ下さい。 1、強拍の箇所の変更 ①「いーわね」(2段4小節)は、「い」は弱拍となり、強拍は「わ」に変った。 ②「りょーがん」(5段2から3小節) 「りょ」は弱拍から強拍に変った。「が」も中強拍。 ③「ひーと」(5段3から4小節) 「ひ」は弱拍から強拍に変った。 2、音の変更(小節は弱起の小節もカウント) ①「かんらん」の「か」(1段3小節2音) ファ ②「えだあお」の「だあお」(1段5小節) ミーーーミーミ ③「かは」の「か」(1段7小節2音) レー ④「けーわし」の「し」(2段3小節2音) ソー(付点をとって2部音符に) ⑤「いーわね」の「い」)(2段4小節1音) ドー ⑥「いーわね」の「ね」(2段4小節4音) ソーー(2部音符に) ⑦「おもいでの」の「で」(2段7小節2音) シー ⑧「いく」の「い」(3段1小節2音) ミーファ ⑨「うたーわん」の「た」(3段6小節4音) ラーシ ⑩「鼻音」(4段2小節2・3音) ミーソ(付点8分音符と16分音符) ⑪「ゆーきゅーの」の「4段6小節2・3音) 同上 ⑫「とり」の「り」(4段7小節1音) ドーー(付点を付ける) ⑬「ひーと」の「ひー」(5段3小節4音・4小節1音タイ) ドーー(2分音符に) ⑭「とびら」の「び」(5段7小節4音) ミーレ(高、スラー) 3、ブレス記号 4箇所のブレス記号があったが、すべて削除された。最後のブレス(5段2小節)のみ4分休符と変った。 この寮歌は園部達郎大先輩によれば、先に出来た曲に詞をつけた珍しい寮歌である。 この寮歌のキーワード「自由の扉」は、強起で歌いたいところだが、弱起となっている。「じーゆうーーの」と歌う。特にこの箇所は、ゆっくりと思いをこめ歌いたいものである。 この寮歌には、一高寮歌では唯一(他校寮歌でもその例はないと思うが)、途中に鼻音(ハミング)が入る。最初に聞いたとき、一高生も年をとって歌詞を忘れたか?と誤解した。懐かしいパートである。また、歌詞の中で、最後の「自由の扉開きてあり」を明示して繰り返すのもこの寮歌の特徴である(他に最後の歌詞を繰り返す寮歌としては、昭和15年「朝日影」がある)。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
手折りてし 橄欖の枝 靑き葉は落ち 香は失せたれど 嶮し岩根 攀づる日のよすがぞ 憶出の露に生く 懐かしの木 |
1番歌詞 | 一高生の頃に、手折った橄欖の枝の青い葉は落ち、香はなくなったけれども、一高で学んだ精神は、険しい世間の岩根を攀じ登り生きてゆく拠り所となっている。白玉のように大切な思い出の中に生きている懐かしい橄欖の木よ。 「手折りてし橄欖の枝」 「橄欖」は一高の文の象徴。一高で学んだ学問、伝統、眞理探究の心など。「手折る」は、手で折る。学問や伝統を学ぶの意。 「『橄欖』は柏葉と共に一高を象徴するものであるから、この一句は一高において学び取った精神を意味する。」(一高同窓会「一高寮歌解説」) 「青き葉は落ち 香は失せたれど」 在学中に手折った橄欖の枝の青い葉は落ち、香もなくなったけれども。すなわち在学中に学んだもののうち、枝葉の部分は忘れてしまったけれども。「青い葉」や「香」は表面的な部分、本質的な真髄の部分、一高精神はしっかりと身についている。 「一高・自治寮にみなぎっていた生気溢れた精神的香りが衰退したけれども、の意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「嶮し岩根攀づる日のよすがぞ」 「嶮し岩根」は、世間の厳しい現実。「よすが」は、心のよりどころ。てがかり。 「憶出の露に生く 懷かしの木」 「憶出の露」は、白玉のように大切な思い出。「露」は、はかないというより貴重な、大切なという意味で使った。 「ここに言う『橄欖』の『木』『枝』『青き葉』には、意味内容としてすべて一高時代の自治寮生活とその伝統の充実が託されており・・・」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
さはれ汝の 斯くは妖しく 血の狂ふなり この血汲みて 在りし日の香を呼べ 其の香に醉ひつゝ 彼の歌歌はん |
2番歌詞 | そうではあるが、今日は寄宿寮の誕生の日であるので、このように異常に若き血が騒ぐのである。この血で若い命を甦らせて、一高に在学した頃の思い出を呼び起こしてくれ、その思い出に酔いながら、昔、友と高誦したあの寮歌を歌おう。 「さはれ汝の 生れし日故に」 「さはれ」は、そうではるが。「汝」は、一高寄宿寮。「生まれし日」は、誕生の日。明治23年3月1日、東・西寮に入寮が許可された日。 「『汝の 生れし日』とは自治寮誕生の紀念祭当日のことにほかならない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「斯くは妖しく血の狂ふなり」 紀念祭が気になって、血が騒いで、じっとしてられない様子をいう。「妖しく」は、自分でも説明しようがないほど、不思議に。異常にの意。「血が狂ふ」は、血が騒ぐ。興奮してじっとしていられない。心が躍る。「血」は、若き血、若き命。 「この血汲みて 在りし日の香を呼べ 其の香に醉ひつゝ 彼の歌歌はん」 「この血汲みて」は、騒ぐ若い血を汲んで。若い命を甦らせて。「在りし日の香」は、一高に在学していた頃の楽しく懐かしい思い出。「彼の寮歌」は、かって友と高誦した思い出の寮歌。この句に続く鼻音の部分。 「『在りし日の香』は、向が丘の寮に生活していた時期に味わった貴重な経験の匂いやかな憶い出であろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
ーーーあゝ 幽久の鳥 地をさらんとす 両眼火と燃ゆる彼方 自由の扉開きてあり 自由の扉開きてあり |
3番歌詞 | あゝ、我々が不死鳥の如く不滅であると思っていた自由は、今、まさに去らんとしている。それでもなお、火と燃える情熱を両眼に輝かせ自由を求めれば、彼方には自由の扉がきっと開いて我々を待っている。自由の扉は開いているのだ。決して自由を諦めてはならない。 「 「幽久の鳥 地をさらんとす」 「幽久の鳥」は、不死鳥。不滅の自由を喩える。ところで、たんなる不死鳥の意味であれば、「悠久の鳥」だが、当時の抑圧された思想状況の下、「幽囚」ないし「幽愁」の意を込めて「幽久の鳥」としたか。「地を去らんとす」は、今まさに自由の日が消えようとしている。 「『悠久の鳥』が何を指すのか、私見では次の二つが考えられる。 ①『悠久の鳥』は、永遠の時を生きるという伝説上の鳥である『フェニックス』(不死鳥または火の鳥ともいう)のイメージを想起させる。それも永く閉じ込められていた(=『幽久の』)不死鳥が今や新たな生命を得て自由のかなたへ飛翔せんとしているさまであり、同年の寮歌『古りし栄ある』第四節の『天翔け渡る自由に生き』を髣髴させる。また、『両眼火と燃ゆる』は『火の鳥』のイメージと考えられるし、『この血汲みて』という表現は、不死鳥の血を口にすると不老不死の命を授かるという伝説とも符合する。 ②大鵬の雛(=一高生)が翔び立つまでに相当な準備期間がかかることから、『幽久(=長く潜むの意か)の鳥』と表現したとも考えられる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「向が丘の寮に生活していた時期に味わった貴重な経験の匂いやかな憶い出・・・その貴重な経験を永続的な価値をもって支えていたものこそ、『幽久の鳥』にも喩うべき精神の自由への道であり、それは今や忘れ去られようとしながら、目を凝らしさえすればわれわれの前途に開かれてある、というような想念を歌い上げていると解されている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「両眼火と燃ゆる彼方」 この「両眼」は、不死鳥ではなく寮生のものをいう。火と燃える情熱を輝かせて自治・自由を求める努力をせよといっている。 「自由の扉開きてあり」 絶叫して、この言葉を二回叫ぶ。自由を諦めるなと叫んでいる。 前述したように、この年の寮歌には、「自由」の語が多く出てきた。思想弾圧で自由が抑圧されて、自由を求める気持ちが逆に強くなったからであろう。この昭和8年は、まだ「自由」を口に出すことが出来た。しかし、昭和10年「彌生の丘四十五年」を最後に、一高寮歌から自由の語は消える。さらに厳しい、暗い時代となっていくのである。 「光りの子等自由の子等」(昭和8年「見よや見よや」1・2・3番) 「天翔け渡る自由に生き」(昭和8年「古りし榮ある先人の」4番) 「一高寮歌の掲げる中心的理念は『自治』であるのが普通であり、伝統的であるのに、『自由』の理念を高らかに歌い上げているところに、本寮歌の特色があると思われる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 第1節は、向陵に上ったことを深いよろこびとし、この三年の生活こそ、今後の人生の行路難を踏みこえる勇気の源泉、支柱となつかしみ、第2節に於て、東大にありつつその記念の祭りの日となると昔を思い出し、若き血、若きいのちの躍動を禁じ得ず、『その血汲みて在りし日の香を呼べその香に酔ひつつ 彼の歌歌はん』と叫ぶ。第3節は恐らく、作詞者の最もつよくいわんとするところを、つとめて象徴的に表している。『幽久の鳥』とは、作者自身もいいがたい正義感、乃至は一高の伝統を指すか。ともあれ、その両眼の火と燃えて見つめる彼方に、『自由の扉開きてあり』と、二回くり返している。然し、自由の扉は、この頃から、開かれるどころか、益々堅くとざされてゆくのである。 | 「一高寮歌私観」から |
園部達郎大先輩 | 昭和8年紀念祭の『寄贈歌』を、『呑喜』の隣りの青年館に住んでいた長内さんに寮委員が頼みに行った。長内さんは引受けたが、詞はまだ当てがない。長内さんは『じゃここに住んでいる吉野君に頼んだら。』 それで決まったそうだ。・・・・・・あの頃を思うと『自由の扉』、寮内の応募だったら決して当選しなかったろう。『満州事変』勃発後の緊張した世だったから。寮委員が直々に依頼した寄贈歌故に、今まで陽の目を見られた、幸運だったという気がする。 | 「寮歌こぼればなし」から |