旧制第一高等学校寮歌解説
見よや見よや |
昭和8年第43回紀念祭寄贈歌 東大
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1、見よや見よや 光りの子等自由の子等 岡春にしてもろ草靑み 偉大なる日輪の 涯しなき大空の底 いかにとや心も知らず 3、行けや行けや 光りの子等自由の子等 向陵の士よ理想は捨てじ 偉大なる日輪の下 涯しなき大空の底 美しく甘き僞 夢の間を汝にさゝやくも な悔みそ勝ちての後を とことはに我等が誇 七つの |
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変更なく現譜はこの原譜のままである。左右のMIDI演奏はまったく同じである。 曲頭のLarghettoとは、「やや幅広くゆるやかに」のテンポを示す。平木恵治オンケルの詞に樂友会が作曲しています。「ドミソ ミドラ」(「見よや見よや」)で始まるメロディーは軽快である。しかし詞は余りに長く、このままでは単調さは免れない。これを避けるために、この長い詞に、異なるリズムを巧みに配置して、また強弱をつけて単調にならないように配慮している。さすが樂友會の曲である。「偉大なる日輪の下」の「いなる」(3段4小節)などの「ターターター」(4分音符の3連続)を5回、「生けるものみな」(5段4小節・6段1小節))の「タータタータタータター」(伝統のリズム)を1回、さらに極め付きは、「散るか紅」(7段4小節・8段1小節)の「タタタタタタターー」(8分音符を6連続)が効果的である。この歌もほとんど歌われない。しかし、一度でも歌ったことのある寮生は、この「散るか紅」だけは微かに記憶に残っているようである。この「紅」が左翼学生を意味するものであれば、樂友會の細工は見事な成功といえる。 |
この寮歌の歌詞は、ポール・リシャール(フランスの詩人、弁護士、牧師)が大正6年、日本に滞在中に、日本の世界史的使命と日本人への期待をうたった「告日本国」(大川周明訳)を踏まえる。参考までに全文を末尾に紹介する。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
見よや見よや 光りの子等自由の子等 岡春にしてもろ草靑み 偉大なる日輪の 涯しなき大空の底 いかにとや心も知らず 彌生ヶ岡に高き土の香 |
1番歌詞 | 見よ、見よ。光りの子等よ、自由の子等よ。 向ヶ丘は春にして、一面に若草が生え青々としている。偉大なる太陽の下、涯しない大空の下、生きとし生けるものはみな、太陽の恵みを充分に受けている。桜の花は、人の心も知らず、どうしてそよ風程度の風で散ってしまうというのか。陽の光が和らいで行って夕闇が迫る中、桜の花が薄明かりにくっきりと美しく輝いている。わが心の故郷・彌生が岡に土の匂いが高く薫って懐かしい。 「光りの子等自由の子等」 「光りの子」は、太陽の子。太陽は真理・正義の象徴。「偉大なる日輪(太陽)の下」で光り輝く一高生。ポール・リシャールの詩では「曙の児」。「自由」の語は、昭和8年の「古りし榮ある」(4番)、「手折りてし」(最後)にも出てくる。思想取締りで自由が抑圧されたため、自由を望む気持ちが強くなったからであろう。 「岡春にしてもろ草青み」 芭蕉『奥の細道』 「城春にして草青みたり」 杜甫『春望』 「国破山河在。城春草木深」 「偉大なる日輪の下」 「日輪」は、太陽。眞理・正義を象徴する。 「涯しなき大空の底」 地上。下と訳す。 「飽らひつゝ生けるものみな」 「飽らひ」は足らひ。欠けることなくそろう。十分である。 「いかにとや心も知らず 微風に散るか紅」 「いかに」は、どのように。どういうわけで。「とや」は、・・・というのか。「紅」は桜の花びら。取締りを受け処罰される左翼学生を喩えるか。楽譜説明のところで前述したように作曲者・楽友會は、「紅」に特別の細工をしているようである。 「和みつゝ迫る夕映」 「和む」は、なごやかになる。やわらぐ。「夕映」は、夕方あたりが薄暗くなる頃、物がかえってくっきりと美しく見えること。花の色が深く見えるのに云う場合が多い。夕焼け。ここでは、「紅」の桜の花が、夕闇迫る中、薄闇にくっきりと美しく輝いているの意。 「 「彌生ヶ岡に高き土の香」 「彌生ヶ岡」は向ヶ丘に同じ。本郷一高は、本郷区向ヶ岡弥生町にあった。「土の香」は、自分を揺籃の如く育ててくれた故郷の土の香をいう。具体的には自治であり、真理をいうものであろう。 |
歌へ歌へ 光の子等自由の子等 うら若ければ血は燃え激つ 偉大なる日輪の下 涯しなき大空の底 そこばくの幸ぞ目にしむ 歡喜もて覆ひし 朗らかに強く正しく 我れ住まむいみじ故郷 ああ向陵よ土の薫りよ |
2番歌詞 | 歌え、歌え。光の子等よ、自由の子等よ。 一高生は、うら若いので、青春の血が燃えたぎっている。偉大なる太陽の下、偉大なる大空の下、太陽の恵みがなんと多いことかと感じ入る。 この素晴らしい故郷に、かってのように朗らかに強く正しく、今一度、住みたいと思うだけで、体中に喜びが溢れる。ああ向陵の懐かしい土の薫りよ。 「光の子等自由の子等」 「光」は、1・3番歌詞では「光り」となっている。他に「香」は「薫り」、「彌生ヶ岡」は「向陵」等と語句を変えている。 「そこばくの幸ぞ目にしむ」 「そこばく」は、そんなに多く。「しむ」は染むで、心に深く刻み込むこと。 「歡喜もて覆ひし希望 朗らかに強く正しく 我れ住まむいみじ故郷」 「歡喜もて覆ひし希望」は、後の句の「我れ住まんいみじ故郷」。作詞のオンケル平木惠治は、今は卒業生であるので、願いが叶うことならという意味であろう。あるいは、魂を向ヶ丘に残しておくという意味か。「我れ住まむ」の「む」は、未然形について、一人称の場合、話し手の意志・希望を表す助動詞。私が住みたい。「いみじ」は、大変立派である。素晴らしい。「土の薫りよ」の「薫り」は、1番歌詞では「香」であった。また、「向陵」は、1番歌詞では「彌生ヶ岡」。 |
行けや行けや 光りの子等自由の子等 向陵の士よ理想は捨てじ 偉大なる日輪の下 涯しなき大空の底 美しく甘き僞 夢の間を汝にさゝやくも な悔みそ勝ちての後を とことはに我等が誇 七つの |
3番歌詞 | 行け、行け。光りの子等よ、自由の子等よ。 向陵のさむらいよ、どんなに苦しくとも理想は捨ててはいけない。偉大なる太陽の下、偉大なる大空の下、美しく甘い偽りが君を夢のような世界に誘おうとしても、そんな誘惑は毅然としてはねのけよ。決して後悔することなどない。フランスの詩人ポール・リシャールが「告日本国」の中で、日本の世界史的使命と日本人への期待をうたった「七つの使命と七つの功績」(末尾の大川周明訳では「七つの栄誉と七つの大業」)は、永遠に我ら日本人の誇りである。もっと日本人であること、一高生であることに誇りを持とう。 「向陵の士よ」 「士」は、もののふ。さむらい。 「美しく甘き僞 夢の間を汝にさゝやくも な悔みそ勝ちての後を」 「な・・・そ」は、禁止の意をやさしく表す。「美しく甘き僞」とは、左翼思想のことをいうか。そんな思想は、はねつけて当然なのだ。後悔することなどない。次の句にあるように、日本国、および日本国民であることにもっと誇りを持てということであろう。 「とことはに我等が誇 七つの使命七つの功績」 フランスの詩人ポール・リシャールが「告日本人」の中で、日本の世界史的使命と日本人への期待として詠んだもの(末尾の大川周明訳「告日本人」参照)。 「具体的に何を意味しているかだけが不明で、後考を待ちたい」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
森下達朗東大先輩 | フランスの詩人ポール・リシャールが滞日中の大正6年に書いた詩に『告日本国』があり、日本の世界的使命と日本人への期待を歌っている。 『……諸氏の国に七つの栄誉あり 故にまた七つの大業あり さらば聴け、其の七つの栄誉と七つの使命とを 独り自由を失はざりし亜細亜の唯一の民よ 貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ……』 右のポール・リシャールの詩が発表されたのは、『見よや見よや』の作詞者である平木恵治先輩(オンケル)が十五歳の頃のことである。 |
「一高寮歌解説書の落穂拾い」から |
ポール・リシャール「告日本国」 曙の児等よ、海原の児等よ 花と焔との国、力と美との国の児等よ 聴け、涯しなき海の諸々の波が 日出づる諸子の島々を讃ふる栄誉の歌を 諸子の国に七つの栄誉あり 故にまた七つの大業あり さらば聴け、其の七つの栄誉と七つの使命とを 独り自由を失はざりし亜細亜の唯一の民よ 貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ 曾て他国に隷属せざりし世界の唯一の民よ 一切の世界の隷属の民のために起つは貴国の任なり 曾て滅びざりし唯一の民よ 一切の人類幸福の敵を亡ぼすは貴国の使命なり 新しき科学と旧き知慧と、欧羅巴(ヨーロッパ)の思想と 亜細亜の思想とを自己の衷(うち)に統一せる唯一の民よ 此等二つの世界、来るべき世の此等両部を統合するは貴国の任なり 流血の跡なき宗教を有てる唯一の民よ 一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは貴国なる可し 建国以来、一系の天皇、永遠に亘る一人の天皇を奉戴せる唯一の民よ 貴国は地上の万国に向かって、人は皆な一天の子にして、天を永遠の 君主とする一個の帝国を建設すべきことを教へんが為に生れたり 万国に優りて統一ある民よ 貴国は来るべき一切の統一に貢献せん為に生れ また貴国は戦士なれば、人類の平和を促さんが為に生れたり 曙の児等よ、海原の児等よ 斯く如きは、花と焔との国なる貴国の 七つの栄誉と七つの大業となり |