旧制第一高等学校寮歌解説
古りし榮ある |
昭和8年第43回紀念祭寮歌
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1、古りし榮ある先人の 守り來し歴史四十三 花 自治の燈搖めきぬ 懐古の 3、苔むす城の磐石に 護国の赤旗打ち立てゝ 雲より雲にどよみ行く 4、誇の丘の三つ歳や 天翔け渡る 橄欖の花散ろふ 柏の瑞枝繁き蔭 面は理想に輝きし 5、空ゆく雲に思こめ 生の愁ひに沈みては 三年の あゝ青春の盃よ 飲み干しあへず時過ぎぬ |
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変更なく現譜はこの原譜のままである。MIDI演奏は、左右とも同じである。 Allegro Moderatoとは、「ほどよく速く」のテンポを示す。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古りし榮ある先人の 守り來し歴史四十三 花 |
1番歌詞 | 先人が今日まで連綿と守ってきた一高寄宿寮43年の栄光の歴史、しかし、その栄光の歴史も永久に花咲く春を謳歌するというわけにはいかなくなった。濁世の潮騒が近くまで押し寄せ、伝統ある一高の自治を脅かしている。自治の城に籠って、押し寄せる濁世の波など気にする必要もなかった昔が懐かしくてたまらない。 「古りし榮ある先人の 守り來し歴史四十三」 「古りし」は、長い伝統を有する。「歴史四十三」は、明治23年開寮以来の一高寄宿寮の歴史。 「約半世紀に渡り永き光榮と傳統を有する我等の歴史は昏迷の明治維新より光彩陸離たる昭和の聖代に至る迄、思想に文藝に凡ゆる文化の搖籃の地として幾多の國士を生み更に多くの美談を生みて等しく萬人の讃嘆する所となりしは廣く世の知る所なり。」(「向陵誌」昭和8年) 土井晩翠『星落秋風五丈原』 「花とこしへの春ならじ 夏の火峰の雲落ちて」(森下達朗東大先輩「一高寮歌の落穂拾い」) 「濁世の潮騒近くして 自治の燈搖めきぬ」 「濁世の潮騒」は、学問・思想の取締り。軍の跋扈等、暗い時世の波音。向ヶ丘は濁世の波、俗塵を防いで、自治の城の中に入れない別天地であったが、今は、城門が破られようとしている。「潮騒」は、潮のさしてくる時、波が音を立てること、またその響。 「昭和8年2月1日、紀念祭を行ふ。近時左翼思想の事やかましく昭和7年9月頃より検擧さるゝものの多く、或は4名、或は10名と續々丘より去り行く者あり。作冬夏にも亦15名の検擧を見、8年に入り紀念祭に又検擧を見る。寮内に於ても傳統を批判するもの多くその反動として護陵會なるもの一部の有志によりて結成されし事ありき。瓣論部は左翼検擧と共に大弾壓を受け一時事実上の潰滅を見しも近時復活の聲高まり昔日の隆盛を思ひてその建設に努力せしものありき」(「向陵誌」昭和8年)
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今宵紀念の花 |
2番歌詞 | 今宵の紀念祭の祝宴で歌う力強い寮歌に感動して、熱き血潮が胸にほとばしる。頬を紅潮させた一高生の意気は上がって、明日から始まる人生の戦いに思いを馳せ、大きく息を吹くと、出陣の陣太鼓が鳴り響いて雲を払い除け、澄み切った空には満月が煌々と輝いている。 「今宵紀念の花饗宴」 「紀念の花饗宴」は、紀念祭の祝宴。紀念晩餐会、茶話会などと称して、食堂、寮庭、嚶鳴堂などで催された。紀念祭は通常は1日であったが、2日に亘って開催されることも稀ではなかった。昭和8年の紀念祭は、左翼思想取締りの嵐が吹き荒れたためか、「向陵誌」は、「2月1日、紀念祭を行ふ。」と短く記すのみである。「花饗宴」の「花」は美称。強いていえば桜の花咲く下での意。 「強き生命の祝ぎ歌に」 「強き生命」は、自治。「祝ぎ歌」は、紀念祭寮歌。 「寮歌は、我等の心の奥底にひそむ生命の力を、揺り動かしてくれる天籟である。」(昭和30年「一高寮歌集」峯尾都治・竹田復 序) 「打てば響かん我が胸ぞ」 寮歌が胸を打って、わが胸を響かせる。寮歌に感動して。 「打て此血汐我が胸に」(昭和7年「白波騒ぎ」跋詞の1) 「熱き血潮の息吹吹き 明日の戰思ふかな」 「熱き血潮の息吹吹き」は、熱き血潮に頬を紅潮させて息を吹く。「戰」は、卒業して世間に出ることを戦いといった。 「三年の夢は安かりき さながら今は長江の 河口間近くわだつみの 荒浪をきくわれ等かな」(明治43年「藝文の花」3番) 「金鼓震ひて月白し」 「金鼓」は 「月白し」は、①「月白」であれば、月が出ようとする時、東の空周辺が白く明るくなった状態をいう。 ② 「白月」であれば、光りの明るい月。曇りなく澄みきった明月、特に満月をいう。紀念祭の宴がたけなわの夜半の月と解し、②の明月とする。さすれば、「金鼓震ひて」は、意気の上がった一高生の吹く意気が雲を払い除けての意。 「 蕪村 「菜の花や 月は東に日は西に」 土井晩翠『星落秋風五丈原』 「金鼓震ひて十万の 雄師は囲む成都城」(森下達朗東大先輩「一高寮歌の落穂拾い」) |
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苔むす城の磐石に 護国の赤旗打ち立てゝ |
3番歌詞 | 苔がむした寄宿寮の堅固な大きな石に、唐紅に燃える護國旗を打ち立て、そして満州国建国で始まる新しい東亜の時代に雄叫びをあげて、東亜の大地を蹴って立とう。今も中国各地を怒濤の勢いで進んでいく我が軍の、東亜の新時代を告げる鐘の音を聞け。 すなわち、満州国建国で、新たな時代を迎えた東亜の曙に、自治の精神と護国の心が高揚して雄叫びをあげる一高生を詠う。 「苔むす城の磐石に 護國の赤旗打ち立てゝ」 「城」は寄宿寮。「磐石」は、大きな岩。きわめて堅固なこと。「護國の赤旗」は、一高の護國旗。唐紅色である。 「新時代拓く雄たけびに 東亞の大地蹴て立たむ」 「新時代拓く」は、満州国の建国をいう。「東亞の大地蹴て立たむ」は、満州国建国の新しい時代を迎え、昂揚した一高生の意気をいう。 「満蒙の戦雲漸く収まり、9月15日我國は滿洲國を正式に承認し、日滿議定書は中外に宣明せられ、東洋平和の基礎は茲に確立せり。」(「向陵誌」辯論部部史昭和7年) 「雲より雲にどよみ行く 曙の鐘友よ聞け」 「雲より雲」は、中国各地で戦線を拡大してゆく日本軍を踏まえる。「曙の鐘」は、東亜の新時代を告げる鐘。 やがて支那事変へと発展してゆく。 昭和7年 1月28日 日本海軍、上海で中国軍と交戦(第1次上海事変)。 8年 1月 3日 日本軍山海関占領。 2月17日 閣議、熱河省侵攻を決定。 土井晩翠『暮鐘』 「雲より雲にどよみ行く 名残りの鐘にきゝとらん」(森下達朗東大先輩「一高寮歌の落穂拾い」) 「満蒙の戰線はその行動の末だ終熄せられざるに一轉して上海に移り、7年1月28日を以て『支那膺懲の叫びは擧り、多年の積憤茲に爆發』す、これ上海事變にして3月3日桃の節句を以て終りを告げたり。」(「向陵誌」辯論部部史昭和7年) |
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誇の丘の三つ歳や 天翔け渡る |
4番歌詞 | かって、我が誇りの向ヶ丘では、何の気兼ねもなく、天を翔けるように自由気ままににやってきた。学問の盛んな環境の下で、真理を追究してきたし、勤倹尚武の精神に溢れた自治寮で友と語らい、頰は紅に、目は理想に輝いていた。そんな昔が向ヶ丘にはあったのだ。 「誇の丘の三つ歳や 天翔け渡る自由に生き」 「誇の丘」は、向ヶ丘。「三つ歳」は、三年という意味より、向ヶ丘の生活そのものをいう。「自由」の語は、この年の寮歌、「見よや見よや」、「手折りてし」の歌詞にも見える。それだけ自由が圧迫されてきたことを示すものであろう。 「光りの子 自由の子等」(昭和8年「見よや見よや」1・2・3番) 「自由の扉開きてあり」(昭和8年「手折りてし」終節) 「橄欖の花散らふ下 眞理の實をば探してし」 「橄欖」は、一高の文の象徴。「散らふ」は、しきりに散る。「橄欖の花散らふ下」は、学ぼうと思えば、なんでも学べる好環境の下で。芸文の花咲きみだれる向ヶ丘での意。「眞理の實をば探してし」は、真理を追究してきた。 「橄欖の花散る下に 再び語ることやある」(明治44年「光まばゆき」4番) 「柏の瑞枝繁き蔭 面は理想に耀きし」 「柏」の葉は、一高の武の象徴。「瑞枝」は、みずみずしい枝。「柏の瑞枝繁き蔭」は、勤倹尚武の精神に溢れた寄宿寮。 |
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空ゆく雲に思こめ 生の愁ひに沈みては 三年の |
5番歌詞 | 広い空を気の向くままに浮いている雲のように自由であったらいいのにと思うと、自由の無い今の世に生きてゆくことが憂鬱になる。向ヶ丘で出会った奇しき縁を祝い、永久に変わらない友情を誓って、友と酒を酌み交すのが向ヶ丘の青春である。しかし、友と心行くまで、共喜共憂の青春の杯を飲み乾すことさえ出来ないままに、三年の時が過ぎてしまった。 「空ゆく雲に思こめ 生の愁ひに沈みては」 「空ゆく雲」は、広い空をあてもなく気の向くまま浮んでいる。「生の愁ひ」は、人生の愁い。生きていくことの愁い。 「あくがれは高行く雲か」(昭和21年「あくがれは高行く雲か」1番) 「三年の縁壽ぎつ 永久の契に酒酌みし」 「三年の縁」は、たまたま向ヶ丘で出会い、一緒に向ヶ丘で三年を過ごした縁。「永久の契」は、永久に変わらない友情の誓い。 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番) 「あゝ青春の盃よ 飲み干しあへず時過ぎぬ」 「青春の盃」は、友情。「同じ柏の下露をくみて」、「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(明治40年「仇浪騒ぐ」4・2番)共喜共憂の友情。「あへ」は敢へ。動詞連用形について、・・・しきれる。すっかり・・・する。「飲み干しあへず」は、すっかり飲み乾さないままで。「時過ぎぬ」は、三年が過ぎてしまった。向ヶ丘にはもう、「天翔け渡る自由」(4番歌詞)がなかったからである。 |
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盡きぬ名殘の豊 |
6番歌詞 | どれだけ酒を飲み交わしても名残は尽きないから、健兒等よ、涙を払って、互いの友情を確かめながら、一緒に乱舞して、寮歌を歌って自治を讃えよう。我等が破邪顯正の意気は高く、見よ、祭りの篝火まで天を焼こうと高々と燃え上っているのを。 「盡きぬ名殘の豊酒に」 「豊酒」は、美酒。「豊」トヨは美称。 「愛と愛とに相よりつ 亂舞し自治を謳はんか」 「愛」は、友の愛、友情をいう。愛という語は、一高寮歌には珍しい語。「相よりつ」は、「相よりつつ」で、五語とするために「相よりつ」としたか。「愛と愛とに相よりつ」は、互いの友情を確かめながら。「謳う」は、多くの人が一斉に歌う意。転じてほめたたえる。「自治を謳う」とは、自治を讃える寮歌を一緒に歌う。 「わが愛深き白銀の」「あはれ我が愛我が力」(昭和7年「白波騒ぐ」序詞の1、同寮歌4番) 「破邪顯正の意氣に似て 祭の篝火天焼くを」 「破邪顯正」は、誤った見解を打破り、正しい見解を打ち出すこと。 「破邪の劍を抜き持ちて」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番) |