旧制第一高等学校寮歌解説
白波騒ぎ |
昭和7年第42回紀念祭寄贈歌 東大
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序詞 ○白波騒ぎ熱砂舞ふ わが愛深かき白銀の 翼根に盡きず湧き出づる 春のぬるみに ○彼等の前に多く 嗚呼空虚なる充實よ かくて |
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原譜はハ長調またはイ長調となっていたが、この譜は現譜と同じイ長調とした。11箇所の複付点2分音符は、ソフトの関係上、表記不可能なので、付点2分音符と8分音符をタイで結び代替した。 変更箇所はなく、現譜はこの原譜に同じである。MIDI演奏も左右とも同じです。 この複付点音符のお蔭で、この歌は「ゆるやかに」というより、「だるーく」なってしまうのは私だけか。曲想文字にある「朗らかに」とは、この寮歌は歌えない。作曲は、大學も既に卒業していた矢野一郎である。作詞の平木恵治オンケルのために特別に作曲したのだろう。曲頭の「朗らかに且つゆるやかに」の曲想も、また「空虚なる充實よ」に代表される歌詞も哲学的で難しい。この寮歌は、今は「序詞」しか歌われない。 |
語句の説明・解釈
「表現内容は、神話や古代史の故事等を踏まえたと思われる個所が頻出し、明快な解釈は困難である」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。名だたる日本文学者でもそう感じるのであるから、しがないサラリーマンに過ぎなかった薄学浅才の私にはこの寮歌の解釈は、極めて難しい。(若い頃、四国の小さな書店で買った呉 茂一著「ギリシャ神話」の埃を払いページをめくってみたが、ポンコツとなった今の頭には読む気力さえなかった)。作詞者自身の解説(末尾掲載の井下登喜男一高先輩や森下達朗東大先輩のコメント参照)を参考に、無理を承知で、この難解極まる寮歌の説明解釈に努力してみた。 まず、この難解な歌詞を理解するために、一高同窓会の解説書の註書を転載させていただく。 「第二、第四節にはギリシャ神話に語られているプロメテウスとヘラクレスに関する次のような神話が踏まえられているらしい。プロメテウスは神的巨人で人間を愛し、神の火を盗んで人間に与えた。その罰としてゼウスはパンドラをプロメテウスの弟エピソテウスにあたえ、人間の間に不孝を生じさせた。一方、プロメテウスを鎖で縛ってカフカズの絶壁に掛けておき、鷲に毎日彼の生き肝をついばませた。食われた肝は夜のうちにもとの通りになる。長い年月のうちに英雄ヘラクレスが来て鷲を射殺し、プロテウスを助けおろした。」 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
白波騒ぎ熱砂舞ふ |
序詞の1 | 白波騒ぐ海、熱砂舞う沙漠と、幾つもの世界を時空を超えて、こんなに遠くまで天駈けてきたビーナス。私が深く愛するビーナスの真白に輝く翼根に、こんこんと湧き出す春のぬるみに、全ての物よ、春の命を甦らせよ。 「白波騒ぎ熱砂舞ふ 幾界こゝだく天駈けし」 「こゝだく」は、「ここだ」(幾許)に副詞をつくる語尾「ク」のついた形。こんなに数多く。こんなに甚だしく。 「わが愛深き白銀の 翼根に盡きず湧き出づる」 「白銀の翼根」は、ビーナスの翼の根。作詞者自身のいうビーナスはローマ神話の神、ギリシャ神話ではアフロデイテ。ビーナスには翼がないので、「翼根」は胸元、湧き出づるものは「乳」であろう。「わが愛深き」とか、一高寮歌にはない語および発想である。 「筑波根あたり霞籠め 彌生が岡に草萌えて 春のみ神はきょうここに 祭の庭におとづれぬ」(明治36年「筑波根あたり」1番) 「柏の蔭の客人に 眞白き翼生ふと見ぬ」(大正7年「霞一夜の」1番) 「智惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ」(大正15年「烟争ふ」1番) 「われらの命の芽生えの地 われらの心のみのれる地」(大正5年「われらの命の」1番) 「我が搖籃の故郷と 今宵別れの花筵」(昭和10年「嗚呼先人の」3番) 「わが愛深き白銀の翼羽=Venus(Venusに翼はあるか?) 作詞者はVenusが四季の回帰を司ると考えていた。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」) 「春のぬるみに萬象よ 命さびすと蘇れ」 「さび」は接尾語、体言について上二段活用の動詞をつくり、そのものにふさわしい、そのものらしい行為・様子をし、また、そういう状態であることを示す。「命さびすと蘇へれ」とは、本来の命、春の命を蘇れの意であろう。 「男さびして勇ましく」(大正8年「撃劍部部歌」5番)。 「男さびせよ蟷螂も 龍車に向ふ意氣地あり」(大正6年「比叡の山に」9番)) 「春甦るときめきに 燃ゆる若樹の光より」(大正9年「春甦る」1番) |
彼等の前に多く |
序詞の2 | 人類は、生活の向上のために自然に創意工夫を施し文化を発達させ、その結果、文化遺産として多くのものを後世に残してくれた。そのうち、芸術は、人の心を豊かにしなかなかに良いものであるが、科学は、人の生活を豊かにしてきたが、弊害もあり、その対策が遅れているようだ。すなわち、人類は、豊かで便利な物質文明の建設により生活を充実させてきたが、一方で戦争や自然破壊により、人類の生活を悲惨な空虚なものとしてきた。人類は、このように建設と破壊を同時に行いながら歴史を歩んで来たのである。 「彼等の前に多く建設て 彼等の後に曝しけり」 「建設」は寮歌の作詞作曲、「曝す」は寮歌集として発行したことと解し、「一高の先輩たちは、多くの寮歌を作り、寮歌集として残してくれた」とするのが通説のようであるが、後述する作者自身の「嗚呼空虚なる充實よ」の解釈と繋がらない。「建設」は、自然に手を加えて進歩向上を図ってきた成果。文化。「曝しけり」は、多くの文化遺産を残してくれたことをいうと解する。 「吟歌こそ美けれなかなかに 思慮こそ一歩鈍しかも」 「吟歌」は寮歌、「思慮」は理性などと解するのが通説のようであるが、私説は、「吟歌」は文芸などの芸術。「思慮」は科学の進歩による弊害の対策、配慮をいうと解する。 「先輩たちの遺してくれたよき伝統、寮歌の数々に比して、現寮生の知性は一歩見劣りがし」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「嗚呼空虛なる充実よ」 「空虚」は破壊。「充実」は建設。 「溟滓る胸の扉を秘めて 空虛に醉はんときもがな」(昭和5年「溟滓る胸の」1番) 「人類は充実させつつあるつもりでも、戦争や自然破壊を行っているの意」」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」) Goethe『Faust第一部天井の序曲』 「(Mephisto)せめてあいつらに天の光の影などお与えにならなかったら、・・・人間はそれを理性などと呼んで、それはただ、どんな獣より獣らしくなることに利用するんです。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」) 「『空虚』と『充実』が混淆していることを警告」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
此森深かく |
1番歌詞 | 夜空の星が、散り落ちる桜の花びらに、「向ヶ丘はほんとうに静かだ。この森は沈滞しきっている」と囁いた。一高は、古い伝統に安住して、向上心を忘れ、深い眠りについているので、一高の目を醒まさせるのはたいへんに難しい。 「此森深く沈黙棲み」 「此森」は、向ヶ丘。「沈黙」は沈滞をいう。後述する対三高戦の不振(端艇部を除く三部敗北)を踏まえるか。 「落花に星のさゝやきぬ」 「落花」は、桜の花びら。「星のさゝやきぬ」は、星の光が落花の花びらに光ったさまを、囁いたと表現。 「清水の岩の苔の香に 巨人は眠り深ければ」 「清水」は、清い流れ。伝えの自治、「岩の苔」は、古き伝統と解す。「巨人」は、一高(作詞者の解説)。 「豊かな可能性を蔵する後輩達を『巨人』に喩えつつ」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「いとたゆみなき安逸の 眞黑き帳重きかな」 「たゆみなき」は、途絶えることがない。「安逸」は、向上の目標とか、高い人生計画を持たずに毎日を過ごす様子。「眞黑き帳」は、眠りの深いことを喩える。「重きかな」は、一高の目を醒まさせるのは難しい。 |
高嶺に叫び吹き狂うふ 北風凍る巖の上に 彼の雷電と悍鷲を 男さびして討ち斃し |
2番歌詞 | ゼウスの怒りに触れたプロメテウスは、凍てつくような寒風が吹き荒ぶコーカサスの高山の岩山に鎖でつながれ、毎日大鷲に肝臓を啄まれ、苦しみに喘いでいた。旅の途中、ここを通りかかったヘラクレスが、義侠心を発揮して、ゼウスとゼウスの聖獣である獰猛な大鷲を射ち落とし、プロメテウスを縛っていた鎖を解き助けた。プロメテウスは、かって人間に火を与えたように、人間の生活に役立つ有益な技術を教え、人間に奉仕するであろう。 「高嶺に叫び吹き狂うふ 北風凍る巖の上」 ゼウスの怒りに触れたプロメテウスが、ゼウスに命じられた権力の神クラトスと暴力の神ビアーによりコーカサスの岩山に鎖でつながれ、大鷲に毎日、彼の肝臓を啄ませたギリシャ神話を踏まえる。 「彼の雷電と悍鷲を 男さびして討ち斃し」 旅の途中のヘラクレスが大鷲を射ち落とし、プロメテウスを助けたというギリシャ神話を踏まえる。「男さびして」は、義侠心を発揮して男らしく。「雷電」は、天空神として雷を支配し、雷霆と金剛の鎌を武器としていたゼウス。「悍鷲」は、猛鷲の意、ゼウスの聖獣である。作詞者自身も「雷電」はゼウス、「悍鷲」はゼウスの従者とするが、ヘラクレスが、神々と人間の父ゼウスを討ち斃すのは独創的である。ちなみにヘラクレスはゼウスの子である。プロメテウスはゼウスの秘密(「ゼウスが思いを寄せるテティスとの間に子供を作ったら、その子はゼウスよりも偉くなる」という将来の秘密)を教え和解し、ヘラクレスにも咎めはなく、武勇伝として後世に伝えるために、射殺された鷲と矢は、ゼウスにより天空に上げられ、「わし座」、「や座」になったといわれている。 「眞理の父の就縛を 解き人間に奉仕かん」 「眞理の父」は、プロメテウス(作詞者の解説)。ゼウスの戒めを破って、人間に火を与え、その他、数、建築、気象のことを教えた。「就縛」は、罪びとなどが捕らえられて縛られること。「人間に奉仕かん」は、プロメテウスが人間に役立つことを教えたように、一高生は、世のため人のため、尽くさなくてはならないと諭すものであろう。「奉仕かん」の「ん(む)」は、三人称の動作についた場合は、予想・推量を表す。 |
3番歌詞 | ものの存在を認識する時間と形と感覚を遙かに超えた絶対的な存在である霊魂のように、霊験あらたかな神通力を持った一高生よ。あの濁った渤海湾も、そこに注ぐ黄河の水源を清めるように祈れば、黄河の水は澄み、渤海湾の水もきれいに澄むという。世を導く向ヶ丘の水を清く保って、日本が清く澄むように祈ろう。 「時間と形象と感覚の 霞烟を超越えし靈魂の」 「時間と形象と感覚」は、人が物質の存在を認識するための要素をいう。「霞烟を超越し」は、霞の彼方をはるか超えた。霊魂は、人間の認識を遙かに超えて存在するが、認識は出来ない。 「幽玄無比の森の兒よ」 「幽玄無比」は、比べるものがない程、奥深くて霊妙なこと。「森の兒」は、一高生。一高生が霊験あらたかな神通力を持っているかのようである。 「彼の濁り江の渤海も 黄河の水の源泉を 潔め畏れば澄むといふ」 百年俟二河清一(黄河の水は常に濁っているが千年に一度澄むという)伝説を踏まえる。「渤海」は、渤海湾で遼東半島と山東半島に囲まれた海域。黄河は山東省北部で渤海湾に注ぐ。向ヶ丘をこの黄河の源泉に喩え、向ヶ丘の水が清ければ、日本全体も清くなるであろうという意。 「湧きくる水も時折に 濁るといへど水源の 清き心にいつも澄む」(明治44年「オリンパスなる」3番) 「黄河の水のそれならで 澄むべき時はいつなるぞ」(明治45年「天龍眠る」5番) |
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覺めずや巨人 |
4番歌詞 | 一高生よ、目を覚ませ。人間である君たちは、神のように尊く侵しがたい存在ではないのだ。勝利の扉は重いけれども、ああ、母校を愛する心と我が力を信じ、頬を紅潮させながら勝利に向かって、限りなき努力をすれば、勝利の栄冠は我らのものとなる。 「覺めずや巨人人間に尊嚴の名は許されぬ」 一高よ、目を覚ませ。人間である君たちは、神のように尊く侵しがたい存在ではないのだ。作詞者は「巨人」を一高、「尊嚴の名は許されぬ」はルネッサンス(人間性の尊重、個性の解放)という。「尊嚴」は、尊くて厳かで侵しがたいこと。4番歌詞は、昭和6年6月の総代会以来、半年の長きにわたり寄宿寮を大いにゆるがした「三高戦廃止問題」を踏まえるか。二年連続の三部勝利のこの年、悲願の四部全勝を目指したが、結果は端艇部だけの勝利に終わり、三部敗北の惨めな戦績であった。「対三高戦応援費を自由拠出とする件」、「対三高戦廃止を提案する件」等が総代会に提案され、議決されそうになったが、提案者が左翼学生であることがばれ、かろうじて議決を免れた。そんなくだらい議論に明け暮れている場合かと、一高生を叱咤しているように聞こえる。 「幸の扉は重けれど あはれ我が愛我が力」 「幸」は、勝利。「幸の扉は重けれど」は、勝利を得るには、血の滲むような努力が必要の意。「我が愛我が力」は、母校を愛する心と必死の努力で対校戦に臨むこと。 「勝利を赤き頰に吹きて 無限を汝は餞ん」 「勝利を赤き頰に吹きて」は、勝利に向かって頬を紅潮させて。「無限」は限りない努力、猛練習。「餞」は、その方向に鼻をむけること。 |
5番歌詞 | おしなべて真理追求の旅に疲れた一高生達よ。橄欖の谷深く芸文の花咲く君たちの魂の花園で身を休めよ。覚めれば、また真理追求の旅に出かけるのだから、ぐっすりと眠りなさい。若さゆえの不安があったら、 「凡べて疲れし同胞よ 憩へ橄欖の谷深く 汝が魂の花園に」 「橄欖の谷」は、向ヶ丘。学園。「橄欖」は一高の文の象徴である。ルビはオリーブでなくカツラ。中国で月中にあるという想像上の樹。何故に「かつら」とルビしたか不明。真理を求める旅は、光り(真理)がないので暗闇が多い。真理に導く月夜の明りの意味で橄欖を「かつら」といったか。「魂の花園」は、寄宿寮。 「桂の花に月更けて 霞も匂ふ丘の上」(大正12年「夕月丘に」3番) 「眠れいざ又旅行かば」 「旅」は、真理追究の旅。 「さやけき夢の圓かなれ さめては水脈の末遠く 力の調べ音に搖りて 眼路縹渺の旅に行け」(昭和5年「溟滓る胸の」3番) 「若き敬虔に枝ゆりて 實の紅を手折れかし」 「實の紅を手折れかし」は、真理が得られるように知恵をつけるがよい。橄欖の実は、真理を得るために必要な知恵。「手折る」は、折レ桂。進士の試験に合格すること。ここでは真理を得ることの意。「かし」は、強めの助詞。ここでは一高生に対する依頼、要請の意。月の桂の實は知る由もないが、日本に植生する桂の木は、春先、暗紅色の花をつける。實は帯黒紫褐色である。 |
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嗚呼見も知らぬ顔の 久遠の旅を群るゝとき 柏葉かざす |
6番歌詞 | 見も知らない顔の者と一緒に群れになって真理追求の旅をする時、三つ柏の帽子を被った一高生と出合ったなら、互いに笑顔の挨拶を交わすことを忘れないようにしよう。年中緑の色を変えない柏の葉のように、我が志操も変ることなく堅固でいたいものだ。 「嗚呼見も知らぬ顔の 久遠の旅を群るゝとき」 「見も知らぬ顔」は、一高生以外の真理追究の旅人。「久遠の旅」は、真理追究の旅。 「柏葉かざす額あらば かたみに笑顔忘れじな」 「柏葉かざす額」は、三つ 「綠が中にうつろはぬ 我の姿の息吹かずや」 「うつろはぬ」は、色が褪せない。志操堅固の意。「我の姿の息吹かずや」は、常に緑濃き柏葉に我が志操を重ね、志操の変ることなく堅固でありたいと願う。柏葉は落葉樹であるが、他の木のように秋に落葉せず、春に新芽が芽吹いてから枯葉が落葉する。葉の色は、実際には年中綠色でないが、寮歌では、コノテガシワなどの常緑樹のように年中、緑であるかのように詠う。「息吹く」は、呼吸する。 |
聞けよ |
跋詞の1 | 聞け、紀念祭に鳴り渡る自治の鐘の音を。見よ、国を護る一高生が焚く篝火の炎を。打て、我が胸に血潮を滾らせよ。一高生よ、紀念祭の夜だ。何度も杯を交わして、身も心も全て、二度と返らぬ青春に酔い痴れて欲しい。 「聞けよ紀念祭の自治の鐘」 「自治の鐘」は、実際の鐘でなく、紀念祭が盛んであることを喩える。 「見よや衛士焚く篝火の焰」 「衛士」は、兵衛および衛門の兵士。ここでは一高生。葉守の神が柏の木に宿るとの伝説から、一高の武の象徴の柏葉の木は宮城を守る「兵衛」および「衛門」を指す。 「打て此血汐我胸に」 血潮を胸に滾らせよ。 「乾せど底無き觴の 我てふものゝ全部もて」 「乾せど底無き觴の」は、何度も杯を交わして。「我てふものゝ全部もて」は、全身全霊。身も心も。 「青春の幸掬はなん」 「青春の幸」は、二度とない青春。「掬はなん」は、掬い取ってほしい。酔いしれて欲しい。「なん」は、希望の終助詞。動詞等の未然形について、話しかける相手に、動作・作用の実現を望む意を表す。 |
醒めし晨の |
跋詞の2 | 紀念祭の興奮から醒めた朝、喜びに、若者を悩ませていた愁いがようやく晴れた。ほんの短い命の人という小さな生き物が、感動して血湧き肉躍れば、ときめく小さな胸に大きな宇宙をも飲みこんでしまう。 「醒めし晨の歡喜に 若きむすぼれ今解けし」 「醒めし晨」は、紀念祭の興奮がさめた翌朝。「むすぼれ」は、晴々しないこころ。ふさいだ心。 「此のたまゆらの人といふ 小さきものゝわななきに」 「たまゆらの」は、ほんの短い間。「わななき」は、普通、恐怖や怒り、寒気に震える意であるが、ここでは喜びに震える意。 「魂騰き流れ擴充れば 胸にときめく乾坤かな」 「魂騰き流れ擴充れば」は、心が躍り熱い血潮が湧いて全身に滾れば。血湧き肉躍れば。「乾坤」は、天地。人間という小さな生き物が、果てしない宇宙をも胸に飲みこんでしまう。気分爽快、気宇壮大なことをいう。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 一高というものを真底から知り、且つ愛したその人の、胸にあふるる思いを、寄せたこの寮歌は、全体で晦渋となりながらも、時々閃くような理智と、情熱の光を放射する。 | 「一高寮歌私観」から |
園部達郎大先輩 | 戦後、オンケル(作詞者)から『ギリシャ神話』の厚い本を渡され、『白波騒ぎ』は、ギリシャ神話を下敷きにして作ったが、『忘れてしまったから一緒に勉強しよう。』 悪戦苦闘した覚えがある。 | 「寮歌こぼればなし」から |
井下登喜男先輩 | この歌は、作詞者によると、序詞から本詞の4節まではギリシャ神話。本詞の5節以下は一高礼賛を歌っている由(会誌『向陵』21巻1号1979.4)。ロゴス中心の世界像になり過ぎると、人間の性情変質を早める危険なことになるので、やはりビオス〈生命)中心主義的世界像に移行し、均衡を保った存在にならねば破滅する、という思想。 | 「一高寮歌メモ」から |
森下達朗東大先輩 | (作詞者平木恵治の自作解説を紹介) ◇序詞・・・「白銀の翼根」はビーナス、「彼等」は人類を意味している。「空虚なる充実」は、」人類は充実させつつあるつもりでも、戦争をやったり、自然の破壊を行ったりしているという思想を表現した。 ◇一・・・一高が沈滞より醒めよと叫んでいるわけで、「此森」は向陵のこと、「巨人」も一高を意味している。 ◇二・・・「雷電」はゼウス、「悍鷲」はゼウスの従者、「真理の父」はプロメテウスのことである。このことは、後のルネッサンスにつながる。 ◇三・・・「潔め畏れば澄むといふ」は願望で、澄むようにしてくれという趣旨である。「森の兒」はもちろん一高健兒である。 ◇四・・・多分にシラー主義的になっている。「尊厳の名は許されぬ」はルネッサンスを意味し、封建的思想に対し人間の生存と表現の自由、知性をを回復することになる。 ◇五・・・「枝ゆりて」の枝は橄欖の枝である。5以降は専ら一高礼賛で、自我の目覚めにつながる当時の自分の感慨を述べている。 |
「一高寮歌解説書の落穂拾い」から |