旧制第一高等学校寮歌解説

ふるさとの歌の調べに

昭和6年第41回紀念祭寄贈歌 東大

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1、ふるさとの歌の調べに  今日もわれ岡に上りぬ
  白雲は木末わたりて   希望(のぞみ)湧き血潮燃えずや
  若き血と力の誇り     (あめ)焦がす男の子の意氣に
  (おも)は焼け土にまみれつ  捷ち護らむ勝利の王座
  向陵 向陵         そは永久(とは)にわれがふるさと
  永久(とは)()りゆくわれらが  向陵 向陵
*「われがふるさと」は昭和50年寮歌集で「われらがふるさと」に訂正(2,3番も同じ訂正)。

3、ふるさとの橄欖(オリーブ)の森は  常にわが理想の象徴(しるし)
  濁りゆく國の思潮(ながれ)を    導きて光る北斗星(ほくと)
  あゝ告げむ今ぞ暁     朝日さす向ヶ岡に
  護国の旗をかゝげん    健兒の歌今ぞ歌はむ
  向陵 向陵         そは永久にわれがふるさと
  永久に守りゆくわれらが  向陵 向陵
3段6小節の音は原譜では高い「ソ」であったが、誤植と見て高い「ド」に変更した。楽譜下歌詞  誤植と見て、「かーちえらむ」を「かーちもらむ」に、「しょうりのわうざ」を「しょうりのをうざ」に変更した。 「向陵」の漢字は、原譜のままである。強調の意味であろう。楽譜下歌詞「をかのしらべ」(1段)の「をか」は、「うた」の間違いであるが、現在の寮歌集でも「おか」であるので、そのままにした。

作曲は長内 端(7曲目、この年3曲作曲)。アウフタクト弱起の曲である。昭和10年寮歌集で次の変更があった。(小節数は弱起の小節もカウント)
1、「けーふも」の「ふも」(1段6小節1・2音) 
 1音は付点2分音符に 2音は8分音符に。スラーの位置が「けー」から「-ふ」にズラした。
2、「のーぞみわき」の「ぞみ」(3段3小節1・2音)
 1音は付点2分音符に、2音は8分音符に。
3、最後の「向陵向陵」の「陵向陵」(5段4小節)
 1音4分音符を2つの8分音符に、4音を4分音符に訂正し不完全小節とした。フェルマータはそのまま。
*昭和10年寮歌集で、2段1小節1音、同4小節1音、同5小節1音、5段2小節1音の各付点2分音符は、付点をとり2分音符(不完全小節)と変ったが、昭和50年寮歌集で元に戻った。印刷ミスの可能性が高い。

 「向陵 向陵 そは永久にわれらがふるさと 永久に守りゆくわれらが 向陵 向陵」と1、2、3番で繰り返す。一高の正門看板を最近まで自宅に保管していた熱烈な向陵オンチであったあの遠藤一高先輩ですら、一緒に歌いながら「これだけくどくなると、ちょっと辟易するなあ。」とおっしゃっていたのを思い出す。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
ふるさとの歌の調べに 今日もわれ岡に上りぬ 白雲は木末わたりて 希望(のぞみ)湧き血潮燃えずや 若き血と力の誇り (あめ)焦がす男の子の意氣に (おも)は焼け土にまみれつ 捷ち護らむ勝利の王座 
向陵 向陵 そは永久(とは)にわれがふるさと 永久(とは)()りゆくわれらが 向陵 向陵
1番歌詞 故郷の向ヶ丘から聞こえてくる寮歌の歌声につられ、今日もまた向ヶ丘にやって来た。梢の向うに棚引く白雲を眺めていると、希望が湧き、血潮が燃える。若い情熱と力を誇示して、天をも焦がす男児の意気に顔は焼け、土に塗れながら、勝利を勝ち取って王座を護ろう。
向陵、それは永久に我が故郷であり、永久に守ってゆくべき我らが向陵である。

「ふるさとの歌のしらべに」
 「ふるさと」は、向ヶ丘。「歌」は一高寮歌。「歌の調べ」は、紀念祭寮歌。

「今日もわれ岡に上りぬ」
 「岡」は向ヶ丘。一高は東大に隣接。昭和10年まで本郷・一高は、現在の東大農学部の敷地にあった。「登りぬ」は、向ヶ丘に登った。普通は入学をいうが、ここでは、訪れたの意。

「白雲は木末わたりて」
 「白雲」は、理想を喩える。「木末」は、梢。幹や枝の先の部分。「木」は、橄欖や柏の木か。

「面は焼け土にまみれつ」
 「土にまみれつ」は、ユニフォームが土で真っ黒になるまで練習を重ねる運動部の猛練習をいうものであろう。

「捷ち護らむ勝利の王座」
 昭和5年8月17日 対三高野球戦(寝屋川球場)は、4-2で一高の勝ち、陸運を除く端艇部、野球部、庭球部の三部、2年連続優勝。待望の四部優勝は、昭和9年8月19日まで待たねばならなかった。

「そは永久にわれがふるさと」
 「われが」は、昭和50年寮歌集で「われらが」に変更された(2番、3番歌詞も同じように変更)。  
ふるさとの銀杏の街は 黄金なし秋を實れど 永垣(とこしへ)眞理(まこと)きはめむ わが使命(つとめ)いよよはろけし 果しなき思索(おもひ)に凭れば 苔古りし岡の高樓 今も猶昔偲ばゆ 光榮(はえ)歴史(ふみ)涙の跡も 向陵 向陵 そは永久にわれがふるさと 永久に守りゆくわれらが 向陵 向陵 2番歌詞 故郷の本郷の街の銀杏は、秋となり見事に黄葉し実をつけたけれども、真理を究めるという我が使命の道のりは、遙かに遠いものである。果てしなく思いを巡らすと、先人が血と涙で築いた光栄の歴史が偲ばれて、苔むした一高寄宿寮の昔を今も尚懐かしく思い出す。

「ふるさとの銀杏の街は 黄金なし秋を實れど」
 「銀杏の街」は、一高のある本郷の街。 「黄金なし」は、黄葉し。「なし」は、成し(為し)の意。あるいは、状態を表す語(ここでは「黄金」)についてク活用の形容詞をつくって、程度の甚だしい意をあらわす接尾語「なし」と解することも出来る(ただし、終止形となり、次の「秋を實れど」との続きが問題となる)。両者の意味にそれほどの違いはない。

「永恒の眞理きはめむ わが使命いよよはろけし」
 真理を極めるのが一高生の努め。しかし、その道のりは、果てしなく遠いものである。

「苔古りし岡の高樓」
 「苔古りし」は、長い伝統と歴史を有す。「高樓」は、一高寄宿寮。
ふるさとの橄欖(オリーブ)の森は 常にわが理想の象徴(しるし) 濁りゆく國の思潮(ながれ)を 導きて光る北斗星(ほくと)か あゝ告げむ今ぞ暁 朝日さす向ヶ岡に 護国の旗をかゝげん 健兒の歌今ぞ歌はむ
向陵 向陵 そは永久にわれがふるさと 永久に守りゆくわれらが 向陵 向陵
3番歌詞 故郷の向ヶ丘の橄欖の森は、今でも我が理想の象徴である。橄欖は、濁りゆく我国の思想の流れを、正しい方向に導いて光る北斗の星のようである。諸君に告げよう。今、夜が明けた。朝日のさす向ヶ丘に護国の旗を立て、寮歌を歌って、いまこそ、この国を護ろう。

「橄欖の森 常にわが理想の象徴」
 「橄欖の森」は向ヶ丘。「橄欖」は、一高の文の象徴。「わが理想の象徴」は、橄欖が常緑であることから、志操堅固、不滅の真理、智惠に喩えられること。「橄欖」は、我が理想であり、国の針路を示す北斗星であるという。

「濁りゆく國の思潮」
 左翼思想弾圧、学問の自由圧迫、軍の跋扈、右翼テロ、疑獄事件と言論の圧迫などを踏まえる。なお、この年、昭和5年は世界大恐慌が日本に波及して産業界は大幅な操業短縮に追い込まれた。この不況は昭和7年頃まで続いた。また、大阪のカフェーが東京・銀座に進出、「エロ・グロ・ナンセンス」の語が流行語となった。「思潮」は、思想の流れ。その時代の人々が抱く思想の傾向。
 昭和5年 4月 4日 文相、各帝大総長と思想問題について協議。
        9月下旬  陸軍中佐橋本欣五郎ら、桜会結成。
               桜会の一部将校・大川周明らは、翌年3月、軍部クーデター
               による宇垣内閣樹立を企図、未遂。
       11月14日  浜口首相、東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され、重傷。
               翌年8月26日62歳で没。
       12月15日  都下15新聞社、政府の疑獄事件関係の言論圧迫に反対し、
               共同宣言発表。

「導きて光る北斗星」
 「北斗星」は北極星。日周運動によりほとんど位置を変えないので方位および緯度の指針とされてきた。寮歌では行くべき進路、理想、目標、真理を啓示する星として歌われる。
 「遙かに見ゆる明星の 光に行手を定むなり」(明治34年「春爛漫の」5番)*「明星」は北極星。

「あゝ告げむ今ぞ曉 護國の旗をかゝげん 健兒の歌 今ぞ歌はむ」
 「濁りゆく國の思潮」を阻止し、今こそこの国を守らねばならないとの意であろう。「曉」は夜が明けようとして、まだ暗いうち。 「護國の旗」は、一高校旗であり、護國は一高の伝統。「健兒の歌」は寮歌。「旗をかゝげん」も「歌はむ」も、国を護ろうとする一高生の意気をいう。
                        

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