旧制第一高等学校寮歌解説

朝あくる

昭和6年第41回紀念祭寮歌 

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        1 
     朝あくる  宇宙の静謐(しじま)
     黑き大地(つち)  われたちてあり
     みはるかす地平の果に
     生れ出づ  あかき星あり
     次の時代(とき)  わが思想(むね)にあり

        2
   一、丘 ー (はな)亂れ咲き    胸高き若草の風
      生命(いのち)する春のときめき   若き兒に(うた)あり

   二、月冴ゆ八寮の(いらか)     眞理する夜星(よづゝ)の散らひ
     (ふみ)抱き夜を仰げば     若き血に(おもひ)あり

        3
      たまゆらの三年の春を
      涯しなき廣野にありて
      あやなれどまよふ幸ひ
      (かしは)老ゆ四十一年
      今宵いざ歌ひ明さむ
長内 端はこの年2曲、通算6曲目の寮歌である。譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。
D.C.(ダ・カーポ)は反復記号。曲の終わりにD.C.とある時は、曲の最初にもどり、この場合はFine(フィーネ)の記号のあるところで終わる。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
朝あくる 宇宙の静謐(しじま) 黑き大地(つち)  われたちてあり みはるかす地平の果に 生れ出づ  あかき星あり 次の時代(とき)  わが思想(むね)にあり 1番歌詞 天も地も物音ひとつしない、朝明けの静寂の中で、自分は黒い大地にしっかりと立っている。遙かに見渡す東の地平線の彼方に誕生した赤い星が光っている。次の時代は、自分の信じる社会主義の時代がきっと来る。

「朝あくる 宇宙の静謐」
 「朝あくる」は、暗黒(資本主義)の朝が明ける。社会主義社会の到来を暗喩する。「宇宙の静謐」は、萬象静寂のさまをいうが、これも革命前の静かさを喩えるものであろう。

「黑き大地われたちてあり」
 「黑き大地」は、左翼思想取締りの厳しい環境を暗喩するか。「黑」は、「赤き星」の「赤」に対す。「たちてあり」は、志操堅固なことをいう。思想取締りがどんなに厳しくなっても、自分は大地にしっかりと立って、社会主義の固い信念は揺らぐことはない。

「みはるかす地平の果に」
 遙かに見晴らす地平線の彼方に。「みはるかす(見晴るかす)」は、はるかに見渡す。見晴らす。

「生れ出づ あかき星あり」
 「あかき星」は、東の空に輝く明けの明星。ソビエト・ロシアを喩える。昭和4年4月23日 ソ連は第16回党協議会で、第1次5ヶ年計画(最上案)を採択した。10月24日ニューヨーク株式の大暴落に端を発した大恐慌で、世界の資本主義国が大不況に苦しんでいる時、ソ連の経済発展計画は、世界中から注目された。特に、若き左翼学生・生徒にとっては、地上に実現した楽園と映り、ますます憧れを抱いたのであった。 
   
丘 ー (はな)亂れ咲き 胸高き若草の風 生命(いのち)する春のときめき 若き兒に(うた)あり 2番歌詞
向ヶ丘 ー 丘には桜の花が咲きみだれ、若草はすくすくと勢いよく伸びている。ものみな春に生命が甦り、活き活きと活動を始めた。若い一高生も、春に胸ときめかせて、紀念祭寮歌を歌う。

「胸高き若草の風 生命する春のときめき」
 「胸高き若草の風」は、勢いよく高くすくすくと伸びる若草のさま。「生命する春のときめき」は、春に甦った生命が活き活きと活動しているさま。

「若き兒に詩あり」
 「若き兒」は、一高生。「詩」は、紀念祭寮歌。若くて感受性の強い一高生は、春に時めいて寮歌を歌う。
月冴ゆ八寮の(いらか) 眞理する夜星(よづゝ)の散らひ (ふみ)抱き夜を仰げば 若き血に(おもひ)あり 寄宿寮の甍の上に月の光が澄み、夜空に星がまたたいて真理をささやく。故郷の両親からの手紙を懐に抱き、夜空を仰げば、若い一高生に旅情がこみ上げてくる。

「月冴ゆ八寮の甍」
 「冴ゆ」は、光りが澄む。「八寮」は、一高の八棟の自治寮(東・西・南・北・中・朶・和・明寮)

「眞理する夜星の散らひ」
 「眞理する夜星」は、真理を黙示する夜の星。「夜星」のルビ「よづゝ」からは「夕星(ゆうづつ)」(宵の明星)が想像されるが、夕星が輝くのは太陽が沈んだ後の短時間である。月が冴える頃は、既に夜空から消えていると思われる。「星」の特定は難しいが、晩秋から冬の季節とすればオリオン座の星か。「散らひ」は、「散り」に反復継続の接尾語「ヒ」の付いた形。しきりに散る。
 「仰ぎ見る銀河のあたり 星みだれ眞理し語る」(昭和3年「さ霧這ふ」3番)

「書抱き夜を仰げば 若き血に想あり」
 「書」は、手紙。2番の三に「望郷の思もほのかに」とあるので、手紙は故郷からのものであろう。「若き血に想あり」は、「想」は、旅情。旅先(向ヶ丘)でのしみじみとした思い。「若き血」は、一高生。
 「書いだき遠く望めば 故郷のおもひまどかに」(昭和3年「さ霧這ふ」2番)
心琴(むね)深くゆるゝ虫の音 (きら)ふ灯の(あか)きたゆたひ 望郷の(おもひ)もほのかに 若き兒に(さび)あり  秋の夜長を悲しそうに鳴き通す虫の音が胸に深く響く。向ヶ丘に霧が立ち込めて、寄宿寮の窓の灯が揺らめいている。望郷の念がほのかに湧いてきて、一高生に淋しさがよぎる。

「心琴深くゆるゝ虫の音」
 「虫」は、秋の夜長を鳴き通して死んでいく。そのはかない虫の命に、左翼思想取締りで何時処分を受けるかもしれない我が身を重ねる。「心琴」は、心の琴。心の奥に秘められた、感度し共鳴する微妙な心情を奏でる。
 「露しげく、搖るゝ虫の音」(昭和3年「さ霧這ふ」1番)

「霧ふ灯の明きたゆたひ」
 「霧ふ」は、「霧らひ」(「霧リ」に反復継続の接尾語ヒのついた形)の連体形。霧が立ち込める。「たゆたふ」は、ゆらゆらと動く。「灯」は、寄宿寮の窓の灯であろう。

「望郷の思もほのかに」
 「故郷のおもひまどかに」(昭和3年「さ霧這ふ」2番)

「若き兒に寂あり」
 「寂」は、ここでは、さびしさの意。
 「『さびしさ』の意か、それならば古語の意味と若干ずれる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
()てわたる(あさ)の鋭さ 先翔(さきか)ける鳥、北を指す (ふか)眠る(まち)(のぞ)みて 若き血に(いきどほり)あり 凍てつくような厳しく寒い朝、先を急ぐ雁は、我らが憧れているソビエト・ロシアの北を目指して帰ってゆく。労働者を搾取して栄耀栄華に耽っている資本家や大衆を痛めつけている権力のことを思うと、一高生に義憤の血が滾るのである。

「凍てわたる曉の鋭さ」
 一高の左翼学生大処分、共産党を始めとする全国的な左翼思想大弾圧をいうものであろう。「曉」とは、夜が明けようとする、まだ暗いうちをいう。紀念祭直前の1月、一高内の左翼組織が発覚し、18名の寮生が順次、元富士署に召喚され取り調べられたことを踏まえる。
 昭和5年 3月31日  学校、一高社会科学研究会幹部ら23名の第2次大量
                処分発表。
        5月 2日  思想問題で4名追加処分。
       11月13日  学校、思想問題で18名の第3次大量処分。 
    6年 3月13日  学校、思想問題で19名の第4次大量処分発表。
                放校1名、除名3名、停学11名、戒飭4名。
                (3月13日、4月1日、20日付)
 「これ(紀念祭)より先1月一高内の左翼組織が發覺し18名の寮生が順次、本富士署に召喚され取調べらる。・・・該事件は同年4月に至り、放校1名、除名3名、停學、戒飭十餘名の處罰を以て落着す。」(「向陵誌」昭和6年)
 
「先翔ける鳥、北を指す」
 「先翔け」は北へ帰る渡り鳥「雁」のこと。「左翼思想の一高生」を喩える。社会主義活動の戦の先頭になって敵を攻める「先駆・魁」の意を込める。「北を指す」は、北を目指す。「北」は、「北の方 星ひとつあり 赤ひかる星みずやわが友」(昭和4年「彼は誰の」2番)同様、「ソビエト・ロシア」のことである。左翼思想の一高生は、北のソビエト・ロシアを目指して、憬れて活動しているの意。
 「『北を指す』鳥は雁をさす。『古今集』(春上・三一)『春霞立つを見捨てて行く雁は花無き里に住みや習ヘる』(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「深眠る街を望みて 若き血に憤りあり」
 この「憤り」は、労働者から搾取した富の上に深々と眠る資本家、抵抗する力もないほど徹底的に弾圧を加える左翼取締りの権力に向けられたもの。
 「治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)
ひゞくなる鐘の端嚴(たゞ)しき 塵深き伏屋にあれど 黙示知り感激(よろこび)に笑む 若き兒に友情(とも)あり

国際共産党組織コミンテルンの「万国の労働者よ、団結せよ。起て!」と呼びかける声は正しく厳かである。自分は、寄宿寮を出て、とあるアジトにひっそりと潜んでいるが、上部組織からの指示指令があり、その任務の遂行に感激している。若い一高生には主義に生きる同志がいる。

「ひゞくなる鐘の端嚴しき」
 「鐘」は覚醒の鐘。「万国の労働者よ団結せよ」、「万国の労働者よ起ち上がれ」など。具体的にはコミンテルンを通じたソ連共産党の指導であり、経済発展計画(第1次5ヶ年計画)で躍進するソビエト・ロシアそのものである。当時の左翼活動家・学生は、ソビエト・ロシアを地上に出現したユートピアと憧れていた。
 「あかつきの鐘つきならし 次なる時代の豫言する 端嚴しき姿我は見き」(昭和3年「あこがれの唄」3番)

「塵深き伏屋にあれど」
 「塵深き」は、街中の。巷の。「塵」は、向ヶ丘にはなく、向ヶ丘の外であることを意味する。「伏屋」は、小さくて低くみすぼらしい家のことだが、ここでは寄宿寮外のアジト(隠れ家)を意味する。大正14年9月25日 社会思想研究会が学校から解散を命ぜられて以来、社会思想研究、活動は禁じられ、所謂地下に潜った活動となっていた。

「黙示知り感激に笑む 若い兒に友情あり」
 「黙示」は、資本主義社会は必然的に崩壊し、何人も自由で平等な社会主義社会が来るというマルクス・エンゲルスの思想。ここでは、マルクス・エンゲルスの思想を具体的に日本で実現するための上部組織からの指示指令(レポ)。「友情(とも)」は、活動仲間、同志である。一高の左翼学生組織が壊滅し、運動が終息するのは昭和8年3月。それまでは地下活動が続けられた。
 「組織の概要は無青班、無新班、モップル、R・S班(讀書會)等に分れ、これ等は責任者を有し、外部左翼団体の指令をうけて一高内に左翼思想を宣伝するを以て目的とせるものなり。」(「向陵誌」昭和6年)
浄まほる(うしほ)の匂  とゞろなる力を秘めて 寂莫(じゃくまく)滄溟禮拜(わだつみおが)む 若き血に自由(まゝ)あり 潮の匂いは、太陽、すなわち真理に捧げる匂いであり、世の不浄を去り清めてくれる。海は、普段はひっそりと静かであるが、時に大荒れとなる。真理、正義の太陽が天に燦然と輝くために、海が太陽に潮の匂いを捧げ続けるように、すなわち社会主義活動が弾圧され途絶えることがないように祈りをささげよう。若い一高生には、正義のために社会主義思想を信じ、活動する自由がある。

「浄まほる潮の匂 とゞろなる力を秘めて 寂莫の滄溟禮拜む」
 「浄まほる」(「浄まはる」の誤植とみて)は、神仏の行事に先立って物忌みし、身を清く保つこと。潔斎。ここでは、汚れた世を清めるの意。「潮の匂」は、「天津日に捧ぐる香」(後掲の上田敏訳の詩参照)真理、正義に捧げる香。社会主義思想を喩えるか。
 「ひた寄せる潮聞くやわが友」(昭和4年「彼は誰れの」4番)
 「明けゆく海の磯に立ち 新潮の香を身にあびて」(昭和3年「あこがれの唄」4番)
 「『浄まほる』は古例を見ない語。誤植か。『浄まはる』ならば潔斎する、又は清くなるの意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「とゞろなる力」は、轟き響きわたる海の力。「寂莫」は、ものさびしくひっそりしていること。せきばく。「滄溟」は海。「寂莫の滄溟」は、ひっそりと静かな海。社会主義思想を生み出したマルクス・エンゲルスの思想をいうか。「禮拜む」は、潮の匂いが途絶え真理、正義の太陽が隠れることがないように祈る。
 「『寂莫』は淋しくひっそりしているさま。何故に海を礼拝するのか、意味不明。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「2番歌詞の六は、上田敏『海潮音』ガブリエーレ・ダンヌンチオ「海光」の詩を踏まえる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)。
 (参考)上田敏訳「海光」
 児等よ、今昼は真盛、日こゝもとに照らしぬ。
 寂寞大海の礼拝して、
 天津日に捧ぐる香は、
 浄まはる潮のにほひ

 轟く波凝、動がぬ岩根、靡く藻よ、
 黒金の船の舳先よ、
 岬代赫色に、獅子の踏留れる如く、
 足を延べたるこゝ、入海のひたおもて、
 うちひさす都のまちは、
 煩悶の壁に悩めど、
 鏡なす白川は蜘手に流れ、
 風のみひとり、たまさぐる、
 洞穴口の花の錦や。

「若き血に自由あり」
 「自由」は、社会主義思想を信じ、活動する自由。
音もなく(はな)散りしかひ 夜を込めて丘のどよめき 盡くるなし(かゞり)のあかり 若き兒に勝利(かち)あり 静かに音もなく桜の花びらが一面に散らばっている落ちている。夜を通して紀念祭のどよめきが上がり、篝火の明かりは、尽きることなく煌々と燃え上っている。どんなに左翼思想の活動を禁止されようとも、我々は滅びず、最後には必ず我々が勝利する。

「音もなく櫻散りしかひ」
 「散りしかひ」は、「散り敷く」+反復・継続の接尾語「ひ」か。「ひ」は、四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。2番歌詞の二に「散らひ」、同三に「霧ふ」と同じ用法である。
 「『しかひ』は『敷かひ』か。表現は古語的だが、古例を見えない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「夜を込めて丘のどよめき 盡くるなし篝のあかり」
 「どよめき」は、大声で騒ぐ声。「篝のあかり」は、左翼思想の炎、情熱は決して消えることのないことをいう。
 「沈みてし夜を通して 燃えさかるなりわれらがかゞり」(昭和4年「彼は誰の」1番)

「若き兒に勝利あり」
 「勝利」は、左翼思想の勝利。
たまゆらの三年の春を 涯しなき廣野にありて あやなれどまよふ幸ひ (かしは)老ゆ四十一年 今宵いざ歌ひ明さむ 3番歌詞 一高生は、ほんの短い向ヶ丘の三年間を、果てしない広野で真理を追究して過ごす。幸せなことに、向ヶ丘には、多くの藝文の花が咲きみだれ、どの花を摘んだらいいのか迷うほどだ。一高寄宿寮は、開寮以来、年月を重ね、今年で41年となった。今宵の紀念祭の宴は、寮歌を朝まで歌い明かそう。

「たまゆらの三年の春を」
 長い人生の旅から見れば、向ヶ丘の三年など、ほんの短い期間である。「たまゆら」は、みじかい。あっという間の。「三年の春」は、向ヶ丘の三年間。

「涯しなき廣野にありて あやなれどまよふ幸ひ」
 「涯しなき廣野」は、真理追究のフィールド。真理追求の旅は、終わりのない旅である。「あや」は、学ぶべき素晴らしい学問・技芸。「まよふ幸ひ」は、どの学問・技芸を学ぶべきか迷うほどの幸せ。
「あや=『奇に』の意か? 総じてこの歌の用語法は不可解なもの多し」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)
 「当時の時代状況を反映した本寮歌の叙情全体を締め括った表現とみなすことができよう。」(一高同窓会「一高寮歌解説」)
 「『あや』は『模様、色合い』の意。ここでは、種々の思想、運動などがあることの意か。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「柏老ゆ四十一年 今宵いざ歌ひ明さむ」」
 「柏」は、一高の意。一高自治寮も今年で開寮四十一年を迎えた。「老ゆ」は、年月を経て。
 「柏の幹は老ゆるとも」(昭和3年「あこがれの唄」6番)
 「昭和6年2月1日第41回寄宿寮紀念祭は雨そぼ降る中に行はれたり。賑かなりき。」(「向陵誌」昭和6年2月)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 長い寮歌の秀れた伝統を、何とかして破ろうと、ここでも形式の上に苦心がされて居り、主題の前後に五行の序と跋がついている。之は之から種々試みられる作曲者泣かせの作詞の形式の大ヴァリエイションの始まりだろう。 「一高寮歌私観」から


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