旧制第一高等学校寮歌解説

彩雲は

昭和6年第41回紀念祭寮歌 

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1、(あや)雲は岡邊に凝りて    花吹雪く新草の上
  春此所に猶豫(いざよ)ふ夕     (こが)()し誇の群は
  ()り立ちて巷に高く     (うそぶ)くも靑春の(うた)

2、幸のみに暮れし一年    今此所に秋さり來れば
  ()枯れ葉は音立てゆきて  萬象(ものみな)荒涼(やぶれ)に化しぬ
  幼滅(はかなさ)(うつゝ)に見えて      哀愁(わびしら)に醒めし吾(たま)

4、ひたむきに()らんは淋し  幽玄(かそか)なる自然に融けて
  月雪や花も(うた)はん      人生(ひとのよ)のなべてを孕み
  智識(ちえ)もめで宗教(おしへ)()きて  圓滿(まどか)なる悟道(さとり)に行かん

6、君と見し輪廻(りんね)の月の     (おきて)とは覺悟(こゝろ)すれども
  しかすがに別れもあへず   友情に瞳光るを
  何時か()ん若さに居りて  おゝ友よ永遠(とは)を誓はん
*「瞳光るを」は昭和50年寮歌集で、「瞳曇るを」に変更。以前から「光る」を「くもる」と歌っていた先輩が多かったという。
作曲は長内 端(5曲目)。昭和10年寮歌集で、次の2箇所の音が訂正された(もともと誤植で、数字譜の1と7を書き間違えたもので、たんに、これを訂正したものと思われる)。
 
1、「こがれこし」の「し」(4段2小節2音)   ドからシに訂正。
2、「ほこりの」の「ほ」(4段3小節1音)    シからドに訂正。
3、音符下歌詞の訂正(1段1・2小節)    「あやだも」とあったが、明らかに誤植であるので、「あやぐも」と訂正した。

 出だし「ーやーーーもはー」と伸ばす。2分音符が全編を通じ効果的に使われている。3段の4分音符を3つ続けた「ーるーこーーーにー」の出だしもリズミカルで心弾むメロディーだ。これが4段となり、低く「ーがーれーーーしーこーりーのーーれはーー」と一転、ラドミの哀調のメロディーとなり、今は年老いた一高生も頬紅のマント姿の昔に戻る。そして4段は高く、「ーりーーーちてーー」と一高生気分を高揚させる。秀曲である。オンケル平木恵治(元東大法学部助教授・就職担当)の作詞の中では、一高・東大先輩問わず一番歌われている寮歌である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
(あや)雲は岡邊に凝りて 花吹雪く新草の上 春此所に猶豫(いざよ)ふ夕 (こが)()し誇の群は ()り立ちて巷に高く (うそぶ)くも靑春の(うた) 1番歌詞 向ヶ丘の空には彩の美しい夕焼け雲が群がって、地上には若草の上に桜の花びらが吹雪となって散っている。向ヶ丘の夕べ、春は、名残を惜しみながら、ゆっくりと過ぎて行く。憬れて向ヶ丘に登った誇り高い一高生は、向ヶ丘を降りて俗世間に出ても、高歌うのは青春の歌・寮歌である。

「彩雲は岡邊に凝りて」
 丘に霞がかかって、雲海となったところに夕陽が射して、雲のように紅く映えた情景を岡邊に彩雲が凝りてと表現したか。時は、後の句に「春此處に猶豫ふ夕」とあるから夕方である。「彩雲」は、朝日や夕陽に照らされて色どりの美しい雲。「凝りて」は、寄って結集すること。
 「彩雲天を下りて來て」(大正7年「霞一夜の」1番)

「春此處に猶豫ふ夕べ」
 「猶豫ふ」(上代ではイサヨフと清音)進もうとして進まない。たゆとう。「此處」は、向ヶ丘。

「憧れ來し誇の群は」
 「群」は、一高生。

「降り立ちて巷に高く 嘯くも青春の賦」
 「降り立ちて」は、向ヶ丘を降りて。一高を卒業して。「嘯く」は、詩歌を口ずさむ。
幸のみに暮れし一年 今此所に秋さり來れば ()枯れ葉は音立てゆきて  萬象(ものみな)荒涼(やぶれ)に化しぬ 幼滅(はかなさ)(うつゝ)に見えて 哀愁(わびしら)に醒めし吾(たま) 2番歌詞 一高に入学して、あっという間に幸せな一年が過ぎた。さらに春、夏と過ぎ、今向ヶ丘に秋が来て、寿命の尽きた枯葉は、音を立てて地上に落ちてゆく。あたりは、すっかり荒涼として枯木寒鴉の景色と変ってしまった。これも世の無常というものかと、もの悲しい気分に沈んでいくのである。

「幸のみに暮れし一年」
 「教員生活を捨てて、一高に入学してよかったという感懐で、私の胸をうつ」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)。

「秋さり來れば」
 「さり」は、時・季節が移りめぐってくること。
 万葉1047 「露霜の秋さり来れば生駒山 飛火が岳に萩の枝を・・・」

「素枯れ葉は音立てゆきて 萬象は荒凉に化しぬ」
 「素枯れ葉」は「未枯れ葉」の意か(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。しかし、まだ枯れない葉は、よほどの強風でもなければ舞い落ちることはない。「すがり」(四段、名詞)や「すがれ」(下二段)の意であれば、「さかりが過ぎた葉」となる。「すがり」は名詞として、盛りを過ぎて尽きようとするもの。衰えかかったものをいう。「音立て」は、枯葉の落ちる音が聞こえるほど、物静かであることを示す。「ゆきて」は、逝きて。落葉と解す。
 「さまよへば素枯れし一と葉」(昭和15年「朝日影地平に搖れて」2番)

「幻滅は現に見えて 哀愁に醒めし吾魂」
 「幻滅は現に見えて」は、春夏と青々と茂った木の葉が秋には枯れ葉となって散ってゆく。四季の移ろいに、盛者必衰の世の無常を思い知らされて感傷的になって行く。「哀愁(わびしら)」の「ら」は状態を表す接尾語。感傷的になるさま。
 「春から夏を経て秋に至り、草木の枯れてゆくわびしさを言う。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
こし方を顧みすれば 夢なりし森の三年や 振仰(ふりさ)けて見()くる彼方  (はる)けくも嶮岨(こごし)旅路や 人もがな吾眼拭(めきよ)めて 眞理(まこと)なる秘義指(ひごとしめ)さん 3番歌詞 過ぎ去った日を顧みると、夢のように楽しい向ヶ丘の三年であった。これまで辿って来た真理追究の道をはるか遠くまで振返って見ると、よくもまあ、こんなに遠くまで険しい旅をしてきたものだと思う。しかし、真理は得ることが出来なかった。誰か吾眼を(すす)いで、どんなに努力しても得ることの出来なかった秘密の真理をこの目に見せてもらえないだろうか。

「こし方を顧みすれば 夢なりし森の三年や」
 「森」は柏の森、橄欖の森で、向ヶ丘。
 「嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番)

「振仰けて見放くる彼方 跫けくも嶮岨旅路や」
 「振仰けて」は、振り向いて遠くをのぞむ。サケは遠ざける意。「見放く」は、遠くをはるかに見やる。

「人もがな吾眼拭めて 眞理なる秘義指さん」
 「もがな」は、・・・でありたい。そういう人がいてほしい。「眞理なる秘義」は、一高生が求めて止まない秘密の真理。
ひたむきに()らんは淋し 幽玄(かそか)なる自然に融けて 月雪や花も(うた)はん 人生(ひとのよ)のなべてを孕み 智識(ちえ)もめで宗教(おしへ)()きて 圓滿(まどか)なる悟道(さとり)に行かん 4番歌詞 他に目もくれないで一途に真理追究だけに没頭するというのは、淋しい。奥深く味わい深い自然の中に入って行って、月雪や花といった美しい景色をよく観賞して、それを詩歌に詠もう。人生のありとあらゆるものを受入れて知識を広め、宗教の教えもよく聴いて、迷いを解き、安らかな気持ちで真理会得の旅を続けよう。

「ひたむきに偏らんは淋し」
 「ひたむきに」は、一途に。他に目もくれないで一途に真理だけ追究するのは淋しいの意。

「幽玄なる自然に融けて 月雪や花も詠はん」
 「月雪や花」は、花鳥風月。天地自然の美しい景色。

「人生のなべてを孕み」
 「孕む」は帆が風を孕むように、中に含んでの意。「なべて」は、おしなべて。全般に。

「智識もめで宗教も容きて 圓滿なる悟道に行かん」
 「悟道(さとり)」は、仏教で、迷いが解けて真理を会得すること。
 「堅き扉も開かれん 秘鑰は己が心にて」(大正6年「あゝ青春の驕樂は」4番)
 「秘鑰をすてゝ合掌の おのれに醒めよ自治の友」(大正9年「春甦る」6番)
 「全人生を包括する、老荘などを含めた東洋的な吾達の道に入ることをも賞揚している」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
されば友歌ひ壽げ 四十一(よそひと)の自治の祭を 黙視なる時計臺(うてな)無けれど 現實(うつゝ)には光榮(はえ)は古れども 新しき力に(たぎ)て 巣立つなり翼音(つばおと)高く 5番歌詞 そうであるから、第41回紀念祭は、友よ、大いに寮歌を歌って、自治寮の誕生を祝おう。一高のシンボルで伝統そのものといわれた時計台がなくなって久しく、また野球部が覇権を失ったのも随分と昔の事となったが、今、向ヶ丘は新向陵建設に向け、新しい力が漲っている。一高生よ、鵬のように、翼音高く、向ヶ丘を飛び立て。

「四十一の自治の祭を」
 自治寮の誕生を祝う第41回紀念祭。

「黙視なる時計臺無けれど 現實には光榮は古れども」
 「黙視」は、昭和50年寮歌集で「黙示」に変更された(「黙視」は誤植であろう)。「時計臺」は、本郷一高の時計台。関東大震災で傾いたため、防災上の理由から爆破された(大正12年10月9日)。その後、再建されることはなかった。

「新しき力に激て」
 「新しき力」は、時計台が爆破され、旧東・西寮が取り壊された後、新しい伝統作りに努めてきた力という意味か。具体的には不明。駒場移転、新向陵建設を踏まえるか。

「巣立つなり翼音高く」
 「巣立つ」は、向ヶ丘を巣立っていく。卒業の意味と、駒場移転を踏まえるか。
 
君と見し輪廻(りんね)の月の (おきて)とは覺悟(こゝろ)すれども しかすがに別れもあへず  友情に瞳光るを 何時か()ん若さに居りて おゝ友よ永遠(とは)を誓はん 6番歌詞 月が満ち欠けを繰り返すように、一高生も三年経てば、友と別れ向ヶ丘を去らねばならない。この悲しい運命は覚悟しているが、いざ友と別れるとなると、別れが辛く堪えきれなくなって、涙が目に溢れてくる。何時までも若々しく、また会おう。おお友よ、永遠の友情を誓おう。

「君と見し輪廻の月の」
 「輪廻」は仏教用語で、車輪が回転してきわまりないように、衆生が三界六道に迷いの生死を重ねてとどまることのないこと。同じことを繰り返すこと。

「掟とは覺悟すれども」
 「掟」は、高校の修業年限の三年が過ぎれば、友と別れ向ヶ丘を去らねばならないこと。

「しかすがに別れもあへず」
 「しかすがに」は、そうあるところで、の意が古い意味。転じて、そうではあるが。それでも。「あへ」は、「敢へ」、こらえる。「別れもあへず」とは、別れをこらえきれないで。

「友情に瞳光るを」
 「光る」は、昭和50年寮歌集で、「曇る」に変更されたが、意味は同じである。「光る」も「曇る」も、同じ瞳の光と影をいうからである。

「何時か會ん若さに居りて おゝ友よ永遠を誓はん」
 「若さ」は、真理を追究する心を忘れない、俗塵に汚れないで清く等の意であろう。「永遠を誓はん」は、死ぬまで友であろうとの誓い。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 外ならぬ平木恵治さん(愛称オンケル、昭和6)の詞、師範出、教員生活が永く、深みのある人柄、短歌も書も良くするが、晩年、寄書きには、『おい園部代筆しろ』と気の毒だった。夫人が私の小学校の先輩。この点では一生頭が挙がらなかった。それに長内さんの作曲。『圓満なる悟道に行かん』 オンケルらしい。そして、寮友の墓詣には、名刺に『永久を誓はん』(六)と記して名刺受に入れることにしている。寮歌祭に一頃リクエストしてきたが、大分同好者が出て、楽しく歌っている。 「寮歌こぼればなし」から


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