旧制第一高等学校寮歌解説

鯨波切りて

昭和5年第40回紀念祭寮歌 

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 1、鯨波切りて      巨大の船
   闘争の櫓櫂      四十年
   潮碎き         わが城護る
   旗さびて        戰士變るとも
   新しき力        常に振ひて
   眞理の星       常に目指して
   進まん         進まん
   歴史の針路      守りつゝ
   みよ黎明に立つ   われら
   苦惱を蹴りて     勇ましく
   時代の曉鐘      かき鳴らせ

 2、雪は解けて      向陵に
   若木生ひ立ちぬ   四十年
   若き血潮        亂舞のひまに
   火は赤く        祭と燃えぬ
   くろがねの腕     友よ競ひて
   落つる泪        友よ拂ひて
   進まん         進まん
   輝く自治の       旗の下
   みよ黎明に立つ    われら
   世界の光        雲破る
   新興日本に      友よ起て
昭和10年の寮歌集で、次の変更があった。(ここでは小節数は弱起の小節もカウント)

1、「げいは」の「は」(1段2小節1音)      付点2分音符に。      
2、「きりて」の「きり」(1段2小節2・3音)    ドードに訂正。
3、「きょだい」の「きょ」(1段3小節2音)    ソを1オクターブ低く(原譜は誤植か)。         
4、「ほーし」(4段2小節3・4・5音)       ドードラーに訂正 下線はタイ。
5、「めざして」(4段3小節)           ブレスを削除(原譜は誤植か)。     
6、「じだい」の「じだ」(7段2小節2・3音)    ミーミに訂正。
7、「しょーかー」(7段4小節)           ドーーラーソーに訂正。 

弱起アウフタクトの曲で「行進曲の速度にて」とあるように、勇ましく歌う。力が入った時は、「鯨波切りて」を「いはーりてー」と強起に歌ってしまいそうです。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
鯨波切りて    巨大の船
闘争の櫓櫂    四十年
潮碎き       わが城護る
旗さびて      戰士變るとも
新しき力      常に振ひて
眞理の星     常に目指して
進まん       進まん
歴史の針路    守りつゝ
みよ黎明に立つ われら
苦惱を蹴りて   勇ましく
時代の曉鐘    かき鳴らせ
1番歌詞 大波を切って、巨大な自治の船が進む。寄宿寮を開設して40年、一高生は、自治を邪魔しようと寄せ來る敵と戦い、これを粉砕し寄宿寮を守ってきた。年月を経て自治の旗は古くなって、寮生が入れ替わっても、一高生は、常に真理を目指して、時代にあった正しい針路を守って、進もう進もう。今我らは新しい時代の幕開けに立っている。苦悩など蹴っ飛ばして、鐘をかき鳴らして新しい時代が来たことを、世の人に知らせよう。

「鯨波切りて 巨大の船」
 「鯨波」は、大波。「巨大の船」は、一高寄宿寮。

「闘争の櫓櫂 四十年」
 「闘争の櫓櫂」は、自治を邪魔するものとの戦い。
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の劍を抜き持ちて」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番)
 「寄せなば寄せよ我城に 千張の弓の張れるあり」(明治35年「混濁の浪」2番)
 「鐡馬の蹄音高く 魔の陣破れ理想の兒」(明治38年「王師の金鼓」5番)
 「『闘争』は世俗の頽廃した生活を超越した純粋な精神を護ろうとする闘いをいい、そこに生まれた向陵の籠城主義などの歴史を『わが城護る』(第6句)と表現している。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「潮碎き わが城護る」
 「潮」は自治を邪魔するもの。俗塵や魔軍を喩える。「わが城」は、一高寄宿寮。

「旗さびて 戰士變るとも」
 「旗」は戰の幟(自治の旗)。自治を掲げて来たということであって、実際に旗があるわけではない。2番歌詞に「輝く自治の旗の下」とある「旗」に同じ。「さびて」は、自治の歴史も古くなって。「戰士」は寮生。寄宿寮を城に喩えたから、こういう表現になる。
 「『旗』は護國旗。『さび』は古びて味わいが出るの意。『平家物語』(灌頂)『岩に苔むしてさびたる所なれば』」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「眞理の星 常に目指して」
 一高生が若い三年間、向陵に旅寝する目的は、眞理の追究と人間修養である。故に、常に眞理の星を目指す。

「歴史の針路 守りつゝ」
 「歴史の針路」は、時代にあった進むべき道。

「みよ黎明に立つ われら」
 「黎明」は、時代の夜明け。幕開け。2番の最後、「世界の光 雲破る 新興日本に 友よ起て」をどのように解するかで、その意味は変わってくる。一番最後の「時代の暁鐘」もまた同じ。
 「明け方の光の中で未来に向かって希望を持って立つ、の意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「苦悩を蹴りて 勇ましく」
 「苦惱」は、真理追究の苦悩。あるいは「黎明に立つ われら」の苦悩とすれば、社会変革の苦悩である。

「時代の暁鐘 かき鳴らせ」
 「時代の曉鐘」は、新しい時代の到来を告げる鐘。「時代」とは、2番歌詞の「新興日本」である。具体的には後述する。
雪は解けて    向陵に
若木生ひ立ちぬ 四十年
若き血潮      亂舞のひまに
火は赤く      祭と燃えぬ
くろがねの腕   友よ競ひて
落つる泪      友よ拂ひて
進まん       進まん
輝く自治の     旗の下
みよ黎明に立つ  われら
世界の光      雲破る
新興日本に    友よ起て
2番歌詞 向ヶ丘の雪は解け、紀念祭の春が来た。向ヶ丘に植えられた若木(自治寮)は、すくすくと育って、今年、樹齢40年となった。若き一高生の血潮は乱舞する間に、赤い祭りの火と燃え上った。友と競って、腕を鉄と鍛え、友情の涙を互いに拭って、輝く自治の旗の下に、真理を目指して進もう進もう。今我らは新しい時代の幕開けに立っている。世界大恐慌の中で、第1次5ヶ年計画を掲げ社会主義国家建設を進めるソ連だけが光を放っている。この光は、いつか日本に立ち込める暗雲を破って日本にも射すようになる。新しい日本の建設のために、友よ起て。

「雪は解けて 向陵に」
 紀念祭は2月1日(旧暦では1月3日で旧正月にあたる)、気候的には真冬。この年も2月2日(紀念祭2日目)は、落雪紛々の紀念祭であった。
 「2月2日、全市の民に校門を開きて我が自治寮を公開す。此の日落雪紛々、武香陵頭瓊筵を敷き、滿目白皚々たる中に八寮の甍巍然として中天に聳え萬人をして自治の理想の高きを知らしむ。・・・雪解の寮庭には假装行列及び寮生劇の滑稽なる、思はず外來市民の頣を解かしむるあり。」(「向陵誌」昭和5年)

「若木生ひ立ちぬ 四十年」
 「若木」は、一高自治寮。「四十年」は、開寮以来40年。
 「いそしむ窓に植ゑおきし 櫻も今は丈のびて 若き二十となりにけり」(明治43年「藝文の花」5番)

「火は赤く 祭と燃えぬ」
 「ぬ」は、完了存続の助動詞。

「くろがねの腕 友よ競ひて」
 「くろがねの腕」は、剛腕。鉄腕。武を友と競って。
 「『くろがね』は『鉄』。『鉄腕』の古例は見ないが、『鉄』の字には、強い、堅い、正しいの意味がある」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「ひそかに撫する(くろがね)の 劒の冴を誰かしる 双腕(もろて)の力を誰か知る」(明治39年「波は逆巻き」3番)
 「天下に立つ可き大和丈夫 萬巻胸に鐡骨鍛へ」(明治35年「我一高は」1番)

「落つる泪 友よ拂ひて」
 友との友情をいう
 
「世界の光 雲破る 新興日本に 友よ起て」
 昭和4年京大寄贈歌「嗚呼繚亂の」の最後の行にも「新興日本の建設」とあるが、「新興日本」の具体的な意味は不明である。「ロンドン軍縮会議」や「金輸出解禁」、「緊縮財政」、さらに世界大恐慌を引起した「ニューヨーク市場の株価大暴落」の影響をもろに受け、産業界に合理化の嵐が吹き荒れた。「大學は出たけれど」が流行語となったほど、この時代の日本は大不況であった。
 ソ連は第1次5ヶ年計画を採択(昭和4年4月第16回党協議会)、世界恐慌下の世界でこの「経済発展計画」という言葉が憧れをもってひろがった。治安維持法による取締りはますます激しさを増したが、社会主義者・左翼学生、そのシンパは、ソビエト・ロシアの社会主義国家建設を理想として、「北方の星は冴えたり 夜を通し黙示さゝやく」(昭和4年「彼は誰れの」3番)と、その運動は地下に潜り、弱まることがなかった。このような時代背景を考慮すれば、「世界の光」は「ソビエト・ロシア」、「雲」は「権力」、「新興日本」は「社会主義国家建設」、「友よ起て」は、社会主義運動への誘いともとれる。こうみると「闘争」「黎明」「暁鐘」「泪」「苦悩」という語句も違った意味を持ってくる。
 「目指すかた見よ雲裂けて 燦くや今宵新星」(昭和5年「群雲を」4番)
 「新興日本の建設に いでや一歩を踏みなさん」(昭和4年「嗚呼繚亂の」6番)
 「昭和5年頃の『新興日本』の概念と、その思想的背景は十分に説明しかねるが、この年の1月にロンドンの軍縮会議があり、又、景気不況で、左翼思想・運動の勃興、それに対する政府の弾圧などが厳しくなる一方で、右寄りの言論の中に、左翼に対抗して『新興日本』を叫ぶ声が高まりつつあったことは確かである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 之は、作詞を、作曲の立場を深く考えて造ったもので二節より成るが、各節の各行が、3,4,5,6,7,8,9字より成る整然たる体系をなし、その上、両節に共通な語句に、『四十年』『進まん進まん』『見よ、黎明に立つ、われら』を定置している。この形式整頓の苦労は大変なものだ。然し、そのため、思想詩的内容が制約されることは、やむを得ない。             
 文芸部長の立沢剛先生は校友会雑誌に自ら筆をとってマルキシズムに反論を掲げられたが、その思潮は外部よりひたひたと寮内に侵入し、左翼運動で退校者が非常に増えてきている。向陵も亦塵外の地たり得ぬのであったか。
「一高寮歌私観」から


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