旧制第一高等学校寮歌解説

溟滓る胸の

昭和5年第40回紀念祭寮歌 

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、溟滓(くぐも)る胸の扉を秘めて  空虚(うつろ)に醉はん時もがな
  さゆらぐ思想(おもひ)抱きつゝ   三年を森にさまよへば
  橄欖花の吹雪して     若き日亂る心かな

2、生命(いのち)若きぞ夢多く      魂震ひ寄る歡樂も
  覺めての後を如何にせん 寂生(わびしら)潜む靑春の
  歎きを友よ丘の邊の    熱き涙に分たんか

6、四十の春の輪廻して    今宵八つ()の花饗宴(うたげ)
  (しょく)の火くゆる高樓(たかどの)に     祝歌(ほぎうた)ゆるくとよめけば
  朧のかげのゆらめきて   美酒(うまき)ぞ薫れしめやかに
長内 端の4曲目の寮歌。
平成16年寮歌集で、一箇所だけ変更があった。その他は、調・拍子など変更なし。
 「くぐもる」(1段1小節)をミーファソーソーに変更。1.2音は3段1小節1・2音と同じになった。少し高く出るようになった。好みから言えば、1段の出だしは、原譜のように低く出て、3段出だしとは少し違ったほうがいいとは思うが、一高生がそのように歌い崩したというなら仕方がない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
溟滓(くぐも)る胸の扉を秘めて 空虚(うつろ)に醉はん時もがな さゆらぐ思想(おもひ)抱きつゝ 三年を森にさまよへば 橄欖花の吹雪して 若き日亂る心かな 1番歌詞 思い悩む胸の扉を隠して、何も考えないで、のんきな気分で楽しく過ごせたら、どんなにいいことかと思う。しかし、そうすることができず、思想的に思い悩みながら、三年間、向ヶ丘で過ごした。この間、多くの友が思想問題で退学などの厳しい処分を受け向ヶ丘を去って行った。若い繊細な心は、悩み乱れたのであった。

「溟滓る胸の扉を秘めて 空虛に醉はん時もがな」
 「溟滓る」は、内にこもる。「空虚」は、空っぽ。何も考えない。心配事の無い。「もがな」は、・・・が欲しい。・・・でありたい。

「さゆらぐ思想を抱きつゝ 三年を森にさまよへば」
 「さゆらぐ思想」は、社会主義思想であろう。「森」は、向ヶ丘。
 
「橄欖花の吹雪して 若き日亂る心かな」
 「橄欖」は一高の文の象徴。「橄欖の花吹雪して」とは、学内に思想的な事件があったことを暗示する。具体的には、次の昭和4年3月9日の思想問題の第1次大量処分をいう。さらに紀念祭後であるが、昭和5年3月31日に、一高社会科学研究会の幹部等23名の大量処分があった。紀念祭の頃には、内偵や取調べ、警察署への呼び出しがあり、、処分前夜の重苦しい雰囲気が向ヶ丘にあったと推測される。
 昭和4年3月9日 思想問題で第1次大量処分発表。一高社会科学研究会会員16名の処分。除名6名、無期停学6名、停学(5月末まで)2名、戒飭2名(「一高自治寮60年史」)
 「而して此の學年末に當り、思想問題より生徒18名の犠牲者を出し、且之と関聯して向陵刷新會の解散を命ぜられたるは、光輝ある向陵の歴史に取りて大いに遺憾なる事件なりとす」(「向陵誌」昭和4年)*18名と「一高自治寮60年史」と2名人数に違いがあるが、社会科学研究会以外の者も2名処分されたということであろう。
 「5名の新任委員中4名までも『三月事件』で奪われた我瓣論部は、ここに一大受難期に遭遇しなければならなかった。厚生か?將、また壞滅か? 學校當局の過重なる干渉と、保守的寮生の惡罵、嘲笑との嵐の中に我瓣論部は、あまりにも重き歴史的使命をその双背に擔ふべく、再建に努力せねばならなかった。」(「向陵誌」大正4年瓣論部部史)
生命(いのち)若きぞ夢多く 魂震ひ寄る歡樂も 覺めての後を如何にせん 寂生(わびしら)潜む靑春の 歎きを友よ丘の邊の  熱き涙に分たんか 2番歌詞 若さ溌剌とした一高生は、やりたい夢が多い。快楽の誘いは好奇心をかきたてられるが、快楽から覚めて正気に戻った後をどうしたらいいのか、わからないから誘いには乗らない。青春時代は、何という理由もなしに淋しくなって気落ちすることだってある。そういう時は、友よ、自分一人で嘆かないで、「友の憂いに吾は泣く」向ヶ丘の熱い友情で、共に涙して歎きを分かとうではないか。  

「生命若きぞ夢多く」
 「生命若き」は、若くて勢いのある。若さ溌剌とした。「夢多く」は、やりたいことの多くある。

「魂震ひ寄る歡樂も 覺めての後を如何にせん」
 「魂震ひ寄る」は、好奇心をかきたてる。「覺めての後を如何にせん」は、浦島太郎伝説のように、夢が醒めたら白髪のお爺さんでは困る。
 「醉はなといふを止めねど 覺めての後を如何にせん 」(大正6年「あゝ靑春の驕樂は」2番)

「寂生潜む青春の」
 「寂生」は、(ラは状態を表わす接尾語)気をおとしているさま。くじけた状態。

「歎きを友よ丘の邊の 熱き涙に分かたんか」
 「丘の邊の熱き涙」は、共喜共憂の向ヶ丘の熱い友情。
 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
春の光に醉ひ伏して まどろみ淺き兒が胸に さやけき夢の(まど)かなれ さめては水脈(みを)の末遠く 力の調べ()()りて 目路(めじ)縹渺の旅を行け 3番歌詞 春ののどかな陽を浴びて、いい気分になって、うとうとと眠っている一高生の見る夢が健やかで、穏やかなものであるように願う。しかし、目が覚めたら、海路の末遠くまで、水音高く力強く櫂を掻いて、見渡す限り広々とした海を真理を求めて旅に行け。

「春の光に醉ひ伏して」
 「醉ひ伏して」は、いい気持になってうとうとと。
「まどろみ淺き兒が胸に さやけき夢の圓かなれ」
 「まどろむ」は、短い時間いい気持で眠る。
「さめては水脈の末遠く」
 「水脈」は、河・海の中で、船の航行に適する底深い水路。

「力の調べ音に揺りて 目路縹渺の旅を行け」
 「力の調べ音に揺りて」は、船が水音勇ましく進むさまをいうか。「目路」は、目に見えるかぎり。「縹渺」は、広々として果てしない様子。「旅」は、真理探究の旅。
潮騒(しほさゐ)遠く(きざし)して 杳かなる日を流れけり もやひの船の帆も白く 帆綱にさやる黎明(あけ)の風 想ひは(しじ)に盡きざれば かたみに歌へ舵子と舵子 4番歌詞 岸に寄せる波は、遙か遠くの海で生れて、波音を立てながら幾日もかけて流れてきた。互いに繋ぎとめた船の帆は白く、その高潔な姿に夜明けの風が帆綱に引っかかって、止っている。すなわち、帆は風を孕んでいる。真理を求め船出するうれしさに、次から次に抱負が湧いてきて尽きることはない。舵を取る一高生達よ、その思いを歌にして交互に歌え。

「潮騒の遠く兆して」
 「潮騒」は、潮のさす時に波が高く音を立てる響き。寄せては返す波の音。「兆す」は、潮騒が起こり始まる。芽生える。

「杳かなる日を流れけり」
 「杳かなる」は暗い。遠い。

「もやひの船の帆も白く 帆綱にさやる黎明の風」
 「さやる」は、物にひっかかって身動きできなくなる。「帆綱」は、帆を上下し、またつなぎ止める綱。「白」は純白・高潔を意味する。「黎明の風」は、明るくなる頃の風。朝凪の前であるので、風は陸から海に吹く。

「想ひは繁に盡きざれば かたみに歌へ舵子と舵子」
 「舵子」は、舵手(舵取り)。真理を求め船出する一高生。
永劫(とは)眞理(まこと)を求めつゝ おどろの浪の八重汐路 胸肉(むなじし)黑く逞しき 自治の兒玉の櫂やれば (うしほ)(はな)と亂るなり (はえ)の島根の近きかな 5番歌詞 船旅は、不滅の眞理を求め、幾重にも重なった逆巻く浪をかき分けて、どこまでも進んで行く。胸の筋肉が鋼鉄のように黒く逞しい一高生が櫂を漕げば、白波が花と散って、目的の島、すなわち理想の自治に近づいたようだ。

「永劫の眞理を求めつゝ おどろの浪の八重汐路」
 「おどろ」は藪、イバラなどとげのある草木の総称。ここでは怒濤逆巻く波。「八重」は幾重にも重なった。「潮路」は、海流の流れていくみちすじ。海路。
 「逆巻く浪をかきわけて」(明治35年「嗚呼玉杯に」3番)

「胸肉黑く逞しき 自治の兒玉の櫂やれば」
 「胸肉(むなじし)」の「むな」は、胸の古語。多く他の語に冠して複合語をつくる。「玉の櫂」の「玉」は美称、また「魂」をかける。「自治の兒」は一高生。

「潮は華と亂るなり 榮の島根の近きかな」
 「華」は、白波を花に譬えたもの。「島根」は島の雅語的表現。根は接辞。「榮の島根」は、目的の「永劫の眞理」。それはまた、理想の自治である。
 「『栄えの島根』即ち自治を守りめく(ぬくの誤植か)向陵の理想の姿に近づくことをねがっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
四十の春の輪廻して 今宵八つ()の花饗宴(うたげ) (しょく)の火くゆる高樓(たかどの)に 祝歌(ほぎうた)ゆるくとよめけば 朧のかげのゆらめきて 美酒(うまき)ぞ薫れしめやかに 6番歌詞 記念すべき40回目の紀念祭の春が廻ってきて、今宵は、寄宿寮の誕生を祝う宴が開かれる。しかし、寄宿寮には燭台の火がくすぶり、紀念祭を祝う寮歌の歌声の響きも低く、霞の中を得体の知れない影がゆらめいている。祝いのうま酒よ、しめやかに香れ。

「四十の春の輪廻して」
 「四十の春」は、第40回紀念祭。「輪廻」は、廻ること。

「今宵八つ城の花饗宴」
 「八つ城」は、八棟の一高寄宿寮(東・西・南・北・中・朶・明・和寮)。向ヶ丘に籠城する意で寄宿寮を「城」という。「花饗宴」は、桜の花の下の祝宴(ただし「花」は美称)。記念すべき第40回の紀念祭は2月1日、2日の二日間にわたり盛大に行われた。少し長いが参考のために、紀念祭の式、祝宴等の様子を向陵誌の記事から紹介する。この第40回紀念祭を初め向陵の種々の行事は第40回記念祭記念事業として松竹撮影所に依頼して映画に収められた。その一部は一高同窓会の手により「向陵生活」という題名でビデオに収録され頒布された。
 「2月1日、全寮生の夙に熱望して其の來るを待ちし第40回記念祭(「記念」はそのまま)は遂に向陵を訪れぬ。旬日の前より各室の努力して完成せし飾り物は、燦然として八寮に満ち、一高生の口に形を取りたる歡迎門は高く校門の背後に聳えて、外來の先輩をして期せず微少せしむ。本日曇天の寒威、肌を刺す事甚し雖も、此の感激と歡喜に満ちたる祝祭の朝を迎へし向陵健兒は、悉く意氣軒昂、袖を連ねて嚶鳴堂の祝賀式に臨めり。本式席上、校長及び生徒主事の祝辭に次いで、先輩田中文部大臣自ら祝文を朗読せられたるは、一層祝賀式の莊嚴と精彩を加へたり。續いて村田名誉教授以下25年以上勤續職員に記念品を贈呈し、式閉づ。式後樂友會は管弦樂を以て自治四十春の歡喜を奏で、午後に入るや先輩記念講演會は開催せられて、東京帝國大學教授蠟山正道氏・文學博士矢吹慶輝氏・医學博士杉田直樹氏・法學士蜷川新氏・夫々約1時間に亘り有益にして且興味深甚なる講話を爲し、以て吾人の知識を啓蒙せらるゝ處ありき。最後に記念晩餐會は食堂に開かれたり。この夜、白鳥文學博士・關屋宮内次官・丸山警視總監を初め先輩の出席多數なる事空前にして、煌々と輝く電燈の下、交々演䑓に上って、或は過去の寮窓時代を追懷し、或は將來の向陵雄飛を切望し、且齊しく前後40星霜に亘る向陵自治の健實なる歩武に對して、満腔の祝意を表せられたり。遂に此の會の盛大裡に閉幕するや、朝來の感激に全身を陶酔したる寮生一千は、直ちに暗香浮動せる校庭に出でて過去の寮生活を偲ぶもあり、又は紙燭揺めく銀燈の蔭に綠酒を酌み交はすもあり、以て寒夜の更くるを些かも知らざりき。
 明くれば2月2日、全市の民に校門を開きて我が自治寮を解放す。此の日落雪紛々、武香陵頭瓊筵を敷き、満目白皚々たる中に八寮の甍瓦巍然として中央に聳え萬人をして自治の理想の高きを知らしむ。而も潮の如き全市の民は午前9時の開門と共に、飛瓊を拂ひ堆銀を踏み、早くも寮内に殺到す。況や午後に入るに従ひ寮内全く市民を以て埋り、整理委員の忙殺其の極に達したるをや。斯かる中に、嚶鳴堂内の陸軍戸山學校軍樂隊は神韻縹渺たる自治寮の頌歌を吹奏し、一方雪解けの寮庭には假装行列及び寮生劇の滑稽なる、思はず外來市民の頣を解かしむるあり。斯くの如き寮生市民相一致せる和樂の裡に、遂に午後4時、校門を閉鎖す。而して午後7時より深更に及びし嚶鳴堂の茶話會を以て、茲に二日に亘りたる第40回大記念祭を無事終了せり。抑々今囘の擧は恐らく向陵最後の大記念祭たるべし。」(「向陵誌」昭和5年)

「燭の火くゆる高樓に 祝歌ゆるくとよめけば」
 「くゆる」は、燃えて煙が立つ。くすぶる。左翼活動家を燻る出す火を暗喩する。「とよめく」は、大声で騒ぐ意であるが、「ゆるくとよめけば」は、低く響きわたって。重苦しい雰囲気が寮内に漂っているので、歌声も「ゆるく」ならざるを得ない。「高樓」は、寄宿寮。

「朧のかげのゆらめきて 美酒ぞ薫れしめやかに」
 「朧のかげ」は、はっきりしない、得体の知れない影。思想取締りの当局、生徒主事等を暗喩する。
 前述のように昭和4年3月には、思想問題で一高初の大量処分があった。さらに一高社会科学研究会幹部ら23名の第2次の大量処分が紀念祭後の3月31日に控える。この歌詞は、処分前夜の重苦しく暗い寮内の雰囲気をいうものと解する。「かげ」は、既述のように思想取締りの当局の影であり、そのため、酒の香りも「しめやかに」(しんみりの意)なるのである。前句の「祝歌ゆるくとよめけば」も同様であろう。
 「祝ひなむいざしめやかに 素木の杯を捧げては」(大正12年「流れ行く」4番)
 
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌  昭和本郷の寮歌