旧制第一高等学校寮歌解説

春東海の櫻花

昭和5年第40回紀念祭寮歌 

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、春東海の櫻花      咲くや都の岡の上
  ほのかに霞む月影に  辿る懐古の夢の數
  嗚呼武香陵四十年   唯先人の光榮(はえ)の跡

2、知れり歡樂いたづらに 春や舞殿の瓔珞も
  夢魂一朝覺めぬれば  あはれ焦土の夕けむり
  四海に誇る長城も    何時か廢墟とならざらん

3、世は混濁の淵に落ち  人は虚榮にさまよひて
  無情の風のすさぶ時   見よ東天の光さす
  亞細亞の海の八洲に  稜威(りょうゐ)あまねき君子国

6、今宵紀念の歌筵     月はおぼろに花ぞ散る
  岡の三とせの春蘭けて  蘭燈あはし宵の陣
  いざ青春の感激を     紅の血に描きてん
昭和10年寮歌集で、次の変更があった。

Ⅰ.調の変更
 イ長調から、キーを上げハ長調に変更した。

Ⅱ.音の変更
1、「さくや」の「く」(2段1小節2音)     レ          
2、「おかのう」の「か」(2段3小節2音) (低)ソ
3、「いこの」(4段2小節))          ソーソドーレ(16分休符をカットし、ドに付点)

 付点8分音符と16分音符を連ねる伝統的な寮歌のリズムの中に、長く引っ張る4分音符等を配し、歌詞にふさわしい気宇壮大なメロディーとなっている。拍子的にも、出だしの3小節は3拍子でゆったりと歌いだし、次に2拍子で調子よく行進曲風に元気に歌う、最後はまた3拍子で余韻をかみしめながらゆったりと終わる。長内 端の3曲目の寮歌。一高を代表する寮歌で、大いに歌われてきた。
 アイディアリズムからロマンチシズムへ、さらにリリシズムへと進んできた一高寮歌を一気に明治の昔に返した感のある、ある意味で非常に懐かしい復古調の元気の出る寮歌である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春東海の櫻花 咲くや都の岡の上 ほのかに霞む月影に 辿る懐古の夢の數 嗚呼武香陵四十年 唯先人の光榮(はえ)の跡 1番歌詞

時まさに春。向ヶ丘に桜が咲き、ほのかに霞む月を眺めながら、一高寄宿寮の来し方を辿れば,、あゝ何と寄宿寮の40年の歴史は、唯、先人が成し遂げた栄光の業績の多いことか。

「春東海の櫻花」
 「東海」は中国から見て東方の海の国、日本である。

「咲くや都の岡の上」
 「岡」は、一高のある向ヶ丘。

「ほのかに霞む月影に」
 「月影」は月。開寮以来、天上から一高寄宿寮を眺めてきた。

「辿る懷古の夢の数」
 「夢」は栄光の業績、歴史。

「嗚呼武香陵四十年」
 「武香陵四十年」とは、自治寮開寮四十年の歴史の意。「武香陵」は、本郷一高のあった向ヶ丘のこと。都の塵を避け籠城する一高自治寮を、昔、中国の武陵の一漁夫が桃林中の流れを溯って洞穴に入り、俗世間を離れた別天地・桃源を見つけたという故事から、「向ヶ丘」を「武陵」、次いで「武香陵」と漢語的美称で呼ぶようになった。武」は、「武蔵野」の「武」であり、「武道」の「武」でもある。
 「うべ桃源の名にそひて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)
 「礎固し武香陵頭 一致共同守れる健兒ぞ勇ましき」(明治35年「我一高は」1・2・3番)
 「春三月の武香陵 おごそかに立つ柏木の」(明治37年「春三月の」1番)

「唯先人の光榮の跡」
 「この寮歌は第一節の五、六行で、正直に明治から大正にかけての寮歌の傑作による重圧を、『唯先人の光榮の跡』と告白し」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

知れり歡樂いたづらに 春や舞殿の瓔珞も 夢魂一朝覺めぬれば あはれ焦土の夕けむり 四海に誇る長城も 何時か廢墟とならざらん 2番歌詞 栄耀栄華は一時のもので、はかないものである。春の光に輝く貴金属で美しく飾った舞殿も、ある朝、夢から目覚めると、哀れにも舞殿は昨夜のうちに焼け失せ、その跡から煙が立っている。天下に誇る万里の長城でさえ、何時かは廢墟となってしまわないとも限らない。

「知れり歡樂いたづらに」
 「いたづらに」は、当然の期待に反して無為無用の何にも役に立たない意。

「春や舞殿の瓔珞も」
 「瓔珞」は、インドの貴族が珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具、頭・首・胸にかける。また、仏像などの装身具となった。さらに、仏像の天蓋、また建造物の破風などに付ける垂幕をいう。一高寮歌解説書は、「頸飾」とするが、「舞殿」とあるので、舞殿の「垂幕」「飾り」、さらに舞殿そのものをいう。「舞殿」は神社の境内に設けて神楽を奏する殿舎。神楽堂、神楽殿。「春や」の「や」は間投助詞、拍子を整えるために投入。

「夢魂一朝覺めぬれば あはれ焦土の夕けむり」
 「夢魂」は夢を見ている間の魂。「夕」は夕べ、昨夜。
 「夢魂驚き窓推せば 三層樓は今何處」(大正8年「東皇回る」3番)

「四海に誇る長城も 何時か廢墟とならざらん」
 「四海」は、四方の海。天下。世界。「長城」は、万里の長城。人類が築いた最大の建造物。中国の北辺、東は河北省山海関から西は甘粛省嘉峪関に至る大城壁。春秋戦国時代に斉・燕・趙・魏などの諸国が辺境を防ぐ為その一部を築き、秦の始皇帝が大増築を行い、この名を称した。現存する長城は明代に築かれたものが多く、位置ははるかに南に寄っている。長さ約2400キロメートル、高さ6から9メートル、上部の幅4.5メートル。NHKの「世界遺産の旅」で、万里の長城を宇宙からも見える文化遺産と紹介していた。
世は混濁の淵に落ち 人は虚榮にさまよひて 無情の風のすさぶ時 見よ東天の光さす 亞細亞の海の八洲に 稜威(りょうゐ)あまねき君子国 3番歌詞 作秋のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した大不況の波は世界を覆い大恐慌となって、失業者が世界中に溢れている。しかし、見よ、東の空に太陽が八方に光りを放って昇る日出づる国日本を。天皇の威光が広くいきわたっているので、日本が統治する樺太から台湾まで、国民の生活は豊かで静かである。

「世は混濁の淵に落ち 人は虗榮にさまよひて 無情の風のすさぶ時」
 この年、昭和4年は汚職事件が多発した。「混濁」「虚榮」「無情の風」は、このような腐りきった世をいうと解することも出来るが、「見よ東天の光さす」以下の歌詞と脈絡が繋がらない。
 昭和4年6月24日 朝鮮疑獄事件(12月28日前総督山梨半造起訴)
       8月下旬 北海道鉄道疑獄事件、売勲疑獄事件起きる。
      11月25日 5私鉄疑獄事件で文相小橋一太辞任(翌年有罪判決)
 「世」は、日本のことではなく、「世界」のこととし、昭和4年10月24日、ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌のことをいうと解す。大量の失業、激しい物価下落、深刻な農業不況により、各国は金本位制を離脱してブロック経済化を図って危機を脱しようとした。やがて大恐慌の波は、昭和5年になると日本にも押し寄せ、産業界で操業短縮が盛んに実地された(鉄鋼・セメント50%台、肥料40%台、綿紡30%台など)。「大学は出たけれど」(昭和4年製作の映画の題名)が流行語になったのは、昭和5年の頃であるが、この寮歌の作詞された時は、まだ大不況も対岸の火事としか映らなかったのであろう。日本政府ですら、昭和5年1月11日に、タイミングを誤り金輸出解禁を実施してしまい、財政の大混乱を引き起こしてしまった。

「見よ東天の光さす」
 「東天」は、夜明けの東の空。聖徳太子の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」を踏まえてか。

「亞細亞の海の八洲に 稜威あまねき君子國」
 「八洲」は、多くの島の意で日本の国だが、日本の統治する樺太から台湾までをいう。「稜威」は、天子の威光。みいつ。
護國の譽輝きて 立つ八寮の自治の城 柏の森の緑濃く 橄欖の花の咲くほとり 若き誇りを語らへば 男の子の意氣は天を衝く 4番歌詞 深紅に輝く護國の旗の下、自治の八寮は向ヶ丘に聳え立つ。柏の森は綠濃く、橄欖の花が咲く丘の辺で、理想を友と語れば、男児の意気は上り、天をも突くほど高い。

「護國の譽輝きて 立つ八寮の自治の城」
 一高の校旗は護國旗で、「護國」は一高の傳統。「八寮」は一高の八棟の寄宿寮(東・西・南・北・中・朶・明・和)。寄宿寮は、四綱領に基づき生徒の自治に任された。

「柏の森の緑濃く 橄欖の花の咲くほとり」
 「柏の森の緑濃く 橄欖の花の咲く」とは、一高の伝統精神、自治が栄える向ヶ丘で。「柏の森」は向ヶ丘。柏の葉は一高の武の、橄欖は一高の文の象徴。柏の葉は、秋落葉することなく、春に新芽が芽吹いてから落葉する。落葉する葉の色は緑ではないが、寮歌ではコノテガシワの常緑樹のように一年中「綠濃く」と詠う。最近(3月末)、駒場を訪れて確認したところ、本館裏の柏の葉は、枝に少数残っていたが、茶色の枯葉であった。本館前の「橄欖」(オリーブ)は、常緑であるが、花は咲いてなかった。「緑濃く」「花が咲く」は、前述のとおり、一高の伝統精神が盛んで、勢いがあることをいう。実際の花や色は関係ない。

「若き誇りを語らえば」
 「若き誇り」は、大志、野望、理想、将来といったところか。
あした草野(さうや)の武蔵野に 白雲(はくうん)遠く棚引けば ゆふべ富嶽の靈峯に 久遠の星斗きらめけば 高き理想の憧憬に 無限の空を仰ぐ哉 5番歌詞 朝、広大な草原の武蔵野の遠く白雲が棚引き、夕べ、霊峰富士の山が聳える西の空に宵の明星がきらめく。一高生は、白雲や宵の明星のような高い理想に憬れて、限りなく高い空を仰いでいる。

「白雲遠く棚引けば」
 「白雲」は、遠くの白雲は、世俗を超えた神仙の境地や理想に喩えられる。「棚引く」は、雲・霞・煙が薄く横に長く引く。

「ゆうべ富嶽の靈峯に 久遠の星斗きらめけば」
 夕、富士の霊峰に、永遠の星が瞬けば。「星斗」は星。寮歌で永遠の星といえば普通北極星(北斗の星)であるが西の富士の方向ではない。夕べに輝く「久遠の星斗」は、太陽が没して間もなく西の空に輝く宵の明星であろうか。
 「十字の星をしたひ行く」(大正10年「偸安の春も」1番)
 「第五節では、武蔵野の遠い朝棚雲と、富嶽にかかる宵の明星を拉し来り『高き理想の憧憬に無限の空を仰ぐかな』と爽快そのものである。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
今宵紀念の歌筵 月はおぼろに花ぞ散る 岡の三とせの春蘭けて 蘭燈あはし宵の陣 いざ青春の感激を 紅の血に描きてん 6番歌詞 今宵は紀念祭の宴の夜、朧月夜に桜の花が散っている。向ヶ丘三年も、いよいよ残り少なくなった春の宵、ほのかに霞む自治燈の下で、花の宴が始まる。いざ青春の感激のままに、躍り歌って熱き血潮を滾らそう。

「月はおぼろに花ぞ散る」
 「おぼろ」は、ほのか、はっきりしないの意。

「岡の三とせの春闌けて」
 「岡の三とせの春」は、向ヶ丘三年の春。卒業・去寮の時が近くなって。

「蘭燈あはし宵の陣」
 「蘭燈」は美しい灯籠のことだが、ここでは自治燈。紀念祭の夜の燈火。「宵の陣」は、紀念祭の夜の宴。宵の陣とは、うまくいったものである。

「いざ青春の感激を 紅の血に描きてん」
 「紅の血に描きてん」は、熱き血潮で感激を描こう。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司郎大先輩 この寮歌は、一読、時代を明治末に繰り上げたような自治寮健兒の歌で、この当時のあれ程の激動、即ち前年のニューヨーク株式大暴落からの世界恐慌、ソ連のスターリン独裁確立と、之をうけた日本共産党の地下組織に対する4・16の大検挙で、またも寮生20余名が検挙された事件、記念祭寸前の金輸出解禁とロンドン軍縮会議(若槻全権)等、外交、政治、経済、思想の全般にわたる激動も、この寮歌は敢えて受けつけず、さらに明治44年「光まばゆき」以来の自己沈潜、人生的意義の哲学的探究の寮歌系列ともやや異質の「護國慷慨調」を、しかも新鮮壮麗なタッチのうちに表出している。私はここに右も左も呑吐する向陵の伝統の大河の如き健全性を見る。 「一高寮歌私観から」
園部達郎大先輩 入寮初めての紀念祭は、第40回とあって、2月1、2日の2日に亘った。その中で、「春東海」が高らかに歌われた。作詞の大森洋太さん(昭6)は中学の先輩。失礼ながらこんな文才ありとは知らなかった。・・・長内端さん(昭6)は解説不要な寮歌作曲者、全部で十四の作曲があり、多く広く歌われているが、私の個人的感慨から言えば「春東海」に執着する。寮生活も短かったので、いろいろの驚きが懐かしい。
   
     「蘭燈」が自治燈と知りて美しき
「寮歌こぼればなし」から


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