旧制第一高等学校寮歌解説

小萩露けき

昭和4年第39回紀念祭寮歌 

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  1、小萩露けき   宮城野に
    一際高く     聳えつつ
    紅く輝く      橄欖に
    茂る柏も     靑葉山
*「聳えつつ」は、昭和50年寮歌集で「聳えつゝ」に変更された。

  2、靑葉の山に   杜鵑鳴き
    玉と澄みたる  廣瀬川
    受くる教に    若き血の
    湧くや理想の  泉嶽

  3、瞑想深き     臺の原
    樗牛の松の   下にして
    闇に蠢く     大衆に
    黙示與ふる   我が責任(つとめ
昭和10年寮歌集で、次の変更があった。

1、調
 キーを下げ、低く歌えるように、ニ短調からロ短調に移調した。
2、音
 1段4小節の4分音符を付点4分音符に改め、8分休符を置いて完全小節とした。これにより、「みやぎのにー」と伸ばして、かつ一呼吸入れて、「ひときわたかく」とゆっくり続ける。歌い易くなった。
3、その他
 テンポの「ゆるやかに」は昭和50年寮歌集で「緩徐に」と漢字に改められた。

 4段2小節以降を3拍子にすることによって、「かーわも|おばや」と「柏も」を高く弱起に、「青葉山」」を低く強起として終わる。哀調のメロディーに沿って仙台周辺の名所を紹介するいい寮歌ではあるが、それだけに終わった感は否めない。「筑紫の富士」(明治45年)や「嗚呼先人の」(昭和10年)のように、4番歌詞だけでなく、もう少し歌詞に向陵への切々たる思慕の情を盛りこめば、寮生の共感を呼び今も愛唱されたのにと思うと残念な曲である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
小萩露けき  宮城野に
一際高く    聳えつつ
紅く輝く     橄欖に
茂る柏も    靑葉山
1番歌詞 宮城野は、古来より露置く萩が多く歌に詠まれている風光明媚な所である。その宮城野に一際高く聳え立つ青葉山の東北大学で、橄欖の実が赤く熟し、柏の葉が青葉の城の名のように青々と茂った向ヶ丘の教えを守りながら、学問に励んでいる。

「小萩露けき 宮城野に」
 「小萩」は、小さな萩。また、萩の美称。「露けき」は、露に濡れている。「宮城野」は、仙台市の東郊、昔は萩などの秋草の名所として有名(歌枕)。
 藤原良経 「さを鹿の啼きそめしより宮城野の 萩の下露おかぬ日ぞなき」
 古今694  「宮城野のもとあらの小萩露をおもみ 風を待つごと君をこそ待て」

「一際高く 聳えつつ」
 「高く聳え」は、実際の高さでなく、そこに学ぶ者の意気、東北一の学問の水準をいう。「聳えつつ」は、昭和50年寮歌集で「聳えつゝ」に変更された。

「紅く輝く橄欖に 茂る柏も青葉山」
 「橄欖」は文の、「柏」は武の一高の象徴。「青葉山」は、作者が進学した東北大学や仙台城址のある丘陵。特定の山はなく、仙台平野の西を縁取る丘陵群の一つである。「青葉山」の「青葉」は、柏の「青葉」と重なる。
靑葉の山に  杜鵑鳴き
玉と澄みたる 廣瀬川
受くる教に   若き血の
湧くや理想の 泉嶽
2番歌詞 青葉山に杜鵑が鳴いて、紀念祭の春が来たと知らせる。広瀬川の水は、玉のように玲瓏として澄んでいる。東北大学で受ける教えも、豊富な湧水の泉嶽のように若者の血を湧かせるに充分魅力的なものである。

「青葉の山に 杜鵑鳴き」
 「杜鵑」はホトトギス。青葉山を中国古代の国・蜀の望帝が隠棲した山に見立てる。望帝は、春になるとホトギスとなって鳴き、民衆に播種の時季(春から初夏)を告げたという。ここでは青葉山に杜鵑が鳴いて、紀念祭の春が来たと知らせる意か。あるいは、「蜀が秦に滅ぼされたと聞いた望帝が『不如帰去』と歎き、啼いて血を吐いたという伝説を踏まえ、向ヶ丘への望郷の念を表すために「杜鵑鳴き」といったか。両方の意味を兼ねると解す。ただし、ホトギスは、日本では夏鳥で5月頃飛来する。紀念祭の頃には日本にいない。
 「澗谷の鶯舌聲老いて」(昭和12年「春の日晷に青葉なる」2番)
 文華秀麗集 「杜鵑の啼序春将に闌けむとし」

「玉と澄みたる 廣瀬川」
 「広瀬川」は、仙台市を流れる名取川支流の一級河川。「広瀬川恋歌」で全国的に有名になった。「玉と澄みたる」は、玉のように透き通った。玲瓏として塵なき学問環境をいう。

「受くる教えに」
 東北大学の授業。

「湧くや理想の泉嶽」
 「泉嶽」は、仙台市泉区の北西部に位置する船形連峰内にある標高1175mの山。七北田川の源流で豊富な湧水が名前の由来。ダムが作られ仙台平野を潤す水源となっている。「泉嶽」の「泉」は「湧くや理想」の「湧く」を承ける。
瞑想深き    臺の原
樗牛の松の  下にして
闇に蠢く    大衆に
黙示與ふる  我が責任(つとめ
3番歌詞 高山樗牛が瞑想に耽ったという台の原の樗牛の松の下で、暗い世の中に進むべき道が分からず右往左往している大衆に、針路を示し救いの手を差し伸べるのが我々の務めであると悟った。

「瞑想深き臺の原 樗牛の松の下にして」
 「樗牛の松」は、仙台の旧市内北部の小高い丘台の原に聳える樹齢650年余といわれる一本の松。高山樗牛が旧制第二高等中学校に在籍の頃、かなわぬ恋を歎きこの松の下で瞑想に耽ったことから樗牛の松と名づけられたという。また、この松は慶長の昔、伊達正宗の叔父国分彦九郎盛重が天神社の霊地を祀るために植えられたとの言い伝えがある。
 土井晩翠 「いくたびかここに真昼の夢見たる高山樗牛瞑想の松」(顕彰碑々文)
 「高山樗牛」
高山樗牛(明治4年から35年)は、山形県生れの小説家・評論家。東大在学中に読売新聞の懸賞小説で「滝口入道」が入選。一時、二高教授も勤めたが1年で辞任。日本主義、ニーチェ讃美、美的生活論へと思想展開し、晩年は日蓮研究に傾倒した。本能満足の主張や抒情的な美文が知識人青年に支持され、個人主義的な時代思潮を導いた。

「闇に蠢く大衆に 黙示與ふる我が責任」
 「闇に蠢く大衆に」は、暗い世の中に進むべき道が分からず右往左往している大衆。「黙示與ふる」は、針路を示し手を差し伸べる。
 「自治の光は常暗の 国をも照す北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番)
森の神秘に  百餘人
羽觴(さかづき)廻る    此の夕
柏の森を    すかし見よ
自治の光の  洩れ來るを
4番歌詞 神秘な雰囲気の青葉の山に仙台地区の一高出身者が100人ばかりが集まって、杯を交わしながら紀念祭を祝う。夕闇の遙か彼方、向ヶ丘を懐かしく望めば、自治の教えが胸に甦ってくる。

「森の神秘に 百餘人」
 「神秘の森」は、東北大学の青葉山キャンパス。「百餘人」は、東北帝大一高会の大学生のほかに教官、仙台在住の先輩らを含むものであろう。

「羽觴廻る 此の夕」
 「羽觴」は、さかずきの一種。すずめが羽を広げた形にかたどったもの。
 李白 『春夜宴桃李園序』 「瓊筵を開いて以て華に坐し 羽觴を飛ばして月に醉ふ
 晩翠 『荒城の月』 「春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして」
 他高寮歌にも「羽觴」はよく出てくるが、一高では、昭和12年「春尚浅き」の6番「別離の歌を高誦して 羽觴を月に飛ばさなむ」がよく知られる。他に大正7年「悲風慘悴」の2番に「羽觴を飛ばせ月に醉ふ」がある。

「柏の森を すかし見よ 自治の光の 洩れ來るを」
 「柏の森」は、向ヶ丘。「柏」は一高を象徴する。「すかし見よ」は、透けて見えるようにせよ。遠く望んで、心に思い描けの意。「自治の光」は、自治の教え。「洩れ來る」は、自治の教えが胸によみがえるの意。
                        

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