旧制第一高等学校寮歌解説

嗚呼繚亂の

昭和4年第39回紀念祭寮歌 

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1、嗚呼繚亂の花吹雪    散るを鎧の袖に受け
  別れの酒に面映(おもは)えて   名殘つきせぬ故郷を
  駒の高鳴き朗かに     離れし頃は春なれや

2、春や希望に若人が     高鳴る胸はふるへども
  見よ(ひんがし)に昇る()も    やがては西に沈むらん
  五體に溢ふる力にも    靑春終に幾時ぞ

3、靑春終に()へらねば   吾亦人の道行かん
  されど幾度強き手の    正義の旗を血塗りしに
  常に苦惱の海を行く    人生終に何ものぞ


5、さわれ吾亦人の子ぞ   保守退嬰を振り捨てよ
  歎きに沈む同胞(はらから)の     救の聲を耳にせよ
  義憤の血潮たぎらずや  燎原の果光りあり

6、今宵向陵()は燃えて   巣立ち雄々しき若人よ
  來れや(なれ)を待つ久し    力を合はせ手を取りて
  新興日本の建設に     いでや一歩を踏みなさん
現譜は、この原譜と同じである。変更はない。従ってMIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。
アウフタクトで、最初と最後の小節が不完全小節となっている。また、各行各句の前には、アウフタクトとするために4分休符を置き、一息継いで、次の句に移って行く。七語の句は8分音符の連符で、五語の句は伝統的な付点8分音符・16分音符で始まり、ともに付点4分音符の長音で受ける。このリズムが歌詞に絶妙の息吹きを与えており、この寮歌を歌い易くし、かつ向陵を切々と追慕する情趣を上手くかもし出すのに成功している。
 後の名優山村 聰作曲の2作目の寮歌。「朗吟する氣持ちで」とあり、詩吟のように声高に吟詠せよということであろう。私はこの歌の方が好きであるが、一高では、山村 聰のもう一つの作曲寮歌「白雲の向伏す」の方がよく歌われている。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
嗚呼繚亂の花吹雪 散るを鎧の袖に受け 別れの酒に面映(おもは)えて 名殘つきせぬ故郷を 駒の高鳴き朗かに 離れし頃は春なれや 1番歌詞 あの頃も向ヶ丘の桜が満開となって花吹雪となって散っていた。その花びらを袖に受けながら、頬を紅潮させて別れの酒を酌み交したものだった。名残尽きない故郷向ヶ丘を離れ意気揚々と京都に向かったのは、今と同じ春爛漫の頃だったなあ。

「嗚呼瞭亂の花吹雪」
 「瞭亂」は、花が咲き乱れること。

「散るを鎧の袖に受け」
 京大に進学する一高生を若武者に喩えた。「駒の高鳴き」も同じ表現。明治36年「王師の金鼓」5番の「緋縅しるき若武者の」、明治46年「緋縅つけし若武者は」1番の「緋縅つけし若武者の」、大正6年「櫻眞白く」4番の「汝が緋縅を鎧へかし」も一高生を若武者に喩える。

「名殘つきせぬ故郷を」
 「故郷」は、向ヶ丘。
春や希望に若人が 高鳴る胸はふるへども 見よ(ひんがし)に昇る()も やがては西に沈むらん 五體に溢ふる力にも 靑春終に幾時ぞ 2番歌詞 春は、若者が希望に胸膨らませて、あれもしたい、これもしたいと胸をときめかす季節であるが、大空の太陽も、中天に在って輝き続けているのではなく、朝、東の空に昇った太陽は、夕方には西の空に沈む。若者の五体に漲る力も、いずれ衰えて行く。青春は、いずれ終わる。青春は、いつまでも続くわけがないのだから。

「見よ(ひんがし)に昇る()も やがては西に沈むらん」
 太陽は西に沈むことは確実なことであり、推定・伝聞の助動詞「らん」は、本来の使い方ではない。まかり間違っても「西に沈むことがない」と強調したり、語調を整えるために使ったか。
 「ここに『らん』を使うのは合わない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「青春終に幾時ぞ」
 いつまでも青春が続くわけがない。やがて終わる。
靑春終に()へらねば  吾亦人の道行かん されど幾度強き手の 正義の旗を血塗りしに 常に苦惱の海を行く 人生終に何ものぞ 3番歌詞 青春は二度とかえって来ないのであるから、自分も悔いのないように人の踏み行う道をきちんと進みたい。しかし幾度か、義憤の血潮にかられて、この手で強く正義の旗を振ったことがあったが、常に苦惱の連続で、心の休まる暇がない。人生とは、結局、何なんだろうか。

「青春終に回へらねば 吾亦人の道行かん」
 「人の道」は、人の踏み行うべき道。具体的には、5・6番歌詞の「義憤の血潮をたぎらせて、新興日本の建設」に踏み出すこと、すなわち済世救民の社会主義の道。
 「作詞者が大学生であることを考えると、もう少し具体的な解釈が可能ではないか。いつまでも青春しているわけにはいかないから、そろそろ自分も現実に戻って人並みに就職を目指そうの意味にもとれる」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「されど幾度強き手の 正義の旗を血塗りてし」
 「強き手の」は、正義の旗を振る手を力強く。「血塗る」は、刀剣に血を塗る。戦ったり人を殺傷したりする。ここに「正義の旗を血塗りしに」というのは、義憤の血潮にかられて、先頭に立って正義の旗を振ったこと。具体的に何をいうか不明であるが、運動部の應援ではなく、社会主義活動のことをいうと解す。

「常に苦惱の海を行く 人生終に何ものぞ」
 「苦惱の海」は、苦界。仏教で、生死・苦惱が海のように果てしなく広がっている人間の世界。
旅路はるかに見渡せば 曠野は遠く路荒れて 茨は深く生ひにけり 遊子木蔭に駒留めて 單騎旅愁を包みかね 行方の路に迷ふ哉    4番歌詞 人生の旅の行く先を遙かに見渡すと、曠野は遠く続いて道は荒れ、険しい山や川が行く手に立ちはだかっている。京都に独り遊学中のもの淋しさに我慢できなくなって、木陰に佇んでは、これからの人生をどのように進めばいいか迷うのである。

「旅路はるかに見渡せば」
 4番は、人生を旅、自身を1番と同じ若武者に喩える。昭和3年は学問の自由、思想の自由の大弾圧が始まった年であった。「貧乏物語」の著者の河上肇京大教授らが大学を追われ、また共産党への全国的大弾圧が行われて多数の検挙者が出た(3.15事件)。経済的にも昭和2年の金融恐慌から昭和4年の世界恐慌の狭間で、緊縮予算、産業の合理化、金解禁の準備と混乱した時代であった。先行きの見通せない暗い時代が始まった。4番最後の「行方の路に迷う哉」は、作者の偽らざる心境であろう。「旅路」は、人生の旅。

「曠野は遠く路荒れて 茨は深く生ひにけり」
 「曠野」は、人生の旅の道。「茨」は、行く手に立ちはだかる困難や障害。人生の山や川。
 「当時経済不況のただ中にあって、大学生といえども求人が非常に少なく、就職難という厳しい現実に直面していることを表現していると見るのは、深読みに過ぎるであろうか。ちなみに、『大学は出たけれど』という映画が製作され流行語にもなったのは、ざさにこの年の4月のことであった。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「遊子木蔭に駒留めて」
 「遊子」は、家を離れて他郷にある人。作詞者の京大生。

「單騎旅愁を包みかね」
 「旅愁」は、旅行中に感じるもの淋しさ。旅情。
さわれ吾亦人の子ぞ 保守退嬰を振り捨てよ 歎きに沈む同胞(はらから)の 救の聲を耳にせよ 義憤の血潮たぎらずや 燎原の果光りあり 5番歌詞 そうではあるが、一高生は、正義感が強く義憤の血潮がたぎる人の子であるのだぞ。旧来のものを守るだけで、新しいものを取り入れようとしない態度は改めよ。すなわち、籠城主義の伝統を振り捨てよ。そして社会に出よ。社会の底辺で喘ぎながら救いの手を待つ民衆の声に耳を傾けよ。正義感の強い一高生ならば、義憤の血潮がたぎるはずだ。悪事や禍乱が蔓延って、もう救いようのない世の中に見えるが、諦めてはいけない。世直しはまだまだ可能である。

「さわれ吾亦人の子ぞ 保守退嬰を振り捨てよ」
 「さわれ」は、平成16年寮歌集まで訂正はないが、「さはれ」の間違いであろう。そうではあるが。「吾」は、一高生。「人の子」は、3番歌詞の「人の道を行く」人の子。正義感強く、義憤の血潮がたぎる(後の句)人の子。「退嬰」は、新しいことを進んでする意気込みのないこと。
 「人の子だからともすれば安んじたくなる保守退嬰を振り捨て、困っている同胞に救いの手をさしのべる。それが一高生、一高出身者のあるべき姿であろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「歎きに沈む同胞の 救の聲を耳にせよ 義憤の血潮たぎらずや」
 「同胞」とは、一高同窓生ではなく、搾取に苦しみ貧困に喘ぐ民衆をいう。「救の聲」は、救いの手を待つ声。「義憤」は、世の中にこんな不義・不正があっていいものかと憤り嘆くこと。「義憤の血潮たぎらずや」と一高生に奮起を促している。

「燎原の果光りあり」
 「燎原」とは野原を焼くこと。「燎原の火」として、野原を焼く火から、転じて火が野原に燃え広がるように勢いの盛んなこと。特に、悪事や禍乱のはびこる様の形容。
 「焼野が原になっても、なお希望の光を見失わない、そこに一高出身者の意気がある。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
今宵向陵()は燃えて  巣立ち雄々しき若人よ 來れや(なれ)を待つ久し 力を合はせ手を取りて 新興日本の建設に いでや一歩を踏みなさん 6番歌詞 今宵、向ヶ丘には紀念祭の灯が赤々とともっていることであろう。この紀念祭が終われば、雄々しい若者が向ヶ丘を離れ、いよいよ新しい人生の門出だ。長い間、一高生を待っているので、大学は京都に来てほしい。そして、力を合せ手を携えて、新しい日本を築くために、さあ一緒に、一歩を踏み出そう。

「今宵向陵()は燃えて」
 「燈」は、紀念祭の祭りの灯(自治燈)。1月27日に久邇宮邦彦王殿下が崩御したので、第39回紀念祭は、急遽、「大々的の娯楽・餘興を爲すは、實に国民として恥ずべき事なりと爲し」(「向陵誌」昭和4年2月)、記念式典、飾物及び茶話会のみとし、音楽・余興芝居・仮装行列等の娯楽は一切中止された。従って、篝火は焚かなっかたと思われる。
 「五寮春今自治燈に 宵を灯ともす紀念祭」(明治36年「綠もぞ濃き」6番)

「巣立ち雄々しき若人よ」
 向ヶ丘三年を終え今年卒業する一高生のこと。

「來れや汝を待つ久し」
 大正7年京大寄贈歌「いま京近き」3番の「彌生が丘ゆ移されし 枝はやうやく老いんとすやよ東風よ心して 若木の種を吹き送れ」と同じく、一高生を京大へ勧誘する意であろう。あるいは、”同志”の勧誘ともとれる。

「新興日本の建設に」
 5番歌詞を受けたものであろう。社会主義国家の建設といえば、少し言い過ぎか?少なくとも済世救民や世直しの意である。
 「世界の光 雲破る 新興日本に 友よ起て」(昭和5年「鯨波切りて」2番)
 「具体的にどういう建設を意味するか分からないが、第五節を受け、困っている同胞を救い、そこから新しい日本を作り出そうという意味が含まれる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「いでや一歩を踏みなさん」
 「いでや」は、文章の書き初めに用いて、いやもう。さてさて。
                        

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