旧制第一高等学校寮歌解説

八重汐路

昭和4年第39回紀念祭寮歌 

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、八重汐路きり晴れゆきて 秋津洲あけぼのきたる
  日の御子を御座(みくら)に仰ぐ  島人(しまびと)希望(のぞみ)に燃えて
  あらた世の幸うたひつゝ   新潮(にひしほ)にふねもやひす

2、あゝされど知る人やある  闇深く世をとざすころ
  橄欖の花の香たかき    丘の上に黎明(あけ)の鐘の音
  時代(とき)移る覺めよ皆人(みなひと)    (おごそ)かに鳴りわたりしを

3、この丘ぞわれらが住家   年古りし修道の城
  苔の色(いらか)に深く       礎石(いしずゑ)は草に埋もれど
  傳統の法火(ともしび)ゆらぎ      眞理(まこと)追ふ若人絶えず

4、歎かじな友なき運命(さだめ)     荊棘をわけ行くうれひ
  誓ひてし行手のぞめば    青春の血潮は(たぎ)
  淋しくも強き歩みに      永劫の旅路を行かん
この原譜に変更はなく、現譜と同じである。テンポはAllegretto(やや速く)だが、私はやや遅く歌っている。今は誰もこの寮歌を歌わない。
五・七調六行詩にぴったりあわせ、各行を1小楽節(1段)に収める3大楽節(6小楽節)からなる3部形式の曲。メロディー構成も簡潔に、大楽節別では、A-B-Aである。Aメロディーは、小楽節別に見ると1段主メロディーを4回繰り返す。少々飽きがくることは否めない。


語句の説明・解釈

「昭和3年から4年にかけての時代背景を考えると、第二節で『闇深く世をとざすころ』と言い、『時代移る覺めよ皆人』という表現の裏側や、第四節で『荊棘をわけ行くうれひ』という表現の奥底には、昭和3年3月15日の千六百名に及ぶ社会主義者の全国的一斉検挙、翌4年4月16日の共産党員の全国的大検挙に見られるような、治安維持法適用による反体制思想・運動への強硬な弾圧下に生じた危機意識、暗澹たる時代認識が働いていたのではないか。・・・第一節や第五節の、いかにも祝福するかのような口調は、弾圧の矛先をかわすための韜晦であったとも解されなくてはならない」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

語句 箇所 説明・解釈
八重汐路きり晴れゆきて  秋津洲あけぼのきたる 日の御子を御座(みくら)に仰ぐ 島人(しまびと)希望(のぞみ)に燃えて あらた世の幸うたひつゝ 新潮(にひしほ)にふねもやひす 1番歌詞 見渡すかぎり大海原は晴れ渡って、日本列島の朝は明けて行く。昨年11月10日、京都御所紫宸殿で昭和天皇の即位礼が挙行された。日本国民は、希望に燃えて、新しい昭和の御代に幸多かれと願い、新しい天皇のために一致団結を誓った。

「八重汐路きり晴れゆきて」
 「八重汐路」は、はるかな汐路。「汐」は、夕方に起る汐のさしひきであるが、次に「あけぼの」とあるので、朝の潮である。

「秋津洲あけぼのきたる」
 「秋津洲」は、日本国のこと(「あきつ」はトンボの古名)。

「日の御子を御座に仰ぐ」
 「日の御子」は、天照大神の御子孫。天皇、皇太子の称。「御座」は、高御座。天皇の位の称。天皇の玉座。昭和3年11月10日、昭和天皇の即位礼が京都御所紫宸殿で挙行されたことを踏まえる。
 「すめらぎの、のぼります たかみくら、あま照る日と」(昭和3年「御大典奉祝歌」)

「あらた世の幸うたひつゝ」
 昭和の時代が幸多かれと祈りつつ。

「新潮にふねもやひす」
 「新潮」は、昭和の新た世。「もやひ」は、舟と舟をつなぎあわせる。国民が協力して新しい天皇を盛りたてると誓う。
あゝされど知る人やある 闇深く世をとざすころ 橄欖の花の香たかき 丘の上に黎明(あけ)の鐘の音 時代(とき)移る覺めよ皆人(みなひと) (おごそ)かに鳴りわたりしを 2番歌詞 しかしながら、知っている人はいるだろうか。今、世間は、学問の自由が侵され、左翼思想が厳しく弾圧される暗い世となっているのを。橄欖の花の香の高い向ヶ丘に、昭和の御代を告げる覚醒の鐘の音が厳かに鳴り渡った。世の皆人よ、向ヶ丘の鐘の音を聞いて、世の中が間違った方向に向かっていると気がついてほしい。

「闇深く世をとざすころ」
 学問の自由が侵され、思想が弾圧される暗い時世をいうか。
 大正14年5月12日、治安維持法が施行され、左翼思想取締りが厳しくなった。昭和3年3月15日、共産党への全国的大弾圧が行われ、検挙者1568人、起訴された者483人に上った(所謂3.15事件)。4月17日には、大学の思想運動団体・東大新人会に解散命令がなされた。同月18日には京大河上肇らが大学を追われ、学問の自由が侵された。一高では、治安維持法が施行された年の大正14年9月25日、一高社会思想研究会は解散させられ、昭和2年6月20日に不穏ビラまきで寮生2名が退寮処分を受けた。悲惨を極めた所謂、一高「三月事件」は、紀念祭のあった1ヶ月後の昭和4年3月9日のことであるが、処罰予定者の尾行や内偵、呼び出し調査等は、この頃、既に行われていたと思われる。

「橄欖の花の香たかき 丘の上に黎明(あけ)の鐘の音」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。「橄欖の花の香の高い」は、文化教養の香の高い意。「丘」は、向ヶ丘。「黎明の鐘の音」は、昭和の新しい世の夜明けを告げる鐘。

「時代移る覺めよ皆人 嚴かに鳴りわたりしを」
 「時代移る」は、昭和の時代となったこと。「覺めよ皆人」は、向ヶ丘に鳴り渡る覚醒の鐘の音を聞いて、世の皆人よ、世の中が「闇深く世をとざす」間違った方向に行っていると気づいてほしい。
この丘ぞわれらが住家 年古りし修道の城 苔の色(いらか)に深く 礎石(いしずゑ)は草に埋もれど 傳統の法火(ともしび)ゆらぎ 眞理(まこと)追ふ若人絶えず 3番歌詞 向ヶ丘こそ我ら一高生の住家であり、人間修養に励む古びた修道院である。寄宿寮は、甍は苔むし、礎石は草に埋もれて随分と古くなったが、伝えの自治は連綿として引き継がれ、真理を追究する若者が、毎年、入寮して常に若々しい。

「この丘ぞわれらが住家」
 「丘」は、向ヶ丘。
 「ありし日のわれらが棲處」(大正15年「人の世の」2番)

「年古りし修道の城」
 「修道の城」は、一高寄宿寮。古代寺院は全寮制の学問寺であった。多くの僧侶が教義を究めるため戒律厳しく僧坊で起居をともにした。一高寄宿寮をこの古代寺院・僧坊になぞらえた。今も南都西ノ京の唐招提寺には礼堂・東室として往時の僧坊が残る。
 「今はた丘の僧園に」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)
 「修道の丘夢亂る」(大正13年「今日回り來る」1番)

「苔の色甍に深く 礎石は草に埋もれど」
 「苔の色」も「草に埋もれ」も、ともに一高寄宿寮の歴史が古くなったことの形容。

「傳統の法火ゆらぎ 眞理追ふ若人絶えず」
 「法火」は、仏法を闇夜を照らす灯に喩えていう語。また、仏法相伝の命脈。ここでは、自治相伝の命脈。「ゆらぎ」は、ここでは、ゆらゆらと燃えている。
歎かじな友なき運命(さだめ) 荊棘をわけ行くうれひ 誓ひてし行手のぞめば 青春の血潮は(たぎ)る 淋しくも強き歩みに 永劫の旅路を行かん 4番歌詞 友もなく、たった一人で旅をしなければならない淋しさや幾多の障害を乗り越えていかなければならない愁いを嘆かないでおこう。真理を得ると誓った旅の行く手を望むと、青春の血は滾る。真理追究の旅は、淋しいものであるが、力強く永遠に旅を続けよう。

「歎かじな友なき運命(さだめ) 荊棘をわけ行くうれひ」
 「友なき運命」は、真理は一人で淋しく強く追究するもの。「荊棘」は、行く手の障害・困難。

「誓ひして行手のぞめば」
 「誓ひして」は、真理を得ると誓った旅。

「淋しくも強き歩みに」
 「淋しく強く生きよとて」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)

「永劫の旅路を行かん」
 「永劫の旅路」は、真理追求の旅。果てしない永遠の旅である。
八寮に自治燈赤く 春めぐる三十九年 今宵こそわれらが祭 いざ共に篝火(かがり)をかこみ 榮行(さかゆ)かん丘のいのちを 高らかにうたひ祝はん 5番歌詞 今年も春が廻って来て、一高寄宿寮は39回目の紀念祭を迎えた。八寮に自治燈は赤く燃え、今宵こそ、我ら一高生の祭の日だ。さあ、一緒に篝火を囲み、一高寄宿寮の自治が益々栄えていくように、高らかに寮歌を歌って祝おう。

「八寮に自治燈赤く」
 「八寮」は一高寄宿寮、東・西・南・北・中・朶・明・和の8棟。「自治燈」は、3番歌詞の「傳統の法火」。「自治燈赤く」は、祭の燈は赤く。また、一高寄宿寮の自治が礎固く栄えていることをいう。

「春めぐる三十九年」
 開寮以来、三十九周年を迎えたこと。

「いざ共に篝火をかこみ」
 1月27日に久邇宮邦彦王殿下が崩御したので、第39回紀念祭は、急遽、「大々的の娯楽・餘興を爲すは、實に国民として恥ずべき事なりと爲し」(「向陵誌」昭和4年2月)、記念式典、飾物及び茶話会のみとし、音楽・余興芝居・仮装行列等の娯楽は一切中止された。従って、篝火も焚かなっかたと思われる。

「榮行かん丘のいのちを 高らかにうたひ祝はん」
 「丘のいのち」は、自治。
                        

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