旧制第一高等学校寮歌解説

しじまなる

昭和4年第39回紀念祭寮歌 



スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、しじまなる丘べに立てば  西のかた(あかく)くのぞまる
  大い宇宙()人生(いのち)を惠む   若き兒の頰に(さび)あり
*「しじまなる」は昭和50年寮歌集で「しゞまなる」に変更された。


2、春はいま丘にたヾよふ   はろかなる懐疑(おのひ)のうちに
  涙さへしらず流るゝ     花のもと夕暗薄し

3、時は逝く淡く陰影(かげ)して    かすれゆく草笛の音に
  (うるは)しき想ひを載せし    空虚(うつろ)なる日ぞなつかしや  

4、酒杯(さかづき)に唇はふるとも     ふたつなき夢のかへらず
  高樓(たかどの)の淡き灯かげに    いざなはる哀歡(かなしみ)の歌
変ロ長調、4分の3拍子他、譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。
五・七調四行詩に対応して、4小楽節の2部形式で、曲・詞ともシンプルな寮歌である。ミレドーミソ ファーラーラー ソーレーレーミーー と心地よい純なメロディーで、長調でありながらセンチメンタルな抒情性豊かな曲となっている。そのためか、今も一高生に愛好されている寮歌の一つで、寮歌祭でもリクエストが多い。
作曲者は、一高寮歌(14曲)を最も多く作曲している長内 端。「しじまなる」はその第1作である。他に長内の作曲としては、「春東海の」(昭和5年)、「彩雲は」(昭和6年)、「手折りてし」(昭和8年)、「緑なす」(昭和9年)、「大海原の」(昭和10年)、「天つ日を」(昭和18年6月)がよく歌われる。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
しじまなる丘べに立てば 西のかた(あかく)くのぞまる 大い宇宙()人生(いのち)を惠む 若き兒の頰に(さび)あり 1番歌詞 静まり返った向ヶ丘に立つと、太陽が没しようとして西の空が赤く染まっているのが見える。大宇宙に人生の奥義を見出そうと真理追求の旅を続ける一高生の頬に淋しさがよぎる。

「しじまなる丘べに立てば」
 「しじまなる」は、静寂。静まりかえっている。昭和50年寮歌集で「しゞまなる」に変更された。「丘」は、一高のある向ヶ丘。

「西のかた赤くのぞまる」
 日没で西の空が赤く染まっている。夕焼け。

「大い宇宙に惠む」
 「惠む」は、芽ぐむの意。

「若き兒の頰に寂あり」
 「若き兒」は一高生。「寂」は、正気・活気が衰え、元の力や姿が傷つき、いたみ、失われる意。たんなる夕方のもの悲しさでなく、太陽(宇宙の眞理)が沈み、暗い夜となって、真理や正義が通らない暗い世の到来を暗喩する。
 「かゞやきし日はしづみゆき 光なき夜は來りぬと なげく時代我は生れて」(昭和9年「綠なす」1番)
春はいま丘にたヾよふ はろかなる懐疑(おのひ)のうちに 涙さへしらず流るゝ 花のもと夕暗薄し 2番歌詞 向ヶ丘は、いま春たけなわである。しかし、果てしなく続く真理追究の旅に疲れ果て、真理を得られないもどかしさに、涙が思わず頬を伝う。外は、満開の桜の花明りで、夕闇でさえ、暮れなずんでしまう春だというのに、陽気な気分になれない。

「はろかなる懐疑のうちに 涙さへしらず流るゝ」
 「懐疑」は、何時までたっても決定的な考えを持つことが出来ないこと。この「懐疑」は、真理追究の懐疑としたが、学校から禁止された左翼思想への断ちきれない思いをいうのかもしれない。
 
「花のもと夕闇薄し」
 暮れなずんでまだ薄明るい状態が続く夕べ。桜の花がパッと明るく咲いて灯の役目を果たしているといいたいようだ。

 「第二節から第四節にかけての陰翳に富んだ叙情の背景としては、・・・当時の左翼思想・運動の弾圧に基づく政治的、社会的な厳しい状況が考えられなくはない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
時は逝く淡く陰影(かげ)して かすれゆく草笛の音に (うるは)しき想ひを載せし 空虚(うつろ)なる日ぞなつかしや   3番歌詞 時代は、暗い影を残して過ぎて行く。すなわち治安維持法の下、学問の自由は制約され、左翼思想は厳しい取締りを受ける暗い時代となった。どこからともなくかすかに聞こえてくる、もの哀しい草笛の音に、うるわしかった昔を思い出してしまった。何も怯えることもなくのんびりと過ごしていた日々が懐かしい。

「時は逝く淡く陰影して」
 治安維持法下、共産党大弾圧(3.15事件)、東大新人会の解散命令、京大河上肇らの大学からの追放、一高での左翼学生の処分など思想取締りが厳しくなった暗い世を踏まえる。

「 「かすれゆく草笛の音」
 かすかに聞こえてくる草笛の音。

「空虚なる日ぞなつかしや」
 「空虚なる日」は、のんびりした平穏な日々。左翼思想取締りなどはなく、怯えることもなかった。
酒杯(さかづき)に唇はふるとも ふたつなき夢のかへらず 高樓(たかどの)の淡き灯かげに いざなはる哀歡(かなしみ)の歌 4番歌詞 杯に口を付け酒を飲んでも、青春は再び返るわけではない。寄宿寮の寂しい灯影の下で、つい哀しくなって、青春を惜しんで寮歌を口ずさんでしまう。

「ふたつなき夢のかへらず」
 「ふたつなき夢」は、二度と返らない青春。

「高樓の淡き灯かげに」
 「高樓」は、寄宿寮。「淡き灯かげ」は、紀念祭の直前の1月27日、久邇宮邦彦王殿下が逝去された。寄宿寮委員は、急遽、緊急総代会を2回開催して、昭和4年2月1日の第39回紀念祭は、式典・飾り物・茶話会のみとし、音楽・芝居・仮装行列は中止することを決めた。この寮歌の歌詞は、総代会以前に応募決定されたものと思われるが、「淡き灯かげ」は、さびしい灯影と解す。「灯」は、昭和50年寮歌集で「燈」に変更された。

「いざなはる哀歡の歌」
 「哀歡の歌」は、ふたたび帰らない青春を惜しんで、口ずさむ寮歌。久邇宮邦彦王殿下が逝去された以前の応募作であるので、この句は殿下の逝去を悼んで詠んだものではない。
若ければ野心(のぞみ)のまゝに 誇らかに光榮(はえ)に聳ゆる この丘にのぼりて三年 現實(まこと)なる世をば知りたり 5番歌詞 若者なら誰でも憬れる、天下に名高い光栄ある第一高等学校に入学して三年、現実の世の厳しさを知ることが出来た。

「若ければ野心のままに」
 「野心」は、やりたいこと。ここでは一高に入学すること。若者なら誰でも憬れる。
 「京に出でゝ向陵に 學ぶもうれし、武蔵野の」(明治43年「藝文の花」1番)

「誇らかに光榮に聳える」
 「光榮」は、栄光の歴史と伝統。「聳える」は、天下に名高い。
「この丘にのぼりて三年」
 「この丘」は、向ヶ丘。「のぼりて」は、入学して。第一高等学校に入学して三年たった。

「現實なる世をば知りたり」
 「現實なる世」は、6番歌詞の「荊ふ旅路」の世。また、治安維持法下の取締りで、左翼思想や学問の自由が弾圧された厳しくて暗い世をいうか。

 「第五節では、あこがれの向陵の中にも、人間生活の現実の相を知ったと、寮生活讃仰一辺倒の中に、一本の銀のくさびをうち」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
明日よりは荊ふ旅路 涯しなき行方正しく 見きはむる力たくはへ 黎明(あかつき)を静かに待たん 6番歌詞 明日は、向ヶ丘を離れて新しい人生の旅に出る。向ヶ丘と違って、行く手にはどんな困難が待っているかもしれないが、はてしない旅の行方を正しく見極める力を蓄え、門出の朝を静かに待とう。

「明日よりは荊ふ旅路」
 「荊ふ旅路」は、向ヶ丘を出て向う、困難の多い新しい人生の旅路。
 「三年の夢は安かりき さながら今は長江の 河口間近くわだつみの 荒浪をきくわれ等かな」(明治43年「藝文の花」3番)
 「あくがれ出ん城の扉を 叩けば開く矢の響」(明治40年「思ふ昔の」2番)

「黎明を静かに待たん」
 「黎明」は、門出の朝。

 「第六節(第五節とあるが誤植)で、涯しなき荊棘の人生行路に、正しい進路をみつめる力を蓄え、『黎明を静かに待たん』といっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
今宵みな花にまどゐし 若き幸かたみに()けつ  あゝ友よ心ゆくまで 歌へかしふるさとの曲  7番歌詞 今宵はみな紀念祭の宴に集まって、互いに、はなむけの言葉を交わしながら、ああ友よ、ふるさと向ヶ丘の歌、すなわち寮歌を心ゆくまで歌おう。

「今宵みな花にまどゐし」
 「花」は紀念祭の宴。「まどゐ」は、みんなで楽しく過ごすこと。

「若き幸かたみに享けつ」
 「若き幸」は、若人の門出を祝福すること。はなむけの言葉。「かたみに」は、交互に。

「歌へかしふるさとの曲」
 「ふるさとの曲」は、もちろん寮歌である。「かし」は、念を押し意を強める。
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌  昭和本郷の寮歌