旧制第一高等学校寮歌解説

白雲の向伏す

昭和4年第39回紀念祭寮歌 

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1、白雲の向伏す高嶺    七谷を水は落つれど
  (こがれ)れゆく頂いづこ   眞理(まこと)の花折らむ(すべ)なし
  夕谿に瀬の()も冴えて  旅(ぎぬ)に氷雨冷ゆるを
  いざ友よ今宵は伏さむ  一つ夢胸に結びて

3、選まれて共に上りし    運命(さだめ)なる人生(ひとよ)の旅路
  光滿つ花の下蔭      語りてし懊惱(なやみ)もありき
  霜凍る夜半の嵐に     相寄りて音にも泣きしか
  三つ年の追壊(おもひ)つきぬに  今日はまた君と別れむ
昭和10年寮歌集で次の変更があった。歌詞にふさわしい滑らかで抒情あふれる寮歌となった。

1、調
 イ長調から同名調のイ短調に移調した。その方法は、イ長調の譜を基本的にそのままとし、3つの♯(調号)をはずした。

2、音・リズム
1)リズム
 タタ(8分音符×2)をすべて、タータ(付点8分音符・16分音符)のリズムに変更。
2)音(イ短調の符読み)
(1)「むかふす」の「ふす」(1段3小節)  レド(イ長調ではファミ)をドーシに変更。
(2)「をみず」(2段2小節)         ラーソファ(イ長調ではドーシラ)をラーシラーファに変更。下線はスラー。
(3)「たびぎぬ」の「た」(3段 5小節)   ラ(イ長調ではド)をシーに変更。
(4)「ひと」の「と」(5段2小節)       シ(イ長調ではレ)をラに変更。

 曲想文字は、第1段曲頭に「静かに」、第3段曲頭に「高らかに躍る様に」とあるが、一高生は「消耗歌」と称して初めから終わりまで極めてゆっくり同じテンポで歌う。また、歌い方も各人各様である。合わして歌うに難しく斉唱には不向きな寮歌といえよう。作曲は後年の名俳優山村 聰で、他に同じ年の京大寄贈歌「嗚呼繚亂の」も作曲している。ある座談会で、「山村さんは作曲もなさったんですね」と聞かれ、「一芸に秀でた者(一高生という意味)は、作曲でもなんでも出来るんだ」と嘯いていた。一芸も持たぬ凡人には頭が痛い山村の発言である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
白雲の向伏す高嶺 七谷を水は落つれど (こがれ)れゆく頂いづこ 眞理(まこと)の花折らむ(すべ)なし 夕谿に瀬の()も冴えて 旅(ぎぬ)に氷雨冷ゆるを いざ友よ今宵は伏さむ 一つ夢胸に結びて 1番歌詞 白雲が浮ぶ遠い彼方の高山には、頂から多くの谷川が流れ落ちているが、自分が憧れる真理の頂には、どの谷川を遡れば辿り着くのか分からないので、真理の花を折る術がない。夕方、辺りが静かになったので、真理の頂きに誘う谷川の瀬音がはっきりと聞こえてきた。冷たい雨が旅の衣を濡らして寒いけれども、さあ友よ、今宵は横になって、一緒に真理を得る夢を見よう。

「白雲の向伏す高嶺」
 「向伏す」は、遠い彼方に伏す。

「七谷を水は落つれど」
 「七谷」は、多くの瀬の意の七瀬から、「七谷」も多くの谷。谷は遡っていけば、頂に到達するはずであるが、多くの谷があるので、どの谷を遡れば、真理の頂に到達するのか分からないという意。

「憧れゆく頂いづこ 眞理の花折らむ術なし」
 「憧れゆく頂」は、真理。「眞理の花折らむ術なし」は、真理を得る方法がない。

「夕谿に瀬の音も冴えて」
 「瀬の音」は、真理へと誘う音。谷川の瀬音を遡れば真理の頂きに着く。「冴えて」は、澄んだ音がして。はっきりと真理の頂きへと導く谷川の瀬音が聞こえる。

「旅衣に氷雨冷ゆるを」
 真理追求の旅の孤独で淋しいことをいう。「氷雨」は、みぞれに近い。きわめて冷たい雨。

「一つ夢胸に結びて」
 「一つ夢」は真理を得る夢である。

 「第一節では、高山のイメージのもとに、高校生活の中心課題であった真理・真実探究の厳しい道程に生まれる友情を歌い」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「真理の花は手折るすべがないから、氷雨ふるさむき夜を、向陵の友よ相同じき理想に向う夢を結ぼうと歌う。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
(あめ)垂るゝ潮路の限り 波枕共に重ねて この舟ぞわれ等が住家 かへり見る陸ははろかに ほの白みつゞくわだつみ 白銀(しろがね)珍珠(うづたま)秘めて 五百重波深き底ひに 鐘ぞなるいみじその音 2番歌詞 空と海が接する水平線の遙か遠くの海まで、波をかき分けて進んで行く自治の舟こそ、我らが住家の一高寄宿寮である。振返って見ると、陸から沖に遠く離れて、白い波の穂が続く大海の真っ只中にいる。白く輝く真珠を秘めた幾重にも重なって寄せる波の底深くから、理想の自治の妙なる鐘の音が聞こえてくる。

「天垂るゝ潮路の限り」
 「天垂るゝ」とは、空が垂れて潮路(海)と接したところ、すなわち水平線と解す。
 「類語に『天足らす』があり、天界に充満する意である。『天の原振りさけ見れば大君の御命は長く天足らしたり』(万葉2・147)。そのような類語的発想のもとに『潮路』に充満と永遠のイメージを与えたのではないか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「この舟ぞわれ等が住家」
 寄宿寮を船に喩える。
 「我のる船は常へに 理想の自治に進むなり」(明治35年「嗚呼玉杯に」4番)

「ほの白みつゞくわだつみ」
 「ほの白み」は、白い波の穂。「み」は、卵の「白み」の「み」と同じで、形容詞語幹について体言をつくる接尾語。「わだつみ」は、海。海神のいるところの意。

「白銀の珍珠秘めて」
 「白銀の珍珠」は、白く輝く真珠。「珍珠」は、手に入れ難く珍しい。理想の自治、真理を暗喩する。
 「あゝ海洋(わたつみ)の底ふかく 沈める眞珠を捜るべく」(明治40年「あゝ大空に」1番)
 「『珍珠』ははっきりしないが、海幸彦・山幸彦の神話における『塩盈珠(しほみつたま)』と「塩乾珠(しほひのたま)』のように、絶妙の力をもって神秘の世界を実現する不思議な力を意味しているか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「五百重波深き底ひに 鐘ぞなるいみじその音」
 「五百重波」は、幾重にも重なって寄せてくる波。「いみじ」は、素晴らしい。妙なる。「鐘」は自治の鐘。寄宿寮を船に喩え、永遠の自治を求め航海をするのである。
 「第二節では大海原に浮ぶ小舟のイメージに託しつつ、『白銀の珍珠』に喩うべき高尚な芸術の神髄や、『いみじ』き『鐘』の『音』に比すべき宗教的秘義に魂を惹かれる心情をうたい」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『(あめ)垂る潮路の限り』と伊藤左千夫のの九十九里浜の歌より捉え来った初句を起し、寮生活を孤舟にたとえ、天、水に連なる果を眼差して進むが、深い海底の(うず)の白玉は手に採りがたく、然しその海底から珠を守る鐘の音がいみじくも響くとうたい前節と秀れた対象をなす。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)*大先輩が伊藤左千夫のの九十九里浜の歌といったのは、「九十九里の波の遠鳴り日のひかり 青葉の村を一人来にけり」の歌であろう。
選まれて共に上りし 運命(さだめ)なる人生(ひとよ)の旅路 光滿つ花の下蔭 語りてし懊惱(なやみ)もありき 霜凍る夜半の嵐に 相寄りて音にも泣きしか 三つ年の追壊(おもひ)つきぬに 今日はまた君と別れむ 3番歌詞 人生の旅の途中に、多くの応募者の中から選ばれて一高生となったのも、奇しき縁のなせる(わざである。自治の一高寄宿寮に起伏しして、友と悩みを語り合ったこともあった。霜も凍る冷たい夜の嵐の音に怯えて、友と一緒に泣いたこともあった。すなわち、左翼思想学生の取締りでは、随分と心配し辛い思いをした。向ヶ丘三年の名残が尽きないというのに、今日は、もう友と別れなければならないというのか。

「選まれて共に上りし」
 「選む」は、「選ぶ」に同じ。「上る」は、向ヶ丘に登ること。「上りし」は、一高生になった。

「運命なる人生の旅路」
 人生を旅と見る。旅の途中、若き三年間を真理の追究と人間修養のために向ヶ丘で過ごすようになったのも奇しき縁のなせる業である。
 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)

「光滿つ花の下蔭」
 「光」は自治、「花の下蔭」は寄宿寮。

「霜凍る夜半の嵐に 相寄りて音にも泣きしか」
 「霜凍る夜半の嵐」は、厳しくなった左翼学生取締りのこと。大正14年5月に治安維持法が施行されて以降、左翼思想や左翼学生活動の取締・弾圧は、年を追うごとに厳しくなっていった。悲惨を極めた所謂、一高「三月事件」は、紀念祭のあった1ヶ月後の昭和4年3月9日のことであるが、処罰予定者の尾行や内偵、呼び出し調査等は、この頃、既に行われていたと思われる。「相寄りて音にも泣きしか」は、厳しい取締り処分の前夜、友の身を案じ、あるいは己の処分に恐れおののく一高生を喩える。
 「吹きあるる夜半の嵐に 音立ててさわぐ椎の葉」(昭和9年「綠なす」2番)
 「吹く木枯に橄欖の ふるふ梢の響かな」(昭和7年「吹く木枯に」1番)
 昭和3年3月15日 共産党への全国的大弾圧、検挙1568人、起訴483人
             (3.15事件)。
       4月17日 東大新人会に解散命令。
         18日 京大河上肇、23日 東大大森義太郎、24日 九大
             向坂逸郎ら大学から追放される。
       7月 6日 生徒1名、都下学生自治擁護同盟のデモに参加、
             日比谷署に検挙され、無期停学となる。
 「而して此の學年末に當り、思想問題より生徒18名の犠牲者を出し、且之と關聯して向陵刷新会の解散を命ぜられたるは、光輝ある向陵の歴史に取りて大いに遺憾なる事件なりとす。」(「向陵誌」大正4年3月)
 「5名の新任委員中4名までも、『三月事件』で奪はれた我辯論部は、こゝに一大受難期に遭遇しなければならなかった。更生か?、將、また壞滅か? 學校黨局の過重なる干渉と、保守的寮生の惡罵、嘲笑との嵐の中に我辯論部は、あまりにも重き歴史的使命をその双肩に擔ふべく、再建に努力せねばならなかった。」(「向陵誌」辯論部部史昭和4年度)

「三つ年の追懐つきぬに」
 「三年」は、向ヶ丘の三年。

 「第三節ではエリートとしての輝かしい道を歩むわれわれにとっても、『人生の旅路』には深刻な懊悩もあり、別離も悲しみもつきまとうことを歌い」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
(あけ)近み見さくる行手 いやはろに限り知らねば 御教を堅く誓ひて  せめて()首途(かどで)祝酒(うまき) 流らふる狭霧亂れて 新代(あらたよ)の御光射せば  今日もまた丘の櫻樹   あくがれのみ(そら)指さずや 4番歌詞 明け方近く、人生の旅の行く手を遙かに見やると、行く手は限りなく遙かに遠い。向ヶ丘を離れても恩師から学んだことを固く守ると誓って、乾杯して人生の門出を祝おう。向ヶ丘に立ち込めていた霧が晴れて、昭和の新しい御代の光が射しているので、桜の木が天に向かって伸びるように、一高生は天に輝く太陽、すなわち真理を追究して今日もまた旅を続けるのである。

「曉近み見さくる行手」
 「曉」は、夜が明けようとしてまだ暗いうち。「見さくる」は、遠くをはるかに見やる。

「いやはろに限り知らねば」
 「いや」は、無限に。「はろに」は、遙かにの意であろう。

「御教を堅く誓ひて」
 「御教」は、向ヶ丘で恩師から学んだこと。師の教えは当然入るが、寄宿寮で学んだ自治、四綱領も「御教」に入るか?
「師の教えに基づいて将来への覚悟を定める心情を歌っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「流らふる狭霧亂れて」
 ずっと流れていた霧がようやく晴れてきて。「乱れる」は、バラバラになる。すなわち晴れる。

「新代の御光射せば」
 昭和天皇が即位し、昭和の時代となったこと。
 昭和3年11月10日、天皇、京都御所紫宸殿で即位礼挙行。

「今日もまた丘の櫻樹 あくがれのみ天指さずや」
 「丘の桜樹」は、一高生を喩える。「あくがれのみ天」は太陽。真理、正義を象徴する。今日もまた、一高生の真理追究の旅は、果てしなく続くの意。

 「最後に、卒業を間近に控えての紀念祭に、新しい人生への首途の祝杯をあげつつ、師の教え基づいて将来への覚悟を定める心情を歌っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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