青と蒼と藍

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VS士郎(シロウ)

第7話

 その日。土曜の午後。
 わたしはまだ残っている授業を早退する事にした。
 学園では優等生としてとおっている私にとって早退するということは少々問題があるが、どうしても今日中にやらなければならないことがわたしにはあった。両者を天秤にかけ、わたしは後者を選んだというわけだ。
 昼休み。担任の教師にてきとうな理由をならべて早退の許可をとった。とくに問題なく許可された。普段の優等生としての振る舞いはこういうところでもいきてくる。

「さてと」

 上着を羽織り、仲の良いクラスメイトにあいさつをして教室を出る。
 廊下を歩いているとちゅう、廊下から別の教室をのぞき見た。

「……」

 教室にわたしの探す男はいなかった。
 またいつものように生徒会室にでも行っているのだろうか。昼食をそこで取るのはあいつのお決まりだ。わたしも一時期は昼食をあいつと一緒にしていたときもあったのだけど最近はそれも減った。
 わたしたちの関係を秘密にしている以上それもしょうがないこと。しょうがないけど、だからといってこの胸の中の腹立たしさが消えることはない。あいつが別段さびしそうにしていないこともそれに拍車をかける。
 ちょっとくらい無理してでも、一緒にお昼ご飯を食べよう、って言ってくれたっていいじゃない。そりゃあ、秘密にしておこうって言い出したのはわたしなんだけどさ。なんかわたしだけが我慢しているみたいなのよね。
 誰にも見つからない、二人っきりになれるところはあると思う。たとえば弓道場とか。どこかの部室とか。たまには誘ってくれたって……

 まあ、今日はどうせ無理だけど。わたしは早退するし。

 足を止めたのはほんの少しだった。
 わたしはすぐにその教室を通り過ぎる。
 いまはここに用などない。

 通り過ぎて、階段をおりる。すれ違う生徒のほとんどがわたしに視線を送ってくるが、わたしはいつものように自然にそれを受け流した。
 どんな時でも余裕を持って優雅たれ。
 遠坂の家訓はわたしのこの身に色濃く受け継がれている。ただ、最近はある一人の男が絡んでくると、わたし自身この家訓を忘れかけてしまうことがあるのだが。
 そういう意味では、あいつとこの学園で会わないようにするということは賢明なことなのかもしれない。しばらくはそう割り切るしかないだろう。

「げっ、遠坂」

 一階の廊下を歩いていると前から来た女生徒がそんな声を発した。わたしの顔を見るなりそんな声を出すのはこの学園では一人しかいない。いや、もう二、三人いるかもしれないが、こうまで面と向かって言い放つのは一人しかいない。

「あら、蒔寺さん」
「だーから、その気色悪い呼び方はやめろってーの」

 名前を呼ばれた蒔寺楓は嫌そうな顔を隠しもせずに唇をとがらせた。
 彼女はプライベートでもつき合いのある数少ないわたしの友人だ。まあ友人といってもいろいろあるけど。
 弓道部の部長、美綴綾子もわたしの友人の一人だが、蒔寺楓は彼女ほど慎み深くはない。だからこうして廊下で睨み合うなんてこともたまにはあるわけだ。
 蒔寺は嫌そうに、わたしは微笑みながら。

 そして、こういう時に間をとりなす人がいつもは二人ほどいるんだけど、

「……氷室さんと三枝さんは?」
「いつも一緒ってわけじゃないの、わたしらだって」

 まあ、彼女の言うとおりだとは思うけど。ちょっと、ねえ。
 それにしてもなんかいつも思うんだけど、わたしに対する態度が、普通の人と友人とでどうしてこうも極端なのかしら。そりゃあ、わたしのほうにその責任の大部分があるのかもしれないけど。
 そういえば士郎も言ってた。イメージの中の遠坂凛と、実際に話してみた遠坂凛とじゃ全然別人だって。
 でも士郎は、俺はそういう遠坂が好きなんだけど、とも言ってくれた。

「……ちょっと、なに顔赤くしてんだよ」

 え?
 あ……

「なんでもないわ」

 いけない。つい変なこと思い出してしまった。
 とりあえずわたしはいつもの余裕を取り戻し、さっさとこの場を立ち去ろうとする。

「では、蒔寺さん。わたしはこの辺で……」
「あれ? なんだ。遠坂も早退すんの?」
「……も?」

 少しだけ気になる言葉。

「なんかさ、さっき衛宮士郎を見かけたんだけど、あいつも早退したみたいだったから」
「し……衛宮くんも?」
「ああ」
「そう……」

 なんでかしら。別に何も聞いていないけど。

「じゃ、まあ、また来週な」
「ええ……」

 てきとうな挨拶を交わしてわたしたちは別れた。
 少しだけ気になる士郎のこと。まあ、帰ってから聞けばいいか。

 わたしは下駄箱から靴を取り出し、外へと出る。まだ昼休み中ということもあってグランドのほうにも生徒たちの姿があった。
 恋人同士、お弁当をつつきあってる姿なんかも見える。
 女の子がおかずをお箸でとって、それを男の子が口を大きく開けて受け止める。そんなお約束どおりのことをくりひろげている恋人たち。結界で外界とのリンクを遮断してしまったかのように自分たちの世界に没入している。
 見ているほうが恥ずかしくなってしまうようなその行為だが、ああいうのはやっている本人たちは恥ずかしくないのだろうか。

 なんとなく、自分をそれに重ね合わせてみる。相手はもちろん……

「う……」

 ちょっと想像しただけで顔が高潮してくるのがわかる。
 無理。わたしには絶対無理。
 なんだかんだ言ってやっぱりこういう恋愛沙汰には遠坂凛はうといのだ。
 ほんの少し前だったらもしかしたらそういうこともできたかもしれない。ここまで強く士郎を意識する前なら、あいつをからかうネタにもなっただろうし。
 でも、今はそれも無理のような気がする。あいつが顔を赤く染める以上に、わたしのほうが顔を真っ赤に染めてしまうような気がする。
 士郎がわたしを好きなのは確かだが、わたしが士郎の奴を好きなのも確かで、それでたぶん、後者のほうが前者のほうよりもちょっとだけその度合いが強いのだ。

 最近、それがわかりつつある。色んなところで。
 それを、悔しい、と感じるのはおかしなことだろうが、それでもやっぱり悔しいと感じている。ちょっとずるいとも思う。
 以前はこうではなかった。わたしのほうが主導権を握っていた。まあ、こんなことで主導権がどうとかいうのも変だとは思うが、でも確かにそうだった。
 変わり始めたきっかけは、やはりアレだろう。

 これまであったいろんなことを思い出す。右手にある体躯倉庫も目に入る。お弁当をつつきあっているそこらの恋人たちとはまるで次元の違うとんでもないこともやってしまったのだと……やられてしまったのだということを思い出す。しかもつい昨日のこと。
 やはりこれは――あっちの勢力図がそのまま普段の生活にまで影響を及ぼしているということのあらわれだろうか。

 きゅっ、と、唇を結ぶ。
 一度だけ、一度だけで良いから、なんとかあいつに一矢を報いたい。負け続けて引き下がるというのは癪にさわるし、わたしにだって意地というものがある。
 一度あいつに勝てれば――あとはもう、これから先ずっと負け続けたっていい。二度と勝てなくてもいい。
 その……なんというか。ああいうことをされるのは、正直なところを言うと――こんなこと士郎に言ったら調子に乗られるので言わないけど――それほど嫌なわけではないから。








 学園を早退したわたしは新都にやってきていた。服は一度屋敷に戻って着替えてきている。
 ある本屋のある一角。わたしはそこに立ち、考え込む。

 昨日。
 わたしと士郎の戦い。
 考えるに、今までで最大級の圧倒的敗北を喫した一日だった。それも二連続で。
 そして今日。
 いい加減、そろそろ本気で決着をつけなくてはと思う。

「足りなかったのは、覚悟」

 今日の夜。
 これまでの屈辱をすべてそそぐ。
 幸いにして今日は土曜日。
 夜、時間はあるし、セイバーとの共同戦線も張れる。
 あとは……

 すっと。
 わたしは本棚に陳列されていたある一冊の雑誌を手に取り、それを何気ない動作でレジにまで持っていく。
 初めて来た本屋。そして――おそらくはもう二度と訪れないだろう本屋。
 パートらしきおばさんがその本をレジにくぐらせながらこちらをちらちらとうかがってくる。
 わたしはそれを意図的に無視した。

「860円になります」

 その言葉にわたしは黙ってうなずいて財布を取り出す。あの男に勝てる方法が見つかるのだとしたら、この程度安いもの。ただ――ちょっと恥ずかしいけど。

 紙袋に入れられたその本を受け取り、外へと出る。

「ふう……」

 がさっ、と、胸に抱えた紙袋が鳴った。本屋のロゴが入った紙袋。その中には確かについ今しがた手に入れた本の感触がある。
 ほんのちょっとだけ取り出して、すぐにまたしまう。
 普段のわたしなら……いや、昔のわたしなら決して見向きもしなかっただろうたぐいの本だ。ある分野に特化した技法を伝えし本。
 かなりの勇気がいったが、やはり、知識が足りなければどうにもならない。
 衛宮士郎。
 あいつに勝つには些細な見栄など捨てさるしかない。
 だって、遠坂の家にはこういうことに対する処置が記された本など一冊もなかったのだから。魔術書なんかはやたらたくさんあるというのに。

「恋人を意のままに操れる魔術なんてないのかしら」

 ま、そんなものがあったら苦労しないか。それになければ別の場所から引っ張ってくるのが魔術師。そういう意味で言えばわたしは典型的な魔術師だ。必要があればどんなものでも手に入れる。やると決めたらやる。絶対にあきらめない。
 傍から見ればそれがどんなにくだらないものだとしても。

 さあ。
 知識の源は手に入れた。
 あとは夜までにどれだけこれを吸収できるか。どれだけ実践できるかだ。

「……あれ?」

 胸の中で決意したわたしの耳に入ってくる声。それはどこかで聞いたことがある声だった。

「士郎……と、セイバー?」

 耳をすます。
 町の雑踏の中に紛れ込んでしまったのか、二人の声はもう聞こえてこない。
 気のせいだったのだろうか。

「そうね、二人がここにいるはずないわね」

 さて、それじゃあ帰ろう。夜まではまだ時間があるとはいえ、相手の力量を考えればわたしに残された時間は決して多くはない。一分、一秒たりとて無駄にはできないのだ。
 待ってなさいよ、士郎。今日こそは―――

 再び決意を胸にするわたし。
 どこかから――横に続く路地裏から?――またしても二人の声が聞こえてきたような気がした。







 衛宮邸に戻ったわたしは居間ではなく自分の部屋へと行く。部屋に入り、ドアをしっかりと閉じ、紙袋の中から本を取り出す。
 これが……今日のわたしの切り札となる。
 ベッドに横になりながらその本の表紙をめくった。


 ほんの少し前。
 士郎に対する敗北数が今ほど深刻ではなかったころ、わたしとセイバーは士郎の部屋である本を読んだ。あのときはあいつの嗜好の一端でも見つかればいいと思っていたけど、考えてみればあれらは男性の視点から作られた本なわけで、どれだけ調べてもわたしやセイバーにはなんら益を見出せない。
 わたしたちに必要なのは女性の視点で作られた女性のための本。
 開かれた本に目を落とす。

 ほんのちょっとした言葉使いや気配りから恋愛の駆け引き、つきあい方と突き放し方、上手な別れ方にやってはいけない別れ方。

「男は追うのではなく追わせるもの……か」

 こういうことは今まで経験したことが無かったからとてもためになる。
 それでも、わたしが今いちばん知りたいことはもっと別のこと。より直接的な「夜」の技法。
 ページをめくる。
 わたしが目的としていたものがそこにはあった。

 特集
 彼氏を悦ばせる20の方法

 これね、今のわたしに必要なものは。
 そこにはある一人の特殊な職業についている女性が、その職種にちなんださまざまな技法を披露していた。

「これは……すごいわね」

 男性の「物」をかたどった模型を手に、どこをどうすれば男性が悦ぶか、弱点はどこなのか、事細かに説明している。手の使い方、舌の使い方、胸で挟んだり足を使ったり。
 今までは士郎に言われるがままにやってきた行為だけど、もしこれをわたしが自分からやったら士郎は驚くだろうか。喜んでくれるだろうか。

「って、喜ばせることが目的じゃないわ」

 目的はあくまで士郎に勝つこと。喜ばせる云々はその後の、ついでのことだ。
 ただでさえわたしの唯一の盟友であるセイバーは、最近あきらかに戦意を失いかけているのだから。わたしが落ちてしまったらそれこそ士郎のやりたい放題となってしまう。
 ええ、そう。
 わたしはこれ以上、負けるわけにはいかない。

「でも……」

 もう一度その本に視線を落とす。
 女性が持つその模型。アレをかたどったらしいその模型。吹き出し付きで「大きいわぁ」
なんて女性の台詞があるが、はたしてこれのどこが大きいというのだろうか。
 まあ、本だから少し大げさに言ってるだけかな。

 だって……こんな物、士郎のそれに比べたら……全然……

「……うん、小さいわよね」

 うん。





 時間はあっというまに過ぎていった。窓から外を見れば空がすでに薄暗くなりつつある。
 この本からえた知識はどれも目新しいものばかりだった。正式なやりかた、そのコツ、目線の使いかたとか言葉の選びかたとか。いままで自分がどれだけ漠然とした意識で士郎に戦いを挑んでいたのか、その無謀さが良くわかった。
 短い時間ではあったが、心身に満たされる充実感はたとえようもないほど甘美なもの。わたしは士郎とまともに向き合えるだけの「武器」をようやく手に入れた。
 本当はセイバーと二人で特訓して士郎に立ち向かいたかったんだけど、まあ、いなかったのだからしょうがない。彼女は不満に思うかもしれないが、今日はわたしのサポートにまわってもらうことにしよう。

「それにしても……ずいぶん遅いわね。二人とも」

 セイバーはもうとっくにバイトの時間が過ぎているのだからわたしより先に帰っていてもおかしくないのに。士郎にしても、これだけ帰宅が遅れるというのは珍しい。学園を早退していったいどこに行っているのだろうか。

「まあ、いいわ。今日は土曜日だし、時間はたっぷりとある。ふふ……士郎、今日こそあなたに勝利してみせる。明日の朝、敗北感に打ち震えるのは今度こそあなたのほうよ」

 ここには居ない強敵にそう力強く宣言した。



 で。
 それからしばらくしてようやく二人は帰ってきた。なぜか一緒に。そして士郎はすぐさま夕食の準備に取り掛かった。

「ねえ、セイバー」

 わたしは居間にちょこんと座っているセイバーに話しかける。

「な、なんですか、凛」

 なぜか顔を真っ赤にして答えるセイバー。頬も高潮しているし、いつもはピンと張っている姿勢もどこかぎこちない。

「……二人で買い物に行ったの?」
「え……あ、いえ、その……アルバイトの帰りに偶然会いまして、その、夕食の買い物を一緒に……」
「ふーん」

 いろいろと買い込んできたらしい買い物袋があるのでそれは確かなのだろうけど、わたしが気になっているのはもうひとつのほう。

「でも、もう一個あったわよね、買い物袋。どこの店のものなのかはわからなかったけど。あれは?」

 帰ってきたとき、まず最初に士郎がやったことはその袋を自分の部屋にもっていくことだった。あれがなんなのか、気にするなというほうが無理だ。

「あ、その、あれは……ほ、本です、ええ。途中、本屋によりましたから、はい」
「……そう」

 本……ね。
 なんかあからさまに怪しいんだけど。
 あ、でも。
 もしかして、その……ああいう本かしら。前に士郎の部屋で見たような。あれならセイバーがあわてるのもわかる気が……って、そんな本をセイバーと一緒に買いに行くわけないか、いくら士郎でも。いや、案外士郎ならそういうこと気にしないかも。むしろセイバーの反応を楽しんだりして。最近の士郎ってアレなところあるし。

「セイバー」

 余計に気になって尋ねようとするが……

「……っ」

 あれ、なんかセイバーの様子がおかしい。あ、いや、さっきからちょっとおかしかったんだけど、いまはそれに輪をかけておかしい。唇を噛んでうつむき、正座した膝に自分の手を押し当てて何かを耐えるようにぎゅっと握り締めている。
 その顔は真っ赤に高潮し、額にはうっすらと汗のようなものが。

「ちょっと、どうしたのセイバー。まさか……また身体の調子がおかしくなったんじゃ……?」

 魔力供給は安定しているはずだけど。

「い……いえ、ち、がいます、凛。だ、大丈夫、です」

 明らかに大丈夫ではない声でセイバーが答えた。

「その……一時的な、もの、ですから」
「一時的な?」
「は、はい」

 そう言ったセイバーはちらっとキッチンのほうに目をやった。その瞳がどこか恨めしげなものに見えるのは気のせいだろうか。その視線の先のキッチンには士郎しかいないのだが。

「大丈夫ならいいけど、あまり無理しないでね」
「んっ、ん……は、い……」

 答えながら小さなため息を吐くセイバー。その唇からは鳴くようなか細い声がときおり漏れ、瞳が清水を湛えたかのように潤んでいる。

「…………」

 なんだろう。
 すごく……胸がどきどきする。
 こういうのってどこかで見たような……

 と。
 そのとき。
 準備ができたらしい士郎が夕食を持って居間にやってきた。











「でね、そういうわけなのよ、セイバー」
「は、はあ……」

 食事が終わったあと、話があるからと言われて私は凛の部屋に来ていた。彼女の話とはつまり今夜のこと。

「じゃあ、わたしはお風呂に入ってくるから、少しでもその本読んでおいて」

 そう言って凛が部屋を出て行く。
 私の目の前にあるのは一冊の本。凛がシロウに勝利するために手に入れた書物。いわば、凛の執念の塊。
 ぱらぱらとその本に目を通す。
 なるほど、確かにその行為のための技術がこれでもかと言わんばかりに描かれている。そのすべてを己の物にすれば、シロウに勝利することもあるいは可能かもしれない。ましてや二人がかりなら。

「ですが、凛。貴女は甘い」

 私たちが相手にする男は……シロウは、今日のためにありとあらゆる手を打っているのだ。もしかしたら彼も認識していたのかもしれない。聖杯戦争によって研ぎ澄まされたその危機察知能力によって、今日こそが――遠坂凛が決着をつけるべく勝負を仕掛けてくるだろうということに。

 私は胸に手をおき思い出す。
 数時間前、ある場所で行われたある行為。私はそこで一つの約束を交わした。というか交わされた。無理やり。
 正直、そのときの私は半分意識が飛びかけていた。ほとんど夢うつつの状態。それでもなぜか交わした約束の内容だけは覚えている。あるいはそうするようにシロウが調節したのかも。そのぐらいのことは今の彼ならできるだろう、多分。
 いずれにしろ、そのときの私の状態がどんなものであったかにかかわらず、彼と約束を交わしたのは事実。それを破ることは私には許されない。

「……あ!」

 再び蠢きだす、我が体内に潜む「悪魔」
 これある限り……私はシロウに逆らえない。

「あっ、ま、また……なかで、う、ごいて……んっ!」

 申し訳ありません、凛。
 そう心の中で謝って、私は体内をかけ巡る甘美な感覚に必死で耐えしのんでいた。



「いよいよね」

 わたしは湯船に身を浸しながらつぶいた。
 戦いはもうすぐ始まる。全身全霊をかけて、わたしはこの戦いに勝利する。
 セイバーの様子が変なのが少し気にかかるけど、今日はわたしが主戦力。彼女には後ろを守ってもらえれば良いわけで、それほど問題はない。

 今日で――これまでの屈辱の日々が終わる。

 そんな誓いを込め、わたしは湯浴みで己の身を清めた。



 そのころ、衛宮士郎は、自分の部屋でその時がくるのを静かに待っていた。
 ある一つの小さな機械を手のひらで玩びながら……





 そして――戦いが始まる。




「それじゃあ士郎、覚悟は良いわね」

「ん、なに、それ? その手に持ってるやつ」

「……っ!」

「え……? や、ちょっと! なに、セイバー!」

「申し訳ありません、凛。今日だけは……貴女に味方することは出来ない……」

「な、なにを言って……あ! やだ、セイバー、ちょ、やめて」






     第八戦

   遠坂凛
     VS
      士郎&セイバー

 昨日の味方は今日の敵
 遠坂凛
 唯一の味方に裏切られ窮地に立たされる




「セ、セイバー、は、離して!」

「ん……凛、駄目です、動かないで……」

「そ、そんなこと言ったって」

「……え、シロウ? ここですか? ここが……凛の弱点、なのですか……?」

「や、やだ、そこは……んぁっ!!」

「あ……ほんとう……んっ、凛……かわいい……」

「ふぁぁ、セ、イバー、やめ……んっ、し、ろう、お願い……やめさせて……」

「シロウ? ここも……ですか?」

「く、んぁ、あっ、あぅっ! だ、駄目……んっんん……!」

「それから、ここも……?」

「ひあぁぁっっ……!!」

「あ……凛……」





「あの……シロウ……え、あ、はい。その……私も、もう、我慢が……」

「んっ、あ、シロウ……はい、ください……」

「っ……! あ、ふぁぁぁっっ! シ、ロウ、ふかい……んっ……!!」

「……あ、セイバー……ずるい……」

「んっ! え、り、凛? や、んっ、そんなところ……っ!」

「ふふ……さっきの、おかえし」

「くっ、ん、シロウ、や、やめさせてください」

「あ、うん。わかった、士郎。セイバーはここが弱いのね」

「ひぁっ! ふ、ふたりがかりなんて、ず、るいです……!」

「え? あ、なにこれ。これを使うの。ん……こう?」

「や、そ、それは……く、あ、んぁ――っ!!」

「セイバー……かわいい」






「ん、あ、士郎……士郎」

「はぁ、ん、ん、シロウ……」

「あ、う……士郎……わたし、もう……」

「ん……私も……シ、ロウ、シロウ……」



「「ふあぁぁ――――っっ!!!」」





 なんだかんだでいろいろあっても
 遠坂凛とセイバー
 やっぱり完敗











 ゆっくりと……私は目を覚ました。
 朝。
 また今日も一日が始まる。
 真っ白な布団の上に横たわる私たち。
 私を含め、全員がその身に一切の衣服を身にまとっていない。
 あたりに散らばった衣服が昨夜の名残をあらわす。
 こうして三人で朝を迎えたのはこれで何度目だろうか。

「目が覚めた。セイバー」
「え? あ、凛」

 向こう側。
 まだ眠り続けるシロウを挟んだ向こう側。
 私と同じく肌をさらしたままの遠坂凛がこちらを見ていた。

「おはよう」
「あ、はい、おはようございます」

 それだけを言って私たちは沈黙した。
 いろいろと、お互いに言いたいことはあるんだけど。
 でも、こうやって二人で向き合うとなんとなく言いにくいというか。

「ねえ、セイバー」
「え、なんですか? 凛」

 凛は私ではなく、シロウの顔を見ながら口を開いた。どこか怪しげな笑みを浮かべながら。

「ほら、これ」

 そう言って凛が私に見せたのはある一つの道具。昨日、シロウがあの知り合いの老人にもらったというもの。二つの輪っかと、そのあいだを繋ぐ鎖。
 それを手にしながら凛はシロウの顔を見つめていた。

「これを使えば、いくら士郎でも無抵抗になるしかないわよね」
「それは……」

 確かにそうだ。
 あの輪っかにしろ鎖にしろ、人の力で取り外せるような代物ではない。つまり、それをシロウの両手にかけてしまえば私たちの勝利はゆるぎない。勝利……

「……」

 シロウはいまだに幸せそうな寝息をたてている。
 普段の彼とは違い、まさに隙だらけ。
 いまのうちに動きを封じてしまえば私たちは初めてシロウに勝利することができる。

 凛はうっすらと微笑んでいる。
 今までの屈辱をすすぐ絶好のチャンスだ。彼女がこのチャンスをみすみす見逃すとは思えない。
 それをシロウの両手にはめれば、シロウは初めて敗北を喫することになる。

「……」

 今までのことを思い出す。
 本当にいろいろあった。
 私も凛も一人では全然シロウに敵わなくて、二人がかりで挑んだりしたけどそれでもやっぱり敵わなくて、いろんな勉強もしたけどそれ以上にシロウは博学で逆にいろんなことを仕込まれたりして、けっきょく一度もシロウに勝てなかったけど、だからってそれを嫌だと思ったことは……


 なんとなく……なんとなくだけど……

 私は……
 シロウが負けるところなんて見たくない。

「凛……」

 凛はその綺麗な指でシロウの頬を優しくなぞっていた。私がいるということをいつの間にか忘れているのか、ゆっくり愛しむように。

「凛……」
「あ、セイバー、なに?」

 あわてたように凛が手を引く。

「……いえ、その。どうするのですか?」

 やるのですか、と、問いかける。

「……そうね」

 凛はしばらく考え込んだ後、自嘲気味に笑った。

「やめときましょう、やっぱり。こんな卑怯なやり方で勝っても……ちっとも嬉しくないし、ね」

 そう言って手にしていた物を放り投げる。それは、かしゃん、という音をたてて床に落ちた。

「そう……ですね」

 私も微笑む。
 凛がどんな思いでそう考えたのかは知らないけど、けっきょく私たちはシロウには勝てない、それで良いのだと思う。

「……ん、もう少し、寝ときましょうか。今日は日曜日だし」
「はい」

 そうですね、そうしましょう。

 私と凛はまた布団に横たわる。
 シロウの大きな胸板。それに顔をうずめる。ひどく、落ち着く心地よさ。
 おやすみなさい、と、静かにつぶいて、私はゆっくりとまぶたを閉じた。


 私たちの戦いは――きっと、これからもずっと続く。




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あとがき

こういうお話でこういう終わり方もたまにはいいかな、と。
なんとなく「第一部完」という終わり方。
まあ、多分まだ続きますが。
いろいろと書いてみたいシチュエーションとかあるし。

では、また次のお話で。

6月8日、微妙に修正。

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