青と蒼と藍

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VS士郎(シロウ)

第4話

 その日、わたし――遠坂凛は、カーテンの隙間から入り込む陽の光によって目を覚ました。
 季節は春の半ば。
 柔らかく暖かい日差し。
 今、冬木の町はその名とは逆の季節によって彩られている。

「ん……まぶし……」

 昨夜カーテンを閉め忘れたようだ。わたしの顔をつつむうっとうしいほどの春の気配。それを無視して眠り続けることはどうやら不可能のようだ。
 右手でそれをさえぎりながら、ゆっくりと体を起こす。
 わたしは朝に弱い。自他共に認める、とくにほかの人間が本当にわたしなのかと目を疑うほど、朝に弱い。今日もそう。頭はぼおっとしてるし、まぶたが今にも閉まってしまいそうになる。いつもならまずは冷たいミルクでもぐいっと飲んで、すっきりと目を覚ましたいところだ。

 でも今日はちょっと違う。
 多分、そんなことぐらいではこの気だるさを解消することは出来ないだろう。
 理由?
 そんなの簡単。
 自分の周囲をちょっと見わたせば原因はすぐにはっきりする。

「……はぁ」

 まただ。
 またやってしまった。
 今度のはたぶん、いや、間違いなく今までで最悪だ。

 わたしのすぐ隣で平和そうに眠る赤い髪の男。
 その男を挟んでちょうどわたしと反対側で眠る金髪の少女。
 さらにはベッドの下に無雑作に放られた衣服。わたしが昨日着ていた赤い服と、少女の着ていたブラウス、ついでにこの馬鹿男の着ていた服。それらがそこら中に散らばっていた。

 つまり裸。
 三人そろって素っ裸で、このせまいベッドに仲良くならんで寝息を立てていたと、つまりはそういうわけだ。

 ここまでくれば昨夜なにがあったかは想像に難くない。というかはっきりとわかっていることなのだが、わたしはそれを頭の中で否定していた。だって思い出したくないし。忘れたいし。

「まあ……途中から記憶のほうはあいまいなんだけど……」

 これもいつものこと。
 隣で惰眠をむさぼっているこの男、衛宮士郎と夜をともにして、まともに意識を保っていることなどわたしにはとうてい出来ない。いま考えてみると、もしかしたら初めてこいつに抱かれたときが一番まともだったかもしれない。少なくともあのときは最近のように意識を飛ばすようなことにはならなかった。

「なんだかずるい」

 あれから一ヶ月以上がたって、士郎となんどか身体を重ねて、こいつはどんどん技術と体力が上がり続けているのに、わたしはなんだか逆にどんどん弱体化しているような気がする。士郎の手や舌が触れるたびにわたしの身体は震え、士郎が中に入り込んでくるたびにわたしの身体と心は悲鳴をあげる。
 それが嫌だと思ったことはないけど、悔しいと感じることはある。というかいつも悔しいと感じている。

 だってこいつ士郎だし。

 あのへっぽこ士郎だし。

 普段はこっちがからかうたびに顔を赤くして、わたしの頼みならなんでも聞いてくれて、わたしの出来の悪い弟子で、ちょっと特殊な魔術の素質を持ってるけど才能そのものはからっきしで、唯一得意としていることは料理という駄目な主夫っぷりをはっきしてて、つまりひとことで言うとへっぽこで、
「だっていうのに……」
 夜になるとその立場が逆転してしまう。
 それが気にくわない。
 どうせだったら普段も完璧超人でいればいいのだ。そうすれば悔しいと思うこともなくなるかもしれない。
 まあ、そんなの士郎じゃないけど。そんな士郎じゃないやつにわたしが惚れるとも思わないけど。

 ああ……結局はそういうことなのだ。

 つまり、遠坂凛は――この馬鹿で無鉄砲で子供っぽくてへたれでへっぽこで精力絶倫のこの男に、なぜか心のそこから惚れてしまっているのだ。
 かんじんなところでで必ず失敗してしまうという遠坂家の血をわたしは呪う。よりによって最悪のやつに惚れてしまった。

「ああ……あと、浮気性ってのもつけくわえましょうか」

 士郎の隣で安らかな寝息をたてているセイバー。同性であるわたしの目から見てもかわいらしい少女。
 こうやって三人で朝をむかえるのは初めてのことじゃない。これまでもなんどかあった。複雑ではあるけれど非難することではない。だって初めはわたしが仕組んだことだし。
 あのときは良い考えだと思ったけど、なんだかよけいに泥沼にはまってしまったような、そんな気がする。

 はあ。
 まいった。
 幸せそうに眠る二人を見ながら嘆息する。
 ついでに視界に入るなぞの物体。それらはその存在を主張するかのように部屋のいたるところに散らばっている。それがなんなのか、あるていど理解はしているつもりだが納得することだけはさけた。思い出したくないことだ。
 士郎の顔を見る。
 昨夜とは顔つきがぜんぜん違う。まるで別人のようだ。

 二週間ぶりの逢瀬はわたしの第三計画の一環だったが、ほんらいなら弱体化するはずだった赤毛の男はなぜか普段よりパワーアップしていた。その様はまさに解き放たれた獣。逆にひさしぶりの逢瀬に弱体化していたのは、むしろ自分のほうだったような気がする。
 いつもですら圧倒的な敗退をきっするのに、昨夜はさらにその力の差が開いていたのだ。勝敗は最初から目に見えていた。
 でも……だからって……

「…………」

 やばっ、ちょっと思い出してしまった。
 こう、散々いじめられて焦らされて、挙句のはてにとんでもないことを口走ったような、というか言わされたような。

「あれ?」

 寝ている二人を見る。
 いつものことだからと不思議に思わなかったが、これは結構おかしい。
 昨夜、わたしは士郎と二人っきりで抱きあっていたはずだ。まあ、そのあと散々な目にあわされて気を失ってしまったが、そこにセイバーがいるはずが……

「……あ」

 また思い出した。
 確かあれからいったん目が覚めたあとに、またとんでもないことをさせられた記憶が……

 あっ、駄目駄目!
 思い出しちゃ駄目!
 あれだけは絶対に駄目だ、思い出しては。
 遠坂凛の矜持というかそれ以前に女の誇りに関わる。あのことだけは思い出してはいけない。

 そんなことを考えながら、わたしは裸である自分の身をかざる唯一のものを取り外して捨てた。
 これでよし。もう忘れた。きれいさっぱり忘れた。

 ふう、とひとつため息をつく。
 再び士郎の顔をのぞき見る。
 どこまでも平和そうな寝顔。美男子というわけでも、とりたててまずい顔をしているわけでもない。個性的というわけでもないし、だからといって無個性というわけでもない。
 いわゆる、どこにでもいる普通の男。正直、なんでこんなやつに、しかもこんなにも心のそこから惚れてしまったのかいまだに不思議だ。

「ああ、なんかだんだん腹立ってきた」

 わたしは士郎の柔らかい頬をつまんで、むにー、と引っ張ってやる。士郎の顔がゆがんだ。

「全部あなたが悪い」

 一方的な責任転嫁をはかりながら、むにむにと士郎の顔で遊んだ。
 そうとう疲れているのか、こんなにしても起きる気配がない。調子にのって両手で引っぱったりまわしたりうにうにしたり、そんなことをしてたらさすがに士郎が反応した。うるさそうにわたしの手を払う。

「……あ」

 でもまだ起きない。士郎ってこんなに目覚めが悪かったっけ?
 士郎はうーんとなにごとかうめきながらごそごそと体の向きを変えた。
 わたしのほうではなく、隣の金髪の少女へと。
 金色の小さな頭を片手で優しく抱きかかえ、眠りながらももう片方の手で少女の華奢な体を……

「……ぁん」

 金髪の少女からもれる艶やかなつぶやき。

「…………」

 ちょっとばかしむかついたのでこの馬鹿男に「呪いガンド」を撃ちこんだとしても、誰もわたしを責めることなど出来ないだろう。







 なにやら死にそうなうめきを発している士郎と、それにかまわず安らかに眠り続けるセイバー。そんな二人を部屋に残してわたしは居間に来ていた。
 冷たいミルクを飲んでとりあえずは落ちついたあと、今度は熱い紅茶を入れる。士郎は家事ならばほとんどなんでもこなせるが、紅茶を入れることだけはまだまだ未熟だ。だからこの家の紅茶当番はわたしの役目。まあ、お気に入りの紅茶を自分で持ち込んでいるのだからそれも当然だけど。

 香りゆたかな熱気があごにあたる。
 さてどうしよう。
 いつもなら朝食をつくる時間だ。たいていは士郎の担当だが、今日はまあ無理だろう。というか半日はベッドの上でうなっているはずだ。
 かといって自分のためだけに朝食を用意する気にもなれない。

「あっ、セイバーがいたわね」

 この家に巣くう食いしん坊のことを思い出す。朝食が準備されてないことがわかったらセイバーは悲しむだろう。言葉では「大丈夫です」なんて言いながら顔とお腹でめいっぱい悲しむだろう。もしかしたらうらまれるかもしれない。食べ物のうらみは怖い。とくに相手がセイバーの場合は。

 わたしはキッチンへ向かう。食事をつくるのが嫌いなわけではないので別に苦ではない。それに、おいしそうにご飯を食べてくれるということにかけてはセイバーは最高のお客様だ。彼女がこくこくうなずきながらはむはむ食事する姿はとてつもなく愛らしい。
 簡単なものだけでも、と、わたしはフライパンを火にかけトーストと卵を取り出した。




「おはようございます、凛」

 ちょうど食事の準備が整ったときにその少女は来た。

「おはよう、セイバー」

 二人分の朝食をテーブルに並べながらそう答えた。
 トーストにスクランブルエッグ、かりかりに焼いたベーコンにたっぷりのサラダ、そしてわたしの入れた自慢の紅茶。うん、かなり簡単なメニューだけど朝食としてはじゅうぶんでしょう。
 朝食の出来に満足しながらセイバーのほうを向く。

「…………」
「……どうしました?」

 じっとセイバーを見つめてしまう。それを不審に思ったのかセイバーが首をかしげた。
 うっ。その格好でその仕草は……
 まいった。セイバーったらぜんぜん気づいてない。自分が今どんなかっこうをしているのか、ということに。
 とりあえず服装、髪型、立ち居振る舞い、いつも通りだ。その瞳も眠気を引きずってきてはいない。いつも通りのセイバー。

 ただひとつの部分をのぞいて……

 言おうかどうか迷う。
 でも、言わないわけにもいかない。
 あのかっこうのまま外に出られたらそれこそ大変なことになる。

「セイバー」

 わたしは慎重に声をかけた。

「なんです?」

 また首をかしげるセイバー。その姿はあるひとつの愛玩動物を夢想させる。
 わたしはなるべくそれを見ないよう気をつけながら、自分の首もとに右手を持っていく。

「これ……」
「はい?」

 セイバーもつられるように自分の首もとに手をやった。

「……あっ」

 なにごとかに気づく。セイバーの奇麗な白い顔がいっきに真っ赤にそまった。首に巻かれたそれの存在もさることながら、ついでに昨夜のことも思い出したのだろう。
 セイバーはあわててそれに手をやった。かちゃかちゃという音。するりとそれを取り外す。
 そして、手の中のそれをどこに捨てようかあたふたと周りを見渡していた。

 ふう。
「セイバー」

 わたしはそっと手を伸ばした。
 うつむきながらそれを渡してくるセイバー。
 それを受け取り、キッチンの奥の大きなゴミ箱に放り投げた。
 はい、これで終わり。これで昨夜の名残はぜんぶ捨てた。

「朝食にしましょう」
「……はい」

 こくんと小さくセイバーがうなずいた。




 朝食の時間は粛々とすぎた。
 食事中に会話をしないのは衛宮邸の常識だ。とくにセイバーが来てからというものはそれがより顕著になった。食事の時間をなによりも大事にしている彼女にとって、食事中に無駄な話しをかわすことは厳禁だ。にっこりと微笑んだセイバーの顔を最後に、邪魔したものは地獄を見ることになる。

「さてと」

 食後の紅茶をすすりながらわざとらしく声を出した。なんとなくこのままだと二人揃って黙ったまま一日が終わってしまいそうな気がしたからだ。

「これからどうする、セイバー」
「どうする……とは?」
「……降りる? それとも続ける?」
「…………」

 セイバーは黙ってうつむいた。
 彼女は私がなにを言いたいのかわかっているはずだ。

「言っとくけど――わたしは降りないわよ」

 ええもう、絶対に降りない。最初は遊び半分のかるい気持ちだったが、こうまで惨敗をくりかえすとさすがに引き下がれない。こっちにも意地というものがある。なんかもう自棄みたいな気もするが、とにかく一度でもいいから士郎をぎゃふんと言わせないと気がすまない。

「私も――降りるつもりはありません」

 セイバーはきっぱりと答えてきた。正直以外だ。彼女はこの戦いにはあまり気が向かないようだったのだが。

「……さすがに、昨夜のシロウはやりすぎた。あれだけのことをされたら、私も黙って引き下がるわけにはいかない」

 くっ、と、顔を上げる。
 気高い顔のなかにつよく光る緑玉石の眼差し。その瞳の奥には誇りを傷つけられた獅子の怒りの咆哮が激しく燃え上がっている、ような気がした。

「ええ、そうね」

 わたしは強くうなずく。

「やりましょう、セイバー!」
「はい、凛!」

 わたしたちはがっちりと握手を交わした。

 由緒正しき魔術師の家系、遠坂家の当主にして稀代の魔術師、遠坂凛。
 最強のサーヴァントにして誇り高き黄金の獅子、セイバー。
 いま二人は、マスターとサーヴァントという垣根を越え、ともに最強の敵と戦うべく確固たる絆を手に入れた。

 たぶん。





 と。
 ふたりで気合を入れてはみたものの、あの敵を倒す方法などまったく思いつかない。
 そもそもわたしたちは士郎以外の男を知らないわけで(あたりまえだ)知識をいくら詰め込もうとも実践の場でためすことなど出来ない。つまりはなにごともぶっつけ本番。
 とりあえずそれでなんとか対抗を試みたものの、結果は三連敗。惨敗もいいとこ。途中コールド負けみたいなものか。おまけに回を重ねるごとにその惨状はひどくなっているような気がする。

「つまり、このままじゃジリ貧というわけよ」

 わたしはキッチンで作業しながら言う。ちなみにセイバーは隣で食器を洗っていた。最近はこのぐらいなら彼女も手伝えるようになった。

「はい、わかります。凛」

 お皿を、キュッキュッ、と洗いながらセイバー。

「ですが、それならばどうするというのですか?」
「それが問題なのよね」

 わたしはコンロの火を止める。あとはしばらく蒸らすだけだ。

「凛。戦略がなければシロウには勝てませんよ」
「わかってる」

 なべのふたをぱかっと開ける。立ちのぼる湯気とほのかないい香り。塩とこしょうで味をととのえて完成だ。

「だからってほかの場で実践するわけにも行かないし」

 味見する。うん、いい感じ。大き目のどんぶりによそう。

「それは……そうですが」

 洗いものを終えたセイバーが手をタオルでふきながら言う。
 わたしは熱々のどんぶりを持って居間に向かった。上にラップをかけるのも忘れない。

「とにかく、まずは他の人の意見を聞いてみましょう。それから作戦を考えればいいわ」
「……そうですね、それしかありませんか」

 わたしはテーブルの上にできたてのおかゆを置く。そばに落ちてたチラシを拾い、裏返す。
 そしてそこに……

――馬鹿士郎!!!!――

 と、でっかく書いて、できたてのおかゆのよこに置いておいた。









「で、なんであんたらがうちにいるわけ?」

 わたしの目の前で、美綴綾子がとうぜんの疑問を発した。

「気にしないで、美綴さん」
「気にしないでください、綾子」

 わたしとセイバーは揃っておんなじ口調でこたえた。

 そこは美綴綾子の部屋だった。
 なんでわたしたちが美綴綾子の家に来ているのか。いろいろあることはあるのだが、ハッキリと言ってしまえばわたしの交友関係のあまりの少なさゆえだ。
 なにしろ学園ではわたしは思いっきりネコをかぶっている。自分で言うのもなんだが。
 どんなときでも余裕を持って優雅たれ、そんな家訓を持つ家で育ってきたのだ。そのぐらいのネコかぶりは仕方ないだろう。最近はときどき忘れがちなときもあるが。
 とにかく、そんな学園生活を送ってきたわたしにまともなつき合いのある友人がいるはずもない。まさか生徒会長の家に行くわけにもいかないし、藤村先生はたぶんこの手の相談事に最も向いてない人だし、桜は桜で案外頼りになりそうだけどそれが逆になんだか怖いし、結局行きつくところはここだったというわけだ。
 まあ、あとはあの仲良し三人娘ぐらいだけど、それもちょっと……ねえ。

「で、なにしに来たの。遠坂」
「あら、友人が訪ねてきたというのにずいぶん冷たいお言葉」
「ふん、なにが友人だ。ついでにそのネコっかぶり言葉もやめてくれ」

 む。まあ、いいでしょ。

「ちょっとね、綾子の顔を見にきただけよ」

 まさか「衛宮士郎にベッドの上で勝つにはどうしたらいいと思う?」なんて聞けるはずもないのでとりあえずそう言った。だがその言葉に綾子は震えるように後退った。
 なによ。なんか失礼な反応ね。

「き、きもちわるいことを……」

 まったくもって無礼極まりない言葉。
 だがまあ……わからないでもない。わたしだって綾子がうちの屋敷に来て「顔を見に来た」なんていったら多分おなじように引くだろう。そういう関係なのだ、わたしと綾子は。

 正直ここに来たことは明らかなる間違いのような気がする。わたしと綾子の関係もさることながら、もうひとつ大事な事実。

「な、なによ……」

 わたしは綾子の顔をじっと見る。
 たぶん、いや……間違いなく、それこそ、

「美綴綾子! あなた処女でしょ!」

 なんて聞きたくなるぐらいに間違いなく、彼女は男性経験が皆無のはずだ。
 つまり、彼女の意見などはわたしたちにとってなんら益をなすものではなく、やっぱりここに来たことは追い詰められたゆえの過ちということになる。

「ふう」

 なにしてんだろ、わたし。こんなとこに来たって意味ないじゃない。

「ちょっと、遠坂。人の顔見て首振るのやめてくれる」

 そんな綾子の抗議も耳に入らない。無意味よ無意味。こんなところで時間をつぶしたってなんの意味もない。そんな余裕もない。わたしたちには最強の敵が待ち受けているのだから。

「セイバー」

 金髪の少女の名を呼ぶ。わたしの唯一の協力者。あるいはわたしとおなじ悩みを持つ被害者。
 彼女とてここでゆっくりしている気はないだろう。
 が。

「セイバー?」

 彼女はなにかをやたら熱心に読みふけっている。どうりでさっきから静かだったわけだ。

「あ、それ」

 綾子の声。わたしの背中越しにセイバーを見やりながらつぶやく。

「月の歌声……」
「つきのうたごえ?」

 なにそれ?
 わたしはセイバーの手元を覗き込んだ。
 あ、漫画だ。それも少女漫画。きらきらとした瞳の男性が、斜め四十五度のかくどからさわやかな視線を送ってきている。わたしが最も嫌いとするタイプの男だ。

「セイバー、なにそんなもの読んでるのよ」

 わたしは少々いらだたしげに言った。今はそんなふうにのんびりしている暇はないはずだ。
 だがセイバーの顔つきは真剣そのものだった。その本がおもしろいからとかそういう感じではなく、なにかこう、切羽詰ったような表情。
 なに? どうしたの?
 さすがにちょっと気になった。セイバーの後ろから手元の本を覗き込む。






「なんだっていうのよ」

 美綴綾子は突然の訪問者にうんざりしていた。
 友人にしておそらく生涯の好敵手となるであろう遠坂凛。その彼女が自分の家を訪ねてきたのはこれが初めてだ。
 ついでにセイバーと呼ばれる金髪の少女。確か前に一度だけ弓道場であったことがあるはずだ。あのときは衛宮と一緒だったような気がする。

 そのふたり。
 どちらも超がつくほどの美少女。
 その彼女たちが今じぶんの部屋でなぜか一心不乱に少女漫画を読みふけっている。
 さて。
 はたしてこれは現実なのだろうか。たちの悪い夢だろうか。

「なんだってのよ」

 もう一度つぶやく。
 家を訪ねてきたならばせめてもう少し家人に気を使ってもらいたいものだ。まったく無視して少女漫画に没頭するなど普通ありえるか? 初訪問だぞ?

 ちなみに、彼女たちが読んでいる漫画は少し前に人気のでた『月の歌声』という少女漫画だ。
 とくに突飛な演出がなされているわけでもない普通の少女漫画。
 別に主人公が吸血鬼でもないし、恋人が兵器に改造されるわけでもない、芸能界デビューもしないし、バレエもしない。ごく普通の、いや……普通すぎて逆に普通じゃないのかもしれない漫画。なんだかややこしいが。
 とにかく、ひとりの美少年とふたりの少女がおりなす三角関係な物語。とはいえ、愛憎うずまくどろどろのストーリーではなく、どこかこう切なくて痛くてとても奇麗な物語。もうすでに完結しているが、少年はけっきょく誰とも結ばれず、最後は三人それぞれ別の道を歩いていくという結末となっている。
 わたしの友達はこの結末にえらく憤慨していたが、わたし自身はけっこう気にいっている。世のなか、全部が全部ハッピーエンドのはずがないのだ。

 そんな漫画を読みふける美少女ふたり。
 声をかけるのもはばかれるぐらいの熱心さだ。

 さてどうしたものか。
 とりあえずわたしは途方にくれてみた。




 美綴綾子の家をあとにしたわたしとセイバーは、すでに暗く、人気の少なくなった道を歩いていた。
 もうじき屋敷につくがお互い会話は一切なし。なんというか、とぼとぼ、という擬音が背景につきそうなほどの寂しさ。
 先ほどまで読んでいた本の結末を頭のなかで反芻する。主人公の少年はけっきょく二人の少女のどちらも選ばなかった。どちらも好きなくせに、どちらも大切なくせに、だからこそどちらも選べなかった少年。
 最後の決断をくだした漫画のなかの少年と、わたしたちのそばにいる赤い髪の少年とがなぜか重なった。

「……私たちも、いずれああなるのでしょうか?」

 ぽつり、という感じでセイバーが言った。それがなにをさしての言葉なのかわたしにもわかった。だってわたしもおなじことを考えていたから。

「漫画のなかの話よ。現実とは違うわ」

 気にするほうがおかしい。そういうわたしもじつは結構気にしているけど。
 再び会話がなくなり、とぼとぼとわたしたちは歩く。

 屋敷が見えてきた。
 わたしの屋敷。でもわたしたちの帰るべき家ではない。
 屋敷に入ろうとして、唐突にその変化に気づいた。

「……っ! セイバー……!」
「はい」

 短く答えるセイバー。
 先ほどまでの落ち込んだ気配が霧散し、戦場に立つ騎士のそれに変わる。

 誰かが屋敷の結界内に踏み込んだ形跡があった。

「つっ、油断した」

 屋敷を出るときしっかりと結界を張り巡らさなかったことを悔やむ。かつてのわたしならば考えられなかった失態だ。わたしは魔術師でありここはわたしの本拠地だというのに、おろかにもそれを失念していた。

「セイバー」

 再び彼女の名を呼ぶ。
 セイバーはこくりとうなずいたあと、
「――行きます」
 静かにそう言って屋敷のなかに踏み込んだ。


 セイバーを先頭に屋敷に入る。
 間違いない。誰かが確実にこのなかへと侵入した。

「セイバーっ! 人の気配はある?」
「……いえ、おそらくはもう……」

 くっ。
 まだ残っていれば捕まえてそれですむのに、ここにいないということはすでに目的を果たして立ち去ったということだ。
 あるいは、工房にまで入り込まれたのだろうか?
 最悪。
 わたしは唇をかむ。工房から遠坂の魔術の一端でも盗まれようものなら、わたしは祖先に対して顔向けが出来ない。

「なかへ……」

 セイバーがうなずき、居間へと続く扉を開ける。すっと、消え去るような動きでセイバーの体が居間へと滑り込む。

「……これは……」

 すぐさま聞こえてくる呆然としたようなセイバーの声。
 やっぱり、なかはそうとう荒らされているようだ。

「最悪……」

 またつぶやく。
 だが、いまさら悔やんでもしょうがない。
 わたしは覚悟を決めてセイバーの後に続いた。





「…………なによ、これ」
「……私に言われても……」

 その部屋は驚くべき惨状となっていた。屋敷を出たときの姿は見る影もない。
 とはいえ荒らされているというわけでもない。工房への封印も破られた様子はないし、おそらくなにか盗まれたものもないだろう。
 ではなぜそんなに驚いているのかというと……

「……美味しそうね……」
「はい――とっても……」

 わたしの言葉に力強くうなずくセイバー。
 テーブルいっぱいに並べられた料理の数々。つくられてからだいぶ時間がたっているのかもう冷えてしまっているようだが、これが誰の手によってつくられたものか、わたしたち二人にとってあまりに簡単な答えだった。

「凛。これを」

 お皿の合間に落ちていた一枚の紙。セイバーからそれを受け取る。

 白い紙の上に書かれた文字。短い言葉。
 これが誰からのメッセージかもはっきりしている。

「凛」

 セイバーの声。
 彼女がなにを言いたいのか、それも良くわかっている。
 だから先回りして言ってやった。

「やっぱり……ご飯はみんなで食べたほうが美味しいわよね」
「……はい。そうですね、ほんとうに」

 にっこりと笑ってセイバーがうなずいた。

 ふん。
 まあ今日は休戦ってことで許してやるわ、士郎。











 冷えてしまった夕食も

 温めなおしてみんなで食べれば美味しくて

 そしてその夜

 にぎやかな夕食が終わったあとのその部屋は

 なんだかいつにもまして暖かかった



―――遠坂凛&セイバー
       +
       士郎(シロウ)―――

      第四戦
    もしくは仲直り戦?






「はあ、あっ、シロウ……」

「うっ、ん……士郎、なんか、いつもより、んっ」

「んっあっあぁ、シ、ロウ、シロウ……っ!!」

「はぁ……え? ちょっ、セイバー、もう?」

「…………」

「や、ちょっ、まっ、んあぁっ……駄目、士郎っ」

「…………」

「んっあぁ、くぅ、セ、イバー、おきてよ、わたしひとりじゃ……ひあぁっ」

「…………」

「う、るさい、馬鹿! あ、あんたが……わたしを、こんなふうに、し、たんでしょうが……」

「…………」

「ふあっ、んっぅ……あっ、もう、駄目……あぁぁっ……!!」

「…………」

「はぁ……はぁ……え、うそ……な、んで、あんたのは、まだこんなに……」

「…………」

「やあぁ、駄目、よ……あ、おかしく、なっちゃう、んあぁ!」

「…………」

「くっ、んん、もう……あぁ、し、士郎のばかあぁぁっっ――!!!」

「…………ん、シロウ、す、てき、です……ん、ぅ」





 遠坂凛&セイバー組
 衛宮士郎による搦め手(?)により敗北
 でもセイバーはなんか満足そう










「なっとくいかない……」


「おぼえてなさい、この馬鹿っっ!!!!」


 またしてもいじめられた凛さまは怒りまくる

 戦いはまだまだ続くようだ……




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あとがき

前回すこしやりすぎたのでちょっと手法を変えてみました。
なんとなく最終回っぽい終わりかたですが、まだ続きます。多分。
管理人が飽きるまで。はい。
今後は「校内編」か「町内編」を予定。
でもその前にもう一個の連載終わらせないと。

6月7日、微妙に修正。

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