失敗山日記 T−
初めてのビバーク、熊 in 奥多摩 天祖山(99116
―― 山で非論理的になるのは私だけ? (ブドウ糖の不足?)
by 山へ行っちゃあいけない男(登山不適格者?)
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その1

 朝 一杯水避難小屋を発ち、水松山(=アララギ山)下の分岐まで来たのはもう12時半頃。途中立ち寄った酉谷避難小屋が気持ちよく、のんびりしすぎたことが悔やまれます。そしてこの分岐で天祖山への道標を見たのが、ケチの付き始め。

 以前から楽しみにしていた長沢背稜でしたが、ここまでは同じようなまき道が続き、紅葉もほぼ終わって意外と退屈でした。またこの先の芋木のドッケへの登りには時間がかかりそうで、雲取山頂小屋に着くのは日没前後になりそうな気配です。日没後の避難小屋着はいやなものです。
 それに比べ、この分岐から左へ折れる天祖山越えの道なら、明るいうちに林道に出られるでしょう。計画の変更自在なのが単独行のよいところ(?)ですが、私のような軟弱者にとっては弱点でもあります。
 更に人里恋しの感も出てきて、結局天祖山経由で下山することに計画変更したのは1時過ぎ。訪れたことのない天祖山への気軽な予定変更が、思わぬ難事になるとは思いもせずに・・・。

 天祖山への登り返しはまさに「梯子坂」〈脚注〉と名づけたいほどの急坂で、胸をつくようによじ登りました。山頂の天祖神社で小休止。ここをあとにしたのは3時になろうかという頃でした。
 あとは降(くだ)るだけなのですが、これが大変。林間の踏み跡のような道はやたらに落ち葉がつもって分かり難く、すぐに道から外れそうになります。足裏で硬い地面(=登山道)を探っては進むような、もどかしい山行になってきました。緊張感の連続からか、いやな汗も出てきます。
 やっと廃屋のような建物(大日大神)に着き、表に回って道標があったときは一安心。しかしそれも束の間、道はまた林間の落ち葉の中となりました。
 このペースでは林道に出るのは日没の4時半頃を過ぎるかも知れないと、ヘッドランプを早めに装着しました。狭い踏み跡を歩き続けるうちに、はっきりとした尾根になりましたが、今度はブッシュにぶつかってしまいました。4時頃だったでしょうか。

 右に降りる道があるようですが、何の物好きか、前方へのブッシュを数歩進んでみました。前方が少し開けましたが、やはりこちらに道はないと歩を緩めたときです。
 「ガオッ」と、短い吼え声があがりました。2、30メートル位先の藪の辺りからのようです。私に向けた威嚇の声と感じました。

* 梯子坂  「梯子坂のくびれ」から天祖山へつづく尾根上の、まさに胸つく急坂は
『梯子坂』と呼びたくなるし、私もそう思っていましたが、実際は違うようです。
 梯子坂のくびれから孫惣谷への斜面が「梯子坂」で、昔、伐採した木材を搬出するために梯子状の桟を設けて作業したからだそうです。
 この辺りの名称は地図や道標(書き込みも含め)によって色々なので序に整理すると、水松山から南に最初のピークが「梯子坂の頭」(1662)、そこから下ったタルが「梯子坂のくびれ」、さらに例の急坂を腕を使って登ったピークは「ナギ谷の頭」(1671)で、その次が天祖山ということになるようです。
以上は、復刻版「奥多摩」(百水社1992年刊、宮内敏雄著)の受け売りです。
 
*連載の読み物のように、1日1ページずつ読んでいただくのが私の希望です。