13-4 ジャングル物語の系譜4b リビングストン発見記(1872年)
ヘンリー・モートン・スタンレーの「リビングストン発見記」HOW I FOUND LIVINGSTONEを小学館の
地球人ライブラリーと、講談社青い鳥文庫でよみました。
子供のころ講談社の絵本で読んだ「リビングストン・アフリカ探検」では、スタンレーがウジジでリビングストンと出会う
場面も書かれていました。「リビングストン博士ではございませんか?」ということばは、たいへん有名で、クイズに
も出てきます。これはスタンレーの著書に書かれているのです。リビングストンはスタンレーに出会ってからもイギリス
に帰らず、アフリカの探検を続け、最後の探検の本を表わすことなく、亡くなりました。
地球人ライブラリーのほうにはリビングストンの「アフリカ横断探検記」の抄訳も収録しています。
この二つの書物の中には沢山の銅版画があり、一部は河出書房新社の「アフリカ探検記」の口絵とまったく同じものがある
ので、原書から引用したものと思われます。よくないのは、絵の出典をはっきり書いていないことと、キャプションが
本ごとに異なり、原書通りのキャプションかどうか、わからないことです。
たとえば左上の絵は河出書房新社の「アフリカ探検記」の口絵で、右上の絵は小学館の地球人ライブラリーのものです。
土人が(失礼、現地人が)下帯をしていないほうが、オリジナルと思いますが、どちらも出典があきらかにされていません。
またリビングストンが河をカヌーで旅行している絵のキャプションに、青い鳥文庫のほうは、河をくだっていると書いて
あり、河出書房のほうは河を遡行していると、書いてあります。それぞれ原典に忠実に訳しているが、元の本から
くいちがっている、ということかもしれません。
これらの銅版画の中には、「少年王者」や「少年ケニヤ」に出てくる茅葺き屋根の丸い住居の絵や、「少年王者」の
エピソードにある、丸木舟を襲うカバの絵があります。「少年王者」でポトの部落がガラ族におそわれ、村人は奴隷に
されて、木の首枷を入れられて連れていかれる場面(左上。部分)がありました。それはアラビアの奴隷商人が、黒人
奴隷を移送する絵(右上。部分)を参考にしたものと思われます。(腰布の形まで同じ)。奴隷に首枷を入れたのは、
アフリカのガラ族でなく、文明の利器・銃を持ったアラビア商人であることは知っておく必要があります。
スタンレーのの探検記の中で、いちばんの苦労は、貢ぎ物をもっと多くせしめようとする族長に足止めをされたり、
現地人との戦いに巻き込まれたり、熱病でポーターが死んだりといったことです。
もしアフリカが大きな国にまとまっており、王様が広い地域を治めているようなら、その王様ひとりにあいさつするだけで
、その国の中はフリーパスとなるのですが、いっぱい小さな王国(=部落)に別れているので、いちいち王国ごとに
あいさつがいるのです。
がいしてアフリカの王様は強欲で、なるべく多くをぶったくってやろうとしており、全く油断がならないように書かれて
います。しかし、それは文明人が作り出した状況とも言えます。布や腕輪や、ビーズを渡して、通行許可を求める
探検隊は、巨万の財宝をばらまきながら旅する三蔵法師の一行のようなもので、王様たちの物欲を刺激せずには
おられません。
「チベットの7年」で有名な登山家ハインリッヒ・ハラーはニューギニアの山々に登ったとき、原始的なニューギニア
高地人を荷物運びと案内のためやといました。そのときかれらは少しでも多くの報酬(ナイフ、斧など)を得ようと、
最初の約束以上のものを要求することがたびたびあった。しかし同時にハラーが疲れているとき、現地人のだれもが
ハラーを助けようと献身的であったと書いています。かれらは子供のようにほうびをほしがる。そして子供のように
純粋で親切だと。
リビングストンは土人になんでもやってしまうので、スタンレーは気が気ではなかったそうです。
そのようなスタンレーの目からすれば土人はよくばりばっかりに見えるのかもしれません。
スタンレーの3回目の探検のスポンサーになったベルギー王は、スタンレーのつくったコンゴ自由国を植民地に
してしまいました。