12-1-3.リアルな細密画と単純化した線画 4(手塚治虫2)
「ケン1探偵長・ペロ大統領の秘宝事件」の冒頭、絵物語ふうに陰影の多い、大きな絵があらわれます。
このころ、連載マンガの最初のコマはタイトルを含んだ大きいコマなのに、その号(少年クラブ昭和31年5月号)では、最初
、「ケン1探偵長」というタイトルだけが出て、すぐにストーリーがはじまります。航海中の豪華客船の中で、乗客のひとりが
部屋に血痕を残しただけで失踪してしまいます。「五番目の行方不明事件だ!」と船長が叫んだところで、ページが変わり、
上の絵になるのです。
「ペロ大統領の秘宝事件」というタイトルが入っている絵で、マンガの中にタイトルが2度出てくるような感じです。ちょうど
映画で、MGMやUniversalなどの会社のタイトルのあと、すぐストーリーがはじまり、いきなり大事件がおこったあと、メイン
タイトルがはじまるのに似ています。(「寅さんシリーズ」で主題歌が始まる前にちょっとした寸劇がありますね。こういう
はじまり方はアメリカ人の発明らしく、フランソワ・トリュフォ監督などは嫌っておりました。彼の映画は必ずきちんとメイン
タイトルからはじまります。)
このコマでは夜中に電話がかかってきたケン1探偵長の暗い事務所の無気味な印象が圧倒的です。それは、陰影が、ペンで
絵物語風にこまかくつけられていることによって、重々しい効果が出ているのだと思います。
ちょうどこのころ、手塚治虫は雑誌「おもしろブック」にライオンブックスシリーズと呼ばれるSFマンガ付録を毎号書いて
いました。そのライオンブックスの作品群にも、絵物語ふうの陰影をつけた絵が散見されます。
昭和28年、絵物語「銀河少年」で失敗した手塚治虫は、ころんでもただでおきるかとばかり、絵物語ふうの陰影を、マンガの絵に
とりいれて、リアルさをだそうとしていたのではないでしょうか。手塚治虫はライオンブックスのころ(昭和31年)、完全に
絵物語に打ち勝ちます。ライオンブックスは手塚治虫の作品群の一つのピークです。かれは絵物語に打ち勝つのに、絵物語ふう
の絵をマンガに導入したのです。
のちに劇画家が、手塚ふうの丸まっこい線にあきたらず、省略の少ない、リアルな線をマンガ/劇画にもちこみますが、ディズ
ニーふうの絵からの脱却は、まず手塚治虫自身によって、始められていたのではないでしょうか。