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4-4.雄大な構想力と粘り6 -伏線また伏線-

「少年ケニヤ」の中で、ナチのアフリカ秘密工場の責任者フォン・ゲルヒンは最初なぞのような横顔だけが描かれ、ドイツ人 であることはわかりますが、何者であるのか、さっぱりわかりません。ゲルヒンはアフリカ人の部落を襲撃して、奴隷を集めます が、そのエピソードで、彼が血も涙もない人間であることはわかりますが、彼がアフリカに建設中の要塞の意味は、わかりません。 彼の行動の目的は読者にとって長いことなぞです。ゲルヒンが原住民の部落をおそって、奴隷をかき集めるのが産経新聞社刊 「少年ケニヤ」(全13巻)では第3巻なのですが、ナチの秘密工場の全貌が明らかになるのは第6巻です。全体の4分の1もの 長さを読者に「何かありそうだが、どうもよくわからん」と思わせて、伏線のまま引っ張っていくのです。

「少年タイガー」のブラック・サタンも最初、無線電信の中の声としてのみ登場したきり、しばらくあらわれず、他のエピソード が語られます。

昔の映画をみていると、「ははあ、こいつが悪者の手先だな」とか、「彼女が渡してくれたこの短剣が最後に役にたつのだろう」 とか、筋書きが読めることがよくありました。観客に筋書きを読ませるような作り方をしていたのかもしれません。昔の映画では シナリオを書くのに、「伏線を少なくとも三本は張れ」と言われていたようです。伏線とは何か。それは観客に「この場面の意味 はよくわからん。何かありそうだが、どうもよくわからん」と思わせることです。映画のクライマックスに至って、最初よく意味 のわからなかった場面の意味が突然明らかになります。観客はなぞが解けた気がします。「ああそうか、仮面の男が『その意味は 今にわかるだろう』と言ったのは、彼が主人公の父親だったからだな。」といったようなことですね。

現在の映画では、昔のようにわかりやすい伏線が張られることはありません。映画館の暗闇の中で、「ぼくはこいつが犯人だと思 うよ。」と友達にささやく楽しみはうしなわれました。「こいつはいつも悪い役ばっかりだもんな。」「オーディ・マーフィーが 信用してなんでも話すのがかえってあやしいね。」それは昔のことです。最近の映画はすれっからしの観客でも筋が読めないよう な作り方をしています。そのかわり、ひとつひとつの場面がたいへん意味深長になり、よく考えないと全体の筋そのものが、なに を言っているのか、わからないようになりました。

したがって、物語に伏線を張る方法は全く古臭く、それを現在の作品に使うのは紋切り型以外の何物でもないのですが、しかし、 このありきたりの方法には、私達の現実認識のパターンに通じるものがあるように思います。人生には、その時にはなんの事 かよくわからなかったが、あとになってその意味がわかるようになったということがよくあります。

たとえば、卑近な例では、職場恋愛・職場結婚という現象の場合、当事者は、お互いの意思を確認するまでは、自分達のことを 秘密にしていますので、彼等が婚約を発表するまで、周囲の者には、「ちょっと気になるが、何のことかよくわからない」出来事 がときどきおこります。例えばいつも残業していた同僚のA君がときどき早く帰るようになったとか、以前は野球の中継の話しかして いなかったのが、先日恋愛映画の話に加わってきたので、不思議に思って訪ねると、チケットをもらったからとあわてて答える とか、B嬢が最近自分に親しく話し掛けるのは、自分に気があるのかもしれないが、どういう風の吹き回しであろうかといった ようなことです。

これらのちょっと不可解な現象は、「彼等が付き合っていた」ということがわかっただけで、すべて朝日に当たった初雪のように たちまち解けるものですが、このキー・インフォメーションがないと個々に関係のない現象として、その都度忘れ去られてしまい ます。彼等の婚約発表によって、「なんだ。Aがときどき早く帰っていたのは、Bとデートしていやがったのか。」ということは 合点がいくのですが、Aが「英会話教室に行くので」と下手なうそをついただけで、簡単にごまかされてしまうものです。Aが 恋愛映画の話をしていたということは、大いなるヒントだったのに、「Aならもっとフランクに恋人のことを話すはずだ。」という 根拠のない思い込みのために見過ごされてしまいます。私たちは日常の小さな出来事をその都度意味をつけて記憶の引き出しに 整理していますが、出来事は次々におこるので、数多くの処理の中には解釈のまちがいもあるのです。

それではB嬢が自分に親しく話しかけてきたのは、なぜなのか。そういうことは、よくおこることなのですが、女は(男も) 自分が好かれていると思うと自信ができて、恋人以外の異性にも親しく話し掛けたりするものなのです。したがって、独身の異性 から急に親しくされた場合、相手が本当に自分を好いているのか、単なる当て馬にされているだけなのか、よく考えないといけま せん。(私の場合、後者のことが多かった)また、結婚してしまうと、他の男性と親しく話がしにくくなりますので、独身 のうちにせいぜい楽しんでおこうというのかもしれません。

現在「狂牛病」というやっかいなものが、私たちの生活をおびやかしていますが、一頭の病牛が発見されただけで、事件の前兆とも 言うべき過去の事実が新聞紙上につぎつぎ明らかにされています。たとえば、EUから度々警告をうけていたとか、たとえば 米国や豪州では欧州からの肉骨粉に対して厳しい規制をしたが、日本ではしなかったというようなことです。当事者はしまったと 思っているでしょうね。あの時ああしておくこともできたのに。あの時こうしておけば。その情報は目の前にあったのに。それが 人生なのですね。

(ついでのことに)20世紀の大発見の一つに遺伝子の化学構造の発見がありますが。DNAの二重らせん構造を発見し、 ノーベル賞を受賞した、 ワトソンとクリックは彼等の理論の裏付けとなる実験データを、同僚の女性研究者ロザリンドから拝借しているだけで、自分達 では実験らしい実験はしていないのですね。それも当人からじかに許可を得て引用しているのではなく、彼女のボスに、彼女の 核酸の結晶解析写真のをコピーを見せてもらっただけなのです。この女性研究者にとってもDNAの構造をとくチャンスは あったのです。その真理へ至る道への決定的な情報のひとつは彼女が卓越した技術で得たものだったのです。彼女はおそらく そのデータを作る努力のあとでひと休みしていたのでしょう。その間に研究のゴールをよく自覚した賢い同僚のために、 アブラゲをさらわれてしまいました。発見の歴史はこのような事件のくり返しです。

(ロザリンド女史の結晶解析のデータがDNA の構造をとくのにどれだけ貢献したかは慎重な議論が必要でしょう。わかっていることは、彼女もある程度の貢献はしたと いうことです。彼女の演じた役割が脇役であったとしても、すばらしい劇に彼女も参加しているのです。)

閑話休題。小説、まんが、映画の中で伏線を張ることは、ですから古臭いですが、意味のあることだと思うのですね。読者が 人生の中に重要な伏線をみつけるトレーニングになると思います。また伏線の意味がわかったときに受ける感じは、私達が 人生から受ける感じそのものと思います。


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