4.雄大な構想力と粘り5 -少しずつ明らかになる-
山川惣治がよく使う叙述上の技法について。
「少年王者」の中で魔神ウーラは最初、草むらから主人公たちを隠れて見ている不気味な顔として登場します。怪人、
怪物が本格的に登場する前にちらちら片鱗を見せて雰囲気を盛り上げていく方法は山川惣治の常套手段です。
「少年ケニヤ」で、魔物が住むという岩山をゼガとワタルが進んでいくと、岩のかげからふたりを見張っているものがあり、その
者の頭部(トカゲそのもの)や、爪のはえた手だけが描かれます。なかなか全身は描かれません。全身はえがかれても、そいつは
すぐ隠れてしまい、なんであるか、全くわかりません。トカゲの頭部を持った人間らしいということだけです。トカゲ族の
エピソードはとくにサスペンスを生むようにじわじわ物語られます。
「少年タイガー」の中で、ブラック・サタンは最初、無線電信に答える不気味な声としてのみ登場します。はじめは姿がわかり
ません。
このように、いっぺんに全部語ってしまわず、なにかなぞの部分を残して物語を進めていくことにより、(1)サスペンスが盛
り上がる(2)読者にいろいろ想像させてひとりでに物語が盛り上がるという二つの効果があると思います。
「少年ケニヤ」のトカゲ族のエピソードではほかに語るべきエピソードがないので、山川惣治は「ボレロ」を演奏するように少し
ずつ音を強くして聴衆を引っ張っていくだけで、途中から別のテーマをはさむということはありません。山川惣治はトカゲ族の
全貌を知っているのですが、それをいっぺんには見せず、小出しにして、サスペンスを盛り上げているのです。
映画「大怪獣ゴジラ」でも、最初のうちはゴジラにおそわれて炎上する漁船が描かれるだけでゴジラのすがたは全くみえません。
次いで大戸島にゴジラが上陸した嵐の晩のときも破壊される家屋がうつるだけで、怪物の姿は写し出されません。調査団が大戸島
を捜索するうち、ゴジラは崖の上から頭部だけをあらわして咆哮し、人々を恐怖させますが、一瞬で姿を隠してしまいます。こう
して少しずつ詳しくゴジラを描写していきます。映画「ゴジラ」によって「怪物の描写を小出しにする」方法はすっかりポピュラー
になりました。その後の怪獣映画ではこの方法を踏襲すると陳腐になってしまうので、なんらかのひねりを加えて新味を出すように
しています。最近の怪獣映画で、たまに、この古典的方法をとっている「真面目な」怪獣映画を見るとなつかしい感じがするほど
です。
映画「大怪獣ゴジラ」が参考にしたという米映画「原始怪獣あらわる」でも、最初深海艇をおそう場面では、怪物の姿はまったく
見えません。怪物を見た人間の恐怖の表情が描写されるだけです。ついで北極の基地を襲った怪物が吹雪の中に一瞬うつります。
三番目は灯台を襲う怪物のシルエットというように漸増法で語られます。したがって「怪物の描写を小出しにする」方法は
映画「大怪獣ゴジラ」の専売特許でもなく、山川惣治の発明でもありません。大衆娯楽の世界でこのころまでに誰かが発明した
か、複数の作家と複数の作品により練り上げられたものでしょう。