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第101回〜第150回
第101回 | 「拙者は新選組 柔術師範松原忠司だ」 |
松原忠司 |
真偽不明ですが、壬生心中の主人公、 松原忠司です。彼は「播州小野」の出身 という史料と、「大坂浪人」という史料がありますが、 真実は「小野出身で、大坂で浪人をしていた」が 正解です(^^;) |
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第102回 | 命のはかなさを覚った男は、 決して嘘はつかん |
芹沢鴨 |
「真説新選組」(園田光慶さん)からのセリフです。 「命のはかなさを覚った男」とは、沖田さんのことです。 |
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第103回 | 「薩摩藩士富山弥兵衛じゃ!」 | 富山弥兵衛 |
「新選組血風録」(司馬先生)の 「弥兵衛奮迅」からの引用です。 富山は、今の新潟で亡くなっています。 死亡地は、静かな田園地帯でした。 |
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第104回 | 比弐品拙者家へ | 吉村貫一郎 |
子母澤寛の「隊士絶命記」に出て来る 有名な吉村の絶筆です。 「壬生義士伝」も、とてもいい作品ですよね。 |
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第105回 | たかくとも五十の峠を安々と 越ゆれば御代の春ぞ長閑けき |
中島登 |
「隊士絵姿」を書き残した、中島登の辞世です。 享年50歳。 |
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第106回 | 安富才助!!!新撰組の指揮を任せる! | 土方歳三 |
舞台「歳三」(嶋田ひろしさん)の1コマ。 蝦夷上陸後、松前藩を落としに行く戦いの 前のセリフです。 |
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第107回 | 往年の敵も味方もおなじ仏壇に 朝な夕なのとむらいの鐘の音をたたぬ |
新撰組顛末記 |
永倉さんの「新撰組顛末記」のラストです。 せつないですね。 |
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第108回 | 今度は男の引き際を 見せてくださいませんか? |
沖田総司 |
おお!沖田さんの頭脳作戦ですね(笑)。 「無頼」(岩崎陽子さん)からの引用です。 |
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第109回 | 俺の紋ァ伊達じゃァねえぞ | 原田左之助 |
左之助の家紋は「丸に一つ引き」だと言われています。 その「一つ引き」は、自分の切腹傷をデザインしたものです。 |
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第110回 | 井上さん、また稽古ですか? | 沖田総司 |
子母澤寛の「新選組遺聞」の中に出て来る 八木さんの談話です。稽古に行く井上さんに、 話し掛けた沖田さん・・・このあと、小言を 言われちゃうんですけどね(笑)。 |
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第111回 | 改めて問う。 諸君らは武士であるか? 身分ではない士道に殉じる 覚悟があるだろうか |
近藤勇 |
「風光る」(渡辺多恵子さん)の中からの1コマ。 近藤さんが、入隊希望の人たちの前で話した 言葉です。感動したのはおセイちゃんだけでは ないはずです(^^) |
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第112回 | どうもおかしい・・・ | 平山五郎 |
片目が潰れている・・・という平山ですが、 その潰れている方から打ち込めば、必ず きつい反撃が待っています。しかし、 |
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第113回 | 副長・・・ずいぶん変わられましたね | 島田魁 |
黒鉄さんの「新選組」から。土方さんと島田魁との 暖かい心の触れ合いが描かれていますね〜(^^) |
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第114回 | なかなかに 惜しき命にありながら 君のためには 何をいうべき |
森常吉 |
箱館時代の新撰組改役頭取の森常吉の辞世。 彼は桑名藩士で、最期は桑名藩抗戦派の責任を 取って、切腹しました。「君」とは桑名藩主松平定敬です。 |
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第115回 | 近藤勇の墓は、土方歳三が 首を携へ来りて葬りしものにて・・・・ |
加藤寛六郎 |
会津の近藤さんの墓についての文です。 土方さんが、近藤さんの首を埋めた・・・という 証言ですね。史実の本では、その可能性は 否定されています。 |
第116回 | 東武人武明歿之日於所戦死 藤堂平助宜虎 年二十四 |
藤堂平助墓碑より |
戒光寺墓地にある、藤堂さんの墓碑に刻まれる言葉。 「武明」とは伊東甲子太郎のことです。 |
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第117回 | 妙境に達すれば槍も剣も同じだ | 谷三十郎 |
「新選組血風録」(司馬遼太郎先生)の 「槍は千石もの」からの引用です。 実際は、槍の名手は弟の万太郎だったらしいです。 |
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第118回 | 今は夢なんかいらない この鮮やかな現実以上に 心奪われるものなどありはしない・・・ |
沖田総司 |
「無頼」(岩崎陽子さん)の中の一節。 上洛途中の、希望にわふれる沖田さんですね。 このときの土方さんもかっこいいです!!! |
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第119回 | 卿は速やかに去り、 同盟諸藩との今後の計をなせ |
松平容保 |
「卿」とは松平定敬のこと。 会津戦争で、ともに戦おうとする定敬に 兄容保が言ったセリフです。 |
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第120回 | 田所や、 餅つく音の遠ひびき |
佐藤彦五郎 |
「春日庵盛車」という俳号を持つ、土方さんの義兄、 佐藤彦五郎の詠んだ句です。 年末に正月用に餅を搗くのですが、近藤さんや 土方さんもそれを手伝ったそうですよぉ(^^) |
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第121回 | 兵は東国に限り候と存じ奉り候 | 近藤勇 |
あまりにも有名な近藤さんの手紙の一節です。 「風を継ぐもの」でも出てきますね。 |
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第122回 | 我壮年武人となって 名を天下に上げん |
土方歳三 |
土方さんが子供のころ、矢竹を庭に植えて こういったそうです(^^) |
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第123回 | 武士はそれが仕事 斬り合うのはお互い様ですから |
沖田総司 |
「風光る」(渡辺多恵子さん)の一節。 笑顔でこういうことを言われても・・・おセイちゃんも とまどってしまいますね(^^;) |
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第124回 | トシ・・・加納君はどうだろう? | 近藤勇 |
「御法度」から、近藤さんのセリフです。 あの近藤さん、じつは私は大好きです(^^;) |
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第125回 | アア徳川幕府の命脈も ここにまったく絶えはてた |
永倉新八 |
明治になってから、盟友雲井龍雄が斬首され、 晒し首になりました。それを見た永倉さんの絶叫です。 いつの日か、兵を挙げて共に戦う決意だったのに・・・。 |
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第126回 | 明治維新之際奔走東西 爾京勤労王事尋属薩藩奥羽既 |
加納通弘の墓碑 |
新撰組隊士から御陵衛士に分離した加納通弘の 墓碑裏に刻まれる漢文です。 明治維新の際には、薩藩に属し・・・と刻まれています。 新撰組に入ってたことは書かれていないんですよ。 |
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第127回 | 我も同じ台や 問わん行く末や 同じ御国に会うよしもかな |
武田観柳斎 |
会津藩士柴司が、明保野亭事件の責任を負って 自刃しました。その葬儀の際に武田が詠んだ句です。 |
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第128回 | あの人に限っては、 局長の死して後まで 生きるつもりはないだろう |
斎藤一 |
「あの人」とは沖田さんのこと。 「風光る」(渡辺多恵子さん)のワンシーンです(^^) |
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第129回 | 南部与七郎、弐捨八、九歳位。 疵所両足、横腹二ヵ所。 面上鼻より口へ掛深さ二寸程、 長さ七寸斗り、刀を握り候まま果居候 |
鳥取藩 慶應丁卯筆記 |
油小路事件の際の、鳥取藩の記録より。 「南部与七郎」とは藤堂さんのことです。 |
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第130回 | あれが陥ちるとき、私の一生は終るだろう | 土方歳三 |
「燃えよ剣」(司馬先生)の箱館でのシーン。 お雪さんに話し掛けているんですよ〜! なお「歳さん、いつからそのお髪に?」というのは この後です(笑)。 |
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第131回 | 山崎監察・・・島原に 連れていってもらえませんか? |
加納惣三郎 |
映画「御法度」からのワンシーン。 怖いです・・・。・°°・(><)・°°・。 |
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第132回 | 明治辰巳実有此事 立石山上以表厥志 |
碧血碑碑文 |
箱館戦争で亡くなった旧幕軍兵士の慰霊のために 作られた碧血碑。その裏面に刻まれるのがこの 文章です。ちょっと言葉を濁して書いているのが ポイントですね・・・。 |
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第133回 | 待てよ君 冥土もともと思ひしに しばしをくるる身こそ悲しき |
伊庭八郎 |
伊庭八郎の辞世とも言われる歌です。 彼は五稜郭に埋葬とも言われますが、別の場所への 埋葬記録も残されています。 |
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第134回 | 三浦君、どっかへお供したいな | 沖田総司 |
新撰組が預かった「三浦啓之輔」・・・佐久間象山の 息子ですね。彼の日頃の生活態度があまりにも悪くて、 ついに沖田さんにこう言われました。「斬られる!」そう 思った三浦は、新撰組を脱走することに(^^;)。 このとき、沖田さんは本当に斬るつもりだったのでしょうか・・。 |
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第135回 | 芹沢先生・・・立派な本陣ですな | 近藤勇 |
「燃えよ剣」(司馬先生)の一節。 京に残留を決めた際、初めて黒谷に行って思わず 近藤さんが口にした言葉です。黒谷は、もちろん、 会津藩の本陣です(^^) |
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第136回 | 斎藤一 六十歳位、東京ノ人。 目下藤田五郎ト改メ互ニ信書ノ交付セリ |
近藤芳助 |
明治になってから、新撰組隊士近藤芳助は、 斎藤一と手紙の交換をしていた・・・ようです(^^;) |
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第137回 | 引き返すまい・・・船はもう港を出たのだから | 沖田総司 |
沖田さんの強い決意です。 |
第138回 | 治りました | 沖田総司 |
「修羅の刻」(川原正敏さん)の、あまりにも 印象に残るシーンです。あくまでも戦いの中で 死んでいきたいという強い気持ちですね。 |
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第139回 | 常ニ下方民ヲ憐レミ、軍ニ出ルニ先立テ 進シ故ニ士卒共ニ勇奮フテ進ム |
立川主税 |
立川主税による記録です。 もちろん、土方さんに対する記録です(^^) |
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第140回 | 悪・即・斬 | 藤田五郎 |
斎藤一にしようか、藤田五郎にしようか迷ったんですが(^^;) 「るろ剣」(和月伸宏さん)の、あまりにも有名なセリフですね。 |
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第141回 | 士道不覚悟 | 藤田勉 |
斎藤一の息子の、藤田勉の言葉です。 勉の息子さんの話によれば、学校から帰ってきたり すると、父勉はいません・・・と油断していると、物陰から 「士道不覚悟!」と叫んで、襲ってきたそうです(笑)。 |
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第142回 | 死ぬときは死にますから、この程度で・・・ | 沖田総司 |
黒鉄さんの「新選組」から、池田屋討ち入りの直前の1コマ。 軽装を指摘された沖田さんの言葉です。 |
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第143回 | おいらの人生は勝ち越しだったと思うよ | 近藤勇 |
同じく、黒鉄さんの「新選組」から。 板橋で斬首される直前の、近藤さんの気持ちです。 |
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第144回 | 会津の侍は、皆こういい匂いなのか? | 斎藤一 |
「無頼」(岩崎陽子さん)からの引用です(^^;) そんなわきゃないでしょう!と思わず突っ込みを 入れてしまいます。 |
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第145回 | 軽いなぁ、沖田・・・ | 陸奥出海 |
沖田の亡骸を抱えた陸奥の言葉。 「修羅の刻」(川原正敏さん)からの引用です。 |
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第146回 | 危険すぎる!攘夷派がただ春日社詣での為に 帝を大和へ連れ出すとは考えられん! |
近藤勇 |
ミレニアムの初詣は、春日大社に行ってきました(^^;) 「風光る」(渡辺多恵子さん)からの引用です。 |
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第147回 | 人間話せばわかる。わからぬ奴は 人間ではない!よって斬る!!! |
松平容保 |
「爆笑新選組」から(^^;)。 この本、面白いんですよね。 |
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第148回 | こののち、騒ぎがおさまり 泰平の世となりました時節には 尼御前のお言葉を考えてみますほどに・・・ |
土方歳三 |
「土方歳三散華」(広瀬仁紀さん)の中の一節。 偽名を名乗りながら、尼御前と接していた土方さん。 そのため、維新後も、尼御前は彼の死を知らずに、 ず〜っと京で待ち続けていたんです。 |
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第149回 | だれとだれが、冥土で待ってて くれるかと思うと、楽しみですよ |
島田魁 |
同じく「土方歳三散華」から、島田魁のセリフです。 維新後は、彼は何を想い暮らしていたんでしょう・・・。 |
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第150回 | 鉄嶺へ帰る | 原田左之助 |
真偽不明ながらも、左之助には生存説があります。 明治になってから、故郷松山の弟の家にやってきた 左之助。一晩そこで泊まったあと、このセリフを言って、 どこかへ行ったそうです。 |
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